錯綜戦役
カルロスはご機嫌だった。
先程まで戦っていた猫耳の少女。
あれは良質な原石だ。
人間に与しているが、奴らは磨き方を知らない。
魔王軍で磨けば、最高品質の宝石となるだろう。
「非常に……非常に良い」
倒れた金髪の猫耳を、カルロスは余裕の笑みで見下ろす。
全身ボロボロな彼女に対し、人狼は全くの無傷。
圧倒的な実力差という名の透明な壁が、そこにはあった。
「敵ながら素晴らしい強さだ。お前は捕虜にして魔界へ連れて行こう。魔王様もきっと気に入るだろう」
「…………お断りします。ぼくは黒鯨鉄十字団の誇り高き一員……今更所属は変えられませんよ」
「向こうで頭を弄れば気も変わるだろう。心配はいらん」
そう言うと、カルロスは急に視線を外し、振り返る。
魔王軍の大部隊を蹴散らしながら、着実にこちらに向かってくる2人の人間。
ベロニカとシグマといったか。
トル村にいる人間達の中では、奴らが1番の脅威だ。
早急に排除すべきだろう。
「……そこで倒れていろ。仕事ができた」
ハインツをその場に残し、カルロスは地面を蹴って飛び出した。
コンマ0秒にも満たないと思ってしまうようなスピードで、ベロニカへ急接近。
彼女の兜を、剣のように伸びた爪を刺突する。
──もらった。
そう思ったのも束の間、爪が兜に突き刺さる直前、ベロニカは大盾を瞬時に振り上げて弾き、刺突を防いだ。
一瞬ぽかんとするカルロスだったが、すぐに余裕の笑みを取り戻す。
「……防ぐか!」
「脳死で戦ってないんだよ、こっちも!」
次の攻撃を繰り出そうとするカルロスだったが、それより速くベロニカが盾を振り回す。
それと同時に、カルロスの背後へ、槍を振り翳したシグマが躍り出た。
「たああぁっ!」
「おりゃあっ!」
2人の少女が同時に繰り出す攻撃。
それを、カルロスは簡単に受け止める。
「ッ……!」
「うざったいたら……!」
シグマの悪態を聞き流し、カルロスは飛び退いた。
それを追い、ベロニカとシグマは彼に勝るとも劣らない速度で飛び出し、追撃する。
2人の少女と人狼による、超速の戦闘が始まった。
乱戦続く中央広場を、他者の目では到底追えない速度で駆け回りながら、2人と1匹は激しくぶつかり合う。
ベロニカは大盾を、シグマは長槍を振り回し、カルロスは己の身ひとつで迎え撃つ。
地面が割れ、混戦の中辛うじて形を保っていた役場と詰所が崩壊する。
衝突の度、凄まじい衝撃波が広場の者達を襲い、幾人もの村人や魔王軍の雑兵が、引っ剥がされた地面と共に吹き飛ばされた。
「いかん! 皆、逃げるんじゃ! 巻き込まれるぞ!」
ベロニカとシグマを1番よく知るゴードンが叫び、避難を促す。
あの2人が本気で戦えば、広場どころか村そのものが壊れるかもしれない。
ましてや、相手が魔王軍大幹部カルロスとなれば……。
突風吹き荒れる戦場を、メイビスとその仲間達は逃げ惑う。
戦うことも忘れて、ただひたすらに走り回った。
「何なんだよーッ!」
「格上の戦いだ! 俺達がついていける次元じゃあねえ!」
そのメイビスらの真横を、竜巻のような勢いでベロニカとシグマが駆け抜けていく。
2人揃って飛び上がり、同じく飛び上がってきたカルロスと衝突。
着地してすぐに、地上で再度ぶつかり合う。
「連携でいくよ!」
「言われずとも!」
シグマの突き出した槍を、カルロスは柄を掴んで止めるが、シグマはひらりと舞ったかと思えば、細長い槍の上に飛び乗り、サーカスの綱渡りのように走り出す。
咄嗟に槍を投げ捨てるカルロスだったが、既にシグマが飛び上がった後だった。
脚部に魔力を込め、全力で放たれたキックが人狼の頬を打つ。
リアクションを取る間も無く、ベロニカが背後から襲いかかり、大盾でカルロスを殴り飛ばした。
その勢いに乗って、カルロスは中央広場を飛び出す。
2人の冒険者もそれを追って、広場を抜け出した。
