119フリオ・コルタサル『対岸』
みんな大好きコルタサルです。
岩波文庫で読まれた方は多いとは思いますが、水声社からも何冊か出ていて、こちらはアマゾンなんかでは新刊本扱っていないので(変えなくもないですが)あまり手に取った方はいないとは思うので、興味がありましたら是非とも挑戦してみてください。
「ふー読み終わりました……」
「早っ!」
今日図書室に来て、今から読み始める宣言をしていた栞が、読み始めてから読了宣言するまでの時間は多分一時間半ぐらいかもうちょいぐらいだった。
人類にハードカバーの本一冊を、一時間半ぐらいで読むことが可能なのかという恐れが浮かんだ……。
「えーと、速読とかされているお方ですか?」
「速読って……まあ実際に文章を二行同時に読むことができる人とかいるらしいですが、普通の人は速読なんてできないから、それより深く読めっていう人もいっぱいいますよ。速読なんて基本無理! って話です」
「しょうなのぉ? それにしても早くない? ハードカバーでしょそれ?」
「あー」といって、こちらに本の背表紙を見せてきた。
「単純にそんなに厚くないだけですよ。というかハードカバーで表紙が厚いから膨らんで見えているだけで、本文はこの通り、翻訳者の解説まで入れても一八〇ページもないですから。ハードカバーは全部分厚いとかいうのは思い込みですね」
「へぇー。そう言われてみると確かに読むのはやい人なら、一日あれば余裕で二冊とか三冊とか読めちゃいそうなボリュームなのかな? でもそれにしても早くない?」
「まあ、私はそれなりに読み慣れている方なので、詩織さんなんかに比べたら読むのは速いほうだと思いますけれど、逆に言うとちゃんと深く読めてない読み飛ばししているのではないかという疑惑が頭をもたげてきてはいますね。とはいっても文章の密度もほら、そんなにないですよ」
「あーホントだ。それぐらいなら無理なく読めるね」
「折角だから読んでみますか? 以前に一度お勧めしたフリオ・コルタサルの処女短編集で『対岸』ですー」
「コルタサリ? コルタサ……読んだことあったっけ?」
「えーと確か岩波文庫の『悪魔の涎・追い求める男』という短編集を以前読んでいたはずですよ。えーと、そうだなあ「南部高速道路」っていう、信じられない大渋滞にはまって、そこでコミュニティーが作られ初めて何ヶ月も生活するという短編とか覚えてないですかね?」
しばし考え込んだ後、なんとなく薄らぼんやりと記憶の縁に内容が浮かび上がってきた。
「はいはい! あの「世にも奇妙な物語」みたいなヤツか! あの作家ならわたしも読めそうだなあー。わたし短編とかの方が向いている女なのよ」
「よかった覚えていてくれていて……コルタサルはいわゆる幻想文学の作家とされることが多いですし、まあある程度それであっているんですが、色々と手広くやっていますね。それに短編中心作家なのは実際の所そうだったので「小説の精髄は短編にあり」って豪語していたボルヘスに見いだされてデビューした人でもありますね。コルタサルが「奪われた家」という短編をボルヘスの主催する出版社に持ち込んだときに、たまたまボルヘスがいて、読んでおくから十日ぐらいしたらまた来てねといったので一週間後にまた会いに行ったら、あれは素晴らしい作品だからもう印刷に回したよ! っていう伝説があってそれ以来仲良しになったそうですね」
「ズッ友かあ……いい出会いだねそれ」
「まあこれが実際の所、作り話らしくてボルヘスが考えたのかコルタサルが考えたのか、あるいは共謀していたのかは不明なんですけれど、実際にはボルヘスが編集部に顔を出す事ってなかったし、コルタサルも原稿は郵送していたみたいですね」
「えー……作り話なん?」
「まあアーティストの自己ブランディングみたいなもんですかね」
そういうと栞はわたしに本を差し出してきた。
「ゆっくり読んでも二時間か時間かかっても二時間半はかからないんじゃないですかね? なかなか興味深いですよ」
「わたし幻想文学って好き。なんか文学少女って感じがする。あと短編好き。すぐ読み終わるから」
「そうですね。コルタサルの短編作品に関する講話が最後の方に資料として載っているんですが、コルタサル自身はベルキー生まれでアルゼンチンで暮らして、アメリカとかに移り住んだりしたあと最終的にはフランスに永住したコスモポリタンな人で、母語のスペイン語の他に、フランス語と英語の通訳の資格も持っていて、ドイツ語もかなりのレベルだったそうです。そんなコルタサル曰くですが、ラテンアメリカ圏に比べるとフランスとかその他のヨーロッパとかでは短編作品の価値があんまり評価されていないし、長編に比べると人気が今ひとつだよねって話をしています」
