105マクシム・ゴーリキー「二十六人の男と一人の女」
昨日更新するつもりが、予定がずれてしまいました。
ゴーゴリとしょっちゅう間違えられることで有名なマクシム・ゴーリキーの傑作短編「二十六人の男と一人の女」です。
『どん底』等で有名ですが、有名な割に大して読まれていない気もする感じはあります。
大文豪という感じで無いですが、大変優れた作家であるのは間違いないので、一度読んでみて頂けたら嬉しくおもいます。
ゴーリキーというと剛力という感じで強そうですね。
「あら、ごきげんよう栞さん。今日も暑いですわね。わたくしも汗が噴き上がってしまいましてよ」
机に本を積み上げている栞がギョッとした目を向けてくる。
「えっ、何ですか。怖い?」
「あら、怖いだなんて心外ですわ! それより背骨が曲がっていましてよ?」
「えっ! 怖い怖い! 背骨は普通湾曲していますよ」
栞が何かとんでもないものを見る目で、わたしの目の中を深い井戸でも覗き込むような色を湛えてジッと震える視線を向けてくるので、なんだかつまらなくなって、腕を頭の後ろに組んで、小石か何か蹴るようなそぶりを見せた。
「ちぇーつまんないの。栞も乗っかってきてよ」
「そんな椅子の中に人間が入っていると分かっているのに、そこに座ってって言われるような恐ろしい何かには乗っかれませんよ……で何なんですか本当に!」
「いやね、最近さ。ネットとか見てたらお嬢様が流行っているっていうから、わたしもお嬢様になりたくて、わたしなりのお嬢様を見せつけて見ようと思ったのだけれどダメだった?」
栞は何か酷く哀しそうな表情で、首を左右に振る。
「そうか、ダメか……」
「駄目なようです……」
お嬢様の道は中々厳しいらしい。
「そもそもお嬢様って語尾に〈ですわ〉ってつければそれっぽくなるってものでもないような気が……あとよく言われていることですが、文字に落とし込むと関西のおじさんみたいに見えるし、どんな流行なんですか本当に」
「へぇーっ! 栞は良い所のお嬢だから、平民出身のわたしのお嬢様への憧れは分からんのよさ!」
「いや、私も別段お嬢様というわけでは……」
「んなぁこたぁないよ、マジで」
「マジですか」
「まあね、わたしも読書というかほらね、ブンガクを嗜むブンガク少女をもって自認する訳じゃないですか? だったらお嬢様仕草の一つや二つ出来ないといけないかなって」
「それは人生にとって重要なことなんですかね?」
なんだか知らないうちに、生き方の根本に関わる所を指摘されてしまい「ぐむぅ」と唸ってしまった。
多分本物のお嬢様は、間違っても「ぐむぅ」とかいわないと思う。
「まあ大切なことはいつも目に見えないってなんかで読んだ記憶があるし、いいじゃないのお嬢様に憧れてもさぁ」
「私はいつもの詩織さんの方が好ましいですが……」
「んじゃさ、なんかさっと読めてパッと楽しいお嬢様ブンガクみたいなのないの?」
拳でこめかみをグリグリとやりながら「うーん」と唸りだして、脳内を検索している様子である。
「あー。お嬢様というのとはちょっと違いますけれど、さっと読めてパッと楽しい短編なら丁度手元にありますよ」
「それそれ。そういうの頂戴!」
「これですね、比較的最近に久しぶりの翻訳が出たゴーリキーの短編なんですが『二十六人の男と一人の女』って作品なんですが、まあ十分か十五分ぐらいで読み終わりますかね。面白いですよ!」
「ゴーリキーって何だっけ? ポケモンのキャラだっけか?」
「恐らくですが、ポケモンは文章書かないと思います。ロシアからソビエト連邦時代に掛けての作家ですね。えーと『どん底』とか授業で聞きませんでした?」
「あー……いわれてみたら何か聞いたことあるかも。アレでしょ? プロレタリア文学とかそういう奴でしょ? わたしはこれでも詳しいんですよ! ほら、小林多喜二とかそういう、蟹ビームのあれとかそんな……」
「プロレタリア文学とはよく言われるイメージですが、ゴーリキーって実はロシア時代の話しか書いたことなくて、ソ連時代が舞台の話は一作も残していないので、確かに労働者の貧しい生活とかを描いていますけれど、プロレタリア文学とは少し違うんですよね。『母』なんて作品はプロレタリア文学の原型みたいに言われることはあるみたいですけれども」
「ビーム! 蟹ビーム!」
栞はわたしの事をガン無視して続ける。
