116フアン・ルルフォ『燃える平原』
書くだけ書いて更新するの忘れていました。恥。
そんなこんなでお約束しましたとおり本日更新いたしましたのでなんとか約束は守れたかなと。
ちょっと長くなってしまいましたがお付き合い頂ければとおもいます。
「助けてしおりえもーん!」
「私は何でもなんとかしてくれるロボットではないですよ」
夏休み終盤、待ち合わせをしていた図書室の扉をガラリと開けた第一声でヘルプを申し込んだけれど、なんだかあきれた顔をされてしまった。
そもそも待ち合わせ時間の一〇分前についたのに、すでに黙々と本を読んでいるのがまずおかしい。不可解。
だけど、まあいるだろうなと思って、こういうときは早業で対処するのが一番と思っていたので、存在を確認する前に叫んでみたけれど、やっぱりいたのでヤベー女にならないですんだ。
ヤベー女になる確率五〇パーセント。
「なんですかもう。夏休みの宿題は全部終わったはずじゃないですか? それとも定期試験の対策ですか? もっとこう余裕を持ってですね……」
「いやまあまあ待ってくださいよ栞先生。宿題いっこヤベーの残っていたんですよ……」
「私は先生じゃないし、詩織さんのママでもないですからね? それはそうと宿題は先週やっつけてやったぞーっていってたじゃないですか」
「いや、それが一つ忘れてたんですよ。なんか箱を開けたら最後に残ってた一個がヤベーやつだった的な……」
「まああの話は箱じゃなくて本来は壺だったみたいですけれど、それはそうとしてなんですか?」
「えーとね、うんとね、あれよあれ。国語の授業でさ、なんか「羅生門」の続きを書いてみようとかいうクレイジーな授業あったじゃない?」
「あー、私のクラスではなかったですけれど、詩織さんのところではあったみたいな話していましたよねたしか? 文学国語の授業というやつですかね?」
「よくわかんないけれど多分それ! で、なんか小学校の時にも「カチカチ山」の続きを書いてみようとかいう授業あったけれど、あの時の悪夢がよみがえるんですわ。何というか小学校の頃にもうやらなくてすんだと思っていた悪夢が高校にもなって再び来襲みたいなそんな恐怖ですよ」
「あれ? でも授業でやったとかそんな話でしたよね? わざわざ宿題でもう一回やるんでしょうかね?」
わたしは果てしなく青く続く、遙か遠くに入道雲のもくもくと湧き上がる美しい終わりかけの夏の空に遠い視線を投げかけた。
「授業で提出できなかったから特別宿題として出された……」
「詩織さん……」
「アイツちょっとマジでドSだって! 普通授業で終わらなかっただけで宿題にする? しかも出さなかったら考課下がるとかまでいうのよ? ちょっとあり得なくないですかね? どう思われます有識者?」
「私が有識者かどうかはわからないですが、そりゃ授業で決められた目標に達していなければ、単位の認定に響くのは当然じゃないでしょうか……」
「ハイ、死んだ。ハイ神は死んだ、死にまくった!」
「詩織さん……」
なんだか非常にわたしを哀れむような目で見てくるので心がズキリと痛むのだけれど、そんなことぐらいで頼れる相手頼らないで楽できないのは、非常にもったいないのですがりつく。藁でも栞でもしがみつく。いや、藁なんかと比べられないぐらい浮力ありそうだけれど。
「……なんか私を出汁にして楽しようとか思ってません?」
眼鏡の奥底から藪睨みな視線を投げかけてくるのがわたしの瞳にバキュンと命中したので、一瞬窒息して、一瞬絶命しかけたけれど「ソンナコトナイヨー」と反射的に答えた。
栞は大変胡散臭そうにこちらをジッと見つめているけれど、知らない何もというスタンスは崩さないで取り繕った。
「まあ好きなように書けばいいじゃないですか。作家先生になるのが目的じゃないんだし、拙くても自分なりの力を見せるのが課題の目的なんじゃないですか?」
「正論は時に人を傷つける」
「んまっ!」
栞の隣に勢いよく座り込むと、両手を合わせ伏して願い奉る。
「お願い栞先生! なんか発表会にするとかメチャクチャなこというんだよあのサディスティック・ティーチャーは! わたしが小学生の頃に受けた心の傷が深く抉り出されるのよ? そりゃわたしもPSDだったかPDFになっちゃうってワケよ!」
「なんで若干出版関係寄りの単語なんですか。まあいいですけれど小学校の時はどんなん書いたんですの?」
「むぅまたわたしの心の傷に粗塩なすりつけるようなまねを……いや、カチカチ山でラスト池に沈んだ狸を狸汁にして食べて復讐を果たしたとかそんなんです……」