「えっ? そうなの? わたしはマイナーな方だったん? 短くてすぐ読めていきなり面白いとか最高だと思うんだけれど……」
「まあ日本でも長編作品の方が人気はあるみたいですが、最近欧米でも日本の新人作家の作品に人気が出始めたので、芥川賞作品を売り込みたい翻訳者の方が、現地の出版社のエージェントにコンタクトすると、短編・中編は今ひとつ売れないって渋い顔されるんで、今ひとつ成功していないって話している人いましたね。それでも最近は割と話聞いてもらえるようにはなってきたみたいですけれど」
「ふーん。長編とか読み切る前に体力使い果たしそうだけれどなあー」
「コルタサルの友人は、小説をボクシングに例えて、長編小説はポイントをとって判定勝ちするタイプで、短編は一発ノックアウトを狙う技巧派ボクサーだなんていってたそうです。まあ好みの差は当然ありますが、長い作品の愛好家の方が市場規模は大きいようです。知ってる人でも短編は全く読まなくて、長ければ長い方がいいなんていってる人もいましたね。これは本当に一人だけの意見採り上げたわけですが」
「ほーん。そうするとわたしは技巧派かぁ」
そういってシュッシュッとシャドーボクシングの真似をした。
「なんかテクニシャンの方がカッコよくない?」
「まあ短編はワン・アイデアで突き進んだり、短い中にどんでん返し仕込んだりと、確かに技術面で難しいと考える人も多いですね。長編は長編でカズオ・イシグロみたいに超綿密なプロットを練り上げて、準備万端で挑んだりいる人がいるので、どちらが上ってこともないんですが、短編は成立させるのが難しいって意見は私の個人的な肌感覚で言うと割と聞く感じはします」
「さっと読めてすぐ面白くてパッと読み終わる方がやっぱり好きだなあー」
栞は姿勢を正して話を続ける。
「まあコルタサルの初期の作品は割とワン・アイデアな部分あるのですが、コルタサル自身は内容については、ちょっとした面白い話や変わった伝説なんかよりも、日常生活の中のふとした瞬間みたいなものの方が大切といっていますね。何も面白いことが起こらないのにキャサリン・マンスフィールドとか面白いじゃん! と仰っています」
「キャサリン? だれ?」
「ヴァージニア・ウルフという女性作家のライバルでニュージーランド生まれの二〇世紀初頭の女性作家ですね。二人とも意識の流れという二〇世紀文学で大きな流れを作った人たちなんですが、マンスフィールドも短編ばっかりなので興味があれば持ってきましょう」
「へー女性作家が大きな流れ生み出したっていいね! わたしそういう情報あると興味深くなる方」
「ま、コルタサルに話を戻しますとワン・アイデアな作品が多いのであまり話しちゃうと面白くなくなってしまうのですが、この本に関していうと三つの独立した章に分かれていて、家族の生活のために比較的給料がよかったアルゼンチンのド田舎で教師生活をしていたときに、あんまりにも田舎過ぎて辟易としていたので、子供の頃から大好きだった読書と語学にますますのめり込んで、それで自分でも書いてやろうじゃないかと思った時期の作品なんで、所々に生活の一端が窺えますね。全体的に幻想文学の系譜ではあるんですが、最後の章のタイトルが「天文学序説」となっているのですけれど、ここだけ唐突にストレートなSFになっていてちょっと驚きますね」
「いーじゃん、いーじゃん! 一粒で二度おいしいみたいな感じ!」
「他の惑星にいってもてなされる話とか、空を掃除する話とか、最後だけなんか生きた手が出てくる話とかなかなか飽きさせない趣向になっていますが、内容についてはここまでにしておきましょう。さあ本を開いていざ冒険へ!」
「えーん。でももうちょっとなんかこう、面白い感じの情報ない? なんかの漫画で人間は情報くってるんだみたいな台詞みたけれど、まあ確かに一理あるなって思ったし、ね。なんかこう……ね!」
「うーんそうですね。この『対岸』は一九四四年に「いー感じの短編作れたから出版したい」といってごく少部数出版されたのですが、ほとんど同人誌みたいな感じで仲間内に行き渡った後はサッパリだったみたいで、コルタサルの死後、一九九五年に正式に再版されるまで、タイトルは知っているけれど誰も読んだことのない幻の作品だったようです。そんなこともあってか、コルタサル自身は「自分の本当の処女作は『動物寓話集』だ」といっていたようで、これは一九五一年に出されたものなんですが、こちらの方は確かに完成度は高くなっているし、幻想的な話もあれば、やけにリアリズムな話もあるという感じで、コルタサルの生涯を通して影を落とす、早くに亡くなってしまった親友の通称パコという人に捧げられています。ちょっと待っててくださいね」
