はじまりの予兆
新章、コード・オーシャンズブルー編です。
新キャラが登場します。
夜の11時。普段ならもう寝なくてはならない時間だが、速見愛花は日課の勉強をやめることはしなかった。
彼女は3つ離れた町の学校に通うために、毎朝早起きは欠かさない。だがこれくらいの寝坊は明日には影響しないだろう。
やっているのは英語だ。愛花の通う学校は進学校で、なかでも理数と英語に力を入れており毎日の勉強を欠くわけにはいかなかった。
すると、ノートの隅にパタパタッと赤い液体が落ち、丸く染みが付いた。
すぐさま鼻に手をあてる。案の定、鼻からは血が垂れていた。
「………ぁーもう」
ティッシュを取り出しながら部屋を出た。女の子らしくぬいぐるみが飾られている部屋のコルクボートには、写真が貼られている。
小さい頃の愛花が家族とともに笑う写真だった。
将斗の通う学校は自宅からバスで20分。山の上にあり、小樽では歴史ある名門進学校だ。制服は男子が学ラン。女子はセーラー。
山の上にあるので見晴らしもよく、生徒は石狩湾を一望することができる教室で授業をする。
玄関広場にはグランドピアノがある。この理由は様々で、贈呈したのはOBだとか、生徒の行いに感動した資産家だとか………
今日はたまたま早く登校したのだが、そのグランドピアノを弾く女子生徒がいたことに気付き、脚を止める。
軽やかに動く指。ピアノは詳しくないが奏でている曲はショパンのエチュードだとわかる。
それにしても楽しそうに弾いている。曲調は壮大感と悲壮感漂うものなのに。
この奏者は弾くことそのものを楽しんでいるのだ。
一曲弾き終えて肩の力を抜く女子生徒。
将斗は拍手しながら近寄った。
「すごいな、あんな速さで弾くなんて」
女子生徒は屈託のない笑顔で将斗を見た。茶色がかった伸びかけの髪。覗かせる八重歯。
「将斗」
本人は普通に名前を呼んできただけだが声が大きい。いや、通りやすい声質なだけか。
2人の胸のバッジにはⅡー3とある。
そう、クラスメートだ。
「今日は早いんだね」
「ああ、妹が早く学校行く必要があって、ついでに早く起きた」
ロシアの特殊部隊出身、狂犬と恐れられた千晶は3兄妹で和解して以来、受験勉強(主に国語の古文)に専念し、この春、紫音と同じ札幌の私立校に入学した。
今日は学校でオリエンテーションの準備があるから………という理由で早朝から家を出たので、将斗と兄の昴もつられて起きてしまったのである。
「あ、でも愛花の場合、自宅が積丹だろ? 凄いよな、毎日………」
「そうでもないよ。朝の始発に間に合えば住むんだし、小さい町だから停留所まで自転車ですぐなんだから」
「バスで1時間半だろ?」
交通の便が改善されている現代でも一部の交通手段は変わっていない。
まず積丹方面は山の性質がすこぶる悪く、線路を敷くことができないのだ。そのためバスが唯一の手段だが、安全運転に徹しないとならないバス会社の都合により、1時間という時間の壁を越えることができずにいる。始発は6時ジャスト。その次は7時だ。そのため、将斗らの町に通う積丹の学生は6時発の始発を確保しなければ遅刻確定なのである。
「バスの中でも寝れるけどね。でもたまには寝坊もしてみたいな………」
地方から通う学生らしい発言をし、愛花はいたずらっぽく笑った。
「将斗の家に泊まれば、問題ないよね」
「なんで俺ん家なんだよ?」
「えー、いいじゃん。私も千晶ちゃんと仲良くなりたい‼」
「よく妹の名前を覚えてたな。あと妹には近寄らない方がいいぞ」
強めに却下するとなぜか愛花は歯を見せて、無邪気に笑った。そこで将斗も苦笑いする。
速見愛花は時々こうして、反応に困るような発言を始める。初めて話した時はそのフレンドリーな一面が人を馬鹿にしているようにしか見えなかったが、話してゆくとこうしてふざけあいの絶えない日常を過ごせるようになるのだ。
「将斗。何か飲み物持ってない?」
あとは天然なところか。千晶と違い、彼女は異性をドキッとさせるような言動を素でとってしまう。
たとえばこう、将斗がもっている水筒をそのまま受け取り、間接キスも気にせず飲んだりとか。
Åなんというか………気になる。将斗だって年頃の男子なのだ。キスとかそういうの、意識しちゃうんですよ?
