117ゾラン・ジフコヴィッチ『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』
今月の目標はこれと後もう一度更新したいということで、ちょっと閑話休題的というかスナック的な短めのお話です。
出版自体がかなり特殊な本なので、作者に興味を持った方は単行本で購入されるのが良いと思います。
オンデマンド版はちょっとお勧めしづらいですが、こんかいはオンデマンド版を取り上げました。
「おや、薄い本……同人誌ってヤツ?」
その日栞がパラパラとめくっていたのは、いつものなんたら文庫とかハードカバーの分厚い本ではなくて、冊子みたいなヤツだった。
「ああ、これずーっと前から家にあった本なんですけれど、隙間時間に読むにはちょうどいいかなと思って、重い腰あげて読み始めたんですけれど、詩織さんも好きそうかなと思って持ってきたんですよ」
「なになに? 同人誌ってなんかえっちなヤツなんでしょ?」
「んまっ! 偏見が過ぎますよ!」
「でもなんか、カバーもないし、うすーい冊子じゃないですかソレ」
「いえいえ、一応一般流通している商業本ですよ。まあ冊子に見えるというのはわかりますけれど、四九ページ以上あるから歴とした本ですよ!」
「なに四九ページって? そんな決まりがあるの?」
「ユネスコが定めた規格で、表紙を除いて本文が五ページ以上、四九ページ未満が冊子で、それ以上が本っていうルールがあるんですよ。知ってる人は知っているけれど知らない人は聞いたこともない小ネタではありますけれど、そんな感じですね」
「へー、後でクラスの連中にいって、自分の知識の奥深さを自慢してやろ」
「詩織さん……」
栞はなんだか酷く残念そうな表情を浮かべている。
解せない。
「まあ、そういう話は置いておくとして、確かに同人誌っぽいですよね。昔、文学フリマっていうイベントにいったことあるんですけれど、いわゆるオンデマンド印刷とかされた漫画とか活字の本は大体こんな感じでしたね」
「へぇー……で、えっちなヤツなん?」
「詩織さん……」
「そうか……えっちなヤツじゃないのか……」
「まあ気を取り直していいますと、黒田藩プレスというアメリカ人三人組が立ち上げた凄い小さな出版会社で、今はNPO法人になっているみたいですが、江戸川乱歩とか独特の節回しで翻訳が難しい作品とかを海外に向けて紹介しているみたいですね。この本はユーゴスラビアの作家さんで当時初めて日本に紹介されたもののようですね」
「ユーゴスラビアってどこだっけ? なんかヨーロッパの端っこの方みたいなイメージはなんとなくあるけれど……」
「少し昔まで内戦やってた国ですね。当時は大変だったみたいですけれど、ユーゴスラヴィア出身のノーベル賞作家とかもいますよ! イヴォ・アンドリッチという人で半世紀前に受賞した人だから翻訳された本はなかなか手に入らないっぽいみたいですが、同じユーゴスラビアの人でもミラドロ・パヴィチという人の本は割と簡単にはいりますね。変わった本で『風の裏側』というのがあるんですが、本の真ん中で印刷が反転していて本の前後の区別が無くどちらからでも読めるという趣向を凝らしたものなんですが、他も『ハザール辞典』という雄雌の区別がある本とか、実験的なことしてる人ですね。ユーゴスラビアの首都はベオグラードなんですけれど、この地名だったら聞き覚えもあるんじゃないですかね?」
うーんと考え込んで脳内を検索してみたけれど、なんとなくわかるようなわからないような……でもニュースとかで見たことはある気がするというぐらいの曖昧な所だった。
「まあ言葉もセルビア・クロアチア語という日本人にはなじみのない言語なんでなかなか耳にする機会はないかもですねー」
「あーはいはい。セルビアとかクロアチアとかは聞いたことある! クロアチアはたしかあれよね、アドリア海の真珠とかいうヤツ!」
栞がちょっと感心したように「へーよく知ってましたね」なんていうので鼻が高くなる。なった。
「いやぁ確かジブリの「紅の豚」のモデルになったところって旅番組かなんかでやってるのみたよ! あとマグロの養殖やってて日本にも結構入ってきているとかなんとかそんなん」
今度は栞の方が「へーそれは知らなかったですねぇ」なんて感心しているので、わたしも鼻が高いよ……ってなった。高くなった。
「まあ今だとドゥブロクニクとか辺りも世界遺産なんで平和で素敵な観光地になっているようですけれど、町中の建物の外壁見ると、今でも無数の弾痕が残っていて、何も知らないでそれ見るとちょっとドン引きするみたいですね」
「無数のだんこ……」
「んっ!」
「あっ……すいません……」
「まあ話を戻しましょうか。この本大体一時間もあれば読めちゃうのですけれど、短い話が三本掲載されているだけなので、後になってちゃんとした形で単行本も出版されているようですが、世にも奇妙なって感じの話でなかなか興味深いです」
「ふぅん。一時間ぐらいで読めちゃうなら読書スコアあがるねぇー」
「何ですか読書スコアって……まあ値段見てみたら一九〇〇円ぐらいするので、読書体験に対する時間という意味ではちょっとお高い買い物だとは思うのですけれど、新世代のボルヘスとか幻想文学とか、割といい感じの惹句が散りばめられていて、詩織さんも楽しめるかなぁと」
「おっ! 幻想文学いいですね! なんか文学少女好みーって感じがして憧れる!」
「まあ新世代のボルヘスというのはどうかと思いますが、なかなか楽しめましたよ! 幻想文学というよりはファンタジー感が強かったですけれど」
「いーじゃんいーじゃんファンタジー! で、なんて本なんです?」
