103アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』
思っていたより投稿間隔が延びてしまいました。
無駄足を踏ませてしまった方には申し訳ありません。
ということで、ミハル・アイヴァス以来の現代チェコ文学展文学というにはエンタメよりではありますが、アンナ・ツィマ『シブヤデ目覚めて』を取り上げました。
「長い旅が終わった……」
そういって最後のページを閉じると、感慨深く栞宅の栞窟の高い天井を仰ぐ。
「そこまで長い本でもなかったと思いますが」
「いやいやいや、四〇〇頁近くある本だよ!? メチャクチャ読むの時間かかるじゃん! 結構ムズカシイ感じだったし!」
普段、栞が長編小説を読み終わった時の台詞を真似して、長い旅だったなぁとしみじみと感慨深く振り返っていた訳だけれど、栞的にはそんなに長い旅という訳でもなかったらしい。
「まあ、確かに構造は複雑だったかも知れませんね。文学作品と呼ぶにはエンタメ寄りでしたけれど、読みやすさとしては良い感じの案配だったかも知れないですねー」
「チェコ文学なんて知らなかったけれど〈ポケモン〉とか〈NARUTO〉とか〈犬夜叉〉とかアニメ作品のタイトルがポンポン出てきて面白かった。あとこの作者の人たぶんわたしより日本文学に詳しい……」
「そうですねぇ。作者のアンナ・ツィマはチェコの名門カレル大学の日本研究コースで博士号とっている方ですからね。趣味で読書している私たちよりは遙かに専門的に勉強されているでしょうから、そこら辺は不思議ではないですね」
「うん『シブヤで目覚めて』ってタイトルだから、なんかお洒落な感じのキラキラ女子が渋谷でわちゃわちゃする話だと思ってたら、思いのほかガチに日本文学の話出てきてオドロキですわ」
「時に、詩織さん。放送大学ってご存じですかね?」
「えーと、テレビで授業の放送見てたら大学卒の資格とれる奴だっけ?」
「ですです。あれってBS放送映るなら誰でも見ることが出来るんですが、毎年「世界文学への招待」って講座があって、それの大江健三郎が出てくる回に、アンナ・ツィマさん出てるんですけれど、なかなか面白いのでちよっと見てみませんか?」
そういうと、栞はわたしの返答を待たずに、部屋の隅に何となく申し訳なさそうにおいてあるテレビをつけると録画番組を再生する。
「大江健三郎の作品について、他の文学からの引用や影響を取り扱った回なんですが、後半は『シブヤで目覚めて』の文学からの引用というポイントに焦点を合わせて解説していますね。『シブヤで目覚めて』の中には大江健三郎の記述は殆どなくて、やっぱりというべきか、現代の現役世代の作家としては村上春樹の名前が一番多く挙がっていますねー。まあ後は高橋源一郎とかですか……」
なんだかムズカシイ話をしているなあとボンヤリ画面を見つめていると、金髪ショートの女の人が出てきた。日本語ペラッペラに話しているけれど。この人がアンナ・ツィマだそうで、今現在旦那さんと日本に住んで、文学研究とね日本文学のチェコ語への翻訳作業をメインに活動していると紹介があった。
「これ面白いですよね。チェコ語版の『シブヤで目覚めて』は幽霊の女の子が表紙の奥を覗き込んでいるのに対して、日本語訳だと幽霊の女の子がこっちを向いているんですよね。なかなか洒落た演出だと思います」
栞から、読みやすくて面白いので是非読んでねと言われたのが、この『シブヤで目覚めて』だったのだけれど、栞は二、三日で読み終わるだろうと踏んでいたらしいけれど、わたしは結局一週間かかってしまった。
なんだか不思議な話で、チェコの大学で日本文学を専攻しているヤナという女の子と、日本の渋谷に囚われて、渋谷から一歩も外に出られなくなっている、昔日本に滞在していたときのヤナの思念体だか幽霊だか、そんな感じの存在の話が、現在のプラハと、過去の渋谷が交互に語られるというなんだかフクザツなお話だった。
最初の頃は黒沢映画とかさっきいってたアニメの話が語られてて、日本の印象とまぜこぜになっていて異国情緒溢れるポップな感じなんだけれど、段々日本文学のムズカシイ話しになってくる。
