125ザッハー・マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』
暫くぶりでございます。
ちょっと変わったところで、作者名はみんな知っているけれど、読んだことある人は少なそうな、ザッハー・マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』を取り上げてみました。
図書室に入るなり栞の元にツカツカと歩み寄り「はぴば!」といって鞄からプレゼントを取り出した。
「あら? お誕生日のお祝いは嬉しいですけれど、なんで私の誕生日知っているんですか?」
栞が驚きとも喜びともはたまた困惑ともとれない表情でわたしを見上げる。
「いや、栞がお花摘みにいっている間に生徒手帳をこっそりと……」
「怖い! 怖いですよ詩織さん!」
栞が戦く。
まあそれは無視して、栞にプレゼントを渡す。
「いやあ、プレゼント何がいいかなと思ったけれど、本が一番いいかなとは思ったけれど、大体わたしが思いつくような本って、栞は大体持ってそうだけれど、この前確認したときに栞の家には多分なかったはすだから、多分ハズしていないとは思う。栞がお花を摘みにいったときにメッチャ部屋中調べたし」
「怖い! 怖いですよ詩織さん!」
「まあまあ、とりあえず見てみてよ中身」
栞は何かいいたげな表情をしているけれど、とりあえずといった感じで包みを丁寧にほどく。
わたしだったら面倒くさくてビリビリに破ってるかもとかぼんやり思いつつ、ちょっとドキドキしながらその様子を眺めていた。
なんかちょっと告白したときに似た感覚がある。
いや、告白とかしたことないですけれど……。
「あっ! これ知ってますよ。読んだことはないですけれど、昔気になってた本です!」
「おっ! やったぜ! 栞の読んでない本探すのとかムズカシかったけど報われたわ」
「へえーいいですねこれ」
「うん。クラフト・エヴィング商會の『ないもの、あります』でーす。ぱぱっと読めて面白い、サイコーブックですよー」
「いいですね! 欲しいなと思ったことは何度かあったんですけれど、優先度とか考えると他の本に手が伸びちゃうんでなかなかこういう本には縁がなかったですねー。嬉しいです!」
「いいよね、クラフト・エヴィング商會。ってわたしも知り合いからこういう本があるって聞いてタイトル面白いなと思ってこれにしたから、栞より詳しくないかもだけれど……」
「いえいえ。嬉しいですよ本当に。いいですねぇ! 「堪忍袋の緒」とか「左うちわ」とかなかなかキャッチーな商品がヴィジュアルと説明付きで解説されているというコンセプトが面白いですね!」
「えへへ、なんか明治三十年に創業した会社っていう設定で色々出しているみたいねー」
「クラフト・エヴィングというとやっぱりサドとかマゾ思い出しますねー」
唐突な栞の台詞に「何言ってんだこいつ」という状況に陥った。
「ドン引きですよ栞さん……」
「んまっ! クラフト・エヴィングってご存じないですか?」
「ご存じないの……」
「クラフト・エヴィングは十九世紀の精神科医で、いわゆるSMのサディズムとマゾヒズムって言葉生み出した人ですよ。クラフト・エヴィング商會って名前はこの人から来ているんですね。まあたまたま目にした名前の響きが気に入ったという理由で、精神科医とかそういう情報は知らなかったらしいですが」
「へぇーSMの人なんだ……あれでしょ? たしかサドもマゾも作家の名前とかから来ているんだっけ?」
「おっ! 詩織さんいいですね。その通りです。マルキ・ド・サドとザッハー・マゾッホから来ています。サド侯爵は時代的には大分前の人ですが、マゾヒズムという言葉が発表されたときはまだマゾッホは生きていました。結構一気に広まった言葉みたいですね」
「へー二人とも変態みたいな話書いてるんでしょ? そういうの分かっちゃうんだから!」
「まあそうですね。サドは毒殺未遂とか乱交パーティーとかお尻の穴でえっちな事して捕まっていますが、かなり暴力的な文体の作品の個々していて、結構滅茶苦茶なんですが、それが後にシュルレアリストのお眼鏡にかなって再評価され、異常心理の方面からも研究されていますね」
「ガチの犯罪者じゃん……侯爵って結構偉いんでしょ? それなのに捕まるって相当なんじゃ……」
「マゾッホも名門貴族の出ですよ! ザッハーが父方の姓で、マゾッホが母方の姓なんですが、母方の姓が断絶するという理由で、皇帝に掛け合って二重姓にする許可を得たという程度に名門だったみたいです」
「そんなに……」
「マゾッホというとドイツ語で書いていたので、ドイツ文学みたいなカテゴリに入ってますけれど、本人は今のウクライナの出なんですね。有名な作品だと『毛皮を着たヴィーナス』という作品があります。というかそれ以外はあんまり有名じゃないかも……」
「名前は滅茶苦茶有名なのにマゾさんの作品そんなに残ってないの……?」
「サドは作品全集出ているんですけれど、マゾッホは割と波が激しいというか、割と箸にも棒にも引っかからない作品も大量に残していて、ドイツでも全集って今のところ出てないんですよね」
「そうなると名前が残っている方の作品がちょっとだけ気になる……かも」
