魚好きキャットの肉料理はクソ不味い説 (Ⅱ)
スイッチを入れてからしばらくたった。
ちょっとした雑談をかわしていた3人だったが、ふと、ハインツが鍋を見下ろし、言った。
「そろそろ良さそうですね」
「そうだな。よし、肉を入れよう」
骨つきの豚肉を持ち上げながら、チェルチが補足する。
「肉を入れたら中火にして、2時間くらい茹でなきゃならんです」
「了解」
「料理の時くらい、そんな硬くならずともよいのではないか?」
「これが普通ですので」
肉を鍋に入れ、その後は雑談再開。
主な話題は、ハインツが眠っていた時の出来事やチェルチの故郷イタリアの豪勢な食事や美しい街並みのこと。
スコルツェニー中佐が増援部隊の派遣に不満を持っていることや、時間がある時はずっと看病してくれていたこと、そしてローマやバチカン、ベネツィアのゴンドラ……。
様々なことを聞き、話しているうちに、鍋の水が減ってきた。
「水が少なくなってきましたね」
「ん? そうだな。水を足すとしよう」
「ぼくがやります」
「ん、任せ──」
ハインツの方を振り向いた瞬間、ユークリウスはその場にフリーズした。
彼が目にしたのは、水が満タンになったバケツを抱えるハインツの姿だった。
何から言えばいいものやら、口をぱくぱくさせながらユークリウスが硬直していると、チェルチが苦笑しながら彼女の肩を叩く。
「……入れすぎってのもそうなんですけど。猫さん、それ砂糖水なんじゃ……」
バケツの水と、つい先ほど空にしたボトルを交互に見つめるハインツ。
ボトルに書かれていたのは『砂糖水』という文字。
表情を崩さずに彼女は指をバケツに入れ、その指をぺろりと舐めた。
「あ」
「出来損ないのレープクーヘンにする気か貴様ぁ!」
すかさずチェルチが口を挟む。
「いやそこはドルチェでしょう!」
「知らん!」
立て続けに怒号を飛ばしたユークリウスは、大きく息を吐いて額に手を当てる。
「……この子猫、キャットフードかエタノールでも鍋に混ぜ込みそうで恐ろしい……私が何とかしなければ……この状態のまま完成してしまった料理を食ったら中佐は死ぬ…………栓の空いた酒瓶をひっくり返せば絶対に床が酒浸しになるのと同様に、確実に、死ぬ……! 止めなければ! 食い止めなければ!
★★★★★★
煮込み作業が終わり、調理は次の段階に進む。
ハインツはレシピ通りに肉の水気を拭き取り、オーブンを弄っている。
それを後方で見つめるユークリウスは、不安や焦りを隠そうともせず、チェルチに話しかけていた。
かなり必死の形相のユークリウスに対し、チェルチは物静かなクラスメイトの奇行を遠巻きに眺めるような嫌らしい顔で、口に出す言葉も能天気そのものであった。
「不安だ……実に不安だ。おい、お前からも何か言ってくれ」
「えー? 面白そうなんで放置で」
「貴様ぁ……!」
掴みかかるユークリウスを片手でいなしながら、チェルチは続ける。
「それにね、中尉さん。あの子がやりたいって言ったんでしょう、料理。俺達は見守るだけでいいんですよ」
「そうやって見守った結果、砂糖マシマシ芋虫パスタを出されたら貴様はどうする?」
「そりゃあ料理人を殺しますよ」
それと同じだ、と言い返そうとした瞬間、ユークリウスの肩が叩かれる。
振り返ると、真顔のまま滝のような冷や汗をかいているハインツがいた。
「大変です中尉」
「……何があった?」
尋常ではない様子を察知し、恐る恐る尋ねるユークリウス。
ハインツは静かに、テーブルの方を指さした。
丸い皿の上に、真っ黒な物体が置かれている。
黒煙が立ち上り、焦げ臭い匂いが厨房に充満する。
嫌な予感は的中だ。
「肉が燃えました」
「何をやっとるんだ貴様ァ!」