チェコのヤナは川下清丸という大正時代の極短い間だけ活躍した、無名の作家の研究に入れあげていて、芥川龍之介とか川端康成とかそういうわたしでもしっている文豪との人間関係が書かれていて、作中にもガンガン川下作品のチェコ語訳が……まあ日本語の本だと日本語の時代感が溢れる文章が引用されている。作者のあとがきでも川下清丸の凄い詳しいプロフィールが書かれていて、へーそんな人がいたとは、このブンガク少女である所の詩織様も知らなかったわいと思っていてたら、翻訳者の解説で、架空の作家川下清丸とかいわれててかなりずっこけてしまった。
なんだか『シブヤで目覚めて』はチェコでは凄いベストセラー作品らしく、各賞を総なめにした上で日本語訳含めてヨーロッパやそれ以外の国でも出版されているらしいので、出版後作者への質問で川下作品はどこで読めますかーとか、書店に問い合わせが結構来たりしたらしいので、日本人の自分でも騙されるんだから。いや日本人だからこそ大正の作家っぽい文体に騙されたっていうのもあるかも知れないけれど、とにかく巧妙に騙された人が続出したらしい。
「デレク・ハートフィールドですよ!」
栞がまたよく分からん海外の文豪の名前を挙げたけれど、これは村上春樹作品に出てくる架空の作家らしい。
川下清丸みたいに詳細なプロフィールが設定されていて、ヒトラーの肖像画と傘を持ってエンパイア・ステートビルから飛び降り自殺した冒険小説の作家とかいう、なんだかやたらとそそられる感じの興味深い設定がしてあって、普通の書店だけでなくて洋書店にも問い合わせが殺到して、書店や図書館の人がメチャクチャ迷惑したらしいという話を聞いて吹き出してしまった。
わたしは村上春樹の本なんか読んだことないけれど、初出の作品だけじゃなくて時々登場するらしくて、そのたびに問い合わせが来るのが恒例行事だと聞いてまた笑ってしまった。
ノーベル賞なんか取ってみたら、また出版関係者に余計な仕事が発生するだろうというのが大方の見解だとか何とか。
「デヴィット・ピースという日本在住のイギリスの作家がいるんですが、この人も芥川龍之介の生涯を元にした作品とか書いていて、ちょっと通じる部分ありますねー」
なんていうので、いつか「読め」と渡される日を戦々恐々としながら待っている。
「まあ、詩織さんがガッチリと読んでくれて嬉しいですね! 本についてお互いに感想を言い合うことほど楽しい事って中々ないですからね。コロナ禍でずいぶんとオンライン読書会とかオンラインの文学講座が増えましたけれど、こうやってお互いの家に行き来して、直接語り合う楽しさには敵わないですから」
と、心底嬉しそうに笑顔を浮かべるので、わたしは多分この顔を見るために、いつまで経っても不慣れな読書を重ねて、栞にしがみついているのかなと、時々思うのだ。
「そんな感じで、放送大学の〈世界文学への招待〉ですけれど、どうでした?」
「そーね、動きがあんまりないから本当に授業って感じだけれど、知ってる作家だし、読んだばかりの本が取り上げられているのは結構楽しかった。あとわたしはこの本読んだことあるけれど、この放送見ている人で実際に読んだことある人はまたそんなにいないんじゃないかなって優越感がある!」
「本を読むのは見栄のためではないですよ……」
栞がそこはかとなく萎れてしまった。
「ごめんってばー。まあわたしもそろそろ趣味の蘭に〈読書〉って書いても許される頃だと思う訳さね。ブンガクだろうが何だろうがどんとこいですよ!」
「やる気に満ちあふれているのは良いと思いますよ! ヒロインのヤナ・クプコヴァーは読んでいて分かったと思いますが、ある程度作者のアンナ・ツィマの人生が下敷きになっているのですが、一応は創作された所が大部分ではあるよと断りも入れてますけれど。文学研究していて、そのまま二十代の早い内にこれだけの作品書けたんですから凄いですよね。インプットは大切だけれど、アウトプットも必要なんだなって思いますね」
「そういや栞大先生は、たまーに何か文芸部っぽい事したいなんていってたけれど、何か書いたりはしないの? ってか文芸部って具体的になにする所なんだか知らないんだけれどさ……」
「大学のSF研究サークルとかミステリ研なんかだと、その後プロになる作家の集まりみたいな所はあるみたいですね。東北大学とか一時期円城塔とか同時期に何人も有名作家を排出したみたいですねー」
