112魯迅『彷徨』
魯迅は激動の時代を歩んだ人なので、概略を示すだけでも無駄に長くなってしまい、また面白い小話もいっぱいあるので、あんまりにも欲張って詰めてしまうともっと無駄に長くなってしまうということで、やや中途半端ではありますが、この長さになってしまいました。
魯迅はほぼ短編専門作家と言っていいのでどの作品もお手軽に読めます。
中学校の教科書で読んだ「故郷」が面白かったという方は、是非最新の訳で(教科書に採択されている訳はやや意訳が過ぎる層ですので……)お手に取ってみてください。
「恋がしたい……熱烈な恋……」
「んま! 突然何を言い出すんですか!」
「いやさ、わたしたちだって花のジョシコーセーなんだからさ、恋バナとかしようぜー! したいです! しましょう!」
栞がとんでもない何か異質な生き物を見る目でこちらを見てくる。
そんなにアレな話だったかしらん?
まあ唐突ではあるとは思うけれど……。
「じゃあさ。栞の方に話寄せるけれど、なんか理想の愛みたいな話しない? ブンガクの強みみたいなのあるでしょ? そーいうのさ!」
「うーん……まあ……」と両の拳をこめかみに当ててグリグリしつつ「『愛』という話題ですぐに思い浮かぶ話というとガルシア=マルケスの『百年の孤独』が、とにかくオールタイムベストなんですけれど、まあそういう話が求められている場面ではなさそうだと言うことは分かるのですよね……うーん」といってなんともいえない味わいのする苦悶ともなんともいえない表情でギギギと唸っているので、なんだか悪い気がしてきて「そんなにガチで悩まなくてもいいよ!」といって肩を揺する。
「あ、閃いた!」
急に抱え込んでいた頭をあげると、なんだかさっぱりとした表情でこちらに視線を向けてくる。
なんだかピュアピュアな感じの表情なので、どういう感情か自分でも分からないけれど、ドキリとさせられた。
「魯迅は読んだことありますよね? 中国の作家の魯迅」
「えーと……チャーの人だっけ? ルントウとルンちゃんだったかそんな……」
「大分うろ覚えっぽいですけれど、それは中学校の教科書に載っていた『故郷』ですね。大体チャーという生き物の実在性についての話題に話が収束するという、あの!」
「あー……チャーっていないんだっけ? なんかそんな話先生がしてた気がする……」
「獣偏に査と書いてチャーというんですが、ロシア語に翻訳される時に、翻訳者が魯迅の友人伝いに『なにこの生き物?』って質問したら『なんか地元でチャーって発音する瓜を食べる獣がいたけれど、正直よく分からないというか〈犭査〉って文字自体が発音に併せた造字だしなあ』といわれて、初期の日本語訳では、実在しないからという理由で描写がまるごとカットされたりもしたんですけれど、今では中国でも最近まで絶滅していたと思われていたアジアハナグマかなんかじゃないかな? といわれています。まあ、魯迅の芸術を尊重するならそういう正体探しは野暮だみたいな話もあるようですが……ちょっとヘッセの『少年の日の思い出』のクジャクヤママユの同定の話にも似ていますね」
「えー作者自身がもうあやふやだった之それ……ってか『故郷』って恋愛話だったっけ?」
「あーいえいえ。『故郷』ではなくて『彷徨』という魯迅の第二短編集に掲載されている『傷逝』という作品で、最新の翻訳だと『愛と死』というタイトルがつけられていますね」
「『愛と死』かぁーいいじゃん! でもなんか重くないそれ?」
「魯迅は一八八一年生まれで一九三六年没なんで十九世紀的価値観も強い人ではあるのですが、この作品は二十世紀初頭が舞台だと思われるのですが、出てくる男女は今見てもなかなか先進的なんじゃないかと思われます」
「いいんじゃないそーいうのさ。短編集って事は短いんでしょ? 短いんだったらわたしも手に取りやすいしいいかもー」
「魯迅の『阿Q正伝』は流石にご存じだと思いますけれど、これが短編と中編の間ぐらいの長さで、魯迅の作品としては一番長いので、自動的に他の作品は短編だけということになりますね。『彷徨』は全部で十一の短編からなるのですが、主題はそれぞれかなり違うのですが、男性と女性の関係みたいな事を書いていますね」
「魯迅ってチャーの人としかイメージないけれど割と色々書いてる人なのかぁ」
「ですです。まあ人物も面白くて母親も当時珍しく文字が読める知的エリート層だったのですが祖父が科挙で賄賂を使ったとかで七年間も投獄され、父親も亡くなりと見る間に困窮していきます」
