142チャールズ・ブコウスキー『郵便局』
伝説の無頼派作家であるところのチャールズ・ブコウスキーの『郵便局』です。
作品の話よ作家の話がメインになっていますが、作家の話がそのまま内容に関わってくるのでそのままお読み頂ければと思います。
なんとなく真面目さが逆転しているところはカフカ的でもありますね。
一枚の紙を前に腕を組みうんうんと唸っていたら、珍しく栞が背後からわたしの方に手を置いて「どうしたんですか?」と聞いてくる。
「いやね、進路希望表だせーいわれたんだけれど、とりあえず大学進学って思っているんだけれど、特にやりたいこともないなあというか、大学でても自分に何が向いているか分からないなあっていう青春の悩みみたいなのに浸っていたわけですよ。浸っていただけじゃなくて明日までに提出しないといけないわけだけどさぁ……」
栞は肩口からわたしの顔の横に顔を並べて手元の進路希望表をながめている。
栞独特のなんとなく甘い花か果物かみたいないい匂いがするので、ため息をつくふりをしてすーはーとその香りを胸いっぱいに吸い込み堪能した。
「大学進学としか書いてなくてどこの大学に絞っているかとかはまだ考えてないんですね」
「うーん……栞と同じ大学がいい!」
「私も詩織さんと同じ大学で同じキャンパスライフをおくれたら楽しいなあと思いますし、そういうの憧れますけれど、私の志望大学に詩織さん入学できそうですか? 志望学部まで同じにする必要はないと思いますけれど、詩織さんの今の成績だとちょっ……」
「あああああああああああまあああああああ!!!」
「んまっ! 現実逃避!」
わたしは頭を掻きむしるといったん呼吸を整え心を落ち着けることにした。
「詩織さん。志望大学は自分の将来を見据えた所にするべきですよ?」
「正論いうのやめて! モラトリアムしたいんじゃあ!」
青春の懊悩をどばーっと吐き出した。
「うーんなんか分からないけれど公務員とかいいのかなあ……?」
「公務員も楽そうなイメージありますけれど、忙しさとかストレスの受け方はピンキリらしいですからねえ。楽な職場が一番とはいいませんがワーク・ライフ・バランスはとれたところに就職したいですね」
「もうアレだ、永久就職するしかない……栞の嫁にして!」
「んまっ!」
「甘やかしてよおー養ってよぉー!」
栞は「はあ」と深々とため息をつくと俯いてズレた眼鏡をくいっと元の定位置に戻すと腕を組んで「まあ婿養子は取りませんけれど、いいんじゃないですか? もっと気楽に考えても。もっと適当に生きてもいいと思うんですよねー。まあ詩織さんはやや気楽な生き方に傾いているとは思いますけれども」と、なんだか意外なことを言い出した。
「あれま。お堅い栞さんらしくない事を仰るじゃないですか」
「ちょうど少し前に読み終わって、お薦めしようと思っていた本があるんですが、これ読んでみてください」
詩織は鞄のサイドポケットから本を取り出すと、わたしの方に差し向ける。
わたしの慧眼は、薄めだということを瞬時に見取り、これならイケる! と思って受け取った。
「詩織さんの思った通り薄いですし、文章の密度も薄めなんですぐ読み終わりますよ」
等と、見透かした事をいってくる。
恐るべし栞アイ……。
「ブコウ……スキー? なんか覚えづらそう名前……『郵便局』ねぇ? そのまんま郵便局員の話なん?」
「そのまんま郵便局に勤める作者本人の体験談が透かし見える話ですね」
「へー郵便局って平日勤務で土日祝日休みで定時上がりだし悪くないんじゃないの?」
「ブコウスキーは第一次大戦次にドイツに駐留してきたポーランド系アメリカ兵の元でドイツのアンダーナッハというところにドイツ人の母との間に生まれます。三歳の時に父が仕事を求めてアメリカへ移住しロサンゼルスに住むことになるのですが、この父親が激しいドメスティック・バイオレンスを行うんですけれど、母は飛び火が来るのを恐れ、革の鞭でバシバシ叩かれているブコウスキーを庇うことはなかったそうです」
「えーなんか凄い暗い話になるのぉ?」
「まあまあ。ドイツなまりで虐められるし、皮膚病で顔は痘痕だらけで、卒業式のプロム……まあカップルを組んでダンスパーティーをするアメリカでは恒例の儀式ですね。映画とかでも見たことあると思いますけれど、それにも誘われず非モテ軍団入りするわけです」
「ええー辛い……」
「まあそんなモテない人だったけれど高校卒業後はなぜかモテ始めて、ダメ男好きなのか秘めた魅力があったのか女性が切れたことはないという生活になるんですね」
「急に人生変わりすぎる」
「そこら辺の人生が大体の作品の下敷きになっているのですが、非正規で郵便局員になるんです」
