135アブラハム・B・イェホシュア『エルサレムの秋』
日本では大変珍しいヘブライ文学です。
ワタシもナンとか自分の中で消化したいと思っていたのですが、やはり説明するのがムズカシイ。
と、いうことで「分からないところは分からないなりに面白ければいい」という言葉を信じてワタシなりに料理をしてみました。
「詩織さんに読んで貰いたい本があったのですけれど、どう紹介していいのか、今までずっと悩んでいた作品があるんですよ」
図書室につくなりこんなことを言われた。
いつも通り栞の隣に座ると、栞が椅子を寄せてくる。
「多分、詩織さんも今まで読んだことのない地域の文学だと思うのですが、ノーベル賞候補なんていわれることもあるアブラハム・B・イェホシュアという人の本なんですよね」
そういうと持っていた本をわたしの前にスイと出してきた。
タイトルは『エルサレムの秋』と書いてあるハードカバーで大した厚さはなかった。
開いてみると二〇〇ページもないし文字がぎっしり詰まっているというわけでもないので、これならわたしでも一日で読めるなあというのが、ぱっと見の感想だった。
「えーと「詩人の、絶え間なき沈黙」と「エルサレムの秋」それから解説と……」
そういうと栞は頷いた。
「今のところ日本語で読めるイェホシュアの作品はその二作だけしかありません。その本自体も絶版になって久しいようです」
「へぇーこの薄い本一冊でコンプリート出来るのいいじゃん! わたし向けって感じ」
そういって栞の方へと目をやると両手で拳を作ってこめかみをぐりぐりとしている。
「何してますの?」
「いやあ、何というか読んだのはもう三年ぐらい前で、その時も凄い作品だなと思ったのですが、実際の所上手く消化できないというか、難解というわけでもないのですが、どう説明していいのやらなかなか難しい作品なんですね」
「えー、栞がそんなにいうほど難しいの?」
「いえ、ストーリーは一本道で「詩人、絶え間なき沈黙」は老境にさしかかった詩人が、うっかり子供を作ってしまったのだけれど、その子が知的障害を持っていて、その生活の話をしているというのと、もう一つの「エルサレムの秋」は昔好きだった女性から三歳の子供を預かってくれと頼まれて数日間色々とわたわたしながら過ごすという話なんです」
「なんか、ブンガク的な感じの要素は感じるけれど、そんなに難しいの?」
「うーん、両方とも短編でしっかり纏まっているし完成度が非常に高いんですが、どこをどうお勧めしてみたらいいのかが全く思い浮かばないんですよ。もちろんお勧めしたいぐらいだから面白いというか、凄味のある作品なんですが、これほどどうプレゼンするか悩むのは、やっぱり詩織さんにお勧めしてみようと思ったまま止まっている、フアン・カルロス・オネッティという作家の短編があるのですがそちらと似たように難儀しています。まあオネッティの作品については訳者解説でも難解といわれているので、そうそう簡単に解説できないのは仕方ないのですが、イェホシュアもなかなか自分の中で消化しきれないのです。だから詩織さんの感想なんか聞いてみたくて持ってきたのですが、うーんどうなることやらという感じです」
「わたしは実験動物かね?」
「いえいえ、面白いのは間違いないんですよ。特徴を挙げると短編小説に最も大切な事って密度だと思うんですよね。そして次が語りの早さ。イェホシュアのこの二つの作品はどちらもギュッと圧縮したような凄い密度の作品なんです。事件が次から次へと起こっていって話が転がるというタイプではなくて、ただただ静かに事が動いていくタイプなんですが、基本的に主人公の感情が描かれていないんですよ。かといって感情が読み取れないというのかというと違っていて、イライラ感や焦燥感や諦観みたいなものはグッと伝ってくるんです。でも描写自体はされていないと……。ここが非常にやっかいなんですが、だからこそ世界的に評価される作家たり得ていると思うのですが、これの作品のここがどう凄いのか? そういうことを聞かれると本当に困ってしまうんです。でも難解というわけではなくて、静かに静かに話は進んでいく……と」
わたしは本を掲げてみて、うーんと唸りながら全体をながめてみた。
帯には「イスラエル・ヘブライ文学を代表する作家のこのうえなく哀しく美しい傑作二編。」と書かれている。
「まあさっきの栞のストーリー説明聞く限り、愉快なお話というわけではなさそうだけれど、そんなに栞が悩むほどの話なの?」
「短編作品の出来としてはこの上ないほど何ですが、内容について深く理解しようと思うと、途端に迷子になってしまうような……そんな作品です」
「イスラエルとかヘブライとかいわれても、世界史でややこしいところみたいなイメージしかないんだけれどなんか特徴みたいなのはないの?」
栞は形のよい顎に手をやって天井を睨むと、うーんと唸りながら「……砂漠……砂漠のような乾燥したイメージが強いですね」といった。