「科挙ってまだ残ってた時代なんだ……」
「一九〇四年に廃止されたはずですけれどそれまで一三〇〇年間形を変えつつ残っていましたね。まあ現代の中国もエリートコースを進もうとすると強烈な受験地獄見たいですが……」
「コワー」
「ま、そんなこんなで困窮するのですが、幼少よりエリート教育を受けていたので四書五経になじみ、国費で入れる軍学校でドイツ語を納め、そのあと医学を学ぶために日本の仙台医専、今でいう所の東北大学ですかね。ここで二年間医学を学びますが、日本はあまり水があわなかったようで、藤野厳九郎教授という信じられないくらいの熱量を持って魯迅の勉強を見てくれた先生と出会い、作家として中国第一等の名声を得た後に藤野先生の思い出の回想記を書いたりして、何とか藤野教授から連絡が来ないものかと気を揉んだりしたらしいのですが、藤野教授は魯迅の死後も長生きしたのですが、亡くなるまで名乗らず、周囲にも口止めしていたそうです。日本人で親しくなったのはこの藤野先生だけで、最も尊敬する人の一人として度々言及していたそうですが、魯迅が中国人がロシアのスパイとして日本人に処刑される中国人の記録映画を見たときに、周りの中国人がもっと派手に処刑しろと沸き立っていたのを見て、国を変えるには医学ではなく文学しかないと思い立って医師の道を投げたのが一つのポイントなのかも知れないですね」
「そんないい人なんだその先生……」
「そんないい人です。ま、脇道に逸れすぎるので駆け足で行きますが、魯迅はその頃から各国文学を中国語に翻訳しては国に紹介していたのですが、あまり売れなくて、立ち上げた雑誌はすぐに廃刊になってしまいました。魯迅には弟が二人いて、その内真ん中の弟も協力していたのですが上手くいきませんでした。因みに魯迅はぜんそくの発作で若くして急死していますが、二人の弟はメッチャ長生きしています。一番下の弟は九十五とか当時としては中々ない天寿を全うしていますね。さて、もとに戻しましょう。この頃森鴎外の『舞姫』や芥川龍之介の『羅生門』をはじめとしていわゆる王朝物といわれる『今昔物語集』を翻案した小説を翻訳しつつもかなりの影響を受けたようです。当時微妙な関係にあった日本と中国の関係の中では常に中国側に立っていた魯迅ですが、文化的な影響は多大に受けていたというのが面白いですね。魯迅はお役人生活した後に、あちこちの大学の文学の先生を勤めるのですが、この間に葛飾北斎もビックリの一四〇以上もペンネームを使い分けているのですけれど、最終的には政治的亡命に近い形で愛人と共に上海に渡ります。魔都上海は当時文学の一大論争地でもあったため、魯迅はあちこちの敵対者と激しく論戦に身を投じますが、その頃には大作家となっていたため印税暮らしでマンションに移り住み、ハイヤーを乗り回して愛人と一緒にハリウッド映画を見て回る生活でした。まあそれから権力や政治闘争に上手いこと利用されて、毛沢東から英雄だといわれていたりと国民的作家になっていたので、もう安泰でした。そして先ほど言いましたとおり喘息の発作で亡くなります。長くなりましたが駆け足でいうとこんな感じです」
「ながっ!」
「若干申し訳ない」
「いいよ、許すよ……」
「で、恋バナですかねー『愛と死』ですが、今見ても結構先進的なカップルが登場するのですが、周りの反対を押し切って一つになるのですねー。文学について論じ合ったり、二人の間の秘密を一つ一つ取り除いていく所とかはちよっと憧れちゃいますね。特にイプセンの『人形の家』のヒロインが当時の呪縛から逃れて一人で生きていく所なんかを熱く語ったりするのですが、魯迅はこの作品について講演もしていますね。男は小役人として日々役所で事務にあたり、奥さんはあまり得意ではない料理を頑張って練習して、二人は愛を高め合います」
「でもなんか愛と〈死〉とかいってなかった……?」
机をトントンと控えめに叩きながら栞は頭をブンブン振る。
「そこなんですよー。小役人の給料は僅かなものなんで、男が一人で食べていくことは出来るけれど、専業主婦の奥さんがいるとなかなか辛い。でも二人は愛の力で耐える訳です。で、役者の上役から疎まれていた男は出世コースから外れてしまうのですが、元から海外文学の翻訳をしたり、上流階級の子弟の家庭教師で食っていこうと思っていたので、二人の愛があれば問題ないと突き進むのです。ですが、やはり先立つものがないと辛いワケですね……」