「へぇ。非正規っていっても郵便局ならなかなかいいんじゃないの?」
「それが当時は仕分けは全部手分けですし、上司には嫌われて面倒くさい地域を担当させられたり、正規職員が投げ出した仕事を拾わされたりで、体力の限界まで働かされます。ロサンゼルスって年に二週間ぐらいしか雨が降らない砂漠地帯に無理矢理作った街なんで下水が貧弱で、一度雨降っただけで大洪水になるんですが、車がエンストして泳いで配達したりとまあ中々な話題がありますね」
「へぇーそれマジ話であったヤツ元ネタに書いているんだ」
「話の構成としては女性関係の話と郵便局での話と、一時期郵便局をやめてギャンブルで食い繋いでいた話とに分かれるんですが、細かいエピソードの繋がりで、いわゆる「滑らない話」のまとまりみたいになっているんですよね。そんな感じなんで伝説の無頼の作家と呼ばれているんですが、基本的には滅茶苦茶にマジメなんですね。女性を取っ替え引っ替えはしているんですが、基本的には女性が間男を作ってたり、他に好きな人が出来たとかそんな感じで女性の方から別れを切り出されるんですけれど、別れ際が本当に綺麗で、女性にもお金にも全く執着しないんですよね。本人の話としてはお酒に溺れるという事もないし、郵便局での給料はキッチリ積み立てていたり、父親の遺産にも手をつけずにいたりと、そんな生活の割には、割と綺麗に生活しているんですね」
「マジメじゃん!」
「マジメなんですね。マジメがひっくり返っておかしくなっちゃっているんですよ。酒は飲むし女性関係は適当だしと見せかけて誠実であるんですが、結局カチカチに考えすぎておかしくなっちゃっているんです」
「へぇーなんか無頼派とかいいつつ結構紳士? だったんかな?」
「ヨーロッパ的な文学だったらアヴァンギャルド小説になっていたと思うんですが、そんな一見荒んだ生活をしていたわけですけれど、本人はポップ・ミュージックを軽薄な音楽だと一蹴し、読む本もお堅い純文学を貪り読んでいて、最後に結婚したときには、自然派健康レストランの経営者と結婚してお酒も一切やめてBMWを乗り回す折り目正しい紳士として晩年を過ごすんですよ」
「なにそれ、変わり身が凄い……」
「ブコウスキーは下品な話を一杯書いているんですが、アメリカよりはヨーロッパで評価されていて、特にドイツでは『郵便局』と『勝手に生きろ』という作品を合わせた本が百万部以上売れて、ドイツ旅行した際にはどこに行ってもヒーロー扱いされたそうです。アメリカでは小説家としてよりは詩人として知られていて、それまでの美文や華麗な修飾で自然を描いたりしているのが伝統的な詩だったところ、日本人の中学生でも分かるような短くて簡単な話し言葉で卑近な話を書いているんですよね。例えばブコウスキーが詩の朗読会でお酒を飲みながら朗読していたらキャーキャーいわれて持ち上げられて、気分がよくなって飲み過ぎて裏口から外に出て嘔吐していたところ、通りかかった女性から「汚いじじい」といわれて今日初めて貶された……というところでプッツリおわる詩なんかを書いているんです。作品は基本的に汚かったり粗野だったり下品だったりなんですが、先述の通り紳士なんですよね」
「よくそんな二面生活出来たね……郵便局はさっさと辞めちゃったの?」
「それが一度辞めた後、今度は正規職員として雇われて何十年かマジメに勤めて、お金も貯めたときに、ブラック・スパロー・プレスという伝説の出版局から「あんたが書いても書かなくても毎月生涯百ドルを出す」といわれて創作に入るんですね。この黒燕出版社ですかね、ここはジョン・マーティンという人が一人でやってたんですが、ブコウスキーも「あんたのために毎日書く、そうすればあんたは大金持ちだ」といって実際に実現させるわけですが、実はお金も貯めていて郵便局の仕事をしながらならギリギリ創作する時間がとれる、で郵便局は辞めちゃうんですけれど、郵便局辞めたことはジョン・マーティンには黙っているんですよね、高度な情報戦が繰り広げられているわけですよ」
「計算高すぎる……ああ、でもさっきの真面目さとか考えると計算力が高いのも納得できるのかなあ」
