第九話 逃げなければ
ゴールデンウィーク最終日!
薄暗く誰もいない廊下にコツンコツンというヒールのような足音が響く。
ゆっくりと、ゆっくりと、こちらに近づいてくるのがわかる。
逃げなければならない、秋良の頭の中はその言葉で埋め尽くされていた。だというのにも関わらず、足は言うことを聞かずに自分の足ではないかのように重たくなっている。
コツン、コツン
まだ足音の主は姿を現さない。
鼓動が速くなっているのがわかる。あのときと同じように滝のような汗が流れでる。まだ何もしていないのに息も上がってくる。
コツン、コツン
まだ足音の主は姿を現さない。
(来るな、来るな、頼む、止まってくれ、止まってくれ!)
コッツン―――
そのとき最後の足音が聞こえ、音が止まった。
秋良のすぐ後ろで
―――走れ!―――
その言葉が秋良の頭を埋め尽くした。先ほどの鉄のように重たかった足とは打って変わって羽のように軽くなっている。
後ろは振り返らずに真っすぐ前だけを見て足を動かす。
おそらく秋良は今までで一番速く走っている。だが窓の外は見えず、廊下を走っているため、視界に映る景色は変わらず本当に走っているのか不安になってきてしまう。
減速せずに曲がり角を曲がろうとしたが、曲がりきれず壁に体を打ちつける。それでも方向転換はできた。
痛みに耐えながら、そのまま全力で走ろうと足に思いっきり力を入れようとしたその瞬間、“何か”が見えた。
―――入れ!―――
次はこの言葉が秋良の頭の中を埋め尽くした。すぐに真横にある教室の扉を開け、中へと飛び込む。今の一瞬で扉も閉めた。驚くほど静かに。なぜこのような芸当ができたのか秋良にも分かっていない。
教室には入った。だがまだ頭の中はうるさいままだ。秋良の本能がこれでは駄目だと告げている。すぐさま掃除装具入れのロッカーの中に飛び込む。
そうしてついに頭の中は静かになった。頭が冷静になってくる、と同時にものすごい喉の渇きを感じた。秋良はここに逃げ込むまで全力で頭と体を動かしていたのだ。それは人間として当たり前のことだった。
(はぁ…はぁ……なんだ今の……あの、開かずの教室の前でっ………俺を…待ち伏せてっ……いたっ…………!?)
体が熱い。息も急に上がってくる。まるで今まで息をしていなかったみたいに。肺が酸素を求めている。
だが、悠長に息を吸うことはできなくなってしまった。
バタンッ
いきなり教室の扉が開いた。ロッカーの隙間からその様子を見る。そこにいたのは先ほど秋良が見た“何か”だった。
体は小学3年生ほどの大きさでそれほど大きくはない。だが異常なのはその腕と頭だ。腕は体よりも圧倒的に長く、肘から先は床についてしまっている。普通の子供サイズの首から上についているのは、まるで風船のように膨らんだ頭だ。気味の悪い顔をしている。その表情は悲しんでいるようにも見え、怒っているようにも見え、笑っているようにも見えた。
どうやって頭を支えているのだろうか、そう思わせるほどの大きさだった。
(ハグレだ………!見た覚えはある!だけど、名前が思い出せない……!)
