124ミゲル・アンヘル・アストゥリアス『グアテマラ伝説集』
マジック・リアリズムの先駆者であるアストゥリアスの『グアテマラ伝説集』です。
原語版持っている人の話によると、スペイン語で日常会話が出来る程度の人間だと歯が立たないらしいです。
そんなイマジネーションに富んだ一冊です。
栞宅でお茶などしていた。
栞大先生のご指導のおかげで成績がここのところ上向いているので、わたしの両親も、栞の家へいくというと悪い顔はしない。
「どうせお前はろくな男とくっつかないから、東風さんに嫁に貰って貰え」
などという、セクハラなのか何なのか分からないがとにかく暴言だということだけは分かるお言葉を母上から頂戴する。
わたしだってできたらそうして貰いたいところは山々だけれど、まあそういうわけにもいかないので、そこで激しく戦闘が起こる。
栞には絶対見せられない光景である。
「ちょっと勉強はいったん休みにして休憩にしませんか? コーヒーとお茶どっちがいいですか?」
と、細くて白い首をぐりぐり回しながら尋ねてくるが、そのほそっこい首のどこからそんな音が出てくるんだという、ベキベキと生木を裂くような不穏な音が部屋中に響くので心配になる。
「んー、こーしーをくださいませ」
「はいはい。ミルクと砂糖はマシマシでしたよね」
そういって今度は肩に手を当ててぐるぐると腕を回すと、ボキンボキンとこれまた不穏な音が響く。
これは野生動物にあったときのための警戒音か何かかと思わせる音である。
栞はいわゆる線の細いタイプで、多分骨も普通の人間とは比べものにならないほど細いのだろうとなんとなく、そうぼんやりと思っていたが、こう派手な音を立てられると、その体の中には結構太い骨が入っているのかも知れない。
というか関節が油ぎれを起こしているのかも知れないと思った。
「そうです。こーしーは甘いヤツじゃないと飲めないのです」
「私も昔はブラック無糖だなんて気取ってみましたけれど、やっぱり甘い方が嬉しいですよね。頭使った後だと糖分が欲しくなるからなおさらですねー」
「そうそう。わたしも受験の時にこーしーがぶ飲みして、受験勉強みたいなのやったことあったけれど、ただ単に眠れなくなっただけだったからやめちゃった。あとなんかこう体臭が、脇の辺りからコーヒーの匂いが漂ってくるというか……おしっこしたときに凄いコーヒーの匂いがしてビビるよねー。あとなんかお腹が緩くなってコーヒー臭のする軟便になったり……」
わたしの小粋な小話を、栞はガン無視して台所の方に向かっていく。
あれー? おかしいな。共感の嵐だと思ったのに……。
んで、ボトルいっぱいのコーヒーとクリームとシュガーシロップの入った菓子盆を持ってきた。
「まだ暑いですからね。アイスコーヒーでいいですよね?」
「うん。ガバガバ飲みたい気分」
そういってさっきまでウーロン茶の入っていたグラスにとぷとぷとコーヒーを注いでくれた。
「今日の豆はグアテマラ産でーす。セールで凄い安くなっていたそうなんですが、普段のみにするには凄いちょうどいい豆ですね」
「グアテマラってどこだったっけ? あのーえーと……南米の端っこの山の方だよね……うん。間違いない」
「中米ですよ……ホンジュラスとかエルサルバドルとかあの辺りです……」
そのあの辺りが全く出てこないのだけれど、まあなんとなく北アメリカと南アメリカをつないでいるなんか腸みたいな部分だというのだけは分かった。
「グアテマラ……名前しか知らないけれど何があるんだろ……」
「そうですねぇ。やっぱり一番有名なのはコーヒーだと思いますけれど、マヤの遺跡も有名ですね。ほらケツアルコアトルとか聞いたことないですか?」
「あーなんかゲームの敵とかで出てきた気がする」
「まあ一般にはそんな扱いかも知れませんねえ」
「マヤ文明とかいうと、前にマヤ語の翻訳しているとかいう変わった人の話あったよね? あの辺りって有名な作家とかいるの?」