「だと思います。まあそんなこんなで大成功をして最後は地元の名士として振る舞うわけですよ。そんな中でちょっとした小話として、ジョン・ファンテという文学に挑んだんだけれどそちらは挫折して映画のシナリオライターとして成功するイタリア系アメリカ人がいるんですが、ブコウスキーよりちょっと上の世代で凄い尊敬していたんですね。イタリアでは有名で尊敬もされているんですが、アメリカではそんな人もいたねという感じの晩年を過ごしていたんですけれど、亡くなる数年前にブコウスキーが詩文が序文をつけてブラック・スパー・プレスからあんたの作品は凄いんだって売り出すぜって尋ねていくんですね。その頃のジョン・ファンテは糖尿病で失明した上に両足も切断していて失意のドン底だったわけですが、シナリオライターとして金持ちになったけれど文学者としての価値もあるんだといって、もの凄い感謝されるんですね。そんなちょっといい話もあるんですが、そうした所にやっぱり真面目さがでてるんですよね」
「へーなんだか変わった人だね、二面性が凄いというか……」
「まあ作品の内容よりは作者の話になっちゃいましたけれど、こんな小話がベースになっているんですよね。まああとはとにかく労働環境が酷くて、それまでのアメリカの上流階級みたいな所からずーっと下の方に目線が移っていて、下層社会の白人のリアルがでている、ある種のプロレタリア文学ともとれる作品なんですよね」
「へー。プロレタリア文学って蟹ビームとかのあれでしょ? なんか暗い話じゃないの?」
「『蟹工船』ですね……まあロサンゼルスの光の模様もあるんでしょうけれどなんとなく明るくて、なんとなくイイカンジに終わるんですよ。ジョン・ファンテの作品とノルウェーのノーベル文学賞作家のクヌート・ハムスンという人の『餓え』という食っていけてないけれど好きなことをやっている美術家志望者の話に大分影響を受けているそうなんですけれど、まあキツい話や下世話で下品な小話の集まりなんですが、凄い上品に明るく終わるんですよ。ポップな作品なんですけれど、聴く音楽はクラシックばっかりでグスタフ・マーラーやブラームスを好むし、文学も先ほどのクヌート・ハムスンやヘミングウェイを好み、ドストエフスキーに感動したという端書きが残っていて、それに比べると現代の作家はダメダメのダメといってたりと、趣味はインテリおじさんなんですよね。無頼派というところばかりクローズアップされているんですが、そういう意味でも興味深い作家です」
「マジもんのインテリおじさんかあー狂っているのが主人公なのか世界の方なのかちょっと分からなくなってくるけれど、そういう裏話聞いておくと結構興味出てきたかもー」
そこまで言うと、栞はわたしの両肩にバンと両手をたたき付けて「それだけ真面目な人もわりとキツい世界で狂っている部分も多分に含みながらベストを尽くして生きているんです。あまり難しい話をする必要って日々の中にそんなにないかも知れないですけれど、詩織さんの進路は真面目に考えていただくとして、もっと仕事や生活についてはお気楽に我が儘になってもいいんじゃないですかね? まあ詩織さんはいつでもお気楽なところがある部分は否めませんけれど」
そういって私の両肩に手を乗っけたままくつくつと笑い出した。
「んまっ! わたしも栞のオススメしている本読んでいるからインテリゲンチャに違いないと思うので、もっと気ままに生きていきたいと思います……」
「ブコウスキーは晩年凄い大金持ちになっていますけれど、詩織さんも道筋つけないといけませんね……まあブコウスキーは大成してからはただの真面目な紳士になっちゃって作品も普通になってきちゃったらしいですが……」
「……なるかぁ作家」
栞はなんともいえない柔らかさで、ふにゃらふにゃらと笑って「詩織さんが作品書いてくれるなら私が一人で出版局つくって独占的に出版しますよ!」といって笑った。
「それなら当然、わたしが死ぬまでの間毎月書いても書かなくても百ドル貰えるワケよね?」
「そうすると詩織さんが書かなくなるのは目に見えているのでだめでーす!」
そういってプイと向こうの方に顔をそらした。
「えー渋いー」
「ダメですよ! ほらマジメに進路志望表書かないと、ほらほら!」
栞に煽られながら、大学に行ってもこのまま栞と会う時間作るためには頑張らないとなあとぼんやり思いながら、二人してキャッキャと言い合っていた。
なんとなくこれもキラキラとした青春なのかなと思った。
思ったより間が開いてしまいました、いつもながらご期待頂いていた皆様には申し訳ありません。
でもまあ気ままに行こうということで、たまに更新されていたら「おっやってるね」ぐらいの感じで見て頂ければと思います。
大ネタに取りかかっていますが4月はなかなか多忙のためどうなるか分かりませんがそれなりに頑張りたいと思います。
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なんか進路の話とか出ていますが基本サザエさん空間で回したいと思っていますのでだらだらと続いていきます。
それではまた(なるべく)近いうちにお会いしましょう!