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122ラドヤード・キプリング『キム』

定本としたのは光文社古典新訳文庫の『キム』です。

『少年キム』などの子供向け翻案は読んだことある方も多いのではないかと思いますが、大人向けになると急に難しくなります。

翻訳するのにも膨大な資料が必要になったそうです。

「一夏の冒険が終わった……」


 栞が突然大胆な事を呟くので「んまっ!」と思わず声を上げてしまったが、次の瞬間すぐに「どうせ本のことだろう」と思い至り冷静になった。


「一夏の冒険って何ですの?」


「いやあ、今が夏なのかどうかは微妙なところですけれど、まあ秋ではないとは思うので一夏のなんていいましたけれど、子供の時以来に冒険小説なんて読んでみたわけですよ。意外と手こずりましたね!」


「冒険小説ぅ? 意外な物をお読みですな! 冒険小説とかいわれてもなんも思いつかない。なぜなら読んだ記憶がないから……」


「そうですか? 「ズッコケ三人組シリーズ」とか小学校の頃に読んだことないですか? あれも一作ごとにジャンル変わりますけれど、結構冒険していましたよね」


「あー読書感想文かなんかで読んだことある記憶あるけれど、なんかあんまり覚えてないなあー。冒険とかいわれても漫画とかしか思い浮かばない」


「あら、そうですか。まあ本当に久しぶりに、少年が主人公で、あちこちを旅するハラハラドキドキって感じの本は読んだんですけれど意外と大人向けな感じで、結構不意を突かれた感じがしましたよ」


「へーハラハラドキドキね。子供向けの大人向けなヤツなら割と読めるかな?」


「なんですか子供向けの大人向けって。でもまあ思ったより手強かったですね。本文だけで五七〇ページ以上ありましたし……」


「ハイ、パス」


「まあそう言うとは思いましたけれど、たまには冒険してみてもいいとは思いますけれどね。人生には何らかのスパイスが必要になることもありますよ」


「ほぼほぼ六〇〇ページもある冒険って長いわ! どこ旅してるのよ? それに子供が読めるのそんなん?」


 栞は顎を人差し指でトントンと叩きながら「まあちょっと大変かもしれませんねー」などとのんびりとした感じでいう。


「子供向けに翻訳した物は今までにも結構出てたみたいですけれど、割と本格的に原作を翻訳したのはこれが初めてなのかもしれないですねー」


「で、なんていう本なの?」


「ラドヤード・キプリングで『キム』です!」


「韓国の人が主人公なん?」


「キムっていったら韓国とか中国とかいう感じのイメージはまあ確かにありますけれど、イギリス人とかアメリカ人でもキムって名前は一般的ですよ。このお話に出てくるのはイギリス帝国時代のインドに生まれたイギリス人のキムという少年のお話ですね」


「へーインドのイギリス人ね? なんかややこしい」


「まあストーリー自体は基本的に一本道なんですけれど、人間関係とか出てくる人種や宗教が多岐にわたるので、そういう意味では複雑ですね。ちなみに作者のラドヤード・キプリングはイギリス人初のノーベル文学賞受賞者で、とった年齢も四一歳で未だに最年少記録として破られていないですね」


「へーノーベル賞の人が冒険小説ねえ?」


「カズオ・イシグロだってSF的作品書いてますし、ジャンル的な物はそんなに気にする必要はないかもですね。イギリス人的には小説家というより詩人としての名前の方が上みたいですし。あと有名な小説というと『ジャングル・ブック』とか聞いたことありません?」


「あーなんかアニメ化なんかになってたヤツかな?」


「ですです。古いディズニーのアニメですね。こちらの『キム』は岩波少年文庫なんかからリリースされたものなんかで今までずっと『少年キム』というタイトルだったのですが、今回の翻訳は原題通り少年の部分を省いて『キム』となっていますね。まあ読んだ感じではタイトルに「少年」ってつけたくなるのも分かりますけれど……」


「んで、そのキム少年がインドのジャングル大冒険みたいなはなしなん?」


「そうですね、人間関係までわーっというと複雑になりすぎるので軽くだけ説明しますと、インドの首都のムンバイはラホールという街で孤児のキム少年がチベット仏教のラマ僧に出会うところから始まります」


