全て終わって(Ⅲ)
★★★★★★
同じ頃。
須郷とミッチャーは、隠れ家の暗い一室でテーブルに乗っけた水晶玉に向かい合っていた。
閉め切られた部屋は、侵入を試みた虫けらも引き返す程空気が張り詰めている。
その理由は、先述の水晶玉にあった。
これは古代の魔道具であり、これを介することで遠くの相手との会話を可能にしている。
早い話が線のいらない固定電話だ。
そしてこれを持ち出しているということは、須郷達は通話中というわけである。
「……以上です」
『そーか、ご苦労。しかし、かなり拗れたねえ。まさか破片が2つともその女の子に潜り込んじまうとは。前例ないよ?』
水晶玉から、ややくぐもった女の声が聞こえてくる。
相手にこちらの姿が見えているわけではないのだが、須郷は頭を下げて言った。
現代日本人の癖だ。
「……申し訳ありません」
『謝んなくていいよ。そんなもん誰だって対処不可能さね』
須郷は顔を上げて、水晶玉を真っ直ぐ見つめる。
それを待っていたかのように、女の声が続けて響く。
『問題は、木佐岡利也の出方だね。トゥピラちゃんに拘ってるんだろ、彼。もしこのまま破片を摘出するとなったら……』
「キサオカさんと殺し合うのは勘弁だぜ……。どうすんだよ姉御?」
不安げな視線を寄越すミッチャー。
須郷もそれは懸念していた。
木佐岡のトゥピラ・イリエスへの執着は、何かただならないものを感じる。
トゥピラから破片を摘出するということは、彼女を殺すこととイコールだ。
そうなった場合、奴がどのような行動に出るか、想像に難くない。
下手を打てば皆殺しだ。
だが須郷には考えがあった。
予想外の事態には、さらに予想外が付き纏うもの。
だったら──博打に出るしかない。
「……ひとつの可能性に、賭けてみます」
『そうするしかないね。それが失敗したなら、その時は彼を殺してでも破片を取り出すんだ。いいね?』
「…………はい、師匠」
再び頭を下げる須郷。
それを見下ろすミッチャーは、口をキュッと結んでぬるい汗を流し、沈黙していた。
水晶玉の声はまだ続く。
『それとこっちのことだが、かなりクサくなってるよ。黒鯨が軍備増強に動いてるし、王国への増援がたった今出発した。さらに、連中の拠点に科学財団のお偉いさんが何度も出入りしてる』
「スコルツェニーが財団と共に攻めてきたことと関係があるでしょうか」
『あるだろうね。本格的に鍵狩りを始める気なんだよ。そしてそれ以上に、あんたを本気で捕えようとしている』
「王国政府や異形種同盟も動きを見せています。彼らも本腰を入れるとなると……」
『……ああ。この争奪戦、新たなフェーズに入ったと言っていい。水面下での争いが終わるのも近いだろうね。これまで以上にハードな殺し合いになるよ』
「……………………わかっています」
★★★★★★
師匠との通話を終え、須郷とミッチャーは退室した。
誰かが言い出したわけでもなく、自然と2人の身体は壁に吸い寄せられ、そのまま寄りかかる。
しばらくの間、会話はなかった。
やがて、耐えられなくなったのか、ミッチャーが沈黙を破る。
「……姉御」
「不安か、ミッチャー」
「…………そりゃあ、もう」
「正直、私もだ。師匠の言葉を借りるが、事態がここまで拗れるとは思っていなかった」
須郷の視線が、床に落ちる。
ポケットに突っ込まれた手は、何かを探して求めるようにもぞもぞと動いている。
ミッチャーにとって、見慣れない姿だった。
何か声をかけようと口を開きかけた時、須郷は顔を上げてミッチャーを見つめてきた。
咄嗟のことに面食らっていると、須郷は安心しろと言わんばかりに微笑んだ。
「まあ、だからといって今更投げ出すつもりもないがな」
背を壁から離し、須郷は歩き出す。
ミッチャーは慌てて後を追った。
「どんな道を歩むことになろうが、私達は成し遂げなければならないんだ。そうだろう、ミッチャー?」
「……だな。迷ってなんかいられねえや」
と、須郷がある扉の前で立ち止まった。
他の出入り口と大差ない、普通の扉。
しかし須郷にとってその扉が特別であることを、ミッチャーは知っていた。
この扉を開けた先に、彼女がいるから。
鍵穴に鍵を突っ込んで回し、扉を開ける須郷。
そこは真っ暗な部屋の中。
前に見た時と同じように、彼女は部屋の真ん中にいた。
その黒い体は焦げ臭く、ところどころが溶けて骨が剥き出しになっている。
背中からは、異常に大きくなった背骨が背びれのように突き出ており、彼女が動くたびにぶつかり合ってはかちゃかちゃと音を立てた。
やはり、直視できない。
ミッチャーは顔を逸らして入り口にとどまったが、須郷は迷うことなく部屋の中に踏み込んでいった。
部屋の中央にいる彼女にかがみ込むと、そっと、頭と思しき部位を撫でる。
彼女の口から、形容し難いうめき声が漏れる。
須郷綾音に恐れる様子はなく、むしろ逆だった。
家族でも見つめるかのような穏やかさを、その背中からミッチャーは感じていた。
人なのか怪物なのかもわからない彼女へ、須郷は言った。
今までにない程の、優しさに溢れた声色で。
「…………待っていろ、美冬」