「コーヒー!」
愛花は驚いたように声を大きくした。ただでさえ通りやすい声を大きくしたので、校舎内を「コーヒー!」が反響する。
「悪い、ブラックなんだ。飲みづらかったか?」
「ううん、スッキリしてるから飲みやすいよ」
眠気覚ましにもなるし、と愛花はコーヒーをすする。
「そうか………兄貴と気が合いそうだな」
今回のコーヒーは昴が用意してくれたものだ。コーヒー好きの兄は飲む度に豆を挽くくらいのこだわりである。
愛花は上目遣いで将斗を見た。
「昴さんだっけ? コーヒー好きなの?」
「ああ、亡くなったじいさんから教えてもらってたんだ。すげえなお前。兄貴の名前も覚えていたなんて」
素直に感心する。確か兄妹の名前を彼女に話したのは高校1年の春。1年前だ。クラスメートの兄弟の名前を会ってもないのに覚えるとは。
「暗記力だけはいいんだよね~」
とだけ言い、愛花は2杯目をおかわりした。
「こないだの英語と生物の試験、学校で1位なんだろ?すげえよな」
「けど鼻血が出るんだよね。昨日も夜中に出ちゃって」
「大丈夫なのか?」
「平気平気。止まるの確認してから寝たし。学校でなってもティッシュを鼻に詰めれば済むから」
「女の子なんだから軽々しくそんなことをするんじゃありません‼」
気にしなさい‼ と注意すると、愛花は「えーっ」とショックを受けた様子を見せた。なんともリアクションが子どもらしい。
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「理由が男のそれだよ‼」
「両手がフリーになるから楽だよ?」
「女の子‼ 女の子なんだから‼」
念入りにそこを強調すると愛花は諦めたようにコーヒーをすすり終えた。
「わかった、将斗がそういうならやめとくね」
そうしてくれ。授業中に鼻にティッシュを詰めながら愛花がノートを取るところなんて見たくない。
「ねぇ将斗。今日一緒に市場に行かない?」
「なぜ」
「アジの値段、知りたいんだよね」
「1人で行け。俺は今日、外食」
「いーなぁ、どこどこ?」
「ファミレスだよ………って待て。まさか」
「じゃあ私もファミレス行くね」
「俺は家族と行くから。悪いけど一緒には………」
「たくさんいた方が楽しいじゃん。あ、席何人になるかな」
「人の話を聞け‼」
これに関してはおふざけではなく地らしい。やっぱり愛花は天然だ。
だが素で話す上に話しかけやすい子なのでクラスで皆と仲良くできるタイプである。現に彼女の悪口を聞いたことはない。
話していて思わずツッコミを入れてしまうことが多いが、よき友人でありクラスメートだと思っている。
朝礼5分前のチャイムが鳴るまで、将斗は愛花との雑談をやめなかった。
「うん、たまには外食もいいね」
コーンスープを飲みながら昴が満足そうに笑う。駅から徒歩10分のファミレスに、橘3兄妹と日下部紫音はいた。
妹の千晶も嬉しそうにサラダをつついている。
「そうだな。そういえば外食する機会もなかったし」
3兄妹がまだ互いの素性を隠しあっていた頃は外食をしたことがなかった。しかしあれ以来、彼らの間にあった壁は取り除かれ、ぎこちないやり取りはなくなった。今では普通に一緒に出掛けるし、遊んだりもする。
そのことを彼等は素直に受け入れ、ありがたくも思っていた。
腕時計を見る。
「6時半………ですね」
「じゃあそろそろ出た方がいいよな」
「そうだね。ところで将斗。友達に会っていかなくて良いのかい?」
何の事だと首をかしげる将斗。千晶は視線を走らせると、3人にしか聞こえない声量で告げた。
「3つ離れた席」
このファミレスは地元勢集いの場。学生もよく来ているため、過去の知り合いやクラスメートに遭遇してもおかしくはない。
通路に頭を出して見てみる。
と、将斗は口を開いた。
言われた通り3つ離れた席。セルフのジュースを片手に、笑顔で手を振ってくるクラスメートがいた。
クラスメートの方とは今日の放課後に別れたばかりである。
――じゃあ私もファミレス行くね――
私もファミレス行くね。ファミレス………ファミレス………ファミレス………
頭のなかでエコーがかったその言葉がリピート再生される。
まさか本当に実行してくるとは。
「さっきから将斗を見て笑ってた」
