第8話 崩壊する世界
「うああああああっ!」
「キアアアアアアッ!」
僕の振り下ろしたタリオによる渾身の一撃がセクメトの体を切り裂いた。
だけど耳をつんざくような悲鳴を上げるセクメトの体からは一滴の血も流れ出ることはなかった。
代わりに斬撃による彼女の傷口からは不気味な粘液状のモザイクが流れ出したんだ。
その様子は異様だったけれど、怯んでいる時じゃない。
僕はすぐに返す刀で再びセクメトに斬りつけた。
だけどセクメトは両腕を交差させて体への直撃を防ごうとする。
それでも僕は構わずに力を込めて刀を振り上げた。
「うわああああっ!」
気合いの声とともに下段から振り上げたタリオの一撃は、セクメトの両腕を二の腕の辺りから切断する。
セクメトはたまらずに後ろにのけ反った。
ここだ!
僕は足を踏ん張ると、顔の横でタリオを水平に構えて最後の一撃を突き出そうとした。
だけどその一撃を繰り出そうとしたまさにその時、突然ガクッと足元の地面が揺れたかと思うと、僕が立っているその足場が頼りなく崩れ落ちたんだ。
「うおっ!」
足場にしていた砂地が突如として陥没し、バランスを崩した僕は踏ん張ることも出来ずに後ろ向きのまま穴の中に落ちてしまった。
穴の中は砂まみれで、落下した僕の上からさらにまた大量の土砂が崩れ落ちてくる。
ま、まずい。
このままじゃ生き埋めだ。
僕は懸命に砂をかき分け、穴から外に這い出ようとした。
だけどそこで僕は見たんだ。
崩落した穴の上に浮遊しているセクメトの体に奇妙な変化が生じ始めているのを。
僕が斬りつけた傷跡や斬り落とした腕の切り口からは相変わらず粘液状のモザイクが流れ出していた。
そのせいかセクメトの体の表面がユラユラと波立ち、その姿の輪郭が揺らぎ始めていたんだ。
女性としての、いや人としてのセクメトの姿が……変わっていく。
背中から左右一対の黒い羽が生え始め、その体が大きく肥大していく。
その様子は蛹から羽化する昆虫を思わせた。
そして美しかった彼女の顔は醜く歪んでいき、凶暴な顔つきをした獅子のような大型の獣に変貌を遂げていく。
人型だったその体は四足歩行の動物のように前屈みになった。
それは巨大な獅子に羽が生えたような異様な姿だった。
な、何だアレ……まるで、まるで魔物そのものだ。
セクメトの変容に唖然とする僕はすぐにハッと我に返った。
悲鳴のようなアリアナの声が響き渡ったからだ。
「アル君! 逃げて!」
セクメトの体から溢れ出したモザイクが僕の頭上から降り注ぐ。
や、やばい!
僕は慌てて砂の斜面を駆け上がった。
足を取られて何度も転げ落ちそうになる中、死に物狂いで砂のクレーターを上り切った僕は背後を振り返って愕然とした。
液状化したモザイクが穴の底にたまり始め、砂を地面ごと消し去っていく。
宙に浮かぶ魔物と化したセクメトは口を大きく開け、まるで嘔吐するかのように粘液状のモザイクを吐き出していた。
僕は戦慄に震えながら黒蛇にステルス・ナイフを吐き出させた。
「それ以上やらせない!」
オレンジ色のナイフを掴むと僕はそれをセクメトに向けて投げつけた。
そのナイフは獅子と化したセクメトの眉間に突き立つ。
「グァァァァァァッ!」
先ほどまでの女性の姿だった時のような甲高い声は鳴りを潜め、それは低く腹の底に響くような野太い獣の声だった。
セクメトは苦しげに声を上げたけれど、オレンジ色のステルス・ナイフはすぐにその巨大な体の中に飲み込まれていく。
くっ!
これじゃ焼け石に水だ。
「そんな……」
燃え盛る業火にコップ一杯の水をひっかけているような無力感に襲われて僕は思わずその場に膝をついた。
クレーターを満たす液状のモザイクはあっという間に穴から溢れ出そうとしている。
穴の縁で膝をつく僕は目の前にせり上がってきたモザイク液から逃れようと立ち上がった。
だけど事態はそこで収まらなかったんだ。
大型の獅子と化したセクメトは大きく息を吸い込むと、口から猛烈な勢いのモザイク液を僕に向かって噴射した。
や、やばっ……。
「アル君!」
襲い来る大量の鉄砲水を前に立ち尽くす僕の目の前で、頭上から巨大な凍土がいくつも落下してきた。
それは僕の前に2段、3段と積み上がり、鉄砲水から僕を守ってくれる。
「あ……」
あまりにも突然のことに凍土の裏で呆然と立ち尽くす僕の手を、誰かが握ってくれた。
振り返るとそこにはアリアナが強張った表情で立っていたんだ。
「ボサッとしないで! 早く逃げないと!」
アリアナは声を張り上げると僕の手を引っ張って猛然と駆け出した。
彼女と共に懸命に走りながら僕は後方を振り返る。
セクメトの噴射した鉄砲水から僕を守ってくれた凍土はモザイクに包まれて消えていこうとしていた。
さらにはクレーターから溢れ出たモザイク液が次々と他のクレーターに流れ込んでいく。
モザイクによって砂の大地は飲み込まれ、無惨にも消え去ろうとしていた。
それは本当にこの世の終わりのような凄惨な光景だった。
勝利を信じてセクメトに攻撃を仕掛けたのに、こんな結果になるなんて……。
「アリアナ。僕……」
僕は自分のやったことが被害を拡大させてしまったんじゃないかと不安になった。
だけどアリアナはそんな僕の気持ちを見透かしたように毅然と声を上げた。
「しっかりして! アル君は間違ってなんかいない! セクメトを攻撃しなきゃ、どちらにしろ私達はやられてたんだよ!」
アリアナは痛いくらいに僕の手を握りしめると、足場の悪い砂の大地を必死に走り続ける。
だけど地上を覆っていくモザイク液は留まるところを知らず、その浸食速度も目に見えて速くなっていく。
「アル!」
「アル様!」
その声に頭上を見上げると、ミランダとジェネットが空中に避難していた。
彼女たちが先ほど倒れていた辺りもすでにモザイク液に覆い尽くされて消え去っている。
こ、このままじゃ足の踏み場もなくなるぞ。
ミランダとジェネットは宙に浮かんでいるから今のところは大丈夫だけど、それだって魔力が尽きればおしまいだ。
ミランダとジェネットは僕らを助け出そうと近づいてきてくれるけど、それをさせまいとセクメトは再び大きな口から猛烈な鉄砲水を噴射して2人を撃墜しようとする。
ミランダとジェネットは必死にそれをかわして旋回するけれど、セクメトは連続で鉄砲水を吐き続けた。
そのせいで2人とも地上に近寄ることも出来ない。
さらにそうして吐き出された鉄砲水は地上に落ちて、そこかしこの地面を消し去っていき、豊富な水で満たされていたオアシスもすでに跡形も無くなっていた。
それはもはや天変地異と呼べるほどの惨劇であり、僕ら一介のNPCがどうにか出来る事態ではなくなっていた。
く、くそっ!