「まあ代表作は間違いなく『毛皮を着たヴィーナス』ですね。ちょっとだけ凝った構成していて、農場主として働いている貴族のゼヴェリンが友人に向かって、自分の回想録を読ませているといった導入になっているんですが、ヴァンダという未亡人の女性に惹かれに惹かれて、結婚を意識するんですが、なかなか一筋縄でいかない人で、結婚したら飽きちゃうかもとか、まあ色々と理由をつけてはぐらかすんですね。それでも諦めきれなくて、あるとき毛皮を着せて鞭を持たせて自分をバシバシに叩いて貰うんですよ。ヴァンダもこれにはドン引きするんですが、ゼヴェリンはもっと激しい関係に憧れるわけです」
「ドMじゃん! あっそういう話だったか……」
「まあそんなこんなで、最終的に自分のことを奴隷同様の下男として扱わせるんですよね。で、旅行にいくわけですが、その時は徹底的にこき使うんですよ。ヴァンダも段々なれてきて、くだらない用事で呼びつけたりしてゼヴェリンを苛むわけですが、ゼヴェリンも段々嫌気が差してきて離れようとしたりするんですが、結局毛皮を着たヴァンダに鞭をバシバシとやられると、恍惚としてしまい満足する訳なんですね、メッチャ倒錯していますね」
「ドM怖すぎない?」
「面白いのはマゾッホはこの奴隷契約を生涯結婚した相手に文章で残して全く同じような体験をしていたというから堂に入ってますよね。名門貴族なのにお針子なんていう社会の底辺層の女性ともそういった関係を結んでいます」
「ドMってたまに使うけれど、軽々しく使えなくってきた……」
「まあフランス辺りではエキゾチックな作家として、ウクライナのツルゲーネフなんて呼ばれたりしたそうですね。日記体の小説なんですが、最後の方で尊厳を潰しに潰されて完全に捨てられるんですが、その後ゼヴェリンは自国領に戻って、父の後を継いで堅実に成功していくんですが、後になってヴァンダから手紙が送られてきて「あなたは精神疾患の一種だと思ったからああいうショック療法をしました」なんて事が書かれていて、ゼヴェリン成長譚みたいななんとなくいい感じで終わるという話になるんですね。爽やかさと不気味さが同時に味わえる怪作です」
「その手記だか回想録だか読まされてた友人は一体どういう感情をしていたらよかったの……」
「まあマゾッホと『毛皮を着たヴィーナス』の違いというと、マゾッホは結婚して奴隷契約を結んだ相手との間にたくさん子供を残しているんですが、ゼヴェリンはヴァンダとの間に肉体関係はなかったんですね。むしろ読んでみると、女性と関係を持ったこと自体がなさそうだという読みもできるんです。ここら辺がマゾッホとゼヴェリンとの大きな違いですね」
「つまり、どーて……」
「んっ!」
「……はい」
「日本でもマゾッホというかクラフト・エヴィングの影響を受けて、日本だと谷崎潤一郎が『痴人の愛』とか書いたようです」
「谷崎潤一郎って名前だけ知っている」
「どこかの文芸雑誌で独断と偏見で「喧嘩の強い文士」とか「ろくでもない文士」とか発表して菊池寛とかが激怒して殴り込みかけたなんて話あったのですが、谷崎潤一郎は「むっつり文士第一位」で百点とってましたね、まあそんな感じの人が惹かれる文章なんですよ」
「ほへー日本にも影響あるのね」
「哲学者で何言っているか全く意味が分からない事で有名な、ジル・ドゥルーズという哲学者がいるんですが、この人もマゾッホに惹かれて著作を残していたりしますね」
「なんか影響凄いのね。なんか革のテカテカしたスーツとか着て女王様が蝋燭垂らしたり、鞭でバシバシ叩いたりするイメージしかなかったけれどそれだけじゃないのねー」
「詩織さんのそのイメージも大分歪んでいる感じはしますが、まあそんなところですかね。この話でミソなのはヴァンダは普通の女性であってあくまでもゼヴェリンに付き合って女王様を演じていただけであったという所ですかね。そこら辺にマゾッホの満たされない憧れみたいな物が見て取れますね」
「憧れは止められないかあー」
「まあ本自体はそんなに長くないので一日あれば充分読み切れるので、詩織さんの誕生日にお返しにプレゼントしますよ!」
「えっ! わたしが栞にバシバシ鞭でしばかれるワケなの? そういう倒錯した関係はちょっと……」
「んまっ! そんなことしませんよ! 割と色々な所に影響を与えている作品だし読んでみても損はないかと思っただけです!」
「でもそれ誕生日プレゼントにするセンスはないわぁー。それにわたしの誕生日っていったことあったっけ?」
「それは……それは詩織さんがお花を摘みに行っている間に生徒手帳こっそり見て把握したいと思います!」
「えっ! 怖っ!」
「怖いと思うなら人にはやらないでください!」
「えへへ、ごめん……」
そんなこんなで、わたしが鞭でしばかれる事は回避したけれど、栞になにか監視されているのかも知れないという謎の緊張感に包まれることになってしまったのでなんとかしたいと思った。
わたしがサドになれば解決するのではないかとも思ったけれど、多分それは間違いだし、下手にそういう話するとまたサドの本読まされることになりそうだから黙っていた。
とりあえず栞はぴば!
10日も間を開けてしまいまして申し訳ございません。
いったん忙しいのが落ち着いたと思ったら、また忙しくなってしまったのでこの先もどうなるか分からないのですが、もう少しペースアップしていきたいと思いますので、お付き合い頂けたらなと思います。
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それでは次はもう少し早めに更新したいと思います。
ではまた!