「やっぱり友達だよね?」
「………悪い、ちょっと話してくる」
とだけ伝え、席を立った。
将斗が近付くと愛花は弾けた笑顔を向けてきた。
「本当に来てたのか」
「だって将斗の兄妹、見てみたかったし。ねえねえ、隣に座ってる人、恋人?」
あい変わらず話題の変化が早い。
「違う。幼馴染みだ」
「めっちゃキレイじゃん‼………あ、幼馴染みって噂の?」
「噂?」
「将斗が可愛い子とデートしてるって冷やかされた時期、あったじゃん」
紫音が札幌の学校に通い始めた頃、将斗が駅まで迎えに行くのを見たクラスメート達に冷やかされ、以来、互いに気を遣って迎えに行くのはやめたのだが………
確か、彼女彼女と冷やかされ、幼馴染みだと一度だけ言い返したことがあった。
その時のことまで覚えていたのか。
「まぁ、あいつがその幼馴染みではあるが………」
「友達になってもいい?‼」
「急だな‼」
駄目じゃないけど、性格が違いすぎる。
片や物静か、片や天真爛漫。
気が合わなかったら相性が悪いだけの組み合わせ
将斗が返答に困っていると、愛花の携帯がバイブを鳴らした。
アラームをかけていたらしい。『終電30分前』と表記されている。
「あ……あちゃー……もうこんな時間かぁ……」
「帰れなくなったらシャレにならんぞ……」
「そうだね……残念だけどそろそろ失礼するね」
「気を付けて帰れよ」
「またね将斗。紫音ちゃんにもよろしくね!」
そう言って愛花は嵐のように去っていった。
紫音の名前を話したことはある。でもそれは冷やかされていた時で、名前を出したのも1回かそれくらいのはずだ。
「本当に記憶力すげーな………」
ファミレスを出てバスの最終便に間に合った愛花は、チョコレートをかじりながら小さく笑っていた。
(今日もいっぱい話せたな……)
「……吉高淳一」
港にある倉庫の中で、1枚の写真と大学ノート1冊くらいの厚さの資料が渡された。将斗がそれをめくり、囲むように昴・千晶・紫音が覗きこむ。
41歳。本州の大学で法学部卒業。後に北海道に移り住み、北海道議員に当選。札幌市在住。
「特に目立った経歴はなし………か」
「元過激派なのを除けば………だけどね」
昴が言ったのは彼の学生時代だった。大学の時に大日本帝国軍の再建と日本の防衛力の確立を唱えたが、卒業を機に改心した、とある。
「で、この人がターゲット?」
千晶が疑問を示した。
そう、彼らの仕事はテロリストもしくはそれに与するものの殺害だ。
この北海道議員を殺す道理など見当たらない。
かび臭い椅子に座りながらタバコをふかしている老人、天田悠生は2本の指でタバコを持ちかえ、4人を見た。
「………香龍会と通じてる可能性がある」
中国のテロ国家、香龍会の名を耳にした刹那、殺し屋達の顔が変わった。
「………証拠探しと……それから周辺にテロリストがいないか探れ。いれば吉高ともども殺すんだ」
将斗は頷いた。そして組織は違えど同盟を結んだMI6の昴、KGBの千晶も、続いてうなずく。
あの日の兄妹喧嘩を越え、彼等は同盟という名目で共にテロリストの排除をこなすようになっていた。
その戦果は目覚ましく、最初は渋っていたMI6もKGBも、3人の共同戦線を認めたほどである。
今回の任務にあたっての割りふりはこうだ。
紫音が吉高淳一の事務所のパソコンをハッキングし、香龍会らしい存在からの連絡がないか、それらしい人物が身近いないかの確認。
変装の得意な昴が潜入調査。
将斗と千晶は指示があるまで待機。
「2人は大事な戦闘要員だからね、それまで温存してほしいんだよ」
正論を言ってるようでうまく言いくるめられた気もするが………
翌日、港駅に連結するショッピングモールの裏に、海に面した広い公園がある。地元では港公園と呼ばれている場所だった。
その公園で2人は徒手による模擬線を行っていた。
殺し屋の彼らには、常に戦闘技術の向上が求められる。
「やっぱり近接戦では千晶に勝てねえ………」
さっきまで極められていた肘をさすりながら敗者は立ち上がる。千晶は小走りに寄ってきた。
「戦場では近接戦がすべてじゃない。仮に将斗が銃を持っていたら、私は負けていたかもしれない」
「俺は兄貴みたいな狙撃の腕も千晶みたいな近接での闘いも出来ないからな………」