「へぇーいいじゃないですか。割と「カチカチ山」は終わり方のバリエーション多くて残酷描写みたいなの抑えられているタイプの童話ですけれど、そういうちょっと頭のおかしい感じの終わり方私は好きですよ? 単純にみんな仲良く暮らしましたより遙かに個性あるじゃないですか」
「はい、頭のおかしい頂きました! それでどれだけ幼少時代のわたしが馬鹿にされ続けたことか……」
「気にしないでいいじゃないですかそんなの。別に何も商業誌に寄稿するとかそういうプロの目に晒されるみたいな話でもないんですし。好きに書けばいいじゃないですか」
「その好きに書く好きな部分がないのよね……」
「うーん。それはまあ困りましたね……」
「だからお願いします! ゴースト・ライターになって欲しいとかじゃなくてちょっとだけ手伝ってくれればいいんですよ! 七割! いや六割五分でいいですから!」
「んまっ! 半分以下!」
栞のブラウスの裾にしがみつき、小型犬のような濡れた目で栞を見つめる。
栞は盛りは過ぎたとはいえ、この糞暑い中長袖スタイルを崩していない。
なんか日に焼けやすいとかいうのがその理由らしいが、色白でうらやましい限りである。
「まあ切っ掛けってものをなんとか出すぐらいなら私も手伝ってもいいですけれど……」
「やった! 神は死んでいなかった!」
そして、うーんと唸りながら腕を組んで顎に手を当て、図書室の天井をうろうろと彷徨うように視線を這わせる。
こう、栞の天才的なアイデアで「天井のシミを数えている内に終わっちまうぜ!」的な事をいってくれるのを期待した。
「まあ私も小説の書き方的な本というか理論書みたいなのは何冊か読んだことありますけれど、すぐ読める小説作法みたいなのだと例えば『ガルシア=マルケスのシナリオ教室』ですとか、もっとサクッと読めるのだとカルヴィーノの『アメリカ講義』とか、あとは橋本陽介先生の『物語論 基礎と応用』とかありますけれど、まあ読んでいる時間はないですよね……?」
「ないない、ありません! そういう小説の教科書みたいなのじゃなくてもっとこう……答えが載っているのとかさ!」
「それはカンニングとか盗作とかそういう話になってきます……」
「んもー意地悪!」
「あ、でもガルシア=マルケスと『物語論』で思い出した! 確か図書室にもあったはずなんで参考になりそうな本持ってきますよ」
「ありがてぇ!」
栞はふらりと立ち上がってうろうろとした後、一冊の本を持ってきた。
「はい。こちらがフアン・ルルフォ『燃える平原』になりますー!」
わたしは大げさにため息をつき、やれやれと肩を上げて大げさに首を振ると「わたしが求めてるのは超高速お話製造マニュアルであって、なんか難しそうな小説とかじゃないんですよね……」といった。
栞はなんか呆れたような顔をして、ぼんやりとわたしをみつめている。
もしかしたら呆れたような顔ではなくて呆れているのかもしれないがその可能性については今後の研究結果が待たれるところである。
「まあ仕方ないからちゃちゃっと説明しますけれど、詩織さんもすぐ読める短編小説ですよ。一話でいうと三〇ページかそこらのが十七編載っているのですが、とりあえず表題作の「燃える平原」と「コマドレス坂」あたり流し読みしてみるといいんじゃないでしょうかね。短編小説のお手本みたいな話ですよ」
「うーん。読む気になる情報もとプリーズ」
「仕方ないですねぇ。個々の話はおいておくとして簡単に解説しますと、フアン・ルルフォはメキシコでおそらく一番有名な作家ですね。小説の本はこの短編集の『燃える平原』と、やや短めの長編小説『ペドロ・パラモ』の二冊しか出していないんですが、スペイン語圏で百人の作家や評論家に最も偉大なスペイン語の小説あげてもらうという企画で『百年の孤独』とほぼ同率でトップを争ったのがこの『ペドロ・パラモ』でした。人類史上最も語りのまかった人であるところのガルシア=マルケスも四冊本を出したところで八方塞がりになったときに、たまたま雑誌に掲載されていたフアン・ルルフォの作品を読んで衝撃を受け、他の作品を読んでもその衝撃はとどまることを知らず、ついにスランプを克服したという話があります。彼の作品でヴァージニア・ウルフと共に最も影響を与えた作家のようですね。他にも最高のスペイン語作家投票なんかではボルヘス大先生と一緒に選出されたりもしているので推して知るべしです!」
「マジで? じゃあそれ読めばサクッと話が飛び出て、しかも先生とかクラスの連中が感服するような話書けるわけ?」
