第13話:アルセリオンと秘密の契約
「あ、貴方は……」
目の前に立っていたのは、まぎれもなくアルセリオンだった。二足歩行で、身長は私より少し高いくらい。白く光る触手が背中や腕から不規則に伸びている。
「アルセリオンって前に言ったろ?忘れたか」
低く響く声は、明らかに男性のものだ。
「しかし、今の俺じゃ弱体化待ったなしだな。形態も普通級怪物になってるしよぉ、ッチ最悪だ。」
触手がゆらりと揺れ、周囲の空気を引き裂くような感覚が私の心臓に伝わる。
「な、なんで。私の身体にだって……いたじゃん!」
震える声でそう言うと、アルセリオンは肩をすくめ、まるで人間みたいに息を吐いた。
「いや、正確にはまだ抜けてない。一分程度ならばお前から自立して動けるようになっただけだ」
「じ、自立って……そんな勝手なこと……!」
「勝手って言うなよ、命の恩人に」
「で、でも……ひ、人殺してるし……」
私の声は小さくなっていった。目の前には、血の匂いが充満している。倒れた兵士、アルフィード……。足が震える。吐き気もした。
アルセリオンは、そんな私をちらりと見て、白い瞳を細めた。
「……殺さなきゃ、お前が死んでた」
低く、静かな声だった。
怒鳴りもせず、淡々と、けれど胸に突き刺さるように響く。
「人殺しになるんだったら……死んだ方が良かった」
震える声でそう言った。
胸の奥がズキズキ痛い。怖い。気持ち悪い。誰も殺したくなんてなかった。
アルセリオンは黙っていた。けれど、その白い瞳が、ほんの少しだけ揺れた気がした。
「お前が死ぬと、俺も死ぬ。つまり俺とお前は一心同体だ」
「え……?」
「まさか、この俺が“死”を恐れるとはな……おかしな話だ」
彼は苦笑のように唇を歪める。
その顔は、人間でもなく、怪物でもなく、どこか悲しそうだった。
「いいか、ルチア。――俺が、お前を守ってやる」
そう言って、アルセリオンはそっと手を伸ばした。その手は血にまみれていたのに、私には、なぜか温かく感じた。
「こいつらが死んだのは、実に哀しい。だが、それも運命の一片だ。世は容赦なく、冷たい。だからお前は、どうか光だけを見ていろ。
闇が舞い込んでこようとも、俺がその暗さを喰らってやる。お前の代わりに、俺が受け止める。だが一つだけ約束してくれ、ルチアら生きろ。」
怖い、でもどこか安心感がある。赤い目が私を捕える。
「で、でもどうやって……?」
私が言い終わる前に、アルセリオンの背から白い触手がにゅるりと伸びた。
それは床を滑るように動き、倒れた兵士の方へと向かっていく。
「ちょっ、ちょっと!?な、なにするの!!待って、待って!!」
「証拠隠滅だ」
その言葉に、背筋が凍った。
「や、やめて……!喰わないでっ!」
私は叫んで、彼の腕を掴む。けれどその腕はまるで岩みたいに硬くて、びくともしない。
「でも、どうすんだよ、これ」
アルセリオンは淡々とした声で言う。
その目には迷いも情けもない。まるで機械が命令をこなすようだった。
「だ、大丈夫だよ……きっと……」
私は、ただそう言うしかなかった。声が震えて、言葉の最後はほとんど消えた。
(子供故の判断力だ。先読みも甘い。
こいつらを放置すれば確実に波風が立つだろうが、ルチアは慌てふためき、そのことに気づいていない、寄生するところ間違えたな──ッ身体が戻される!)
