『ダブルフェイス』
僕の呼びかけに応じたのかどうなのか、凛は窓の外から眼を離し、こちらに向いた。その顔を見て、僕はハッと息を呑む。
凛の、彼女の両目が紅く不気味に光っていたからだ。ただ、カラーコンタクトを入れただけとは違う、本物のような、しかし、偽物より違和感がある、光る眼。僕はおぼろげながら気づく。いや、そうだと信じようとする。これは凛じゃない、『ダブルフェイス』だと。
「お前は、何者だ」
僕は尋ねる。
「何者か、そんなの分かっているだろう?私は柊凛だよ。正真正銘…ね」
彼女は答える。まさか、そんなはずは。
「そんなはずはない、って顔してるね。でも、君の質問は何者かを問う質問だろ?ならば私は柊凛だよ。それが君の呼ぶ『ダブルフェイス』だったとしてもね」
「それなら君はやはり、『ダブルフェイス』なのか?」
「ご想像におまかせするよ」
この会話中もその眼は変わらず紅く光っている。なぜ、光っているのか、紅いのか、今の僕には想像もつかない。いや、もしかすると一生分からないかもしれない。
「凛を、返せ」
「私が柊凛だと言っているのだが、聞こえてなかったのかな。まあ、いいよそれで。私が出てきたのは君とそんな押し問答をするためじゃないからね」
「じゃあ、なぜ出てきた?」
「理由?そんな物ないよ」
「…へ?」
つい変な声を上げてしまった。だって、さっきは「押し問答をしに来たんじゃない」って言ってたじゃないか。
「私は異常能力者というやつなんだろ。なら、言い得て妙じゃないか。なんでも行動に理由を求めるのが普通なら、私は異常ということになる」
それはただの屁理屈じゃなかろうか。
「それにさっきも言っただろう?私は柊凛だ。君の呼ぶ凛も、そして私も。柊凛の体を柊凛がどのように使おうと全く問題ないと思うが?」
彼女の言いたいことは分かる。彼女が異常能力、『ダブルフェイス』だとしてもそれは柊凛の中にいる誰か、だ。彼女の言うとおり、それはどれだけ否定しても変わりようがない、事実。早矢さんも分かってる。僕だけがそれを分かっていなかった。屁理屈を言っているのは僕じゃないか。
「ああ、そうだな」
僕は自嘲気味に笑う。『ダブルフェイス』、いやもう1人の凛が犯人なら、確かめる方法は簡単だ。今の凛に聞けばいい。でも、それはしない。理由も簡単。聞きたくないからだ。僕は、彼女に諦めるなと言いながら、心の中では諦めていたのだ、彼女以外の犯人がいる可能性を。心の奥底では持ってしまっていたのだ、彼女が犯人だという言いようのない確信を。
「1つ…聞かせてくれ。君は、どうやって出てくる?その条件はなんなんだ」
「…さあね」
「そっか」
「え?」
今度は彼女が変な声を上げた。何か変なこと言ったか?
「そっかで済ますの?追求したりしないの?」
「知らないならしょうがないじゃないか」
「…嘘ついているかもしれないのに?」
「もし、嘘ならそんなことを聴いたりしない。それに、本当のことを言わせる方法が僕にはない」
僕は至極真面目に言った。そのはずなのに。
「ぷっ。アハハハハ。なんだそれ!!」
笑われた。なんかムカつく。「アハハハハハ!!」まだ笑ってるし。
「何がおかしい」
「どこも変じゃないよ。私から見れば」
…あれぇ?それって異常ってことなんじゃ?
「いやあ、笑った笑った」
ひとしきり笑いきったあと、凛は目元の涙を拭いながらそう言った。そこまで笑うことか?僕が少しふてくされていると。
「笑わせてくれたから、帰る前に1ついいことを教えてあげるよ」
そう言いながら、僕の耳元に顔を寄せると、内緒話のように耳元でこう囁いた。
「君…近いうちに死ぬよ」
え?と僕が返そうとしたが、彼女はすっと歩き出すとそのまま教室から出てしまった。
そこで僕は彼女の言葉を思い出す。死ぬ?僕が?なんで?様々な疑問が脳裏に浮かんでは消える。なぜあいつが知ってる?いつ?誰に?事件と関係が?
