111ジョン・グレゴリー・ボーク『スカトロジー大全』
尾籠な話です。
長くなりすぎたのと下品になりすぎた話は大分削除しました。
昨日更新するはずが結局手直ししていたら遅くなりすぎました、ダメですね本当に。
そんな話です。
※7/26(火)
→800字ほど本文に追記
栞のお部屋で女子会である。
女子会といっても、まあ栞とすることなんで単なる「読書会」の様相を呈しているが、図書室と違って、こちらでは飲食自由なので、そこら辺はやっぱりありがたい。
本を読んだり頭を使ったりするとやっぱりお腹が減るもんだ。
わたしは栞が淹れてくれた、キンキンに冷えたアイスコーヒーを、キンキンに冷えた部屋の中で、崇高な文学の本ではなくて数学の教科書の前で飲んでいる。
甘い方が好きなので、わたしはシロップとミルクはマシマシでいれるけれど、栞はブラックで飲んでいる。
「あっそうだ。甘いものでもいかがですか?」
栞が、今気付いたという感じで提案する。
わたしは甘いものには中々目がない方なのでありがたく提案を受ける。
栞が、自分の机の上に置いてあった菓子盆を持ってくると、皿の上に何か黒くて艶があるなんだかコロコロしたものが載っている。
栞はその黒いコロコロしたものを手に取る、ドライフルーツか何かだろうか?
ぱっくりとその黒いものを二つに割ると中から種かなんかを取り出して、ぺっと菓子盆の端っこの方に捨てて、ひょいパクッと口に放り込む。
「デーツ、甘いデーツ! 美味しいデーツ!」
「なにいってんスか栞さん?」
「デーツって聞いたことないですか? ナツメヤシの実なんですけれど」
気になったのはそこではないんだけれど、まあいいや。
「デーツってなんかダイエットにいいとかいうスーパー・フードだっけ?」
「ですです。美味しいですよ!」
「わたし、ドライフルーツとかあんまり得意じゃないんだけれどなあ……。まあダイエットにいいんだったら食べてみるかな」
手に取ると、意外とふにゃっとして柔らかい。
栞がやってた様にぱっくりと割ると、種が入っている。
種をペッととりだして、ひょいと口の中に入れると、強烈に甘い!
「甘い! 甘いデーツ!」
「美味しいでしょ?」
「うん。なんか黒糖餡子って感じの味がする。あー干し柿っぽい風味もあるかもー」
「お好み焼きとかのオタフク・ソースの甘さの正体がデーツですね。デーツの原産地の中東の方で和食ブーム起きたときに、ひのソースはデーツ使っているんですよっていったら、あちらの方もデーツ大好きなんで、大ウケしたらしいですね。美味しいデーツ!」
わたしたちはしばし無言でデーツを食べ続ける。
なんだかとにかく後を引く味である。
「ダイエットにいいんでしょ? こんなに甘いのに食べても太らないんなら偉いよなあー」
「いえ……食物繊維が豊富だったり、低GI食品というだけで、食べ過ぎれば太ると思います……」
「そんな……」
「まあ、日常的に食べ過ぎなければいいんじゃないでしょうか。食物繊維豊富だしお通じがよくなるのは間違いないようですからね。ダイエットに適しているというのは本当だと思いますよ。私は食べてもなかなか太らない方なんでそこまで気にはしてないのですが」
栞の何気なくはなった言葉の刃が胸にグサリと刺さる「んま! わたしは食べたら食べた分だけ太るというのに栞はさ……。それはそれはよろしゅおすなあ」といって、無意識に手を伸ばしていたデーツから手を引く。
「なんで京都人の嫌味風なんですか」
「クラスでわたし、最近むちむちしてきたとかいわれているというのに、そのわたしに対してなんと心ない言葉を……!」
「えー。詩織さん別に太ってないじゃないですか。むしろ私みたいに貧相な感じじゃなくて、スタイルよくて羨ましいですよ」
「栞のは貧相じゃなくて、線の細い繊細な感じっていうのよ……深窓の令嬢っていうかさ……。それに比べてむちむちって……むちむちてアンタ」
栞は困ったような顔をして「デーツ下げますか……」というので、私は「ちょっと待った」といって一掴み取る。
「んま!」
「いや、食物繊維豊富ならお通じよくなるだろうし、多少のことなら……ネ!」
「まあそうですね、デーツにも千種類以上品種があって、ファード、クナイジ、カラース、クドゥリ、マジョールとかまあいっぱいあるんですが、全部結構味が違うので食べ比べとかしたいなと思ったんですが、またの機会にしますか……」
