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ほむら  作者: 工藤るう子
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最終話











 少年の記憶をさぐった太智花は、珍しく、後悔した。


 虐げられた過去が、母親の死が、少年を、苦しめていた。


 太智花が記憶を探ったせいなのか、少年は、突然、正気を取り戻した。


 滂沱と流れ落ちる涙が、少年の頬を濡らしている。


 苦しさに胸元を押さえても、少年のくちびるが、うめきを漏らすことはなかった。


 震えるからだの細さが、痛々しく思えてならなかった。


 知らず、太智花は、少年―――記憶の中で、少年は織衛おりえと呼ばれていた―――を、抱きしめていたのである。




 少しずつ、太智花は織衛を、屋敷から外に連れ出した。


 首の傷はふさがり、しかし、結局、声を出せるようにはならなかった。


 ただ、骨ばかりが目立っていた体形が、わずかではあったが丸みを帯びてきていた。―――それだけが、太智花には救いに思えたのだ。


 織衛――と、呼びかければ、ゆっくりと振り返る。


 しかし、そのまなざしは、暗いままである。


 その表情が、動くのは、ただ、過去が脳裏を過ぎるのだろう、辛そうに顔をしかめるときだけだ。


「笑え」


 顎をもたげて、そう見下ろせば、織衛は、太智花の腕の中から、逃れ出ようとする。


 花々で満ちた結界の中、織衛だけが、黒々とした影をまとっているように、太智花には思えたのだ。


 まさに百花繚乱と呼ぶにふさわしい、季節も何も無視した花々の狂い咲きすら、織衛の双眸には映っていないのだろう。


 ただ、過去に、母親の死に囚われているのだ。


 ちりちりと、胸が、焼ける。


 これが、嫉妬の焔なのだと、太智花は、ひっそりと自嘲する。


 織衛の母親に、太智花は、嫉妬しているのだ。


 喉の奥にこみあげてくる苦い笑いを、おさえる術は、なかった。


 それでも、日々は穏やかだった。


 胸に渦巻く思いはあるものの、太智花は、存在してはじめての、愛しいものを手に入れた。


 もう少し、もう少し織衛が健康を取り戻せば、そうすれば、太智花は、織衛に、永劫を与えるのだ。ただの貴珠に与える不確かなものでなどない、真の永劫を与えよう。


 織衛が太智花と共にあってくれることを、太智花は、強く望んでいた。


 いつかは、織衛も、太智花に微笑んでくれるだろう。


 我ながら女々しいまでの願望にすがる自分に、苦笑を、禁じえなかった。




 しかし。




 こんなことになるのなら、吸ってしまえばよかったのだ。


 見る影もなく老いた貴珠が、足元には、転がっている。


 太智花は、まだ脈打っている手の中の貴珠の心臓を握りつぶした。


 饐えた匂いを撒き散らして、かつては貴珠であったものの血が、飛び散った。


 織衛を汚した血を拭いながら、太智花は、脇腹血を流す織衛を抱きしめたまま、屋敷へと急いだ。




 貴珠の館のことなど、忘れていた。


 なにが起きたのか、気づいたときには、条件反射のように、貴珠の胸から、心臓をつかみ出していた。


 貴に血を吸われなくなって久しい貴珠の血は、どろりと、濁っていた。


 死を間直に感じた恐怖から、貴珠は、暴挙に出たのだろうか。すでに、まともに喋ることすらできないほど老いていた貴珠は、ただ、喚きながら、織衛を、その手にかけようとしたのだ。


 貴珠の骸は、花々が、貪欲に、貪るだろう。


 数日もすれば、骨さえもぼろぼろに、砕けてしまうに違いない。




 ―――かすり傷ですよ。


 織衛の傷を見てのあきれたような医師の口調に、太智花は、カッとなるどころか、緊張がほどけてゆくのを感じていた。


 よかった。


 心の底から、太智花は、そう思ったのだ。


 なのに。


 織衛は、


「死にたかったのに………」


 掠れた、か細い声で、そう言ったのだ。


 刹那、太智花は、自分を抑えることができなかった。


 太智花がはじめて聞いた織衛の声がつむいだことばが、太智花の逆鱗に触れたのだ。


 目の隅では、医師が、よろめきながら、後退さる。


 気がつけば、太智花は、織衛の心臓を、掴み出していた。


 織衛の悲鳴が、不思議なほど耳に心地好かった。


 脈動を繰り返す心臓に、太智花は、口を寄せていた。


 芳しい香が、鼻腔を満たす。


 太智花は、織衛の心臓に、牙を突きたてた。


 織衛の、甲高い悲鳴。


 これ以上はありえないだろう美味が、口の中にあふれ出す。


 それを飲み下し、ぞろりと、心臓を舐めた。


 それだけで、織衛が、跳ねるように、慄いた。


 クツクツと、狂ったような笑いが、太智花の口からこぼれ落ちる。


 そうして、太智花は、自身左胸から心臓を、引きずり出したのだ。


 医師が、腰をぬかして放心したように、こちらを見ている。


 あまり、知られてはいないことだが、貴の心臓は、右と左にひとつづつ、一対あるのだ。




 そうして―――――――――――




 ああ――と、織衛のひときわ甲高い悲鳴が、かすれて、消えた。


 太智花は、太智花の左の心臓を、織衛の心臓があった場所へと押し込んだ。


 織衛の心臓を、太智花の左の心臓があった場所へと。


 ―――これが、唯一の例外だった。


 そう。貴珠が、定期的に貴に血を啜られなくとも、老いる心配のない。


 ただし、その負担は、貴珠に、壮絶な負荷をかけることになる。


 織衛が、苦しげに、蹲り、藻掻いている。


 それを、太智花は、愛しく、見下ろす。


 大丈夫だ。


「死なせはしない」


 これから織衛は、一ト月かそれ以上、仮死状態になるだろう。しかし、それを過ぎれば、太智花の心臓は、織衛に馴染み、織衛に、貴と同じ不老不死を与えるのだ。


 そうなれば、織衛、おまえは、


「私の永劫の伴侶だ」


 太智花は、藻掻く織衛を抱き上げ、額にくちづけた。


 うっすらと開かれた織衛のまなざしの中に、くちびるをゆがめた太智花の顔が映っていた。








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