そう言うと栞は、バッグの中をガサガサかき回して、これまた薄い文庫本を取り出した。
「これが『動物寓話集』ですー! こちらも見た目の通り薄くて面白い作品が八本載っています。中にはアナグラムだとか回文だとかが仕込んであって、そちらの『対岸』の翻訳者と同じ寺尾竜吉先生が翻訳されているんですが、完成度がどうとか考えなければどっちも読んで面白い作品だと思います。まあ出来が悪いわけではないんですが、コルタサルが『対岸』を亡き者にしたのはなんとなく分かりますね。とはいってもこちらも打っても響かず十年間ぐらい出版社の倉庫の中に山積みにされていたようで、コルタサルが有名になるのは一九五九年にだされた『秘密の武器』で、こちらは大反響ですぐに増刷がかかったそうです。これは岩波文庫で読めますね。それから一九六三年に長編の『石蹴り遊び』というなかなか分厚い本が出てこれで人気作家の地位を不動のものにしました。昔、集英社の「ラテンアメリカの文学」というシリーズから出されていたのですが、長いこと絶版になっていて、二冊分冊の文庫版なんかは一応復刊もしたのですが、一冊にまとまっているものはコルタサル生誕百周年とか色々とイベントが重なったときに改めて、詩織さんが今持っている『対岸』を出した水声社というアマゾンには絶対置かないという謎のポリシーをもった会社から新しく出ています。全部家に全部のバージョンありますけれど、水声社版は本当に分厚いですね……」
「はあー苦労人だったのね」
「まあ余談になりますけれど『石蹴り遊び』は小学校の頃に見たゲームブックのように各挿話に番号が振られていて、この順番に読めって指示が書かれていて、読み返すたびに話の流れが変わるなんて工夫になっています。もちろん指示を無視して頭から順番に読んでもいいですし、指示に従っていると延々ループする千日手になるコースもあるとかなんとかで、変わったところだと筒井康隆が編集者のアルゼンチン旅行のお土産に、木の板に書かれたカード状の『石蹴り遊び』もらったなんていってましたね。その頃から段々先鋭化していって実験要素が強すぎて面白さが二の次になっているような作品もあるようですが、まあ日本語で読める大体の作品はちゃんと面白いと思います」
「なるほどなあー。その長編のヤツはなんか分厚いみたいだからちょっと怖いけれど、短編のヤツならわたしもいけそうな感じする。あたい文学少女になる……!」
「いいと思います!」
「じゃあうちに帰ったら読んでみましょうかねぇーコルタサレ? 情報は大体そんな感じ?」
「コルタサルですね。まあちょっと覚えづらい所は確かにあるかもですが……。まあ大作家なんで面白情報とか、軍事独裁政権時のアルゼンチンで暮らしていたのでそこら辺の絡みとか、キューバ革命応援していたとか色々とはあるんですが、そこら辺は長くなりすぎるので追々ということで……」
「そうねー。話も長編で語るより短編で語った方がいいって場合もあるかぁー」
栞は、ちょっと口元を手で押さえて、なんとなく気まずそうな顔をした。
「どうしたの? 悪阻?」
「んまっ! 妊娠しているわけではありません! というかそもそも……まあこの話は面倒だから置いておきましょう……。いや話も短編の方がいいっていうのは確かにあるなと思いまして。色々と情報を伝えたくなっちゃうとどうしても饒舌に過ぎるというか、話が長くなるのが私の悪い癖だなぁーと……」
「うーん。わたしは聞いてる分には楽しいからいいけれど……まあいいんじゃないの? 趣味の話できる相手がいるのってさ! わたしは情報を食べるタイプの女……だから詩織の話は最後まで聞く……」
栞はなんとなく恥ずかしそうにして、手をどこに置くか迷っているような様子でふわふわと空中を漂わせると、いきなりワシッとわたしの両手を掴んだ。
「これからもよろしくお願いします!」
「う、うん? はい。お願いします……」
なんとなく頭に血が上ったような気がしたけれど多分それは気のせいだろう……気のせいだということにしたい。
……とおもった次第である。
コルタサルとボルヘスの関係性でいうと、引き合いに出されるのが「ラプラタ幻想文学」の系譜というヤツで、これについても話広げると際限なくどこまでも広がってしまうのでまた機会があって、読みたいという方がおられればというところにしておきます。
……読みたい人いるのかなあ?
というわけで、ご意見ご感想、雑談なんでもありましたらお気軽に感想欄に投げて頂ければ励みになります。
そういう文章書くのは面倒くさいし恥ずかしいという方は「いいね」ボタンぽちっと押して頂けるとフフッてなりますので是非。
いつも後書き長くなってしまうのでこの辺にしておきます。
ではまた!