大浴場で療養中の不良はそれなりに温厚説
トル村での戦いから1週間と2日。
ニルナ、プツェル、ルコルバはようやく退院を許され、窮屈なベッドを抜け出すことができた。
ほとんど無傷だったが病院に寝泊まりしていたアンも交えて、4人は道のど真ん中を横に広がって歩いている。
空はオレンジに染まっており、もうすぐ夜がやってくる時間だ。
「はぁ〜、やっと退院ッスねー!」
「さようなら退屈! 久しぶり日常! 俺達は自由だーッ!」
「ファーミットには間に合いそうでよかったでありますな。市場も人で賑わっている頃でしょうし、稼ぎ時であります!」
「そーだな。死なせちまった新人の家族にも詫びの贈り物しておきたいし、頑張って稼ぐか!」
「腕が鳴るッスね! 喧嘩三昧、いつもの暮らしッス!」
「疑問。何故真っ当な手段で稼ごうと思わないのか」
チンピラ共のおちゃらけな会話を聞きながら、アンはため息をつく。
そのため息もまた、ニルナの言ういつもの暮らしの一部であった。
ふと、プツェルがぽつりと漏らした。
「……生き残ったんだなあ」
「頑張ったッスね〜……」
オレンジ色の空を見上げながら、ニルナが微笑む。
ルコルバとアンも、口にこそ出さないものの思いは同じだった。
世間一般には知られることのない、自分達だけの喧嘩。
それも、魔王軍の大幹部や機械化された武装組織を相手取った、未だかつてない戦い。
無謀ともいえる戦いに身を投じ、トゥピラを助け出して尚且つ全員生き残った。
その自分でも信じられない事実が、チンピラ冒険者達の大きな誇りとなっていた。
会話が途切れ、静寂が訪れる。
4人は闇に呑まれつつある空を眺めながら、それぞれ実感の湧かない生を噛み締めていた。
沈黙を破ったのは、ルコルバだった。
「…………浴場でも行くでありますか?」
「……アリ」
「同感。久々にさっぱりしたい」
「えー? 病院で入れてもらってたじゃないッスか。クソ貴族や役人じゃああるまいし、風呂なんて毎日入るもんじゃあないッスよ」
露骨に嫌そうな顔をするニルナだったが、プツェルとルコルバにがっちりと肩を掴まれ、動きを封じられる。
引き攣った笑みを浮かべるパーティリーダーに、悪どい笑顔のプツェルが言った。
「何言ってんだ。入ったところで綺麗になるだけで損はねえだろ」
「隊長をどうこう言える口ではないでありますが、キサオカ殿やイリエス殿を少しは見習っては如何でありますか? 聞けば普段は毎日浴場に通っているのだとか」
「それは……単に先輩方が潔癖なだけッスよ! 大体、5日に1回がこの国の常識──」
「笑止。留置所が寝床のチンピラが常識を語るな。つべこべ言わずについてこい」
遂にはアンまでニルナ包囲網に加わり、ニルナは完全に抵抗の余地を失う。
諦めの息を吐き、「行けばいいんでしょ行けばぁ!」と叫ぶニルナであった。
★★★★★★
時間と場所は変わって、夜の公共浴場、女湯。
人が集中する夕方を避けたので、泉のような浴場は閑散としており、話し声がよく響いた。
髪を洗い、身体を軽く濯いだニルナとルコルバ、アンは肩まで湯に浸かり、湯気の中に3つの頭を並べていた。
ニルナとアンは裸(大事な部位は謎の光や湯気によって隠れているものとする)だったが、ルコルバだけは身体にタオルを巻いての入浴だった。
今にもお湯の中に溶けていきそうな顔で、ニルナは大きく息を吐く。
今度は諦めのような負の感情ではなく、幸福に満ち満ちていた。
「あぁ〜、生き返るゥ〜……」
「隊長殿、中年オヤジみたいであります」
「同感。加齢臭が凄まじい」
「やっかましいッ! あたしが何呟こうが自由ッスよ!」
ニルナの怒声に動じる事なく、ルコルバは微笑む。
「なんだかんだ楽しんでいるでありますな」
「うっ……」
「せっかくなら、このままもっと盛り上げるでありますよ! 犬耳殿もいないことでありますし」
当然のことながら、
「そーッスね。女子会でもやるッスか?」
「妙案。飲み物もあることだし、もってこい」
湯の上に浮かべられた木製のプレートには、ジュースの入ったコップが3つ置かれている。
