第6話 最後の戦いへ
「無事でよかった。アル君」
セクメトのモザイクを浴びてしまう寸前だった僕を助けてくれたのは、病院に搬送されたはずの魔道拳士アリアナだった。
「ア、アリアナ! どうしてここに?」
彼女が足場にしている永久凍土の立方体はセクメトのモザイクを浴びて消えていくけれど、そこに乗っていたアリアナは機敏に宙返りをして僕のすぐ隣に着地をした。
「病院は? 体はもう大丈夫なの?」
驚いてそう尋ねる僕に、アリアナはセクメトに注意を払ったまま頷いた。
「うん。アル君のおかげだよ。この街の病院に収容されていたんだけど、そこにいる人たちから街の騒ぎを聞いたの。みんなは逃げたけど私はこっそり抜け出して来たんだ」
「な、何で逃げなかったの?」
「まだ戦ってる人たちがいるって聞いたから。絶対にアル君たちだと思ったよ。間に合ってよかった。私、まだまだ戦える。だから戦うよ。アル君と一緒に」
そう言うとアリアナは勇ましい表情の中にも笑みを浮かべた。
豊かな感情表現を見せるそのアリアナは確かにオリジナルの彼女だった。
僕は再び元気なアリアナの姿が見られて嬉しいのと同時に、今まさに世界から隔絶されようとしているこの場所に彼女が来てしまったことに悔恨の念を抱いた。
「アリアナ。僕のことはいい。すぐにミランダとジェネットを連れてこの場所から……」
僕がそう言いかけたその時、セクメトが再びモザイクを放射する。
アリアナはすぐさま永久凍土を連続で眼前に発生させ、それを防御壁としてモザイクを防いだ。
モザイクは巨大な永久凍土を巻き込んで消滅する。
そうだ。
このアリアナの永久凍土こそセクメトのモザイクを防ぐことの出来る唯一の手段だった。
僕もさっきセクメトのモザイクを必死に避けながら思ったんだ。
この能力があればモザイクを防ぐことが出来るのに、と。
地下空洞ではIRリングでアリアナの涙を吸収したことによって、僕も永久凍土を生み出すことが出来たけれど、今その力は失われている。
もちろんモザイクを浴びると永久凍土は消えてしまうから一回限りの防御法なんだけど、それでも有ると無いとでは大違いだった。
物質を無に帰す消滅の手法であるセクメトのモザイクに対して、アリアナの永久凍土は無から物質を作り出す創造の一手だった。
そして先ほどの僕が投じた一石。
アリアナが救援に駆けつけてくれたことで、状況は一変した。
攻撃においても防御においても対抗手段がないかと思われたセクメトに対して、抗う術のヒントを僕は掴みかけたような気がしたんだ。
「アル君。私が時間を稼ぐから、あの2人を救い出して」
そう言ってくれるアリアナの言葉に僕は頷いた。
確かに彼女が今一番元気だし、回避と防御に徹するならば能力的にも最も適任だった。
今は彼女を信じるべきだと思い直し、僕は立ち上がる。
「ありがとうアリアナ。無理はしないでね。すぐに戻るから!」
僕はアリアナにそう声をかけると、すぐに踵を返してミランダとジェネットの元に駆け寄った。
2人は両足を失って地面に倒れ込んだまま、悔しげにアリアナとセクメトの攻防を見つめている。
彼女たちの両足は太ももの辺りを残してそれより下は無残にも消えてしまっていた。
その痛ましい姿に僕は唇を噛んだ。
2人の胸中を思うとどんな慰めの言葉もおいそれとかけることは出来なかった。
彼女たちは戦場でこそその本領を発揮する誇り高き花だ。
戦いに身を置く者としての意地とプライドがあるだろう。
陳腐なセリフは彼女たちの悔しさを1ミリだって晴らしてはくれないはずだ。
だから僕は彼女たちのすぐそばに座ると、言葉少なに声をかけた。
「2人とも。すぐに治療を」
彼女たちのために自分が出来ることをするのみだ。
そう心に刻み、僕は左手首と一体化しているIRリングをじっと見つめた。
そして念じる。
ミランダとジェネットの体を蝕んでいるネオ・ウイルスを駆除するためのネオ・ワクチン。
それを今こそ僕が彼女たちに与えたい。
僕はそう念じて不可視妖精を呼び出す。
IRリングからフワッと現れた拳大の2体の小さな妖精は、僕の肌と同じ色のペールオレンジの妖精だった。
妖精たちは僕の頭上をくるくると回るように飛び交い、その様子をミランダとジェネットはじっと見つめていた。
「ミランダとジェネットの体からネオ・ワクチンを消してほしい」
僕は自分の願いを口に出して言う。
妖精達は僕の意思に応じてそれぞれミランダとジェネットの胸の中に消えていった。
僕は固唾を飲んで彼女たちの反応を見守る。
ジェネットはいつも通りの落ち着いた表情で、ミランダは彼女にしては珍しく神妙な面持ちでじっとしていた。
僕も彼女たちも互いの顔を見つめながら何も言わずに待つこと十数秒。
