第3話 怪異相談室
目を覚ました大和は、見知らぬ部屋にいた。
激しく色褪せ、黄ばんだ壁紙に囲まれ、酷くくたびれたソファに寝かされているようだった。
年季の入ったローテーブルと、これまた黄ばんだデスクマットを敷いたオフィステーブルに囲まれているが、大和にかけられているブランケットは真新しい。
更に可愛らしい猫のキャラのイラストが描かれているのが、余計にこの空間で浮いていた。
昨日は、何をしていたんだっけ。
昨日?
違う、さっきか。
夕方っぽいけど、今何時だ。
というか、ここ、どこ?
彼は混乱していた。
最後の記憶は、確か、
廃工場。
影。
八重。化け物。心臓を貫く。
思い出そうとして、思い出してはいけない事を思い出す。
まずいと思った時にはもう遅く、思い出したくない記憶が、連鎖的に引きずり出されていく。
大和は、こみ上げる吐き気を止める事ができない。
「待って、吐くならその袋に――」
勢いよく扉が開け放たれ、八重の焦った声が飛んでくる。
その衝撃で、大和は決壊した。
「す、すみません…」
「まぁ、いいよいいよ…気にしないで…」
大和の決壊は、新品同様のブランケットと、ソファを汚してしまった。
八重は気にしないでとは言うものの、彼の様子を見ると申し訳なくなる。
「あの、ブランケット、洗って返した方がいいですか…?」
大和が申し訳なさそうに言うと、八重は興味無さそうに、
「あぁ、それは捨てちゃっていいよ…」
と言いながら、必死でソファを掃除していた。
そっちはいいんだ、と妙な気持ちになった。
二人で協力し、ある程度掃除を終えると、大和は改めてビニール袋を渡され、パイプ椅子を薦められた。
八重は、大きな音で軋む、古びたオフィスチェアに腰かける。
その音の大きさは、なかなか聞かないものだった。
「工場ではお疲れ様。
驚かせちゃってごめんね。」
大きく伸びをして、八重は軽い調子で謝る。
先程死にかけた、いや死んだであろう人間の空気感ではない。
「八重さんって…何なんですか?」
大和は、そう聞くしかなかった。
何から何まで、理解できない事だらけだ。
質問が曖昧になるのも当然の事だった。
「うーん、話すと長くなるんだよねぇ。」
デスクに肘をつき、悩まし気に八重は答える。
それはそうなのだろう、と大和も思う。
質問したはいいものの、大和だって説明されたとしても、理解できる自信はないのだ。
「八重さんは、死なないんですか?」
口にしながら、大和は自分の質問の滑稽さを理解していた。
こんな事を、大真面目に聞く日が来るとは、彼も当然思っていなかったはずだ。
「まぁ、大体そんな感じだね。」
その八重の答えも、呆気なく、淡々としたものだ。
「だからああいう化け物と戦える。呪塊って言うんだよ。呪いの塊で、呪塊。」
「呪塊…」
まるで現実感がない。
急にマンガの話をされたような感覚だ。
その現実感の無さは、脳が無意識にその記憶を拒絶している、という側面もある。
それに大和自身は気付いていない。
「ああいう怨霊やら呪塊やらを排除したり、それを作り出してる人を懲らしめるのが目的。
そのために怪異相談室をやってるんだ。
本物に出会う事は多くないけど、入口としてはそういう怪談がほとんどだからね。」
「つまり、八重さんは危険な化け物を倒す仕事してる、って事ですか?」
「そういう事。」
かっこいい、と一瞬だけ大和は思った。
だが、その言葉は唇を突いて出てこなかった。
あんな凄惨な現場を見てしまっては、かっこいい、などと間抜けな感想を言えるはずもない。
「ちなみにあの呪塊は作り出されたわけじゃなくて、勝手にできたやつ。
ああいう心霊スポットにはたまーにできちゃう事があるんだよね。
ほんとたまーにだから、かなりレアだよ、あれは。」
「そうですよね…あんなのが大量にいたら日本中大パニックだし…」
「あー、確かに。
呪塊とやり合うのはいつもの事だから、全く意識してなかったけど、その通りだわ。」
八重は、ハハッと笑う。
「そうだ、掃除にばっかり気を取られて忘れてた。
口ん中気持ち悪いよね。」
そう言って、八重はデスクに腕を載せた。
その両腕の先から影が飛び出し、二つの腕の形をした影は、伸ばした触手のような足を生やし、給湯所へ一直線に走っていった。
大和はそれを見て、パイプ椅子から転げ落ちそうになる。
「そ、そそそれ!何なんですか!?」
「これ、便利でしょ。
“黒肢”っていうんだけど、自分の身体を、実体を持つ影として切り離せるんだよ。
僕の得意技。」
実際両腕の黒肢は一つの意思で操作されているように連動しており、独立した生き物には見えない。
片手が水切り棚のコップを取り、その間にもう片方の手は蛇口へ手を添え、コップが蛇口の下へ来た瞬間に蛇口をひねる。
「呪塊とかいう化け物といい、影で出来た腕といい、もう、何でもあり、ですね…」
「でも、これは割と制限ある技なんだよね。
黒肢を潰されれば僕の切り離した身体も潰されるし、見てなきゃちゃんと動かせないし。
便利だけど、何でもありっていうほど極端なもんじゃないかな。」
片手はコップを運び、跳躍してローテーブルに乗り大和へ水を差しだす。
もう片方は窓を開ける。
まだ部屋に残っていた悪臭が、日が傾き始めた春の風と入れ替わり、少しずつ吐き出されていった。
「にしても大和君、霊が見えるんなら言ってよー。
それなら先に忠告しといたのに。」
黒肢はそれぞれ、八重の腕に戻っていく。大和はそう言われて、首を傾げた。
「いや、あんなの初めて見ましたよ。今まで見た事もない。」
その大和の言葉を聞いて、八重は眉をひそめる。
「ふーん…?」
「?」
大和の顔をじっと見つめる八重は、しばし沈黙する。
「な、何ですか?」
その大和の言葉にも反応せず、八重は宙を見て少し思案した。
「…じゃ、少し休憩したら、ここ出よっか。
もうちょい付き合ってくれるよね?」
その言葉に、大和は焦った。
「え!?もうちょいって、何するんですか!?
もうあんなの嫌ですよ!」
「はは、もう一軒付き合えって話じゃないよ。
危ない事じゃない。
むしろ安全のためだよ。」
彼はデスクのスマホを拾い上げ、何やら操作し始める。
「念のため除霊、しといた方がいいでしょ?」