栞は顎に指を当てて、ふぅーんと息を吐きながら考えている。
その間に甘いこーしーをグビビとやる。
「国書刊行会というちょっと変わっているけれど本好きにはおなじみの変わった企画出している出版社があるんですが、そこの企画で『新しいマヤの文学』っていうシリーズがあって、ソル・ケー・モオという女流作家が発掘されたりしていますね。女性作家でなおかつ先住民族で、色々と弾圧された歴史とかあるので、ジェンダーに根ざした文学をやっていて「将来私はノーベル賞を取る」なんて宣言していたりしますね」
「へー読んだの?」
「この前凄い久しぶりに図書館にいったらたまたま置いてあったので、話題になっているしとおもって少し読んでみたののですが、思想が強すぎてちょっと中に入りきれませんでしたね……まあいくら純文学の作家といっても、エンタメ性というか、楽しませる工夫がないとちょっと今ひとつな評価になっちゃうかも知れないですね」
「そうか……だめだったか……んでも『新しいマヤの文学』なんていってるってことは『昔のマヤの文学』もあるの?」
半分冗談で、へらへらと笑いながら聞いてみたら、栞はパァーと顔を輝かせて「そこに気づくとは詩織さんもなかなかやりますねぇ」なんていってくる。
「えっ? あるの?」
「ちょっと待ってくださいねー」
そういって本棚にいくと、迷わず一冊の本を取り出してきた。
あーこれわたしでもわかる。
岩波文庫だ。
「じゃじゃーん! ミゲル・アンヘル・アストゥリアス『グアテマラ伝説集』でーす!」
「じゃじゃーんて……
栞はまたガン無視して続ける。
「アストゥリアスはなんとノーベル賞に輝いた人ですねぇー。父親は先住民族の血を引く判事で、母親はインディオというメスティソの家系に生まれました!」
「えーと、メスティソって白人と原住民の血が混ざった人だったっけ? 社会でやったわ」
栞は嬉しそうに「その通りです、おーよしよし」といって頭を撫でてきたので、調子に乗って「でへへーもっと褒めてー」なんていってキャッキャウフフしてた。
栞は座り直すと「アストゥリアスはまあラテンアメリカの作家ではあるあるの話ではあるのですが、独裁者達を嫌ってとんでもない田舎の方で暮らしたり、ヨーロッパに留学したりとコスモポリタンな人ではあるのですが、田舎に逃げたときにマヤの伝承をじっくりと調べ上げてこの話を作ったそうです」そういって本をわたしの前にすすすと寄せてくる。
「まあ短編集なのですぐ読めちゃいますがワードセンスがなかなかキレッキレですよ。各タイトルの所に添えてある文章見てみてください」
「えーと「ある世紀に、幾世紀も続いた一日があった。」それから「雲の切れた「火山」は戦争の予告であった!」へーなにこれ? 意味はよく分からないけれど、なんとなくファンタジーね」
「また文章がいいんですよー。従属節に一言二言形容詞が添えられていて、それだけで文章が豊かになるんですねぇー。ラテンアメリカの作家と一言にいっても、似た方向性はあっても芸風がみんな違うんで読んでて飽きないんですよ」
「うわー何これ? なんかファンタジーだけれど独特の言葉遣い過ぎてよくわかんない」
パラパラと本をめくりつつ感心する。
「アストゥリアスは同じくパリに留学していた、自称キューバ人のキューバ全然関係ない出自と育ちのアレホ・カルペンティエールという作家と仲がよかったようですが、この時期のフランスというと、シュルレアリスムの作家集団と接近して、それに多大な影響を受けたんですが、この二人がマジック・リアリズムの元祖だといわれています。もっと細かい話をするとフランツ・ローという評論家が最初に持ち出した言葉で……と話し続けていると長くなるので割愛しますが、完成形ではないけれど土着の神話と政治体制やヨーロッパのエッセンスが混ざったようなそういう独特の「らしさ」はもうプンプンに漂っていますね」
