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140ウラジミール・ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』

だいーぶ間が開いてしまいましたが、見捨てずにいてくださった皆様ありがとうございます。

更新してないのになんでブックマーク増えてるの?

ということでナボコフとしては入門編の『カメラ・オブスクーラ』です。

光文社古典新訳文庫から出ている物になります。

若書きですがロシア語としては滅茶苦茶に難しいらしく、翻訳はかなりの難関ではあったようです。

ただ、知的ゲーム感は楽しめますのでオススメではあります。

「どうよ? 知的な詩織さんは?」


「何も見えませーん……!」


「待って、わたしも鏡見てみる……」


 といって取り出した鏡を覗くと視界がグワングワン歪んでとてもじゃないけれど、わたしの眼鏡の似合う知的なお顔が分からない。

 何もかにもが歪んで見える。


「うあー気持ち悪い! 頭痛くなってくる!」


「眼鏡返してください! 私も何も見えません……!」


 なんかやたらと重い分厚いフレームとレンズの眼鏡を栞に返すと、なんだか手探りのように目の前に手をだしてわたわたと腕を振り回した後ひったくるように眼鏡を取り返していった。


「私はこれがないと何にも見えないんですよ……」


「わたしはなんだかまだ目の前がピンボケしている……折角詩織さんの百年に一度の眼鏡で知的さをアップしたイケメン顔をお見せできると思ったのにわたしも栞も何にも見えないんじゃしょうがないなあ……あ、ケータイのカメラで写せばいいか!」


「なんか何も見えてないのに画像を撮るのはなんとなくカメラ・オブスクーラみたいですね」


「あ、なんか聞いたことある! むかーしの画家が絵を描くときに使ったってヤツだっけ?」


「おっ! 詩織さん冴えてますね。カメラ・オブスクーラというのはラテン語で「暗い部屋」を意味するそうですが、初期のピンホール・カメラと同じような感じの構造ですね。有名なところだとフェルメールなんかが絵を描くときに使っていたとされていますね。ほら、牛乳を注いでいる女の人とか、ターバンを巻いた真珠の耳飾りをした女の子の絵とか……」


「はいはい。大体分かった。あれでしょタイトル知らないけれどあの有名なヤツ」


「その有名なヤツです。原理自体は中国の春秋時代の墨子なんかが記しているのが最古のものらしいですが、洋の東西問わず、原理自体は同時多発的に広く知られていたようです」


「へー。名前の由来が「暗い部屋」ねぇ……まあ何にも見えなくなる辺りは暗い部屋に放り込まれたのとあまり変わらないか……うーなんか頭がまだクラクラする……見えるようにするための眼鏡なのに見えなくしちゃったら意味ないよなあ……」


「そうそう。見えないことを主題にした、その名も『カメラ・オブスクーラ』というタイトルの本があるんですよ!」


「ほう。それはお誂え向きな……」


「作者はウラジミール・ナボコフですね」


「ナボコフは流石に知っていますよ、あれでしょ『ロリータ』の人。逆に言うとそれ以外は知らないんだけれど……」


「そうですねぇ、文学好きな人でないとその程度の印象かも知れないですね。それでその『カメラ・オブスクーラ』なんですが、実は『ロリータ』の原型になった作品といわれているんですね」


「へー『ロリータ』に元ネタ? 作者だから元ネタっていうのも変だけれどそういう感じのヤツなんだ」


「そういうヤツなんですね」


 そういって嬉しそうに頭を振る。

 未だに目の前がぼんやりしているので栞が二重に見える。

 栞が二人いてお得だ。


「ナボコフが生まれた一八九九年というのは文豪の当たり年で、ご存じ川端康成やヘミングウェイ、アストゥリアスとノーベル文学賞取った人が三人もいる上にナボコフもノミネートしていたんですね。ナボコフの年はノーベル賞選定委員会を務めていたエイヴィント・ユーティソンというスウェーデンの作家が自分で取ったりしていたので割とスキャンダルになったりもしたそうですが、他にも有名な作家が多く生まれた年ですね。まあ余談は置いておくとしましょう」