栞は、やや俯いて「それは詩織さん次第です……」といった。
「まあ、切っ掛けにはなると思いますよ。特に「コマドレス坂」なんかはナラトロジーの研究にもよく引き合いにされる作品ですし、面白いですから。それに何より時間がない詩織さんにとってはすぐ読み終わる分量ですし……」
「もっとこう……具体的に話し教えて……」
「さては読む気ないですね……?」
「そんなことは……無いとも言い切れないけれども!」
「まあいいでしょう。具体的なストーリーは読んでいただくとして、全体的な印象をあげると、すべての話に暴力と死がつきまとっている作品です。フアン・ルルフォは子供の頃に血縁者をほぼ失っています。父親や叔父達はメキシコ革命やクリステロ反乱の時代に殺害されてしまい、母親は結核で十歳の時に亡くなっています。そんな境遇でも大学まで行ったんですからたいしたものですよね。それで子供の頃の陰惨な経験が全体的に強い影響を与えています。初めて勤めた会社が割と時間に融通の利く会社だったので小説を書き出したようなのですが、たまたま先輩に小説家としてデビューしていた人がいて、相談したら添削してくれたんですよね。無駄な枝をバッサバッサと落とすように添削してくれたそうで、これが後の全ての作品に共通する文体となっています。乾いた無駄の一切無い写実的な表現です。カッコイイですね」
「へーなんかドライな雰囲気とか出せたらヤツら見返せそう。それでそれで?」
「ルルフォの作品って全て合わせても三〇〇ページぐらいらしいんですが、ガルシア=マルケスはソポクレスの著作と同じぐらいしか残ってないけれど、同じぐらい永遠に語り継がれる作品と大絶賛しています」
「そぼろ……?」
栞はわたしの疑問を無視して続ける。
栞のこういうところよくないと思います。
「ルルフォは非常に自分に厳しい作家で、書いた原稿のほぼ全てを破り捨てて屑籠に放り込んでいるのですが、かのガルシア=マルケスも作家の価値は捨てた原稿の量に比例すると仰っていますが、あんまりにも厳しすぎて、大傑作の「コマドレス坂」なんかも奥さんが必死に止めなければ捨てられていたそうです。ここら辺カフカとブロートの関係に似ていますね」
「わたしはそんなストイックになれない……」
「まあまあ、作家になるわけじゃないんですからそこまで真似する必要もないですが、心構えとしてはいいことでしょうね」
「ふーん。まあ「羅生門」もなんか死のイメージみたいなのあるし、乾いた簡潔な文体? そう言うのもかっこよさげだし真似してみると意外となんとかなるのかな?」
「まあ、それは詩織さん次第ですが、つまみ読みするだけでもちょっとは違ってくるんじゃないですかね? ストーリーとしては「コマドレス坂」なんかでは、無法者の兄弟に町へ行ったときに兄を殺したのはおまえじゃないかと絡まれた語り部が、本当に急な暴力でその男の腹に長い革縫い用の針をブスリと刺して死んでいくのを眺めた後、虫の息の男の心臓にもう一撃針を刺して止めを刺した後、おまえの兄は町で恨みを買っていた男達にナイフで切り刻まれた。だから俺は殺していないと死体に向かって淡々と語り、そこら辺に死体を放り捨ててハゲワシが集っているのを見るところで終わったりするのですが、本当に淡々と人が死んでいきます。表題作の「燃える平原」も革命軍と政府軍の戦いの話でお互いに何度も殺し合った後、逃げた先で占領した村で、闘牛に見立てて牧場の人間を殺す見世物をしたり、列車を脱線させたら崖の下に転がっていって思ったより被害が大きくてドン引きした後、政府軍が今までになく本気で討伐に出て、一人また一人と死んでいき、リーダーもどっかで死んじゃったんじゃないのかなという話を、仲間の死体があちこちで杭に逆さ吊りにされて風化していくのを見ながら逃げていった語り部が、逃げた先での人攫いの門で捕まったけど、たまたま革命軍だとばれずに刑期を終えて出てたところに拐かしてレイプして親を殺した十四歳の娘が語り部の息子を連れて待っていたというような暴力と死の話なんですが、ルルフォ自身も滅多に笑わず、寡黙で、朴訥とした農家風の喋り方をする人だったようで、写真で見るとパリッとしたスーツに身を固めたダンディーなオジ様なんですが、作品の語り同様になんとも淡々とした話し方をする人だったそうです」
「へー超シブいじゃん! いいねぇ、その人の文体パク……まあ参考にしてみるよ! なんかここまで来たらカッコイイの書いて、あのサディストの鼻あかしてやりますよ!」