「まあ、そこまで食べると本格的にむちむちになってしまう気がするからまた今度にしますか……。でもアレね。下品な話ですが、最近お通じあまりよろしくないので食物繊維摂取できるのはいい感じかな……」
「まあ、便は本当に人体に毒ですからね。でも昔の文献紐解くと、肥料以外にも色々な利用法あったみたいですね」
「肥料以外に何があるの? ウグイスのうんち化粧品にしているのって何かどこかで聞いたことあるけれど……」
栞は立ち上がると本棚から一冊の本を取り出してきた。
「はい。これが今日の面白愉快ブックのジョン・グレゴリー・ボーク『スカトロジー大全』です!」
「スカト……んま! んま!」
栞の口からとんでもない言葉が飛び出した。
これはちょっとした事件である。
「別に変な意味合いじゃないですよ。スカトロジーは日本語で言うと糞便学といって立派な学問の一分野ですよ。家畜を扱う農学方面とか公衆衛生学とか都市設計とか多方面で扱われていますね」
「つまりうんちとかおしっこの科学みたいな本なの?」
「いえ。この本はジョン・グレゴリー・ボークというアメリカの軍人でアマチュアの文化人類学者が小さな出版所から一八九一年に出した『各国の糞尿の祭式』という本が大本になっています。出版されてから別な人の手によって大幅に増補改訂されたものをこの本の著者のルイス・P・カプランが大幅にカットしたうえで挿話の並び替えを行って、より一般向けにした本ですね。文化人類学の本ですねー」
「奇書過ぎる……」
「でもこの本結構評価されていたらしくて、あの精神分析で有名なジークムント・フロイトが増補改訂版に序文を寄せていますね。肛門期について語っていた所からの縁らしいですが……」
「フロイトってあの、夢で見たこと何でもおちんちんにする人?」
「んま! はれんち!」
「あっ、そこは引っかかるのね……」
「ま、とにかく中を見てみますと古今東西の糞便屎尿に関する儀式の話がいっぱい載っていてかなり奇妙な本ではありますね。排泄物と生命の付き合いっていうのは、生命の起源から現代まで一切途切れることなく続いている関係なので中々興味深くはあります」
腕を組んで「うーん?」と唸る。
どうにもこうにも唐突な上に妙に壮大な話しすぎて理解が追いつかない。
「んじゃ、まあどんな話なのか教えてくださいよ」
栞は本を開いてパラパラとめくる。
「そうですね。排泄物に関する話になる限り、殆どの人が嫌悪感を覚えるのは無理からぬ事なんですが、人の糞便というのは人間が摂取した食べ物の内で、消化できなかったもの、消化管から剥がれ落ちた細胞、そして腸管に住む細菌の集まりと水分で構成されているんですよね。人類はある時点では燃料や肥料にするために、人や家畜の排泄物を身近に置き、ある程度文明が発達した時点で、衛生の問題から遠くに置くようになりました。身近においている例だと、海外特番とかでアフリカやその他の地域で牛糞で家の壁を塗っている所見たことないですか?」
「あー確かにそれはある」
「現代でも形を変えて、インドネシアなんかでは牛糞を煉瓦にする会社があるようですが、これについては文化人類学や民俗学という観点から外れるので今回は飛ばしましょう」
文化人類学という学問がなんなのかはよく分からなかったけれど、まあそういうもんだと納得することにした。
「まずは、糞便を食べることについてですかね」
「いきなりレベルの高いの来たな……」
「まあ通常では異食症という精神疾患の一種で、自分の糞尿を食べてしまう患者がいたりする他、幼児期に寝ている間に漏らしてしまって、それを隠すために食べてしまった子供の話なんかが載っています。味については『臭くてほのかに甘かった』そうです。割と胆汁の味がするので苦いなんて話は聞いたことありますけれど意外ですね。食べたものによって大分左右されるそうではありますけれど……」
「もううんちの味をそれだけの人が知っているということが狂気だわ」
「十九世紀間末のパリでのコレラ蔓延に関するリポートでは、地元で有名なパン屋がパンや焼き菓子が美味しいんだけれど、悪臭が凄いと近所からクレームが殺到してパン屋に調査に入った所、パン屋の使う水と、地域の下水槽が殆ど密着した状態にあり、糞便の混ざった水で商品を作っていたそうで、これについて、汚水を使うことが美味しさの秘訣だったなんて陳述していたそうです。ちょっと話はズレますがイギリスでは一九世紀の丁度真ん中頃に下水が整備されて、窓から家で貯めた糞尿を窓から放り捨てるという最悪な行為が止むのですけれど……」
