115志賀直哉「小僧の神様」
体調不良起こしておりました。皆様お久しぶりです。
分厚い本紹介計画がちょっと難しくなってきたので、合間に読んでいた薄い本でお茶濁します。
栞は反対したのだけれど、何の根拠もなく勝手に屋上にでてぼんやりと西の空を見上げていた。
勝手にとはいっても、屋上には鍵がかけられているし、時間になると自動で警備システムが入るとかで、職員用玄関を通らないといけないとかなんだかややこしいルールがあるようだけれど、司書の先生にこっそりおねだりしたら「青春しな」と小粋な一言をもらって、だんだんの日の暮れるのが早くなってきた夜の空を見上げていた。
一時間ほど前にひどく雨が降っていたのだけれど、あっという間に校庭に大きな水たまりを作ったかと思ったら、すぐに止んでしまった。
ややぬるまって、なんとなく緑の香りのする風が鼻をくすぐる。
栞はムシムシするといった様子で、しきりにブラウスをパタパタとさせている。
なんとなく不思議と甘いような香りが漂ってくるのが心地よかった。
「そういえばさ、授業でちょろっとやっただけだけど凄いあだ名の作家見つけたわー」
「なんですか唐突に。まあセンセーショナルな渾名つけられている人はわりといるとは思いますけれど……」
「その名もなんと『小説の神様』だってさ。神様は凄いよね。あれ、瓢箪の目利きができる少年がお父さんに、くだらないもんにはまりやがってっていって全部壊されちゃうあれ」
「ああ、志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』ですね。あの話は短いのに本当によくまとまっていますよね。志賀直哉も明治の男なので父親からは『小説家なんてもんになっどうなるんだビ!』って怒られて、他にも結婚するときに奥さんが子連れの未亡人だということで気に入らなくて絶縁されちゃうんですよね。大分長いことたってから急に和解するそうなんですけれど、まああの時代の小説家なんていうのは今でもそうかもしれませんけれどヤクザな商売というか暇人の余暇みたいな受け取り方されていましたからね。その自分をわかってくれない父親と、芸術に確かな目を持った少年とを自分に重ねて書いた作品ですよ。短くて面白いですね。詩織さんの好きなタイプの作品ですね」
そういった栞と顔を見合わせて、あははと笑い合った。
急に暗くなってきたので目が暗闇に追いつかなくて、なんとなく顔の輪郭しかわからない。
「でもさ、神様だよ神様! いろんな文豪とか教えてもらったけれど『小説の神様』なんていわれている人は初めて聞きましたよワタシは!」
「あー、あれはですね。志賀直哉の無駄がなくて描写の鋭い文体を表しているんですが、元ネタとして『小僧の神様』という作品を書いていたのでそのもじりなんですよね」
「ゴッド・オブ・コゾー?」
「なんですかそれ」
そういって、半ばあきれが混ざった様子で指を口元にあてて、くつくつと笑っている。
「それでその……『小僧の神様』というのはわたし向きな話なの?」
「詩織さん向きというと……」
と、一瞬小首をかしげた後すぐに「ああ!」と合点がいったようで「岩波文庫で言うと二〇ページもないはずですね!」
「やったー短い!」
「まあ短編のいいところは短いところだとは思いますけれど、たまにはですね、大長編に挑むのも……」
「あっ……すいません。とりあえずどんな話なの? 神の小僧が出てくるの?」
栞は「あー」といって頭を揺らした。
「確かにちょっとわかりづらい日本語かもしれないですね。この話の場合は「秤屋に奉公している小僧さんにとっての神様」という話です」
「なるほど、ニホンゴムツカシイネ」
「短い話なんで、読んでもらうのが一番早いんですが、図書室にもおいてあるはずですからちょっととってきてみますか?」
「あ、今はいいや、それよりもうちょっとだけここにいようよ」
「まあいいですけれど、ちょっとムシムシするというか……」
「まあまあ」
そういって宥めたがなんとなく納得のいっていない様子ではあった。
「ぱぱっとお話紹介していただくとどんな感じになるんでございましょうか?」