その姿からそれがハグレであることを確信すし、頭の中から必死に探し出そうとする。だが、ハグレはそれを待ってはくれなかった。
ハグレは体をこっちの方へ、秋良のいるロッカーの方へと向けて歩き出した。
コツン、コツン
あのヒールのような音が教室内に響く。しかし、ハグレが履いているのは普通の小学生が履いていそうなスニーカーだ。なるはずのない音が教室内に響き、その音が秋良の恐怖をさらにかき立てていた。
コツン、コツン
ゆっくりと、ゆっくりと、こちらに向かってくる。教室内は廊下よりもさらに薄暗い。さらに秋良の他に誰もいないため、少しの音が思いっきり響いていまう。
早く酸素を寄こせという肺を必死に抑えながら、息を忍ばせる。外にまで聞こえていないかと心配になるほどの鼓動の音が秋良の内側で鳴り響いている。
コツン、コツン
もう目の前まで来た。
ロッカーの隙間にはハグレの目しか映っていない。それだけ近ければ秋良の事が見えていてもおかしくはない。
ガタッ
すぐ前で物音がした。おそらくハグレがロッカーの取っ手にあの長い手をかけたのだろう。
ハグレとはもう目が合ってしまっている。ハグレの表情は変わらない。
もう、どうしょうもない。
そう思った秋良は強く目を瞑り、そして、
ギギギギギッ
「秋良!大丈夫か!」
聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
ゆっくりとまぶたを上げる。すると目の前にいたのはあのハグレではなく、秋良よりも息を切らしている空兎だった。
「……くう……と……?」
「あぁ俺だ、悪い遅くなった。とりあえず出てこい」
空兎に出てくることを促され、そのとおりにロッカーから出る。その途端、疲労が困憊していたのか、立てなくなってしまった。ゆっくりと床に座り込む。
持久走を走り終えたあとのようになっており、十分に休憩しないと立つことは厳しそうだ。
一旦休憩しようと空兎に言われ、秋良は静かに息を整える。
「なんで空兎はここにいるんだ?先に図書館に行ってたはずだろ?」
息が落ち着きを取り戻したため、疑問に思っていたことを口にする。
「なんかすっげぇ胸騒ぎがしてさ、図書館の中にいたんだけど、引き返してきた。で、3階まで行って秋良のことずっと呼んでたんだけど返事がないから、手当たり次第に教室探してたんだよ」
秋良には空兎の声なんて一切聞こえていなかった。だが、嘘を言っていないことはわかる。あの空兎が秋良を見つけた時、そうとう息を切らしていたのだ。それだけ全力で校舎内を駆け回っていたのだろう。
つまり考えられるのは、秋良と空兎のいた場所は違うところだったということだ。そう考えれば窓の外に黒い壁があったのも説明がつく。
「でもやっぱりハグレに襲われてたんだな。ほんと来てよかったぜ。で、どんなやつだったんだ?」
空兎が安心したような様子で聞いてくる。
秋良は先ほどの出来事をなるべく詳しく教えた。
いきなり夜のようになったこと、後ろにいたはずのハグレが前で待ち伏せしていたこと。そして、そのハグレの姿を。
「ん〜、多分そいつは【バルンくん】だな」
「あぁ、そういえばそんな名前だった気がする。ていうか、バルンって絶対バルーンの略だよな。ひとみさんとかと同じでハグレの名前って安直すぎないか?」
「そんなこと俺に言われても……名前つけた奴に言えって」
その後、空兎がバルンくんについて教えてくれた。
バルンくんの出現条件
・5時から5時半の間に校舎内を誰もいない状態にすること
・その中に1人でいること
・3階のトイレで1分間鏡の自分と目を合わせること
「本当にこれなのか?明らかにひとみさんよりも難しい気がするんだが」
「ハグレってのは出現した時、人間に被害が大きいやつほど条件が難しくなってる。つまり、バルンくんはひとみさんよりも危険なハグレってことだろ」
「そうなのか……」
ひとみさんの時は確かに静かだったが、それでも鳥の鳴き声などは聞こえていた。だが今回はそんなものも聞こえず、周りと完全に分離されていた。規模で言えば明らかにバルンくんのほうが大きいのだ。空兎の言っていることは正しいのだろう。
「はぁ… こんな難しい条件クリアするなんて、俺運悪すぎだろ……」
「ここまで来ると逆に良いまであるだろ」
「笑いごとじゃねぇぞ」
秋良を見て笑う空兎の背中を軽く叩く。秋良は軽くしたつもりだったのだが、それなりに痛かったらしく、空兎は背中を押さえながら悶絶している。
本当なら謝るところなのだろうが、その様子が面白かったため、何も言わないでおいた。
「でもこんなことがあった後だし、この話は今日はやめとくか」
痛みが収まったらしく空兎が話し始める。
「話?話ってなんだ?」
どうやらここに駆けつける前に何か見つけたようだ。
「ほんとにいいのか?こんなことがあった後だし別に明日でもいんだぞ?」
「いや、大丈夫だ。その話ってハグレのことだろ。なら尚更聞けないわけにはいかない」
秋良のことを思ってのことだろう、本当に今話すべきかを悩んでいる。
だが秋良が全く引かないため、結局空兎が折れ、話し始めた。
「この町の人たちがハグレと関わらない理由、分かったかもしんない」
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