「マジで最悪な話来たな」
「まあまあ。ハイヒールってこのとき街の通りを歩いていてうんちとの接点を限りなく少なくするために産まれたそうですが、まあ話を戻します。下水が出来たおかげで、街の通りからは糞便が消え去ったのですが、これと時を同じくして大規模なコレラが流行したんですね。そこで調査を命じられたのがジョン・スノーという医師で、コレラの患者をマッピングしていったら下水の導線に沿って、下流に行くほどコレラ患者が増えるということを発見し、浄水として使われていた井戸の把手を全部外して回ったそうです。パスツールやコッホが病原菌という概念を打ち立てる以前に行った偉業で、これを持ってしてスノーは疫学の父と呼ばれるようになったそうです。病気と微生物の関係がハッキリとする頃になってようやく上水道と下水道が別れることになったのですが、大都市の人間の糞尿を流せるほどの強力な下水道を作れなかったことが原因で。これは現代でも牧畜の大規模集積化に伴う、屎尿の処理インフラの追いつかなさという所で大問題になっていますね。一九六〇年代の日本でも『屎尿の行方』なんていって、追いつかない屎尿といかに格闘したかの記録があります」
「現代日本に生まれてよかったわ……」
「まあ本の内容は多岐にわたっていて、悪魔払いに糞尿が使われていたとか、ダライ・ラマの大便を乾燥させたものが薬として珍重され、国賓へのプレゼントになっていたり、貰ったヨーロッパからの人が、我々にそういう習慣はないといって薬として使うのをやんわりと断っていたりとか、まあ興味を惹かれる話はいっぱいあるのですが、ちょっと話が散漫になりすぎるので、食物と排泄物というポイントに絞って色々と考えてみましょうか」
「よりによってそこ!?」
「カリフォルニアの先住民族はピタハヤという巨大なサボテンを食用にするそうなんですが、そのあと排泄された糞を水にさらして、得られた種をご馳走だといって食べたり、バッファローの糞を煮てその未消化物を食べたりしていた所を宣教師が報告しているのですが、これって一概に尾籠なだけの話ともいえなくて、食料をどんな所からでも得ようとするという話と被せるとまた違った一面が現れます」
「本当にぃー?」
「はい。糞虫と呼ばれる虫はご存じですかね。エジプトのスカラベというかフンコロガシですね。主に動物の糞を食べる虫は南極以外の大陸の全てに存在するといいます」
「あーうん。そういって貰えると知ってるわフンコロガシ」
「彼らは決まった動物の糞を食料にするのですが、これらの虫がいなくなったとすると分解するものがいなくなって、世の中はあっという間に糞だらけになります。うんちを食べるというのは現代の人間には中々理解しがたいものですけれど、江戸時代には長屋の共同便所の肥を汲み取って、発酵させて野菜を育てていたのはご存じだと思います。江戸時代初期には汲み取りと野菜の交換だったのが、江戸時代も後期に入り人口が増えると野菜だけでなく銀も要求するようになります。従ってうんちから野菜にエネルギーや水分が姿を変えて人間の口に入っている訳ですよ」
「でもそれってむかーしの話でしょ? 令和のこの世で肥溜めがあるなんてよっぽどの田舎でも中々なくない? ほら、寄生虫とかいるっていうし……」
「大便を発酵させる菌は三種類に分別されるのですけれど、六十度前後の高温で発行をさせる菌と、人間の体温に近い四十度ぐらいまでの温度で発酵させる菌、そして二十五度前後で発酵を進める菌がいて、このうち六十度ぐらいで発酵させることで大方の寄生虫や、ウイルス、それから病原菌は死滅します。それに肥溜めで発酵させないと植物も上手く吸収できないんですよね。これは何も昭和の時代までの話ではなくって、令和のこの日本でも浄化施設から出る、バイオソリッドといわれる汚泥の処理物の内五〇パーセントほどが、昔通り畑に還元されています。残りは焼却されたり他の使い道にあてられたりですけれど、そう考えると糞便を食べている様なものなんですね。人糞ではなくとも家畜の糞は園芸センターにも撃っているじゃないですか。更に直接的な話になると、鶏の糞はリンを多く含むのですが、例えばヒツジやウシなどの反芻動物はセルロースを四つある胃の中で分解してタンパク質を合成するのですが、窒素とリンを多く含む鶏糞はそのままダイレクトにタンパク質の合成に使われるため、反芻動物に与えれば、より少ない飼料でもタンパク質を生産できるのです。まあヒツジで実験したら鶏糞のかかった飼料は激マズだったらしくて殆ど食べなかったそうですが……」
