130エルビラ・ナバロ『兎の島』
ネタは出来ていたのですが間が開いてしまいました申し訳ございません。
今年中に全部で五回ぐらいは更新したいと思っています。
雨が降っている。
冬のどんよりとした曇った空に、しとしととなんとなく服が湿る程度のなんともいえない降り方の雨が降っている。
湿度が上がると底冷えがする。
図書室の空調は電気代節約のために設定温度が固定されていて、この冬の湿った重苦しい寒さに対応できない。
ではとコックをひねってみたが、昔使われていた方の暖房器具であるスチームヒーターはなんか学校のボイラー室がすでに本日営業終了しているためか、一瞬カンカンと音が鳴った後、しんと静まりかえってしまう。
寒いなあ、寒いですといいながら、冷たくなった手を栞の襟元に何のためらいもなくズボッと突っ込んでみたところ「ヒアッ!」という叫び声が上がった。
「あー暖けぇーなぁー気持ちいいなぁー」
「なに温泉につかったおじさんみたいなこと言っているんですか! 早く手を抜いてください!」
「えーいいじゃん! スキンシップは大切だよ? なんか肌が触れあうことで頭の中の毒ホルモンが減るとかなんかそんなのテレビでやってた気がする」
「んま! 毒ホルモン!」
「そうそう、いまわたしの脳内の毒ホルモンが、がーって減って快楽物質に変わっていっている音が脳内に響いている」
「やめてください! 私の背中から毒ホルモンが染みこんできています! そういう事していると私も詩織さんのお腹に冷たい手を突っ込みますよ!」
「えっ……うーん……そうねぇ……アリ!」
「何がアリですか! 仕方ないから奥の手使いますよ……」
「えっ! 何々怖い!」
栞はわたしが絡めた腕から逃れると司書室に入っていき、何か苦しげなうめき声を上げながら何か引っ張り出してきた。
「じゃじゃーん! ダルマストーブです! この前タンクの中清掃して灯油入れて貰ったばかりなのでちゃんと使えますよ!」
「じゃじゃーんて……まあそれはいいとしてそんなにいいものあるならなんで今まで隠していたんですか……なんで……」
「油代も馬鹿にならないらしいので……あと生徒が勝手に取り扱うのも火元責任者的に避けたいとかまあそんなところらしいです」
「世知辛い……」
わたしたちはなんとなく暗くなってきた部屋の中で、ぽうと小さな火がともったストーブの前で暖まるまで前のめりになり手もみを始めた。
「産業革命以前のイギリス人は、こうして夜の長くなる季節に暖炉の前に集まって怖い話をしたそうですよ。日本で怪談が盛り上がるのが夏だから逆ですね」
「へー怖い話なんかするんだ。まあ確かにイギリス人って幽霊話好きみたいなのテレビで見たことある気がする」
「例えばヘンリー・ジェイムスの『ねじの回転』とかその系譜なんでしょうね、読んでみます?」
「うーん、そうねえ。栞のおすすめの本だからまあ期待してみるけれど、学校放り出されるまであんまり時間ないし、なんか短くてインパクトのあるお話がいいかな」
栞は寒さで白くなっている薄ピンク色の唇に、これまた真っ白な細い指をあてて、ふーむと考えだし、手にはぁーっと息を吹きかけると「最近の本でちょっと面白いのがありますね」とぽつぽつ語り出した。
「エルビラ・ナバロ『兎の島』です。ちょうど最後の部分読んでいたのですけれど、こんなのはどうですかね?」
「『兎の島』ってなんかエラいファンシーなタイトルだけれど怖い話なのん?」
「現代スパニッシュ・ホラーの女性旗手とかそんな呼び込みですね。それに見てみてくださいよ。凄い装丁に凝っている。窓枠付きの函に金色の箔押しで兎が誂えてあって、全体的にマット加工。この本の厚さというか薄さと値段考えると確実に装丁代が四割ぐらいいってますね」
「そんなに……」
「まあそうですね、現代的ギミックをもったコルタサルにフアン・カルロス・オネッティ風のリアリズムを足したような作風ですかね……とはいってもよく分からないと思いますが……」
「うん。何一つ伝わってこない」
「短編集なんでいろいろな趣向の話があるのですが、例えばギミックにフェイスブックが使われていたりするんですよね。葬式の後、死んだお母さんのアカウントができていて、そこからメッセージが届く……とかそういうネタです」
「へーいいじゃん。世にも奇妙な物語みたいでいいじゃん」
「日常の現実に、ちょっとした不安が入り込むだけで恐怖が生まれるなんて事をいっているだけあって作品の作風は、現実的な設定なのに程度の差はあれどどこかおかしいという感じですね。読んで恐怖で眠れないというタイプの作品ではないですけれど、どこか不気味さをたたえたお話作りが根底に流れています」
「ふーん。フェイスブックなんて出てくるぐらいだから割と最近の人なの?」