「金の切れ目は縁の切れめ……みたいな?」
「です。ヒロインは料理をすることに熱中して心許ない財政なのにご馳走をいっぱい作ります。さらに鶏と犬まで飼う訳ですね。男が何度も丁寧に説明するのですが、表面上は分かったというのですが、内心納得していないのです。次第に食べるものは大家の嫁に『みっともない痩せた犬』と嫌味を言われるのが我慢ならないという理由で、まず犬に餌をやった後、その残りを主人公に。その残りが鶏にとなるのですけれど、まあこれは我慢しました。役人に見切りを付けて翻訳の仕事に専心していた主人公は犬の鳴き声と鶏の鳴き声に悩まされます。さらに集中したいのに、ヒロインは決まった時間に食事を出します。主人公は翻訳の仕事は勤め人と違って規則正しい生活は出来ないと説得するのですが、ヒロインはやはり理解していない。そしてついに犬を遠くにいって埋めた後、ガリガリにやせた鶏も潰して食べてしまい、主人公は図書館に籠もり、殆ど焚かれていない石炭ストーブにあつりきながら翻訳作品を昵懇の編集長に送るのですが、もうこの頃には二人の仲は破綻していました」
「辛い展開が見えてきたぞ」
「で、翻訳作品は雑誌に掲載されるのですが僅かばかりの報酬もしつこく催促した後にやっと来て、しかも図書券二枚と僅かばかりの小銭。督促状の切手代ぐらいにしかならないような代金で買いたたかれるのですね。ここら辺は本当に冬の時代という感じです」
「ついに進退窮まっちゃうかあ」
「はい。時折優しさやかつての熱を求めて文学の話をしたり、生活について話を振ったりするのですが、全てが空虚。ついに主人公はヒロインに『もう君を愛してはいない』といってしまいます。そしてある日図書館から帰ると、ヒロインは絶縁状態だった父に連れ帰られてしまっており、伝言らしきものも殆どなく無感動に連れ帰られてしまったと、大家の嫁に言われます」
「愛と死ってことはそこで男が自殺しちゃうとかそんな?」
「いえ。そんなドラマチックでもなくって、仕事の斡旋をして貰いに男が裕福で顔の利く叔父の家を訪ねたときに『彼女は死んだ』と伝えられて、死因も何も分からず終わりです。叔父からも冷たくあしらわれ、仮に『もう愛してはいない』などといわずにいればもしかしたら……と苦悩して終わりです。オチまで話してしまいましたが、この話はそれでも魅力的な話です。二人の熱くロマンティックに過ぎる熱情の時代から春の見えない厳冬の時代までが丁寧にかつ簡素に纏められています。あれだけ愛し合っていても現実には敵わないという単純なオチでもないので、是非読んでいただきたいと思いますね。三十何ページぐらいだったと思いますし、すぐ読めちゃいますよ」
「へー『愛と死』かあー確かに一言で言うと単純な感じだけれど、愛から死に至る道筋は並々ならぬものがあるのかもねー。それより栞さあ……」
「はい?」
「その話選んだのって、二人でアツく文学語りしているからでしょ?」
「えっえっとー……」
栞はなんだか急に恥ずかしそうにモジモジとして顔を赤らめる。
「ほらやっぱり! ブンガク青年みたいなのが憧れなんでしょ? フフッ青い……青いな栞クンは……」
なんだかモジモジとしつつ両手を合わせて指をグジグジと弄りながらも絞り出すように「でも私には文学の話に付き合ってくれる詩織さんがいるから。まだそういうのは早いかなって……」と苦しげにいう。
わたしは思わず「んま!」と声をあげてしまった。
「私には詩織さんがいますから……。まだ二人の愛は死んでいないのです……それどころか私としてはまだ今の関係だけではまだ始まってもいないというか、満足していないというか……。もっと熱かった時期の彼らのように二人の秘密を一つずつ剥ぎ取っていくような、そんな魔法みたいな時間を過ごしたいというか……」
「んまっ! んまっ!」
わたしはバカみたいに、うっうとうめき声を上げて、なんだか栞以上に恥ずかしくなり、顔が紅潮していくのが分かった。
長くなりすぎたので後書きではあまり付け足すこともないのですが、古代の伝説に範をとった小説も書いており、そこでは殷や周の時代の話なのに現代の言葉遣いや、現代(一九二〇~三〇年代)の食べ物や道具がたくさん登場するというなんだか不思議な話となっています。
こちらもなかなか面白いのでご興味があればお読みください。
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ではまた次回。