「マジック・リアリズムってあれよね、栞が好きなヤツ」
「ですです。この『グアテマラ伝説集』は本当にそういったエッセンスの凝縮したパワフルな作品なんですね。マヤの伝説とそれにスペインの征服者達がやってきた話なんかが見事に混交して、不思議な空間を演出しています。まあなれてないととっつきにくい文体ではあると思いますけれど、なんとなく凄いなあーで読んでてもいいと思うので詩織さんも興味あったら是非に!」
「うーんそうね。確かに一話二〇ページぐらいかあ。これならわたしでも読めると思う。それになんかグアテマラとかマイナーな国の文学知っていると、なんかこう玄人っぽくていいよね……」
「詩織さん……本は見栄で読む物ではありません……」
栞が悲しげな目でわたしを見つめる。
「あっすいません……」
「まあアストゥリアスという人は、独裁者達に追われて海外に逃げていったりした人たちの一人なので、伝説的な話と、政治向けに支配者達に抗議する話に二パターンで作品を残しているのですが、どちらも面白いですよ。ただ入手性が悪いので本気で追いかけるつもりでないと難しいんですけれどねー」
「ほあーん大変なのね」
栞はそこでコーヒーをガブガブと豪快に飲み干すと、次の一杯をクラスに注ぎ込んだ。
「グアテマラはラテンアメリカの作家にとって、聖地的な扱いを受けているそうで、有名な作家達は大体マヤの遺跡に心を遊ばせていたそうで、チリの女流詩人でやっぱりノーベル賞を取ったガブリエラ・ミストラルというひとも「ラテンアメリカの民族を一体で把握するためにはこの遺跡に来てないといけない。マヤの魂を認めるために」というようなことをいっています。だから大抵の日本人には遠い国なので確かに詩織さんの思っているような薄いイメージのよく分からない国ではあるかも知れませんが、歴史をひもといてみるとなかなか面白い国だったりするんですよ。ほら、トウモロコシの品種改良の歴史みたいなの見たことあると思うんですが、大体この辺りが発祥ですね」
「あーあの雑草みたいなヤツから何十種類もトウモロコシできる画像ってあれこの辺なんだ! すげぇぜグアテマラ!」
「後は読むだけなのでここら辺にしておきますが『百年の孤独』でも敵役として出てきた悪名高いユナイテッド・フルーツ社というアメリカのフルーツ会社がグアテマラでも奴隷のように人々を扱って莫大な富を得ていたので、ここら辺の話も別な作品では描かれていますね。何が驚きかってそのユナイテッド・フルーツ社は今でも健在なことだったりするんですが……」
「マジか!」
「マジです!」
わたしは「ほーん」といいながらコーヒーの残りを飲み干すと、ぼんやりと「国に歴史ありだねぇ。なんだかんだで極東の日本にまでコーヒー持ってきている訳だから繋がりがないなんて事はないんだろうけれど、知らない国にも知らない文化があるのね」といった。
「まあこの世のものはなんとなくでもどこかでつながっている物なんですよねー」
といって、今度はお上品にこくこくと喉を鳴らしながらコーヒーを飲んでいた。
わたしの今晩のおしっこはグアテマラのコーヒーの香りがするはずで、栞のおしっこもグアテマラのコーヒーの香りがするはずだから、そんなところでもつながっているんだねぇといったら何を言われるのか分かったもんじゃないので黙って神妙に本をめくり始めた。
栞はそんなわたしを見て、ニコニコとしているばかりであった。
なんか尾籠な話になってしまいましたが、そんなわけで16日に更新しますといった割に放置してしまいました。
申し訳ないです。
今色々とネタ集め中なのでまた暫く間あくかもしれませんが、今年の目標の年52回以上更新はなんとか守れそうです。
そんなこんなで引き続きお付き合いいただければと思います。
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では間が開きすぎない内にまた!