「やる気に溢れていて、いいと思います!」
「じゃあ栞がチョイスした話だけでもササッと読んでみるよ!」
栞は満足そうに頷いている。
「そういや栞のクラスだと創作の課題って出てないんだよね?」
「もしかしたら今後やることになるかもしれないですけれども、今のところはやっていないですね。学習指導要綱だかカリキュラムだかで決められていたら当然いつかはやることになるとは思うんですけれど……」
「……ちなみに栞だったらどんな話書く? お題は「羅生門」で……いや、パクったりするつもりはないよ! マジで! ただちょっと気になるなあって……」
うーんといいながら、ふわっふわっとした視線を虚ろに漂わせると「何というか私はぶっ飛んだ話が好きなんですよね。だからラテンアメリカの文学とか前衛文学が好きなんですが、だから詩織さんがいわれた頭のおかしい話っていう評価って結構な褒め言葉だと思うんですよね。いえ、本当に本心からいっているのですが。何度か話したことあったような気がしますけれど、北野武さんが若手の芸人にまずいうのが「一目でこいつは馬鹿だと思われる格好をしろ」というそうなんですけれど、これって創作においても確かにいえることなんじゃないかなと思うんですね」
「はあ……掴みが大事ってこと?」
「そうですね。思いっきり正気を疑われるぐらい激しい話の方が面白いと思うんです」
今度はわたしが腕を組みながら、うーんと唸る。
「じゃあ栞はどんな話にしたいの? なんかアイデアとかある?」
「結局既存の物語に何か足すということはマッシュアップ文学だと思うんですよね。例えば『高慢と偏見とゾンビ』とか『こころ・オブ・ザ・デッド』とかそういう娯楽作品に限らず何らかの要素を足した作品って最近の作品に限らず文学の歴史の中では結構あるんですが、そういう文脈でいくとそうですねぇ……」
「どんなんです?」
「例えば「羅生門」の下人が行方をくらましてから数百年……無軌道に成長を続け地球全体を覆うまでに成長した羅生門の中を記憶をなくした下人が彷徨する「サイバー・パンク・羅生門」……とかですかね? 自分のサイバネティクス化した体のパーツをメンテナンスするために死んだ不気味な進化を遂げた生物を食料として売る女の脳核ポッドを引っこ抜いて違法に売り飛ばす老婆が出てきたり……とか……」
「SFじゃん!」
「いやーSFとか本当にあんまり明るくないんで、思いつきだけでだらーっと語っちゃいましたけれど、インパクトはあるんじゃないかな……と」
「そのネタ頂いたわ!」
「詩織さん……」
「ごめん、嘘、嘘です! ハードボイルドな感じのわたしなりの「羅生門」お見せしますよ!」
栞はパチンと手を合わせてニッコリと笑みを浮かべると「はい! 是非読者第一号にしてくださいね!」といった。
「……いや、それはどうだろ……恥ずかしいし……なんか裸見られるみたいで……」
「んまっ!」
栞とたわいのないことをいいながらとりあえず、小学校以来の小説創作のためネタ帳をつけることにした。
まあ人生何でも経験かなと思った。
そして、なんとか、どうにかこうにかこの苦難をくぐり抜ける事だけを意識し始めたら若干気が萎えてきたけれど、まあ栞の手前頑張らざるを得ないなと思った。
今年、人生で最も長く図書室で過ごした一夏ももう終わる。
フアン・ルルフォは『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』だけ読めば物語小説はコンプリート出来るのでオススメです。
短いですし、重要な作家を攻略したいという向きにはちょうどいいかと思います。
昔は『燃える平原』は水声社から「書肆風の薔薇・叢書アンデスの風」というレーベルで単行本が出ていたのですが絶版になっていまして(所持しております)今は同じ翻訳者が手を入れたものが岩波文庫から廉価で出ています。
同じく岩波から『ペドロ・パラモ』もでていましたが一時期絶版になっておりましたが、比較的有名な作品なので定期的に一括重版されていますので、こちらもお気軽に廉価で手に入ります。
さて、何か突っ込み乾燥、雑談など何でもあればお気軽にメッセージ頂けると励みになります。
感想書くのは面倒くさいという向きには「いいね」ボタン押して頂けるとふふってなりますので気が向いたらよろしくお願いいたします。
今月はもう一度ぐらいは更新したいと思っています。
お暇な時間つぶしに何かないかなと言う場合にはよろしくお願いいたします。