第1話 大和と八重
気持ちの良い春の日差しが、人々を優しく照らしていた。
少しずつ葉っぱが見え始めてきた桜並木が、容赦なく花吹雪を道ゆく人々に浴びせ続ける。
特に今日は風が強めで、明日から本格的に、葉桜が街を新緑に彩り始めるはずだ。
そんな煌びやかな花吹雪を、公園のベンチにて肌に感じながら、山中 大和は心底機嫌が悪かった。
もう高校に入って1年が経ち、周りは皆やれ彼女とどこ行っただの、やれ彼女とお泊まりしただの、気色の悪い惚気ばかりを耳にしていたからだ。
趣味を同じくしていたゲーム研究会のメンバーからも、ついに先月“破門者”が出た。
彼女などと浮ついたものを作る奴は破門だ、そんな非モテの意地みたいなルールを作っていたのだ。
(破門なんて形だけで、ちゃんと俺たちは祝ってた。
なのにあいつは口を開けばちーちゃんが、ちーちゃんがって…
調子乗りやがって、俺らの厚意を何だと思ってんだ!)
思い出して、反射的にベンチをバン!と叩いてしまう。
隣のベンチに座っていたおじいさんがビクッと反応して、大和を睨んだ。
へらへらしながら軽く頭を下げ、恐る恐る逆側を向く。
こちらの人は気にしていないらしい。
いや、気にしていないどころか、何も耳に入っていないような様子だ。
顔が青白い。
全然動かない。
大和は焦った。
「だ、大丈夫ですか?」
大和の切羽詰まった問いに、青年はゆっくりと顔を見せる。
大和が言うのもなんだが、あまり格好の良い髪型とは言えない。
だが顔立ちだけ見ればかなり端正で、好青年に見えた。
「うん。腹減って死にそうなだけ。」
ただ空腹を訴えているだけのようにも聞こえるが、その顔色から緊急性を感じる。
「え、えっと、昼買った菓子パン、食ってないのありますよ。どうぞ。」
生気のない目で彼は菓子パンを受け取り、ボーッとした動きでそれを食べ始めた。
「はー、生き返った!いやーほんと辛かったー、2回くらい餓死してたよ。ありがとう!」
ラーメンのスープを飲み干し、青年は大和に手を合わせて大きく頭を下げた。
パン一つだけでは青年はどう見ても回復しておらず、近くの格安チェーンのラーメン屋に入ったのだ。
彼は遠慮しつつもラーメンを頼み、すぐ飲み干して、2杯目を飲み干したところでようやく落ち着いた。
「いえ、大丈夫ですけど…大丈夫ですか?栄養失調とかヤバいんじゃ…」
「これだけ食べたら何とかなるよー。ありがとね。…でもお金、本当にいいの?」
彼を引っ張ってラーメン屋に入る前に、青年はお金がないから、と言っていた。
大和としても、なけなしの小遣いが見知らぬ青年のラーメン代に消えるのは不本意ではあるが、ここで見過ごして本当に餓死されるよりはマシだ。
「お金無いなら仕方ないですよ。お兄さんが無事でよかった。俺、大和です。お兄さん、お名前は?」
「僕は八重。大和、命の恩人だよ!ありがとう!」
手を伸ばしてきて、大和が握手に応じると、ぶんぶんと腕を振ってきた。
「あ、そうだ。お礼にこれ。」
八重は、胸元から一枚の紙を差し出した。
一瞬お金かと思ったが、名刺のようだ。
まぁお金を隠し持っているのなら、今のこの展開が意味分からないな、と大和は心の中で苦笑いした。
「柳 八重 怪異相談室…?」
あぁ、やはり関わらなければよかったか。この名刺を見た瞬間帰りたくなった。この人、ヤバい人だ。
「そんなあからさまに胡散臭そうって顔しないでよー、傷つくなー。」
そう言いながら八重は笑っている。
「ま、奢ってくれた分くらいサービスするから。変なこととかあったら相談に来てよ。」
「は、はい…」
もう名刺は一瞥することもなく鞄に突っ込まれる。
「じゃ、俺はこれで…」
大和が立ち上がりかけた、その時。彼の脳裏に、ある噂話の存在がよぎった。
「…あの…」
「ん?何?」
「気になる噂話を調べてもらうだけ、ってタダでやってもらえます?」