アルセリオンは静かに思考している所、ルチアの体内に戻った。
「あ、アルセリオン?!」
「どうやら、自立して動けるのは、せいぜい一分程度、ということが確定したな。まあ、実際にはそれより少し長く保つが……それでも限界はある。だが安心しろ、ルチア。お前の体内に留まっている場合は五分間、お前を媒介にして、物質世界で自由に動くことができる。」
「はぁ、はぁ〜?分かった。だったら行くぞ。俺の活動時間は5分だ、そのうちに出る」
「う、うん!」
私はアルセリオンの背中にしがみつくみたいにして付いていく。心臓がまだバクバクするけど、走るしかない。
「人は殺さないよね?」
「お前が望むなら」
アルセリオンの声が低くて、いつもより少し優しい。私に生えている背中の触手が路面スレスレに伸びて、小さく路面をはたくと、石の床の震えが消える。足跡を残さない。
「どこ行くつもりだい、お嬢さん?」
地下室を出たら、そこに立ってたのは一人の男。グレーのシルクハットにロープを下げて、顔は影で隠れてる感じ。
「だ、だれ…?」
「俺か? 傭兵だよ。雇われの、ちょっと汚れた傭兵さ」
「ルチア、いいか。俺が何とかする。お前は耐えろ、それだけだ」
そう言って男はちょっと身構えた。私も反射的に視線を自分の手元へと落とす。
そこにあったのは、人の腕ではなかった。
白い。冷たい光沢を帯びた、どこか液体と生物の中間みたいな質感の“触手”が、私の肩から生えていた。自分の皮膚がねじれて形を変えたのではない。明らかに“私ではない何か”が、私という存在の表面から侵食しているような――そんな異様な光景。
「っな、なにこれ……」
声が勝手に漏れる。寒気が背骨を走る。
『お前の存在に俺は寄生している。だから右腕を俺の存在に置き換えた。それだけだ』
アルセリオンの声は、驚くほど平坦だった。
まるで「今日の夕飯はパンだ」と言うかのように、淡々とした説明だった。
「それだけって……っ、それだけで済む話じゃないでしょ⁈」
震える声で叫ぶと、自分の声がひどく遠く感じた。右腕は感覚があるような、ないような……触手は私の意思とは別に、ゆらりと空気を探るように動く。
重さはある。温度もある。だけど、“自分では動かしていない動き”が混ざる。
『説明しただろ?お前を通してならば物質世界に五分だけ動けると、いいか?余裕は無い行くぞ!』
「おぉ、妙な生き物だな……」
傭兵の口元がゆがむ、その瞬間──パンッ!と銃声が響いた。
狙いはまっすぐ、私に向かってた。
「えっ──」
次の瞬間、白い右手の触手が天井を掴む、私の身体をふわっと持ち上げ、弾丸を防ぐ。
銃弾が壁に突き刺さる音が遅れて響いた。
硝煙の匂い。心臓がドクドク鳴る。
「ッチ……今の状態じゃ扱える情報が足りねぇな……」
アルセリオンが低く吐き捨てる。
「やっぱり……人を喰って情報を溜め込むべきだったか……」
白い触手が静かに揺れた。怒りを押し殺しているように。
「面白いな、君は……」
グレーの男が勢いよく駆け寄り、刀を振り上げる。アルセリオンの白い触手が素早く伸び、刀を受け止めた。
空気を切る金属音。斬撃の応酬は、私の目にはほとんど見えないほどの速さで交わされていく。
「――――っ!」
アルセリオンの触手が一閃、グレーの男の腹部に軽く切り裂く痕がついた。凄い、戦っているのは私だけど、私じゃない、右手が勝手に動き戦いをしている。
「おっと、やるねぇ……」
グレーの男が低く笑い、声を潜めるように呟いた。
「リスクある戦いは持ち場じゃない……だが、君は面白い。」
私は息を呑み、思わず後ずさる。
触手の動きの速さに目が追いつかないけど、確かにアルセリオンが私を守ってくれているのがわかった。
「また、会えそうだな。」
そう言うと、グレーの男は霧のように消えていった。
「な、なに……」
私が呆然としていると、アルセリオンが傍に立っている。
「行こうか」
「う、うん……」
わけもわからないまま、私はアルセリオンの背に従って出口へ向かう。
外の光が差し込むと、胸の奥が少し落ち着く。
「さて、俺はここまでだ。後は頑張れよ。」
アルセリオンはそう言うと、するすると私の体内へと戻っていった。
その瞬間、静かさと同時に少しの寂しさが胸に残った。
「アルセリオン……ありがと……」
人を殺したのは衝撃だけど、助けてくれたのは事実。複雑な気持ちを抱えながら、私はそっとドアを開けた。
王都の光景は、何事もなかったかのように人々で溢れている。色とりどりの衣服、行き交う馬車、叫び声や商人の声……騒がしくも生き生きとしている。
「うわ……すごい……」
私は前に一歩、また一歩と踏み出す。人の波が押し寄せる中で、周りの景色に目を奪われてしまう。建物の豪華さ、屋台に並ぶ食べ物、果物の香り……王都のすべてが私の目に新鮮だった。
「お父さん……どこにいるんだろう」
人混みの中、私の胸は少し高鳴る。迷子にならないように、足を止めずに前へ進む。
「ルチア!ルチア!!!ルチア!!」
その叫びに反応して振り向くと、お父さんが駆け寄ってきた。
「お父さん!!」
「大丈夫か!!!怪我は?!」
「無いよ、暑苦しいよォ……」
そう言いながらも、お父さんは私をぎゅっと抱きしめてくる。体の熱と力強さが伝わってきて、思わず安心してしまう。
「心配したんだぞ、ルチア…どこにいたんだ?」
「あ……ちょっとその」
『言わない方がいい、事が大きくなればまた巻き込まれる可能性がある』
アルセリオンの声が頭の中に響く。そうだよね……うん、黙っておこう。
「な、なんでもないよ」
「そっか、もうはぐれんなよ」
お父さんの手がしっかりと私の肩に触れる。安心と少しの緊張が入り混じる中、私は頷くだけだった。