「イスラエルって砂漠なの?」
「ええ、まあ乾燥地帯ですよね。空気中の水分集めて飲料水にする機械とか海水を真水に変えるプラントとかあるぐらいには水が貴重な所です。帯に書いてありますけれど、灼熱の夏から雨期に変わる寸前の季節ってあるじゃないですか。物語がとことんドライというか乾いているんですよね」
「ハードボイルド……的な? よくわからんけど」
「そういうわけでもないんですが、まあちょっとめくってみて貰えれば分かるんですが、チャプターが細かく分かれていて、大体見開き二ページとか四ページとかで区切られているんで詩織さんの好きなタイプの、細々とした話の集合なんで、肌には合うと思うんですよね。なんだけれど深く理解しようと思うと急に手探りになってしまう点そんな本です」
わたしは「ほへーん」とかいいながらページをぱらぱらとめくっていくと確かに細かい話の挿話で出来ているようだ。
まあ難しい難しくないはよく分からないけれど、読もうと思えば読めるタイプの話ではあると思うので、ちょっとだけ興味を持った。
ついでにいうと、普段ならムズカシイ本なんて読みたくないけれど、栞がここまで悩む話というのも、この短さならまあ頑張れば読める気がするという下心というか読みがあったので、まあいいでしょう。挑戦してみますよ。と、なった次第である。
「あと驚きなのは、最初に掲載されている「詩人の、絶え間なき沈黙」って老詩人の哀しさと不思議なユーモアが綯い交ぜになっている、非常に美しい詩的な作品なんですが、訳者解説みると三〇かそこそこの年齢で書いているらしいんですよね。どう読んでも自分の体験談ベースにしたようなタイプの老境にさしかかった人の作品という感じなのですが、うーん。やっぱりありきたりな言葉でしか表現できないなあーこういうとき語彙とか教養とかあると違うんでしょうけれど、本当に紹介するのが難しい!」
そこまでいって栞は急にクスクスと笑い出すと「いえ、なんだか難しい難しいばかりいっていて詩織さんの読む気削いでしまうようなことばかりいってますけれど、あまり難しく考えないで、楽しかった、面白かったみたいな単純な感想でいいから聞きたいんですよね。別に私たちは書評家ではないんですから、思ったことを単純に口に出してよかったねーとか今ひとつだったなーとか言い合って楽しめればいいわけですからね」そういって栞はなんだか急に脱力したように見えた。
「いやあ久しぶりに頭を使ってしまって、一人で悩んでいましたけれど、友達と読書体験を共有するっていう楽しみだけ考えてみればそんなに難しく考えることもなかったですね!」
そういうとまた笑い出した。
「そうそう。ショーペンハウアーって大分前に読んだじゃないですか。あれは『読書について』でしたっけかね。ショーペンハウアーは本の出版パーティーで「この本が面白かった人はそれでいいし、つまらなかったと思った人はそのことについて悪口を言い合って楽しむということが出来るのでどちらにしても楽しめる」みたいなことをいっていたんですよ。イェホシュアの作品は間違いなく傑作なんで悪口の言い合いにはならないと思いますが、でもよく分からないところはそのまま読み飛ばしてしまってでも感想言い合っていればその内楽しくなるかも知れませんね」
「そう? まあ分からないところは分からないけれどなんとなく面白く感じられたらそれでいいのかな?」
「そうですそうです。読書なんてそんなもんですよ!」
栞の身も蓋もない言葉に二人して笑い合っていた。
外では傘は必要のないぐらいの強さの雨がパラパラと降り始めていて、寒さ一段と厳しくなった。
わたしは栞の手を取って「今日は帰ろっか。わたしも頑張って明日までにイェホシュアよんでくるからさ」といった。
「そうしたら二人で説明できないことについての説明を考えてみましょうか」
といわれたので「わたしは完璧に理解してやるつもりですよ」といってやった。
そうして二人で笑い合って「日本の冬」に向かって歩き出した。
イェホシュアの作品はどうやって書いたのか思考の跡が読めない作品だと思います。
どうやったらこのすごみが出るのが全く分からない。
だから解説が書けない。
そんなことに気づかされた希有な作品です。
古書価も急に高くなることがありますが、待っていれば数百円で手に入りますし、図書館などにも有ると思うので是非読んでみてください。
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しょっちゅう気づかなくて次の更新の時までお返事返してなかったなんて事ありますが、お付き合い頂ければと。
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2月頃から更新回数ちょっと減らして大根他やるかも知れませんが、年60回更新は守りたいと思いますのでのんびりお付き合い頂ければ幸いです。