兄妹の中でも最弱。闘いもマルチにこなせる分、これといった強みもない。
色々試してきたが将斗に向いている闘い方というのはいまだにわからなかった。
なにかを言おうとしたのか千晶が口を開く。しかしそれを遮るように、遠くから2人を呼ぶ声がした。
「将斗ぉー‼ 千晶ちゃーん‼」
今のうちに断っておくが、決して紫音ではない。紫音がここまで大音量な声で人を呼ぶなんてありえない。
「愛花?‼」
ショッピングモールの方から走ってくるのは私服姿だが間違いなく愛花である。
「なにしてるの? こんなところで」
「そういうお前は?」
「こっちまで買い物に来てたの‼」
愛花はショッピングモールを一瞥しながら答えた。
「積丹から? わざわざ」
「家族みんな、車で来たからね。これから夕食食べに行くの。将斗と千晶ちゃんもどう?」
将斗は海を見た。夕陽が沈み始め、あたりは黄金色に光っていた。
「悪いな、家族の分の夕飯を作んなきゃなんねーんだ」
「じゃあ仕方ないね」
そう言って愛花は黄金色の海の方へ進み出した。天真爛漫な愛花だが、儚く光る海をバックに立つ姿はとても絵になることに、将斗は驚く。
いつも明るくて皆を笑わせることが好きな子が、切ない一面が似合うギャップに我を忘れていると、愛花はこちらを見ずに話してきた。
「綺麗だよね、ここの景色」
「あ、ああ」
「積丹の海はね、もっと綺麗なんだよ。すっごく青くて」
「知ってる。積丹ブルー」
それは積丹半島が誇る、見る人の心を奪う澄んだ海。青さのなかに透明度があり、まるで宝石のような美しさ。それを見たいだけに観光に来る人は後を絶たない。
将斗は積丹に行ったことはなかったが小樽駅のパンフレットにも大々的に取り上げられているし。
「見てみたいと思うよ」
その言葉に偽りはない。ないが、愛花が目を大きく見開き、衝撃を受けたかのように硬直するほどの効果を発揮するなど、夢にも思っていなかった。
「愛花………?」
「………あっ、ううん、なんでもない‼」
「そうなのか?」
「うん、将斗が積丹に興味持つなんて思わなかったから‼」
「興味ないって言った覚えはないが?」
あははは、とわざとらしく笑い、そしていつもの天真爛漫な少女が帰ってくる。
「それじゃあ将斗、次の休みにでも積丹に遊びに来てよ‼」
「……急すぎじゃね?」
「大丈夫‼ バスで1時間半だし‼」
「なげえから‼」
「千晶ちゃんも来ない? 海‼」
「海………」
急に話題をふられたから………ではなくただ海に心を引かれたらしく、千晶は迷った様子で将斗を見た。
ロシアは夏が短いから海で遊べる時間があまりない。
千晶の頭をクシャクシャと撫でてやり、将斗は宣言した。
「行くよ。千晶も一緒に」
愛花の表情がさらに明るくなった。
「じゃあ次の休みね‼ 絶対だよ‼」
と言い残し、愛花はショッピングモールへと走り去ってしまった。
本当に嵐のような女子だ。そんなことを考えながら将斗は愛花の後ろ姿を見送っていた。
北海道大学のキャンパスを眺めるようにして歩きながら、昴は講堂を出た。
吉高淳一。彼の講演が今日、この学校で開かれていた。
何者かに命を狙われる存在。なるほど、たしかに日本の未来を強く語り、腐敗した政治や日本政府の姿勢を強く批判するあたり、過激派とも呼べるだろうが、。
変装用にかけている眼鏡を指で押し上げ、空を仰ぐ。手には今日の講演に合わせて用意された、吉高淳一のパンフレットがあった。
そこには彼の思想、生い立ちが記されてある。
特に、過激派から脚を洗った経緯やボランティアの一貫で災害地へ炊き出しに出向いたエピソード等が入念に記載されていた。
どのみち今の時点で彼がテロ国家……それも香龍会と繋がってる様子は見られない。
(流石に大学じゃあ隠すよね)
そう考え直し、校門に向かって歩く途中、4人の男子生徒とすれ違った。
背が高く、体格もそこそこ良い。
だが問題はそこではなくて、彼らが漂わせる空気だった。
交わす言葉は一切なく、目付きが怪しい。なにより、昴のよく知る匂いを彼等は持っていた。
こちらの世界に脚を踏み入れたが、まだ完全には踏み込んでいない、半端者。
兄妹がこれまでに多く殺してきた匂いだった。
―――同時刻―――