「はい」


「ナボコフはロシアからの亡命作家で、元々はロシア人で、作家としてのキャリアもロシア語から始まったのですが、後にヨーロッパ各国を経由してアメリカに帰化した後は自ら「自分はアメリカ人作家である」と宣言していました。それで、ロシア時代の作品も徹底的に手を入れて改作しているのですが『カメラ・オブスクーラ』もその対象になっていて、英語版とロシア語版ではキャラクターの名前や設定、筋書きまでかなり変わっているようで、日本では長らく英語版からの翻訳しかでていなかったのですが、この英語版も七〇年代に一度出たきりなので今では読むのが困難になっています。で、ロシア語版からの一時翻訳が奔放初訳という形で何年か前に出たのですが、なかなか難解な仕上がりになっています」


「えー難しいのいやぁ……」


「ナボコフは読者を自分のレベルまで引き上げた上で読ませる作家といわれていますね。難解なんですが、ゆっくり咀嚼すればちゃんと分かるという……」


「本当にぃ?」


「本当ですぅー。この『カメラ・オブスクーラ』は初期の作品ということもあって、その後の作品から比べるとプロットも直線的でかなり読みやすいです。ナボコフはロシア文学をやる人間に必須といわれている、変わった言い回しを集めた辞書を常に座右に置き難解な言い回しを使っていたそうですが、まあここら辺はちゃんと読めば分かります」


「うーん、ちゃんと読めばかあ」


「まあたまには脳味噌に汗をかかせるような読書も必要ですよ。それにそんなに厚くないですし、先ほどもいった通り比較的分かりやすいです。簡単な設定を説明すると美術商として成功して家族にも恵まれている男が、街で一目惚れした十六歳の尻軽女に入れあげて、その彼氏と彼女が共謀して美術商の男からお金を毟っていき、そして最後には……といった感じのお話です。この場合の運命の女、つまりファム・ファタールは十六歳ですが、後の作品の『ロリータ』では十二歳の少女ですね、二人に共通するのは映画というか芸能の世界に憧れていて我が儘を突き通すという所なんですが、まあド素人の、知り合いの誰からも性悪の尻軽女といわれている少女ですから主人公が大枚はたいて主演の映画を撮らせてあげたときも出来はお察しで、泣きながらフィルムを焼いてくれという我が儘ぶりです」


「ふーん……じゃあ何も見えなくなるっていうのはなんか愛は盲目的ななんかそういう?」


「いえ、主人公が物理的に失明します。散々酷い目に遭っているのに尻軽女と縁が切れない主人公は、昔の知り合いの小説家と旅先で出会い、その時に同行していた少女の元彼と二人が既に復縁していて金をむしり取るだけむしり取って二人で逃げようとしていることを知ってしまうんですね。そして元彼に任せていた慣れない車の運転を自分でしたら案の定大事故を起こして、大怪我をして失明してしまうのですね」


「美術商で失明とか人生終わりじゃないの!?」


「はい。そしてお金だけはまだまだあったので眼科医の大家に見て貰うと、目の神経に血がたまって膨らんでいるので、何ヶ月か絶対安静にしていれば直るかも知れないなぁという言葉にかけて山奥の山荘を借りて少女に介護して貰いながら真っ暗な世界を生きていくというお話なんですね」


「あら。介護してくれるなんて意外といいヤツじゃんビッチ」


「んま! ビッチ! それ我々日本人が考えているほど軽い言葉じゃないですよ!」


「ごめんごめん、で甲斐甲斐しく介護してくれて視覚が戻る……の?」


「いえ、その山荘によりを戻した元彼を連れ込んでよろしくやっちゃっているワケなんですね。男は裸で目の見えない主人公をバレるかバレないかギリギリの綱渡りでおちょくってとにかく悪意に反応する姿を見ては喜ぶという極めて悪質な嫌がらせをするんですねぇー彼女の方もノリノリでいるワケなんですが、段々主人公が音に敏感になってきてバレる寸前までいったときに、奥さんの弟がやってきて家族を捨てたはずの主人公を見るに見かねて助けに入るんですね、そして山荘を引き払った後に少女と住んでいた家に彼女が荷物を取りに来ているとの連絡を受けた主人公は盲目のまま、その家へと向かい……といったところでさてどうなるかという話なんです。見えなくなることによって見えてくる人間関係とかそういう、見えないことによって視覚化される事を描いているんですね」