「ゴーリキーはレーニンらの知見を得たりして、国際的にも大物と見なされるようになるのですが、ボリシェヴィキ批判なんかを繰り返したり、それでも何とか和解したりと忙しい人ですが、その頃『トルストイについて』という回想録を書いたりして、レーニンからペトログラードから追放され、その後もインテリ層の擁護や生活保護活動を活発に行っていたので。そのせいでまたレーニンからソ連からの国外退去を命じられて、西欧で亡命生活したりしますね。レーニンの死後にはお悔やみも述べているので、複雑な所はあるのでしょうけれども生誕六〇周年記念のときに帰国して、文学の大物として盛大に歓迎されるんですよね。その後生まれ故郷のニジニー・ノヴゴロド市がゴーリキー市に改名されるなど手厚く遇されて、なんとかかんとか帰国することになります。その後はソ連の代表的な作家として扱われ、死亡後はクレムリンの壁に遺灰が納められるという国葬扱いになっていますね」
「はー波乱万丈ね」
「ここら辺のボリシェヴィキとかレーニンとかはもうややこしい関係なので世界史の授業よく聞いておきましょう」
「……はい。で、肝心の男と女がどうのって話はどうなのよ?」
「そうですね。筒井康隆の『短編小説講義』という岩波新書から出ている、一種のブックガイド的なものでも取り上げられているぐらいで、小説としてはゴーリキーの最高傑作に推す人も多いみたいですね。ゴーリキーの作品全体にいえることですが、実体験を元にした作品が殆どなんですよね」
「へー。そんな傑作なの?」
「ええ、家具職人の息子に産まれるのですが、父は早世し母も結核で亡くなり、裕福な商人だった祖父の元で高等教育をバッチリうけて読み書きが出来るようになるのですが、十歳の時にお祖父さんが破産してしまい、路頭に迷ったあげくロシア各地を転々として働くのですね。でも文学に対する熱い情熱は持ち続けていて極貧生活の中でも何とかして本をかき集めていて読んでいたようです。自分で書くようになってからはあっという間に認められて、最初の短編集はいきなり十万部も売れたそうですね。またとんでもない記憶力をしていて、全ての作品のメモに、これは何年のどこそこで起きた話と書いていました。研究者にはありがたい人ですね。あ、因みにゴーリキーというのはペンネームで本名は確かアレクセイ・マクシモーヴィチ・ペシコフですね」
「貧乏生活が芸の肥やしになったって事なん?」
「ことなんですねぇ。では『二十六人の男と一人の女』は、まあ短い話なんで読んでいただいた方が早いんですけれども……」
「読みたくなる追加情報クレクレ」
しょうがないなあというような顔をして溜息をつくけれども、話を続けてくれる。
栞のそういう所大好き……。
「では筒井康隆の感想元に話しますが、半地下のパン工房で巻パンを延々と焼き続けている二十六人の男達がいるんですが、なんかもう彼らは全員合わせて一つの生き物みたいになっているのですが、ここに同じ雇い主に雇われた、綺麗な少女が毎日巻パンをねだりに来るんですが、これが男達の唯一の光なんですね。男達よりは良い生活しているようで、身分の低い立場ではあるものの、彼らから見ればお嬢様ではあるかも知れないですね」
「それそれ、お嬢様いいね! お嬢様文学!」
「で、ここから先はいっちゃうとネタバレになるので軽く流しますけれど、巻パン……まあイメージしやすくいうと黒パンですが、こちらよりずっとお高い白パンを焼いている職人達がいて、こちらは待遇もずっと良いんで、お互いに反目しあって口も聞かないんですが、白パン焼きの新人で兵隊上がりのマッチョな伊達男が入ってくるんですよ。伊達男は黒パン焼き達にも、少女以外では唯一気さくに声を掛けるんで、まあ良い感じの付き合いになるんですが、自分が如何にモテるかを語る訳ですよ。で、男達と伊達男はあの無垢な少女を果たして一週間で落とせるか? というしょうもない賭けをするんですが、さてどうなるか……と、いうお話です。ここまで来るともう最後まで話しちゃったようなもんですけれど、この話もゴーリキーの体験が元になっていて、待遇が酷い黒パン焼き達は、パン職人ではなくて、ゴーリキーと同じ農村流れの素人集団なので、待遇も本当に奴隷契約みたいなもんだったそうですね。ここら辺のツボ押さえておくと楽しめるかな……と」
「いいじゃない、いいじゃない! お嬢様を廻る恋の争奪戦みたいな!? しかもすぐ読み終わるんでしょ? そういうの待っていたのですわ!」