「まって、いきなり情報が多い……」


「まあまあ。キムは色んな人の雑用なんかして気ままに暮らしていたんですが、父親から「いつか赤い雄牛と緑の平原で出会って、馬に乗った大佐と九〇〇人の兵隊がお前を迎えに来る」というようなお告げを授かるんですが、本人はあまり気にしていない感じで、街で「みんなの友」なんていわれて賢く立ち回っていたんですね、件のラマ僧に出会うんですよ」


「なんか食い合わせ悪そうだなあ……」


「二〇世紀初頭のインドの様子がよく描かれているんですが、人種も宗教もしっちゃかめっちゃかに混ざっていて、ヒンドゥー教なんかのメインの宗教以外の異教徒でも、宗教者というのがとても尊敬されていて、最初読んでて今でいうと単なる乞食坊主なのに、みんながみんな本当によくしてくれるのに驚きますね。托鉢なんかしてもすぐに食事は集まるし、他の宗教の神殿なんかでも泊めてくれて好待遇だったりと……で、キムはこのラマ僧の目的が面白そうということで弟子入りしちゃうんですね」


「んまっ! ダイタン!」


「キムは英語だけじゃなくてパンジャビー語とかヒンドゥー語とかそこら辺の地方で使われる言葉はもう何でもできちゃうんですよ。で、ラマ僧の目的なんですが、お釈迦様が若い頃に放った矢が落ちたところに全てを清める川が湧き出した。その聖なる川を探しているよということなんですが、これを面白がってキムは案内を買って出るんです。そしてもう一つの筋として、頼まれるお使いの中にも危険な物が混ざっていて、軍の重要な人物に戦争の用意をしろというメッセージを送ったりとするわけですよ。冒険ですねぇー」


「その二つ食い合わせ悪くない?」


「いえ、まあここら辺が結構巧みで、いい感じに冒険をさせているんですが、大寺院の院長も務めたというその老ラマ僧から仏教的教えなんかを授かったりしながら、危ない橋を渡っていた後に、先ほどの預言通りに赤い雄牛がいるところで軍隊に出会うのですけれど、キムのお父さんの知り合いがいたり、相互の助け合い精神が非常に強かったフリーメーソンの会員の子供だということで、キリスト教的な教育を授ける軍学校に入れるぞといわれて、死ぬほど嫌がるんですが、お師匠様が後からかなりの金額の教育費をどういう魔法かひねり出して、もっといい学校に行かせるわけですね。このときに今まで周りで世話をしてくれていた色んな人から諜報員になってお前もこのグレート・ゲームに参加しろといわれて測量の勉強をする訳なんですね」


「測量? なんで?」


「史実ではイギリスがインド帝国の測量をする訳なんですが、チベット方面は鎖国していたので、イギリス人だと危険ということで、インド人達を教育して宗教の法具に偽装した測量器具で地図を作っていくんですねえ。このときの測量局にいたお偉いさんにエヴェレストという人がいて、あの世界一高い山の名前になったそうですね。もっとも今はチョモランマと現地語呼びが一般ですけれど」


「そこまでして地図つくらんといけなかったん?」


「ほら。伊能忠敬が作った地図をフンボルトが持ち帰ろうとしてあわや死刑になんて話あったじゃないですか。時代はもっと下っていますけれど、衛星で地上が丸裸にされている現代と違って地図は凄い重要だったんですね。史実では純粋に測量の仕事だったんですが、キプリングはこれに脚色して、諜報活動も行わせたんですよ。で、当時敵対していたロシアやフランスとグレート・ゲームを行いつつ、お師匠様の目的も果たしていこうというプロットが重なってきて、インドの平地からヒマラヤの高原まで縦横無尽に踏破するという壮大なお話になっています。これそのまま訳出されると結構難しいお話になるんですが、子供向けにして出せば確かに少年冒険活劇になりますね」