骨付きの豚肉は、完全に黒焦げになっていた。
きっと口に入れたところで炭のような味しかしないだろう。
ハインツが、こんな状態の肉をシュバイネハクセと称して中佐にプレゼントするような馬鹿ではないことが救いだった。
苦笑しながら、チェルチが呟く。
「あーあ、見事に真っ黒焦げだこと。ヤク漬けマフィア連中の腹の中よりも黒い」
「火の加減を間違えたようです」
「やり直しだッ!」
予備の肉を煮込み始めて約2時間。
再びハインツはオーブンの前に立つ。
先程の反省からか、おっかなびっくりオーブンを弄る彼女の背中は、非常に危なっかしくユークリウスの目に映った。
「中尉。肉の処分をお願いできますか?」
背中を向けたまま、ハインツが言う。
ユークリウスは大人しく従った。
「ああ。……チェルチ、しっかり見ておけよ」
「へーい」
何故か厨房にゴミ箱がなかったので、ユークリウスはわざわざ外まで捨てに行く羽目になった。
ここにはいないコック達に悪態をつきながら厨房に戻った彼を待っていたのは、無表情のまま真っ青な顔になったハインツだった。
「中尉、大変です」
「……今度は何だ?」
机の方を指さすハインツ。
皿の上に、キューブ型の氷が乗っかっていた。
「肉が凍りました」
「何故⁉︎」
作っていたのは肉を焼く料理だったはずだ。
何をどう間違えたら肉が凍るのか。
考えてた考えても、ユークリウスには理解できなかった。
「また肉が燃えてしまったので、冷蔵庫に入れて鎮火しようとしたのですが、誤って急速冷凍室に入れてしまい……」
「……冷蔵庫に入れなくても、水をかければよかったのでは…………?」
「……あ」
「料理の時だけ知能が退化するのかお前は!」
ハインツの視線が落ちる。
相変わらず表情は硬いが、どことなく寂しげな色をユークリウスは確かに見た。
言葉に詰まるユークリウスの横を、ハインツはすり抜けていく。
「…………申し訳ありません。やっぱり、ぼくには料理なんてできないみたいです」
「……」
「でも、ぼくは中佐に喜んでほしい。シュバイネハクセを作ると決めたんです。どれだけ不恰好であろうと、最後までやります」
蛇口が捻られる音がする。
振り返ると、ハインツが鍋に水を注いでいるところだった。
また、初めから。
2時間かけて肉を煮るのだ。
それなのに、不思議と嫌悪感は湧かなかった。
ユークリウスとチェルチは顔を見合わせる。
「……仕方ない」
「本腰入れて手伝いますかね」
★★★★★★
前哨基地の門に、5騎の騎馬兵が戻ってきた。
門番の2等兵が門を開き、騎馬兵達に敬礼する。
馬の上から返礼しつつ、騎馬兵達は基地の奥に進む。
先頭を進むのは、眼帯の将校スコルツェニーである。
無言を貫く彼に、後に続く軍曹が気まずそうに話しかける。
「中佐、これ以上の捜索は無意味かと」
「…………うむ……合理的な判断だ。これ以上はよそう」
ため息と共に肩を落とす中佐。
これから先のことを考えると、自然とため息が漏れるのは必然であった。
態度にこそ出さないが、部下の軍曹も同じ思いである。
「未帰還者の安否もそうだが、何せ派遣されるのがあのヴォルフガングだ。吾輩も部下は1人でも多く連れておきたい」
「……中佐は、あの大佐は油断ならない危険人物だと以前仰っておりましたが……」
「評価は覆っておらんよ。奴は危険だ。味方だからといって警戒を緩める理由はないのだよ」
司令部の前で中佐は馬を降り、鼻を撫でてやる。
軍曹も続いて降り、問いかける。
「特務大尉は、いつ目を覚ますのでしょうか……。彼女がいないと、心許ないといいますか……」
「わからん。とにかく無事に目覚めてくれると良いのだが……」
「そうですな……」
言いながら、軍曹がドアを開ける。