「そうですね、作品自体はここ十年ちょっとの間に発表されたものが中心となっています。作者はスペインのアンダルシア出身で、マドリード大学で哲学を修めるんですが、マドリード市内で行われた若手小説家のための賞で優勝してから、長編を発表した後、色々な作品を作り出して、アメリカでも有名になってくるんですよね。で、それを受けての日本での発刊と相成ったわけですが、今現在活躍している作家としてかなりイケイケにプッシュされていますね。基本的に不気味なホラーを作り出しているんですが、幻想文学的でもあり、リアリズムの風を感じたりする割と器用に何でも書けるタイプの作家さんみたいです」
「ホラーいいじゃんホラー。そういうちょっと不気味な話とか意味が分かると怖い話みたいなの好き。たまにネットで実話系怪談みたいなの読むし結構わたし向きかも」
「まあ実話系怪談みたいなのって日本の民俗学っぽいテイスト下敷きにしている話が多いイメージありますけれど、こちらはスペイン語圏のいろいろなところが舞台になっていますね。テクノロジーのアイテムが出てくることもあれば、昔話風のこともあったり、段々日常が崩壊していくような話もあったりと色々ですよ」
「なんか他にお勧め話ある?」
「思いつきが面白い話だと、すでに絶滅した動物の肉をだすレストランと、その地方の領主の話みたいなのとかありますね」
「へぇーSFみたいな感じなのかな?」
「まあ何でもかんでも不思議な話はSFにされがちな所ありますが、不思議でちょっと気味の悪いはなしですね。表題作の「兎の島」とかも、川の中州に買ってきた兎を放したら、無限に増えていって、最終的には取り返しのつかない酷いことになるという滅亡の美学的なものがありますね」
「へー面白そ。それだったらちょっと読んでみようかなって気になるね」
ダルマストーブの火が強くなり、風もないのにゆらりと揺らぎ、私たちの顔に影を落とす。栞は薄らと笑っているが、影の濃淡が強くなると、なんとなく人形のようにも見えて、ビスクドールみたいで綺麗だなあと思うと同時に、普段見たことのない表情なので、なんとなく見てはいけないものを見ているような気がしてドキリとする。
ホラーとは別なところでドキドキとさせられて、心臓が段々とテンポを上げていくのが分かる。
「じゃあ私はこれ読むのすでに二回目なので、詩織さんにお貸ししますよ。詩織さんの読むペースでも二、三日あれば余裕を持って読み終わらせることができますよ。私は一日で一気に読み終わらせましたし……単純に薄いですからね」
そういって栞はふふふと笑うと、火の揺らぎに合わせてなんだか表情が恐ろしく変わり、より一層ドキドキとさせられる。
ダルマストーブは魔性の道具なのではないだろうかと思ってしまった。
「あ、雨」
栞が急に背後を振り返ると、しとしと降りだった雨がいつの間にか強くなってしまっていた。
「あっヤバ。わたし今日傘持ってきてない!」
「天気予報見なかったんですか?」
「いやあ、見ていたんだけれどそんなに降らないっていってたからさ、まあ湿るぐらいで済むなら荷物少なくていいかなって」
「んもー。じゃあ私の傘に入っていきますか?」
「えっ、マジ! 相合い傘じゃん、やった! メッチャ腕組んであるこ!」
「えー……それはちょっと。まあいいですけれども」
「結局いいんかい!」
「でも、私の服の中に手を突っ込んでくるのは禁止ですよ! 前私のスカートのポケットに手を突っ込んで暖をとってましたけれどあれは……」
「ごめんごめん! まあ昔のことは水に流して……ね? 雨だけに」
「今度あんな事したら、私が詩織さんのお腹に腕突っ込みますよ!」
「おう! 願ったり叶ったりだわ!」
「詩織さん……」
栞は大げさにため息をつくと「雨がこれ以上強くなっても困りますし、ストーブ片付けてさっさと帰りましょう」
わたしは栞と腕組み歩き、相合い傘でらぶらぶ下校する事に一瞬で意識を持って行かれてしまった。
こんな寒い日に濡れ濡れにならずに済むのはありがたい。
あ、でも栞が濡れ濡れになって凍えているところに毛布をそっと掛けてやって後ろからこう……抱きつくのは……。
「詩織さん?」
「あ、何でもないっス」
そうしてわたしたちは二人してくっつきながら帰ることにした。
栞は律儀にわたしの家までついてきてから一人で帰ろうとしたので、今度はわたしが傘を持って栞の家まで見送っていった。
残念ながら見送り狼にはなるタイミングはつかめなかった。
まあそんな感じで更新いたしました。
短めですがたまにはこんな感じでもいいかなと。
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ではまた今度こそ近いうちに。