このままじゃみんな消えてしまう。
僕らの世界すらも。
僕はアリアナと共に必死の逃走を続けながら、一体何のために逃げているのか分からなくなっていた。
必死に逃げたその先に希望があるようには思えなかったんだ。
その時だった。
ジェルスレイムの地面が大きな揺れに見舞われたのは。
それは縦揺れで大きく一度だけガクッと揺れたんだ。
「うおっ!」
「ひぇっ!」
僕とアリアナは思わず足を取られて転倒しそうになったけれど、両足を踏ん張って何とか踏みとどまる。
揺れはたった一度だけであり、余震もなく収まった。
すると僕らのメイン・システムにメッセージが飛び込んでくる。
【現時刻をもってジェルスレイムの隔離が完了した】
それは神様からの通達だった。
僕は何か違和感を感じて空を見つめた。
すると空を流れていた雲が静止したまま動かなくなっている。
風も止み、あれだけ熱く照り付けていた太陽の日差しも明るさこそそのままだったが熱は感じられない。
本当にこの砂漠都市ジェルスレイムは僕らの世界から切り離されて孤立したのだと僕は悟った。
「神様。さっきの揺れは……」
【ジェルスレイムが世界から切り離された衝撃だ。4人とも。すまない。被害の拡大を防ぐために、ここでジェルスレイムを完全に隔離する。だが忘れ……な……おま……自身の力……信じ……】
それはこの場にいる僕ら4人に向けた神様からのメッセージだったけれど、それ以上は文字化けして読めなくなり、そこで通信は途絶えた。
世界が完全に閉ざされてしまったんだ。
僕らはついに孤立した。
もう逃げ場はどこにもない。
僕は失意の底に沈みそうになり、目の前で手を握ってくれているアリアナを見つめた。
彼女は歯を食いしばっていたけれど、その表情はすっかり青ざめている。
僕はそんな彼女の顔を見て思い直したんだ。
生来、気の弱いアリアナが僕のために必死になってくれている。
絶望的な運命を知りながら、それでもそれに抗おうとしているんだ。
僕だけが悲嘆に暮れている場合じゃない。
僕はアリアナの手を強く握り返すと、まだモザイクに飲み込まれずに残されている陸地のうち最も高い砂丘を目指して走り出した。
さっきまでとは逆に僕が彼女を引っ張って。
「アル君……」
「アリアナ。ごめんね。僕、最後の最後まであきらめないから」
僕はそう言うとアリアナと共に砂丘を駆け上っていく。
だけどその時だった。
上空を舞うミランダとジェネットを撃ち落とそうとセクメトが放った鉄砲水が、僕らの頭上を越えて砂丘を直撃したんだ。
途端に大量のモザイク液が砂丘の頂上から流れ落ちてきて僕らを襲う。
「うわあああっ!」
「アル君!」
アリアナは咄嗟に永久凍土を発生させ、僕の手を引いてその上に飛び乗った。
モザイク液が凍土の側面にぶち当たって波しぶきを上げる。
だけど凍土1つ分の高さでは、前方から迫り来るモザイク液に乗り越えられてしまうことは明白だった。
だからアリアナは僕の手を握ったまま凍土の上で真上に大きく飛び上がると、足元に再度、永久凍土を発生させてその上に乗る。
それを繰り返して垂直に永久凍土を積み上げていき、6段それを重ねたところで止まった。
「これで……打ち止めだよ」
アリアナの魔力が切れ、永久凍土の発生はそこまでとなった。
アリアナはその場にガックリと膝をつく。
魔力が切れて疲れ果てた様子で……い、いや、アリアナの様子がおかしいぞ。
僕はすぐに彼女の異変を感じ取った。
「アリアナ……どうしたの?」
「アル君。ごめんね。私、ここまでみたい……」
憔悴し切った顔でそう言う彼女の背中に、不吉な揺らぎが見えた。
僕は慌ててアリアナの肩を掴むと、その背中を見て愕然とした。
「そ、そんな……」
信じ難い彼女の姿に、僕は言葉を失った。
アリアナの背中はモザイク液を浴びてユラユラと揺れ、今にも消え去ろうとしていたんだ。