「ヒツジも難儀だな……」
「まあですね、栄養というかエネルギーの流動といった考え方をすると、糞に含まれたリンはATPというかたちでヒトを含めた動物の体内に広く存在しますし、タンパク質はさっき述べたとおりです。だから我々の体は糞尿で出来ているといってもあながち強弁しているという訳でもないのです」
「ベンだけに……」
「便だけに……」
本当かなあという考えは拭い去れないが、これだけ熱ベンしている栞もなかなか珍しい気がしてきた。
「それから二〇一一年には岡山にある環境アセスメントセンターの研究者である岡田満之という人が、下水汚泥から人工肉を作ったりしてちょっとした話題になったそうです」
「下水汚泥ってまさか……」
「はい。当然人糞も混ざった下水です。池田氏は下水汚泥からタンパク質を取りだして反応剤をくわえることにより、六割以上をタンパク質が占め、脂質はたったの三パーセントという低脂質なな人工肉を作り出しました。牛肉のような味がするそうで、これを『うんこバーガー』といって発表したのですが、まあネーミングがダイレクトすぎますし、高度な処理が必要なため、普通の肉の何十倍もお値段がするそうで、まあ技術サンプルとか考え方の問題として出したのではないですかね? でも牛肉に似た味って事は少なくとも一人は食べた人がいるんですね……。タンパク源は主に糞便中のバクテリアが元になっているそうです。だからまあウンコなめんじゃねーですよ! って事ですね」
「気持ち悪い気持ち悪い! ってかうんち舐めちゃダメだよ!」
「それから二〇〇七年のイグノーベル賞をとった山下麻由さんという当時二六歳の研究者の方が牛糞からバニリンを取り出すことに成功していますね。こうした若い女性が化学の分野で評価されるのはスカっとする事でありますね」
「ああ、スカッとってそういう……じゃなくて何そのバニリンって……」
「バニラビーンズの香成分ですよ、ほら、バニラエッセンスというか、バニラアイスとかプリンとかに入っている……まあウンコなめんじゃーですよ! という話ですね」
「キモイ! キモイ! だからそんなもの舐めちゃダメだって!」
「ま、そんな感じで糞便屎尿は様々な分野で利用することが出来る訳ですが、肥料というポイントに絞っても、環境とエネルギーや水分の移動ということを考えると複雑系とか色々持ち出さないといけないですし、人口密度や地域の特質なんかも凄く関わってくるうえ『スカトロジー大全』の内容からは既に大分かけ離れているのでここら辺にしておきますが最後に一つだけトリビアを」
「なんです?」
「中期英語で脂肪を生成した残りかすのクラップ、更に遡ると古期フランス語の残り滓という意味のクラッペ、これは中世ラテン語まで遡ることが出来て、考古学者が腸内で硬くなった便を指すコプロリスや、うんちの化石のコプロライトこれらをさしてスキャット、つまり糞と呼ぶのですが、インド・ヨーロッパ語族でいうこの〈skieー〉はラテン語の〈scientia〉つまり知識であり〈skio〉という知るという意味から転じて〈science〉つまりサイエンス、科学になるのですが、まあ他にも複合的に凄い幅広い使われ方をしているのですが『うんち』と『科学』の語源は一緒なんですねというお話で締めたいと思います……」
栞の話を拝聴し、一つ摘まんでいたデーツがなにかそれっぽく見えてきたのでそっと菓子盆に戻す……。
そして一言「お花を摘みに言ってきます」といって席を離れた。
なんかすごい意外なネツベンを聞かされた一日であった……。
このお話が「綺麗な世界」と言われたので、一度無茶苦茶に壊してやりたいという意思を持って書いたのですが、結局自分としては無難な話に落ち着いてしまいました。
まあ特に語ることはないので、次回はもっと早めに更新したいと思います……。
今回内容についてはスカトロジー大全』だけではなく、科学的知見の多くを『排泄物と文明』からとりましたのでそこだけはご了解を。
なんか中途半端になってしまいましたが、まあたまには変化球ということで一つ……。
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ではまた次回。
※7/26(火)
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