待ってましたと言わんばかりに、八重の目は輝いた。
「お、そういうのあるんだ?いいねぇ、ひとまず調査くらいはおまけしとくよ。」
「調査が終わってから大変だったから追加料金とか言いません?」
「言わない言わない。」
「霊に襲われそうになった時、ここから先の対処は追加料金でとか言いません?」
「言わないって!そうなったらちゃんと逃げるか処理して帰るから。」
このままだと彼の疑念は晴れないと思ったのか、八重は笑いながらも真面目なトーンになる。
「大丈夫。ただ調査して終わるだけ。君の身に危険があったなら、その分の対処も含めてサービスするよ。」
そう聞いてもなお大和は怪しむ表情をしていたが、八重の真摯な態度を見ているうちに少しだけ疑念が晴れたようで、彼も八重へと向き直る。
「じゃあ、調査だけ、お願いしたいことが。」
そう言って、大和は口を開いた。
大和の話を聞き、早速八重は彼を連れて現場へ向かった。
「今からじゃなくてよくないですか?」と渋り続ける大和を引っ張るように、八重は「善は急げって言うだろ?」と薄い根拠で歩を進める。
正直な話、八重は暇なのだ。
さっきラーメンをご馳走になった繁華街を抜け、住宅街を横切り、山の麓にある小さな廃工場。
それが大和の話の舞台だった。
小さいとはいえ立派に工場であり、周囲に鉄骨や砂やら、様々な資材が無造作に置かれている。
錆びきった壁面や傍らのプレハブ小屋にはいくつかの落書きが散見され、また周囲には身長ほど伸びきった雑草が生え放題だ。
典型的な廃工場といった風体だった。
「おー、こういう所はいいね。歴史を感じる。」
やたらと楽しそうに八重は感嘆の声をあげるが、それとは対照的に大和はすっかり萎縮していた。
「そ、そういうもん…ですか?」
彼は忙しなく周囲を見回す。
僅かに傾き始めた太陽は、大和の恐怖心などお構いなく、西の空へと沈む準備を進めていた。
この廃工場には、ある噂があった。
本当によくある噂。
ここの工場長が、資金難に苦しみ、自らの守りたかったこの工場でその人生を終わらせた。
今の時代に聞けば失笑すら買いそうな、王道パターンだ。
それでも大和はあまり身の回りでそういった噂を聞いた事が無く、
どうせタダで調査してもらえるなら、と噂を確かめに来た。
「んーと…相馬工業か。どれどれ…」
工場に立てかけられた看板は、傷だらけの文字で“相馬工業”と名乗っている。
八重はスマホを取り出し、何やら操作し始めた。
「何してるんですか?」
「んー…」
曖昧に返事しながら、八重はスマホの操作を続ける。
「…あ。あった。」
八重は大和の横に立ち、スマホの画面を見せた。
「これこれ。相馬工業。代表取締役、相馬浩三。これ公式サイトに掲載されてた写真っぽいね。」
彼の見せた画面の画像には、厳格そうな中年男性を中心として、何人かの若者や老人が、この工場と思しき場所で写っていた。
「で、こっち。2週間前の投稿。」
八重がスマホの画面をスワイプすると、SNSの投稿の画面が出てくる。
麻雀卓で、得意げに牌を広げてカメラ目線をしている。
本文には「役満記念」とだけ。画面上に書いてあるアカウントの名前は…相馬浩三。
「まぁ分かっちゃいたけど、自殺ってのはデマだね。今の時代、事業が上手く行かなくて首括るなんて、無い話じゃないにしても時代遅れすぎると思うよ。」
そう聞いて、大和の周りを包み込んでいた恐怖心は、興醒めしたように解散した。
やはり、怪談など真相が分かってしまえばこんなものだ。
大和は安堵のため息をつき、八重はスマホをポケットにしまう。
少し霊的な体験ができなかったのは残念に感じたが、怖い思いをせずに済んでよかった、とも大和は思った。
「ただ、自殺者が絶えないって噂は、その通りらしい。」
解散し始めていた恐怖心が、踵を返してまた大和を取り囲んだ。