そのまま中に入ろうとするスコルツェニーだったが、突然立ち止まった。
通路の真ん中に、金髪の猫耳娘が立っていたからだ。
口を半開きにして立ち尽くす中佐に、猫耳娘──ハインツは優しく微笑みかける。
「お帰りなさいませ、中佐」
「……! ハインツくん! 目が覚めたのか!」
「はい。全て中佐のお陰です。ありがとうございます」
激しく首を横に振り、彼女の肩を掴む中佐。
心配と歓喜が入り混じった表情で、家族の顔を見つめている。
「礼などいい! 当然のことをしたまでだ! それより、歩けるのか?」
「はい。多少体は痛みますが、問題はありません」
「そうか! そうか……! 見たまえ軍曹! ハインツくんが目を覚ましたぞ! 吾輩の前に立っているぞ! ハハハハ……!」
呆気に取られる軍曹の肩を激しく叩き、大笑いする中佐。
彼の隻眼に何か光るものが見えたが、軍曹とハインツは敢えてそれには触れなかった。
「中佐、お疲れとは思いますが、一度食堂に来て頂けませんか?」
「ン? 構わんが、どうした? もしや吾輩に手料理を振る舞ってくれるのか?」
「流石は中佐。鋭いですね。はい、その通りです。中佐の好物、シュバイネハクセを作りました」
「シュバイネハクセ! バイエルンの伝統料理だ! あれは本当に美味い! 舌がおかしくなる程に!」
先程の疲れた様子から打って変わり、中佐はハイテンションで捲し立てた。
そして、困ったように笑うハインツの肩を軽く叩き、食堂のある方を義手で指さす。
「そうと決まれば直行だ! 行くぞォ!」
食堂の前では、ユークリウスとチェルチが待っていた。
中佐の姿を認めるや、ユークリウスはビシリと敬礼する。
チェルチはひょいと片手をあげて、ニヤリと笑う。
「お戻りですか、中佐!」
「うむ、ご苦労だったユークリウスくん! それより見たまえ、ハインツくんが目を覚ましたぞ!」
「ええ、存じております。なにしろ、彼女に料理を手伝わされましたので」
ユークリウスとハインツの目が合う。
会話はなかったが、互いにニッと口角をあげて意思を伝え合う。
「なるほど、君達の合作か! これは期待大であるな!」
「では、こちらへどーぞ」
チェルチがドアを開け、宮廷の執事のように深々とお辞儀をした。
軽やかな足取りでスコルツェニーは中に進み、後からハインツとユークリウスが続く。
「ウ〜ム、匂う……焼けた豚肉の良い匂いだ……」
匂いにつられるかのように、中佐の足は進んでいく。
そして彼の隻眼は、テーブルの上に乗ったシュバイネハクセを捉えた。
こんがり焼けた明るい茶色の豚肉と、それに寄り添うように盛り付けられた野菜。
そこから漂う匂いが、唾液腺を激しく刺激する。
多少不恰好ではあるものの、それが彼女達の努力の証であることくらい、中佐にはわかる。
「オオオッ! シュバイネハクセ!」
「ぼくからの気持ちです。よく噛んでお召し上がりください」
スコルツェニーが振り返った。
ハインツは微笑み、座るよう促す。
椅子にそっと腰を下ろした中佐に、ハインツは穏やかな口調で言った。
「今回のことばかりではありません。いつもありがとうございます、中佐」
すかさず、ユークリウスも割り込む。
「私も、彼女と同じ思いです! ありがとうございます、中佐殿!」
「ハインツくん……ユークリウスくん……」
人間は、気持ちを直球で伝えられればどうしても照れる生き物。
スコルツェニーとて、例外ではなかった。
頬を赤らめることこそなかったが、彼は穏やかな笑みをたたえて、小さく、
「君達の気持ち、しっかりと受け取ろう」
「!」
顔を見合わせるハインツとユークリウス。
スコルツェニーは、ゆっくりと肉を口に運び、噛み締める。
そして、ただひと言。
「……美味い」