喫茶店、モルゲンでノートパソコンを弾くように叩きながら、紫音は眉をひそめていた。
3時間ほど吉高淳一の事務所、周辺人物のパソコンを関係を覗き見ていたのだが、彼がテロ国家と繋がっているような要素は見つからない。
「お疲れさまです」
小休憩に入った時、モルゲンのクルーでもある山縣が紅茶を持ってきてくれた。礼を言って一口飲むと、ベルガモットの香りが口の中に広がる。
「どうです?」
「全然見つかりませんでした。すいません………」
窓際で新聞を読みながら、天田が言う。
「………お前の腕は認めている。………そんなお前でも見つけられないのなら、電気通信機以外の方法で証拠が残されてると考えた方がいい」
例えば手紙、口頭………そんな連絡手段を挙げてから、つけ足た。
「………たしかに今は携帯やパソコンが主流だが………そういった手段だって、まだまだ有効活用できるんだ」
紫音の仕事はハッキングでの情報収集が主だ。だがハッキングすらできないもの相手では意味がないのである。
その日の夕食は将斗と千晶で作ったパスタとサラダ、そしてスープだった。
「うーん、美味しい‼」
スープを飲みながら満足げに笑う昴。
「大袈裟だ」
「いやいや、弟達が作ってくれたからね。店のよりおいしいよ」
昴は弟妹への愛情表現を欠かすことはない。彼らが作ってくれたものであればグチャグチャなオムライスや味の染み込んでない肉じゃがでさえ絶賛するだろう。ゴミだって食すかもしれない。
「で、そっちは?」
将斗がスプーンを置いて切り出した。先に答えたのは紫音である。
「メール、SNS、事務所近辺の防犯カメラ………全部見たけど、駄目でした」
「今日は大学の講演会に潜入したけどね。特に決め手となりそうなのはなかったよ」
ただ、と言いかけて、昴は思いとどまる。言おうとしたのは、あの学生たちのことだった。
自分達が殺し慣れた匂いの持ち主。引っ掛かる人物達ではあるのだが、それを言うには証拠が足りない。
「ここまで情報がないのも逆に変だよな………」
「これまでに破損されたのは自宅の庭にあった花瓶とか、外出先で車が、とか………」
「政治家なら周囲で反発も買うだろうけど」
それらと香龍会の関係はわからない。
あまりにも情報不足。
「明日も調査するよ。別方向からね」
紅茶を飲んで断言する昴に、3人は頷いた。
「今週の休日、さ」
自分達とは違い仕事をしている昴と紫音に負い目を覚えながら、将斗は切り出した。夕食を終え、お茶でひと休みしているときだった。
今日、愛花に会ったこと。今週の休日に積丹へ行くことになったと告げると、昴は快くオーケーしてくれた。
「楽しんできなよ。紫音ちゃんも行ったらどうだい?」
「でも私が行っても………」
遠慮するが昴は笑顔のまま、なぜかプレッシャーを放つようにして紫音に迫った。
近い近い、昴さん。顔近いです。
そんな昴の顔が急停止し、猛スピードでバックした。将斗と千晶が襟首を掴み、引き戻したのである。
「近すぎだ、兄貴………でもそうだな。紫音もどうだ?」
千晶はなにも言わなかったが、期待の満ちた眼差しを紫音に向けていた。
仕事のことは気掛かりだが、ここまできては断れない。
頷くと将斗はホッとしたような表現を、千晶は嬉しそうに(一見するとわかりづらいが)口元を綻ばせ、昴は満足げにワインに手を伸ばした。
その夜、愛花に将斗からの連絡がきた。
――俺と千晶、紫音の3人で行くよ――
携帯を握り、愛花はベッドの上で嬉しげに脚をばたつかせていた。
「姉ちゃん、参考書貸してよ」
ノックもせずに入ってきたのは弟の和也だった。来年受験生の彼は勉強熱心で、頻繁に参考書を借りにくる。
愛花は弟が科目を言う前に数学の参考書を棚から取り、差し出した。和也はそれを受けとると、不思議そうに姉を見た。
「いいことあった?」
「わかる?」
「姉ちゃん、鼻歌してたから」
「今度、友達が遊びに来るんだ」
へーぇ、と弟は頷いていたが、すぐに部屋を出た。
静まり返った部屋に戻る。
休日のタイムスケジュールを頭の中で組み立てながら、愛花は携帯の音楽をつけた。その指は楽しげに、リズムに乗って動いていた。
愛花はこの章ではメインヒロインのような存在になります。
苗字を速見に変えました