「栞も何か書いたらいいんじゃない? 栞ならインプットはもういっぱいしているし何か書いたら読ませて欲しいかも……」
栞は苦笑いしつつ「読んでいるだけでは書けないですよ。何でもインプット四割のアウトプット六割が脳の機能的には一番スマートらしいですが、何か書くにしても気恥ずかしさが勝っちゃってだめですねー。それより詩織さんの書く文章とか見せてくださいよ!」等と栞に水を向けたら藪蛇になってしまったので沈黙を貫こうとする……。
「いっせーのせでお互いショートショートでもかいてみますか? 詩織さんが書いてくれるなら私もやる気でるんだけれどなぁー」
「……前にね、国語の授業で『羅生門』の続きを書いてみましょうなんてのやらされたんだけれど、栞のクラスはやった?」
「いえ……うちの担当の先生はそういう課題は出さなかったですね」
「続き書けって言われても、なんか綺麗に終わっている感あるし、すぐに話なんか思い浮かばなくてさ、適当に書こうかと思ったんだけれど馬鹿にされるのもなんだしで、無難に主人公が改心しましたーみたいな話にしようと思ったワケさね」
「はい」
「で、まあみんなそんな感じだったろうから別に笑われるなんて事もない十もみったふんだけれど、バカな男子にバカにされるのもシャクだしと思って、図書室にいって、教科書の抜粋じゃない『羅生門』よんで見たいと思ったワケなんでございますよ」
「はあ」
「で、そこで見ず知らずのわたしに声を掛けてきたのが栞だったわけ」
「あーはいはい。確かに『羅生門』の話してましたね!」
「最初は家に帰っても何もすることないから、図書室で時間潰すだけだったけれど栞が声かけてきてくれてからなんだかんだで毎日こうして遊んでくれてるから、わたしとしては楽しいです。はい」
栞はなんだか耳まで真っ赤にして、俯く。
何となく色素が薄い肌をしているので、すぐに赤くなるのが分かる。
カワイイ。
「まあわたしとしては『トショシツで目覚めて』みたいな感じなんで、文芸部やるかどうかはなんともいえないけれど、まあ今は楽しくやっていますよという感謝の気持ちですよ」
「『トショシツで目覚めて』ってただたんに図書室で居眠りしているだけじゃないですか! まあ、でもはい。私も楽しいですよ」
そういって二人して視線がドンピシャでぶつかってしまったのでなんだか極めて恥ずかしくなる。
「わたしも本格的なブンガク少女になるために何か書きますかー。その前にインプットしないとね!」
そういって、栞の読みかけの本を奪い取って視線を落とすフリをする。
なんだか恥ずかしいので文章は頭に入らなかったけれど、何となく栞がニコニコとしたままの顔でわたしの頭のつむじの辺りに視線を集中しているのだけは分かった。
本自体は読んでいてネタもあったのですが、私事が忙しく、また怠惰であったために投稿が遅れました。
本人はあまり意識していないのですが、ここ最近ブックマークして頂いた方が(マイナーな割には)短期間で増えたようで、こまめな更新を期待された方には申し訳なく思っています。
『シブヤで目覚めて』は結構な話題作なのでネットでいくらでも補足情報が出てくるので、あまり詳しくどうこうというブックガイド的な部分は書かなかったのですが、エンタメ寄りの文学作品として、複雑な構造をした重厚な作品でありつつも、ポップで我々の目にも慣れた単語が頻出する大変に読みやすい作品ですので、是非お手にとって頂ければと思います。
オモシロイヨ!
次は何取り上げるかあまり考えていないのですが、たまたま現代の現在活躍中の女性作家が続いたので六月いっぱいは女性作家特集にしてみようかなとかぼんやり考えていますが、たまにはエンタメ向きな作品も取り上げたいと思うので、まああまり深いこと考えずに面白い本があれば取り上げたいと思います。
そんなこんなでいつものテンプレですが、ご意見ご感想や突っ込みやらこんな本やれというお話有ればお気軽に書いていただけると励みになります。
そういうのは面倒くさいという向きの方で、まあそこそこ楽しめたという方おられれば「いいね」していただければ私がちょっとだけフフッてなりますのでよろしくお願いいたします。
では今月はもう3、4回は更新したいなと希望をもっていますのでよろしくお願いいたします。
ではまた。