どこか強張っていたミランダとジェネットの表情がスッと柔らかくなったのを見た僕は思わず身を乗り出すようにして彼女らに問いかけた。
「2人とも。具合は?」
僕への返事の代わりに彼女たちはそれぞれ自分のメイン・システムを操作してステータスを見せてくれた。
すると2人ともにライフと魔力・法力以外のステータス値が見る見るうちに元のハイスペックな数値へと戻っていく。
ネオ・ウイルスによって理不尽な低下を強いられていた2人の能力値は完全に元通りに復旧したんだ。
僕の体内で作られたネオ・ワクチンは無事に2人の体からネオ・ウイルスを駆除してくれた。
「どうやら成功みたいね。アル」
「アル様。おかげ様でとても調子がよくなりました」
2人はさすがに安堵の表情を浮かべている。
体の中から異物が消えたことで、身体的だけじゃなく精神的にも楽になったんだろう。
僕は少し肩の荷が降りたように思えてホッと息をついた。
ようやく彼女たちをウイルスという枷から解き放ってあげることが出来たんだ。
「よかった……神様の言っていた通りだったね」
ネオ・ワクチンは確かに僕の体内で生成されていた。
そしてそれはミランダとジェネットをウイルスから解放するのみならず、思わぬ副産物を生んでくれた。
それが僕の体に起きているであろう変化だった。
「さっき僕が投げた石のことなんだけど……」
僕の問いかけに2人はそろって頷く。
彼女たちが自慢の魔法をどれだけ放ってもセクメトには傷一つつけられなかったのに、僕が投げた石ころはセクメトの体を確かにとらえたんだ。
その様子をミランダもジェネットも目の当たりにしていた。
「あんた。さっきのは一体どうやったのよ?」
「特に何かをしたわけじゃないよ。でも、僕の右腕が完全に変色し終わった後に投げた石はなぜかセクメトの体に当たったんだ」
僕がそう言うとジェネットは合点がいったというように目を見開いた。
「セクメトはウイルスの権化ですから、ネオ・ワクチンを体内で熟成させることの出来るアル様の攻撃ならば彼女に対して有効なのではないでしょうか」
そう言うジェネットに頷いて僕はタリオを鞘から抜き放った。
そんな僕を見るミランダの目にギラギラとした光が宿った。
「それを言うなら私達の体にもネオ・ワクチンが注入されたんだから、あのムカつくモザイク女に一撃食らわせてやれるんじゃないの?」
そう言うとミランダは足のない状態で魔力を使って浮かび上がる。
彼女は黒鎖杖を握りしめ、戦意が微塵も失われていないことを示した。
だけど僕は静かに首を横に振る。
「2人とも足を失ってる。だからセクメトとは僕とアリアナで戦うよ。2人は流れ弾から自分を守ることに集中してほしい」
僕は決意を込めてそう言った。
途端にミランダが気色ばむ。
「はぁ? 何言ってんのよ。私はあの女に好き勝手やられてんのよ! この手でぶっ飛ばしてやらないと気がすまないんだから!」
「落ち着きなさい。ミランダ」
「ジェネット。あんただって散々やられたでしょ。悔しくないわけ?」
「悔しいに決まっています。けれどあのセクメトは怒りのままに立ち向かっていって勝てる相手ではないでしょう? アル様は冷静に状況を見極めているのですよ」
ミランダもジェネットも戦いたいだろうけど、足がなく魔力で宙に浮いている状態では、セクメトのモザイクをこれまでのように機敏に回避することは出来ないだろう。
「ミランダ。ジェネット。2人の悔しい気持ちは僕が背負うよ。2人の代わりに僕がセクメトをぶっ飛ばしてやる」
僕はミランダとジェネットの顔を交互に見つめ、彼女たちの不満と憂いの視線を受け止めた。
目をそらすことなく、2人への思いを込めて。
僕の言葉と態度に強い決意を感じ取ってくれたようでミランダは不満たっぷりの顔で、それでもようやく怒りを収めてくれた。
「……チッ。分かったわ。闇の魔女の家来として恥ずかしくない戦いをしなさい。負けたらぶっ飛ばすわよ」
「了解。勝ったら家来をちゃんとほめてよね。ミランダ」
ミランダに笑ってそう言うと僕はジェネットの方を見る。
そして彼女の手首にかけられた緑色のリングを指差した。
それはアビーがつけていた首輪だ。
「ジェネットも見てて。僕が絶対にアビーの仇を討つから」
「アル様……決して消えてはいけませんよ。勝って4人で生き残るんです」
ジェネットは不安げな表情の中にも笑顔を作り、僕の手を握ってくれた。
そうだ。
僕とミランダとジェネット、そしてアリアナの4人で生き残るんだ。
絶対にこんなところで運命を終わらせたりしない。
2人に頷くと、僕は再び振り向いてアリアナの元へ駆け出した。
最後の戦いが始まろうとしていた。