「…え……ねえってば!」
と、そこで僕は気づく。僕が誰もいない教室の真ん中に突っ立っていることに。そして目の前には凛の顔。その目はいつも通りのブラウンだ。
「いつから…そこに?」
「ずっと教室にいたつもりだったんだけど、いつの間にか廊下…に」
そこまで話して彼女は顔を青ざめた。気づいたのだろう、さっきまで自分が『ダブルフェイス』と入れ替わっていたことに。僕は彼女にどう声をかけていいか分からなかった。
「紅く光る眼…だと?」
こう呟いたのは早矢さんだ。僕は今男鹿探偵事務所にいる。凛との話し合いは延期になった。状況が変わったからだ。『ダブルフェイス』を確認することができた。それを一刻も早く早矢さんに報告する必要があると僕は判断した。凛もそのことについては納得している。
「お前の見た、紅く光る眼。私が直接見たわけではないから断言は出来ないが、恐らくそれは未来視の一種だ。だが、そうなると…柊凛は二重能力者ということになる」
「それって、すごいんですか?」
「ダブル自体は確かに珍しいが見ないほどではない。問題はダブル…つまり2つの異常能力を持ちながら正気を保っている点だ。これはほとんどありえないと言っていい。
だが、これは仮定だ。それが『ダブルフェイス』の特徴という可能性も捨てきれない。『ダブルフェイス』から何か聞いてないか?未来を暗示するようなことを」
未来を暗示する言葉。それを聞いていないといえば嘘になる。僕は聞いていた。はっきりと。彼女からの死の予言を。それなのに。
「いえ…特には聞いてないですね」
と嘯いてしまった。なぜかというと怖かったのだ。死の予言を本物と認めるのが。
「そうか。まあそれでも上出来だろう、この段階で『ダブルフェイス』の存在を確認できたのは」
「早矢さんは…凛を疑っているんですか?」
「現状では一番可能性が高いだろう。さっきは“正気を保っている”と言ったが、それはあくまで私が知っている範囲での話だ。『ダブルフェイス』がそうだとは限らない。それに時間をかけるとまた犠牲者が増える可能性もある。出来るだけ早く対処しないと」
早矢さんの言葉にドキリとする。僕は話すべき内容を話していない。僕に向けられた死の予言。それを話せば早矢さんは凛の未来視の能力を看破することは出来るのだろうか。もし出来るなら、僕はきっと話すべきなのだろう。でも、心の奥底に眠る凛が犯人だと認めたくない僕の心が早矢さんに話すことを拒絶する。
でも、僕はこの時に早矢さんにこの死の予言を報告しておくべきだったのだ。そうしておけばこの先の展開はもっと変わった物になっただろうし、あんなことにもならなかっただろう。
事件はその日の深夜に起きた。僕は早矢さんと今後の捜査方針について少し確認したあと、用事があるからと早めに帰らせてもらった。早矢さんには「最近来るの遅いし、帰るの早いぞー。寂しいぞー。給料減らすぞー」などと脅された(?)が、僕も自分の命がかかってる。あの予言が未来視によるものだとしたら、それを回避するための方法を考えないと。
しかし、その方法は見つからない。元々僕に告げられた予言は「近いうちに死ぬ」ということだけ。いつどこで、どころか殺されるのかどうかすら分からない。事故の可能性もあるし、病死の可能性もあるし、自殺の可能性だって捨てきれない。…さすがに最後のはないと信じたいが。
そんな中僕が今何をしているかというとアパートの部屋でテレビを見ていた。下手に外を出歩くよりは、部屋にいたほうが死の可能性は低いと考えたからだ。しかし。
「暇だな」
僕は独り言を呟く。時刻は11時半。この時間のテレビはあまり面白いのがない。普段はやらない学校の課題ももう終わってしまっている。少し早いがそろそろ寝ようかなと考えていたとき、すぐ近くからけたたましい音が鳴った。その音が火災報知器からだとすぐに分かった僕は財布や携帯など最小限の荷物だけまとめて外に飛び出した。
外には僕と同じように飛び出した同じアパートの住人がわらわらとアパートから脱出しているところだった。僕もその流れに乗り、アパートから脱出する。アパートの方を振り返ると裏手の方で煙が上がっているのが見えた。そんなに火が大きいようには見えない。誰かが呼んだであろう消防車のサイレンもすぐ近くに聞こえているため、特に大きな被害はなく火は消し止められるだろう。となると、どうしようか。部屋に戻るわけにはいかないし、野次馬をする気もあまりない。取り敢えず近くのコンビニにでも行こうかと思っていた矢先。
人の集団から少し離れたところからこちらを見ている、知り合いに気づいた。吉川龍太郎だ。彼は僕に気づいたのか気づかなかったのか、そのまま反対方向へ行ってしまった。…まあ、結局一度話しただけなのだから仕方ないが。
消防車が到着し消火作業を始めた頃、僕は時間つぶしに近くのコンビニに寄ることにした。アパートから最寄りのコンビニまでは2分ほど歩いて大通りに出たところにある。大通りなら殺される心配もない…いや、この時間なら関係ないか。まあ、コンビニに入ってしまえば店員もいるし大丈夫だろ。イマイチ死の予言を軽く考えている僕だった。
そんなこんなでコンビニに到着。入ると、大学生らしきアルバイトが店内の清掃をしている。こんな時間にご苦労様です。他に客や店員はいない。僕は雑誌コーナーに移動すると適当に漫画雑誌を手に取る。定期購読しているわけではないため、アニメなどで名前を知ってる程度の作品をパラパラと流し読みする。
区切りのところで顔を上げると、窓の外にまたもや見知っている顔を見た。柊凛だ。彼女も僕に気づかなかったのか路地裏に入っていく。そういえば、明日のことについて相談していなかったなと思い出した僕は彼女を追いかけることにした。