栞が呆れた顔をして「ですわ。はやめましょうよー」と、弱々しい抗議の声を上げる。
「あら? そんなに怒っては、かわいいお顔が台無しですことよ?」
栞は頭を掻きながら、小声で「それは本当にお嬢様であってるのかな?」等という、正論この上ない意見を呟いたので聞こえないふりをしておく。
「まあ、お嬢様ではないかも知れないですが、登場する女の子は、とりあえずお嬢さんぐらいの立場なのは間違いないんですが、とりあえず結末まで読んで貰えると、おっ! ってなるような感じの話ではありますね」
「女子力はもう古いわね……お嬢様力を磨くしかないですわ……」
そんなわたしの決意を無視して「まあゴーリキーは自然描写が非常に優れていて、日本でも言文一致運動なんかの時代と相まって、凄く流行るんですね。ただ大文豪という訳でもないようで、新しい翻訳は大分長いこと出てなくて、最近たまたまポツポツとでたって感じみたいです。ソ連は文学・教養科目も重要視していて、指定図書みたいな作品もあって、ゴーリキーはそこで必修になっているようですが、現代のロシアでもそれは続いていて、一応は読まれているのですけれど、必読文献として『どん底』それから『母』は読まされるけれども、人気は大してないようです。残念」
「あー……あんまり人気ないのか……」
「まあソヴィエト時代に持ち上げられすぎてその反動で人気は落ち目のようですけれど、最近少しだけリバイバルブームが起きているようです。ほんの少しですが……。あと追加情報としては、ゴーリキーは凄いお茶目な人で、なんだかやたら楽しそうだけれど意味が一切分からない写真沢山残していますね。若い頃所属していた合唱団にいたシャリアピンという大歌手がいるのですが、終生の友人で、シャリアピンが猟銃をゴーリキーに向けている所をゴーリキーが傘で防御しているとか、箒で突っついている写真とか、仮装パーティーしている写真なんかがいっぱいあって中々和みます。苦しい時代の話ばかり書いて入るのですが、涙もろく、よく笑い、人と付き合うのが大好きな人で、友人達からは大変好かれていたようです。和みますね」
「あれ? シャリアピンってなんか聞いたことがある気がするけれど……ロシアの歌手なんて知る訳ないしなあ……どこで聞いたんだろ?」
栞の物真似で顎に人差し指をのせて、視線を空中に漂わせてみると、栞が嬉しそうに「なかなか良い所に気付きました!」と栞が指パッチンをする。
しかし指パッチンはスカッと不発に終わるけれど気にせず続ける。
栞ちゃん意外と肝が太いのかも……。
「シャリアピンは帝国ホテルに滞在していた事があって、その時歯を悪くして、かなりの量抜いちゃったのですけれど、どうしてもステーキが食べたいといって料理人に泣きついた所。牛肉を叩いて引き延ばしてタマネギ漬けにしたやわにかーいステーキをお出ししました」
「あっ! それテレビで見た! シャリアピン・ステーキでしょ!」
「せいかーい! はい詩織さんに三〇〇〇点!」
「やったー!」
「確か帝国ホテルで食べるとランチ価格で四五〇〇円とかだったはずです。大人になったら食べてみたいですね……」
「あー……好きなときにシャリアピン・ステーキ食べられたらそれはもうお嬢様で間違いないわね……」
その後、栞と帝国ホテルのお土産とか料理の価格調べて、人間の手が出る価格ではないという結論に至ったので、お嬢様というのはもう人間ではないのかも知れないと思った……。
いつかなりたいお嬢様である……。
はい、そういうわけでロシア文学でした。
やはり自分としては最近流行の「その他の文学」を紹介したいという欲もあるのですが、なんだかあまりいい感じに読書がはかどらず新ネタお披露目できていないのは忸怩たる思いはあります。
あまり一般的に知られていない作品より、太宰や芥川なんかのみんな知っている作品の方がいいのかなという気もしますが、バランス良くやっていければと考えてはおります。
とりあえず流行り物として来月発売する『三体』のスピンオフ『三体X』なんか買ってみましたがいつ頃読めるかな……。
今月はなんとかあと2回ぐらい更新したいと思っています。
あと活動報告ってちょいちょい書いてあった方がいいのかな?
どうなんだろ?
気が向いたらこっそりおしえてね。
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