のぼせないようにという配慮であり、氷までつけて無料で提供されている。
3人はコップを手に取り、肩を寄せ合う。
音頭を取ったのはニルナであった。
「じゃ、かんぱーい!」
「「乾杯」」
かつん
コップ同士がぶつかり合い、中の氷がからからと音を立てる。
ニルナ達はぐいとジュースを喉の奥に流し込み、大きく息を吐いた。
「かぁーッ! たまんねぇ〜ッス!」
「隊長殿、やっぱり中年オヤジであります」
「同意。2日酔いの姿がお似合いだ」
「てめーら調子乗ってると沈めるッスよ⁉︎」
湯の中から左腕を出して威嚇するニルナ。
本来手があるべきところには、水に濡れた鉤爪が光沢を放っていた。
呆れ顔でアンが呟く。
「危険。風呂の時くらい鉤爪は外せ。錆びるぞ」
「え⁉︎ 錆びるんスか⁉︎ えーと、お湯に触れないように……」
「隊長、お手伝いするであります!」
「……馬鹿」
左手で挙手するニルナと、それを支えるルコルバ。
アンは呆れつつも、小さく笑っていた。
「あ、隊長殿。この機会に聞かせてほしいことがあるであります!」
「ん? 何スか?」
「その背中の彫り物についてであります!」
きょとんとした顔で、ニルナは振り返って自分の背中を見る。
彼女の傷とアザだらけの白い背中には、横を向いた生物の頭が描かれている。
見間違えようもない、これは竜だ。
湯に隠れていて全体は見えないが、確かに青い鱗の竜の刺青が彫られていた。
「以前から気になっていましたが、それ何なのでありますか?」
「首肯。私も気になっていた。前ははぐらかされたが、お前に誘われてパーティを組んでから1年になる。そろそろ教えてくれてもいいんじゃあないか?」
「え、えーっと……」
2人に詰め寄られ、ニルナは彼方此方に視線を彷徨わせる。
視線が彷徨う度に、ルコルバとアンの顔はますます近づく。
「ほ、ほんとに知らないんスよ……。なーんにも。ほんとッス!」
「育ての親に何か言われてないのでありますか?」
「『拾った時には既にあったで』としか言われてないッス」
「疑問。とすると、赤ん坊の時には彫られていたということになる。妙だ……」
「不可思議であります……奇妙であります……」
頬に手を当てて考え込むアン。
ルコルバはニルナの背中を舐め回すように見つめながら、眉をひそめてぶつぶつ呟いていた。
2人共、ニルナ本人のことは完全に蚊帳の外であった。
やがて耐えられなくなったのか、ニルナが遂に爆発した。
「あーもう! そういう空気嫌いッス!」
そして、驚いているルコルバに飛びかかると、水の染み込んだタオルをひっぺがし、彼女の身体に抱きついた。
悲鳴をあげて暴れ回るルコルバを、ニルナは懸命に押さえ込む。
「ルコルバ! ムカつくからあんたの古傷のこと話題にしてやるッス! ほぉーら、ゾーリンゲン先輩と何したってー⁉︎」
「はぁー⁉︎ それはズルいであります隊長殿! 陸軍時代は思い出したくないでありますッ!」
ルコルバは胸もそれなりに大きく腰もくびれており、女として非常に魅力的な身体をしているが、彼女は素肌を晒すことを極端に嫌がる。
その理由というのが、彼女の身体には軍人時代に拵えた切創、銃創、火傷痕が大量に残っており、それを見られた時に気を遣われたり気味悪がられたりするのが嫌というものであった。
彼女のコンプレックスを堂々と突く悪逆非道な振る舞い。
やはりニルナはニルナである。
プールでもないのにバシャバシャと暴れ回る2人を遠巻きに眺めながら、アンは今日1番のため息をついた。
「……大馬鹿」
★★★★★★
同刻、管理人室。
本来なら一般人は入れないその部屋に、プツェルはいた。
出入り口は屈強なガードマンに固められ、逃げ場は完全に失われている。
目の前にいるのは、太った管理人。
極力目を合わせないよう、先程からプツェルは俯いている。
誰も何も言わないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「……」
項垂れて黙っている犬耳の少年に、仏頂面の管理人は言った。
「入ってすぐに女湯覗こうとする奴があるか」