「あっ、肝心のこといってませんでしたね。失敬失敬。ゾラン・ジフコヴィッチで『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』という本ですねぇーなんか長い上にそのまんまなタイトルですが」
「ゾラン……何?」
「正直私も何度か読み返さないと名前なかなか覚えられなかったし、長いので『不思議な物語』としておきましょうか。作者は七〇年代にSF作品で名をあげた人で、それからポツポツと日本の雑誌にもたまーに短編が掲載されていたようですが、知る人ぞ知るというと聞こえはいいですが、ちょっと日本ではマイナーにすぎる人ではありますね。サイエンス・フィクションからスペキュレイティブ・フィクションに軸足が移っていってその後幻想文学に移行していったみたいです」
「すぺきゅ……何?」
「スペキュレイティブ、つまり思弁的小説ということですね」
口の中で、しべ……ともごもご呟いてみたけれどなんだかよくわからないので流すことにした。
「とりあえず三作の内で一番長いのが一番最初の「ティーショップ」というお話なんですが、割と凝った感じの作りで感心しましたね」
「ティーショップって喫茶店的な?」
「ですです。主人公の女性が駅について荷物を預けた後に電車待ちの時間潰すために喫茶店に入るのですが、ニンジンのお茶とかイラクサのお茶とか、風のお茶とか月光のお茶とか不思議なメニューばかりで、お茶の効能と一緒に掲載されているのですが、この女性は物語のお茶というのを選ぶんですね。そこから一口飲むたびにティーショップにいる人たちが短い物語を語っていくという趣向なんですが、リレー的に主人公を変えつつ物語が進んでいきます。ここらへん『千夜一夜物語』的ですね」
「えーと『アラビアン・ナイト』ってヤツ?」
「ですです!」
そういうと栞はうれしそうににっこりと笑った。
「まー『千夜一夜物語』のような物語の中に物語のある形式を枠物語なんていいまして、有名どころだと例えばジェフリー・チョーサーの『カンタベリ物語』ですとか、ヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』とかあるんですが、ここでは物語の中で別な物語が進んでいくぐらいの感じで思っていただければと……」
「うーん。なんとなく分かるような?」
「そうですね、あまり細かいこと気にせずにいいますと、形式としては「世にも奇妙な物語」あるじゃないですか。タモリさんがナビしているパートが大枠としてあって、その中で個別の奇妙な物語が語られていく……って形に近い感じでしょうかね」
「はいはい。完全に理解した。なぜなら「世にも奇妙な物語」好きだから分かる!」
「ま、そんなこんなでお茶を飲むたびに不思議な感じの話が、ちょっとずつ登場人物を変えながらも一つのつながったストーリーとして語られていき、最後まで話を聞いたとき主人公は……という感じのお話でなかなか楽しめました。まあここら辺はネタバレしてしまうと面白くないタイプの話なので、読んでみてください。三本まとめて一時間以内に読み終わっちゃいます」
「すぐ読めて。すぐ読み終わる本は健康によい……そう聖書にも書いてある」
「……それは初耳ですね」
「まあいいや、貸して貸して!」
「この話は後にもっとちゃんとした単行本で『十二人の収集家』という十三編からなる短編集に纏められていて、そこではなんか自分の爪を大切に保管している人とかなんとか変人ばっかり出てくる話らしくて、いつか手にしてみようかなとは思ってます」
「うわキモっ! 吉良義景じゃん!」
「うん、まあそんな感じですかね?」
栞は吉良義景が何者かよく分かっていないようなので、この戦いはわたしの勝ちだ……。
勝ち負けの話なのかよく分からないけれど、鼻はまた高くなる。高くなった。
「ま、そんな感じでですね、これは結局の所プレビュー本というかサンプル品という形になっちゃいますが、車や電車の移動中にでも読むといいかもですねー」
「電車かあー、夏休み終わる前にどっか電車で遠くに日帰り旅行にでも行ってみない? その時にでも読むと捗るかもー」
「旅の途中で読むにはちょっと薄すぎますけれど、ちょっとした小旅行は興味ありますね。でもせっかく詩織さんと一緒に電車移動なら、お互いのこともっと深くお話ししたい欲があるというか……」
そういって栞はなんかもじもじとし始めた。
予想外の反応に、今度はわたしが「んまっ!」と叫んでしまった。
果たして旅行に行けるかどうかは時期的に微妙なところだけれど、なんか偉い人も「書を捨てて町に行けや」的な事をいってたような記憶がなんとなくぼんやりとあるので、夏の終わりの冒険には本というのは必要ないのかもなと思いを馳せつつも、栞は絶対になんか本を持ってくるだろうなという確信はあった。
でもまあたまには大胆に冒険してみたいよなぁと思いつつ、栞が興味深そうにわたしの顔を眺めつつある中でパラパラと物語の冒険を広げ始めた。
ゾラン・ジフコヴィッチという人の作品ですが、幻想文学を歌っていますが、ファンタジー感の強い作品です。
ただ、本人もすでにSFの文脈は脱しているというような事をいっているらしい通り、SFっぽさのような物はあまり感じられません。
とりあえず珍しい感じの本ではありますが、図書館などではオンデマンド版はまず所蔵されていないでしょうし、またわざわざオンデマンド版を手に入れる理由も全くないので、単行本をオススメいたします。
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ちょっと身の回りの雑事が続くのでしばらくあまり大きなネタは出来そうにないですが、気が向いたときにでものぞきに来て頂ければ幸いです。
ではまた。