「単純っぽいけれど割と複雑な話が絡まり合ってると……」


「はい。スパイ合戦だけじゃなくて、仏教的輪廻転生の話や教えなんかも随所に散りばめられていて、結構複雑な感じになっているんですねぇ」


「血みどろの殺し合いになるわけだ……」


「血と暴力の描写がないわけではないですが、キム自身が殺人をすることはないので、そこら辺が少年向けの冒険活劇に翻案しやすい所なんでしょうね。なかなか興味深いのは主な登場人物には全てモデルがいて、キムもインドで少年時代を過ごしたキプリングの体験が色濃く反映されていてフリーメーソンで仕事をしていたり、新聞記者をしていた時の体験がかなり強く打ち出されているのですね。仏教思想についても日本旅行もしていたので明治初頭の日本滞在記なんかもあります。鎌倉の大仏さんを見て詩を書いていて、章の頭でいくつか引用されていたりします」


「へぇ日本滞在記かあ。そっちの方が面白そうかも」


「有名な話だと、日本で軍人に「イギリスの兵より日本兵の方が強い」とか絡まれて滅茶苦茶に怒って、日本滞在記の半分以上が日本の軍隊とイギリス軍の比較分析に使われていたりしていたそうです」


「キレッキレにキレてるじゃないですか……」


「少年時代から洋の東西問わずにあちこちへと旅をしたり暮らしていたコスモポリタンな人だったのですね。それから第一次世界大戦なんかの頃から愛国的作品ばかり発表するようになって、ユダヤ人蔑視の詩を作ったりなんかもしていて、当時ですらドン引きされて一部だけでしか読めない感じになっていたりしたそうですが、まあイギリス第一の作家という立ち位置は亡くなるまで保っていたそうです。後年その帝国主義礼賛というような作風が批判されて否定的に扱われたりもしたようですが、今ではまた再評価されていて、ジョン・ル・カレというスパイ物で有名な作家なんかも『キム』を読んだ影響で、スイスにある英国パブリック・スクールを卒業後に諜報機関に誘われた際に、憧れもあってそこに身を投じていったそうです。他にも影響されてスパイになった人結構いるみたいですね」


「あれか。ブラック・ジャックに憧れて医者になるみたいな……」


「そうそうそんな感じです。二〇年ぐらい前のアンケートだったと思いますけれど、東大の医学部の人の三割ぐらいが程度の差はあれブラック・ジャックに憧れたなんてのがあったはずです」


「ブラック・ジャック凄いな!」


「まあ話は横にそれましたけれど、そんな感じで、一本道のストーリーなのに、割と広範な話題を取り扱っていて、意外や意外な歯ごたえのある作品になっていますね! 是非読んで冒険してみてください!」


「えー。なんか難し……うわっ分厚!」


「時代的背景の空気感だけ掴めばあとはキム少年の成長譚だったり、老師とのアツい絆と目的を達したときの感動的な世界の見方の変わり方とかそういう壮大な話でもあるので、挑戦してみるのも悪くないと思いますよ!」


「えー……でも読んだ後にスパイに誘われたらどうしようかな……わたしにスパイになる資質あると思う?」


「人の可能性は無限大ですよ!」


 そうニコニコといいながらも、首を左右に振っている。

 あれか。笑いながら怒る人か……。

 まあまだ残暑が続く間に、一夏の冒険を栞と共有するのも悪くないか思いページをめくりつつ、いつ読み終わるのかなという懸念は払拭できずにいた。

 長い冒険になりそうだ……。


今回後書きだけでなく翻訳者のコメント集など色々と資料は多く、多すぎるほどに多かったので、もっと細かいポイントや楽しみ方を書く事は出来たかもしれませんが、どうしても冗長になりすぎるきらいがあったので、比較的コンパクトにまとめました。

まあそれでも長い気はしますが、原作自体が分厚いので御寛恕頂ければと思います。

どちらかといえば本を読み慣れている方だとは思いますが、意外と結構な難敵でした。

ちなみにキムは13歳の時と16歳以降の時代に分けられるんですが、子供の頃の言葉遣いはドラゴン・ボールの悟空のしゃべり方イメージして翻訳されたそうです。


雑談でも感想でもとりあえずなんか有れば投げて頂けると励みになります。

なんか書くのは面倒という方は「いいね」ボタン押して頂けるとフフッて成りますので気が向いたらよろしくお願いいたします。

ではまた!

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