「うはー出てくる連中みんな最悪じゃん、しかもロリコン主人公とか……あ、まだロリコンって言葉はないのか……」


「まあそういうことなんですね。先ほどもいいましたがナボコフは英語版を出すにあたってかなりのリライトを加えています。で、各国語版に訳すに当たってどれだけ正確な翻訳をされているかに酷く神経質で、翻訳者達に凄い口出ししてくるのが常だったそうです」


「めんどくせ! ナボコフ面倒くさ!」


「他にもナボコフは自分の評伝を出していいライターを決めていて、遺族もその人にしか資料を公開していないそうなんですね。最初に指定されていたライターは割と好き勝手書いていて首になったんで、あとで首にされたときに恨み節をいっていてそれがかなり面白いそう何ですけれど、逆に新しく指定されたライターは忠実にナボコフの遺族のいうことを守っているので評伝がつまらないという話もあります」


「滅茶苦茶面倒くさいおっさんだったわ」


「まあ、本人はアメリカ人宣言出していたのですけれど、ロシアの文学にはかなり造詣が深くて、文学講座をしているんですが、ドストエフスキーは糞! とかいってたりしてくそみそに貶しています」


「んま! 栞は糞とかいっちゃいけません!」


「すいません……まあ気を取り直して面倒くさいおじさんエピソードだと、自分は一切誰からの影響を受けたことはないと生涯言い続けていたんですけれど、好きな作家で『失われた時を求めて』で有名なマルセル・プルーストの影響なんかは『カメラ・オブスクーラ』の中でも見て取れます。面倒エピソードというのとはちょっと違うのですが、音楽が大嫌いでどんな音楽というか音の連続を聞くと頭痛がしたそうです。それは脳の機能の問題で立派な病気なんですが、音楽嫌いとかインテリで芸術に造詣が深い割にはちょっと意外ですよね。もう一つ上げると鱗翅目、つまりチョウチョに異常な情熱を注ぎ込んでいて詳細な観察ノートが何冊も残っていますね。亡くなった後も変わったエピソードで、愛用の眼鏡がオークションにかけられたりとかまあ色々あったようです」


「まあ一言でいうと……」


「面倒くさいおじさんです」


 わたしは頭の後ろで腕を組んで背中を思いっきり仰け反らせると「見えないことで見えるかあー」となんとなく呟いた。


「是非詩織さんにも読んで欲しいですね。他の作品に比べたら難解というほど難解でもないですし、割と長さもたいしたことはないので、ちょっと難しめの読書に挑戦というにはちょうどいいと思います。そこを足がかりに『ロリータ』や『淡い炎』なんかの難しいプロットの作品への取っかかりにするのもお勧めです!」


「うーん。詩織がそこまで言うならなあ……まあ読んでみますか!」


「いいと思います!」


 そう言うと栞に似合わずサムズアップして答えた。


「それよりさ……」


「はい?」


「もう一度わたしの眼鏡をかけて知的さがマックスアップしている写真撮るのに協力してくれない?」


「それ私もカメラ・オブスクーラになってしまうので出来るかどうか分からないのですが……」


「何事もチャレンジ……耳からの情報だけでなんとかしたその主人公のおじさんみたいに、栞の第六感が開くかも知れない」


「そうかなあ……そうかも……」


 そしてわたしたちはその後一時間以上何度も眼鏡をやりとりしてちゃんとした写真を撮るための試行錯誤を繰り返すのだった。

久しぶりの更新で感覚がつかめなくなってしまいましたがお楽しみ頂けたなら何よりです。

読んだ本のストックだけはかなり増えたので、頑張ってストックのある分だけは随時更新していきたいと思います。


ご感想、雑談、何でもあれば一言感想でも投げて頂ければ大変嬉しく思います。

書き込み頂いても気づかないことがちょいちょいあるのですが、気軽に書き込んで頂ければありがたいです。

書き込むほどのは面倒臭いけれどまあいいんじゃない?

と思った方は「いいね」ボタン押して頂けるとフフってなりますのでよろしくお願いいたします。

最近古典ばっかりだったので近刊本も取り上げていきたいと思います。

それではまた可能な限り近いうちに!

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