「えーと秤屋なんで、重量計ですね。これを商っているお店の小僧さんが主人公な訳ですが、あるとき番頭さんと若い番頭さんが、どこぞの寿司屋がうまいぞなんて話をしながら、ここにできたお店がなかなかのものだから今度行ってみようと話をしているのを聞いて、早く自分もそういう身分になりたいもんだなと考えているわけです。で、お使いに出されたときには往復の電車賃をもらっていたのを毎回帰りは歩いて帰ってお小遣いを貯めているんです。あるとき屋台の寿司屋を見かけて、ふらっと立ち寄って、なんとか一貫だけでも食べたいと思って、店先においてあったお寿司を手に取るわけですね。で、親父さんから六銭だよと言われるのだけれど持ち合わせは四銭しかなかったので元に戻すんですね。一度手をつけたものを商品にするわけにはいかないからって親父さんがひょいぱくと食べるのですけれど、このときお店に二人の貴族院議員がいたわけなんですね。このうち一人が後日たまたま小僧のいる秤屋に立ち寄ったときに、ちょっとお寿司を腹一杯食わせてやりたいなと思って、タイミングよく小僧さんを連れ出して、たまたま番頭さんの話にあったお寿司屋さんへ放り込む訳なんですね。で、結構な金額を預かっていたらしくて、小僧さんが三人前も食べたのに、まだ預かり金があるから来てくれないと困るよといって送り出されるんですが、タイミングがいろいろとよすぎるので小僧さんにはあの人はきっと神様だったに違いないって勘違いをして、その後の二人の心情の変化が少しだけ書かれて終わりというみじかーいはなしです。なんかいつものことですが頭から終わりまでいっちゃいましたね」
「うんうん。読む手間がはぶ……」
「ちゃんと読みましょう」
「はい……」
速攻でインターセプトされた。
「まあ、この話の面白いところは最後の数行なんですが、大どんでん返しというわけでもないのですけれど、えーそんなのありなの? みたいな終わり方をしますねぇー」
「あら。教えてくれてもいいじゃない」
「駄目です。詩織さん好みの短い話なんですからちゃんと読んでください! あーでもあの頃の人にしてはかなり長生きで、まだ青空文庫には志賀直哉作品って入ってないんですよね。亡くなったのも一九七一年とかだったんですよね。三島由紀夫とかもTPPの発効でギリギリ青空入り逃しちゃっったんですよね。やっぱり図書室に行ってみましょうよ。なんだかムシムシしてブラウスが肌にピターってくっつくような感じがしてちょっと気持ち悪いというか……」
「えーもうちょっとだけここにいようよ。風が出てきて割と気持ちいいじゃん!」
「まあ確かに風が出てきて、涼しくはなってきているとは思いますけれども……」
わたしは胸ポケットからスマホを取り出して時間を見る。
ああ、そろそろかな。
「栞、あっちの方見てみて」
そういって西の空を指さす。
「なんですかもう……」
そうなんとなくプツプツと文句をいいつつわたしの指さした先に二人して視線を投げやると、その瞬間。
ヒューと風を切る音がしてパッと空が白く赤く明るく染まった。
そして何秒かしてからドーンという夏らしい音が聞こえ、そしてパラパラパラと何か空を焦がすような音が響いた。
「わあー」
栞の顔を横からのぞき込むと、眼鏡に花火が反射してキラキラと光っている。
どうにかしてその瞳をのぞき込もうとしたら、ふと我に返った栞がわたしの方に目をやり「この花火が見たいからわざわざここに陣取っていたんですね」といって朗らかに笑った。
わたしは、この不自然な体勢について突っ込みを食らうかと思ったけれど、次々とポンポン上がるスターマインに気をとられているらしく、眼鏡をきらめかせながら、体の前面を白く闇の中に映し出していた。
わたしはその姿をみてなんだか非常に好ましく思い、次第に暗さを増す闇の中で栞の瞳が光っているであろうあたりをみてぼんやりと夏だなあと思った。
「ん。どうしたんですか? 花火見ないんですか?」
こちらの視線に気づいた栞が不思議そうに声をかけてくるので、なんとなく催眠術にかけられたようにトロンとした気分になって、体育座りのまま栞の肩に肩を寄せて。
「いやーアツはナツいですなー! がはは!」
などと古くさいギャグを飛ばしたら、あきれたような笑いが聞こえてきた。
栞とこうしていられるのは、本の神様のおかげなのかなとぼんやりと思った。
次第に周囲は暗さを増して、蝉の鳴き声が聞こえてくるなか花火の打ち上がり炸裂する音だけが聞こえている。
あー最高に夏って感じ!
寡作な作家な上に休筆していた時期も長く、また人間的にも面白い人なのですが、そこら辺まで入れると長くなりすぎるので、今回は短くしました。
一応3000文字以上を目安にしているのですが、最近6000文字以上になることも多く、何文字ぐらいが読みやすいのかちょっと不安なところではありますが、まあ好きなように書きつつ皆様のご機嫌伺いたいと思います。
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