2人と1匹の戦場は、燃え盛る村の街道へと移った。
「ほらほら、こっちだ! 当ててみろ!」
余裕たっぷりにおちょくりながら、カルロスはひょいひょい攻撃をかわしていく。
メイビスにとってベロニカが格上であるように、カルロスは彼女にとって遥かに格上の存在であった。
何度攻撃しても、届かない。
住宅の壁を突き破り、死体を蹴散らし、逃げるカルロスを追いかける。
連携を取りながら、絶え間なく攻撃を叩き込んでいく。
瞬く間に中央広場が遠ざかり、村中の建物が崩壊していく。
スピーディーな戦闘が続くが、ベロニカとシグマは全く有効打を与えられずにいた。
戦っているというより、鬼ごっこに付き合わされているかのような、そんな気分であった。
「長引けば確実にこっちが負ける……!」
「短期決戦で行きたいわ、ベロニカちゃん!」
「それでいこう!」
シグマが空中でベロニカの大盾を踏み台にし、カルロスへ突貫する。
隕石のようなスピードと威力で喉を槍でひと突きにしようとするが、命中する寸前でカルロスに避けられる。
直後、空中から降ってきたベロニカがカルロスを押し潰そうとするが、逆に受け止められ、石ころのように投げ飛ばされる。
家々を倒壊させながら、鎧の少女はカルロスの前から消えた。
その瞬間、シグマの体から力が抜け、がくりと崩れ落ちる。
「しまっ……!」
「貴様らは引き離しさえすれば問題外だ!」
ニヤリと笑い、弱った少女の喉笛を噛み切るべく飛びかかろうとした瞬間、家の壁を突き破ってベロニカが現れた。
あまりにも一瞬。
あまりにも予想外。
流石のカルロスも反応し切れずに、振り下ろされた大盾によって顎を地面に叩きつける。
すかさず、復活したシグマがカルロスの頭を刺突しようとするが、即座に飛び起きた人狼には当たらなかった。
ほとんど更地になった住宅地で、ベロニカとシグマはカルロスと対峙する。
睨み合いはほんの一瞬、ほぼ同時に飛び出し、武器をぶつけ合う──
──が、突然地面が爆発し、3者は飛び退いた。
それだけでは終わらず、溶岩噴き出す火山地帯の如く、次々に地面が捲り上がり、炎が炸裂する。
ベロニカが空を見上げると、夜空を覆い隠すようにして飛行する巨大な飛行船の船底が見えた。
ハッチが空いており、そこから爆弾を投下したようだ。
そのハッチを目掛けて、カルロスが大きく飛び上がる。
「あっ!」
「逃がさないわよ!」
シグマが叫び、ベロニカの肩にしがみつく。
それを確認すると、ベロニカはぐっと膝を曲げ、バッタのように飛び上がった。
鎧を着ていようがいまいが、人間とは思えない跳躍力を披露したベロニカは、ハッチの縁を掴み、飛行船の中に這い上がる。
乗組員と思しき男達が何か喚いているが、気にしている余裕はない。
すぐにカルロスが向かってきたが、シグマが鎧を蹴って飛び出し、奴の胸に槍を突き刺す。
そのまま壁をぶち破って狭い通路に躍り出たシグマとカルロスは、遅れて壁を破ったベロニカも混ぜて戦闘を続ける。
乗組員が逃げ惑い、錯乱したように銃を乱射するが、効果は全く無かった。
それどころか、戦闘のついでに次々と殺されていく始末。
船内に非常事態を表す警報が鳴り響き、通路は非常灯の光で赤く染まった。
★★★★★★
武装飛行船"ワイルドギース"の艦橋では、艦のブレーンとなる艦橋要員達が、現状把握を行なっていた。
その間も艦は激しく揺れ、爆発音が響き渡る。
「艦橋から第3ブロック。被害状況知らせ」
『第3ブロックから艦橋。被害甚大。視界に入るだけで20名近くが死亡。通路が崩壊し移動が制限されている』
「第7ブロック! どうなっている!」
『敵だ! 敵が乗り込んできた! 女が2人と狼が1匹! 船をめちゃくちゃにしながら戦って……うわあああっ!』
「第7ブロック! 応答しろ、第7ブロック!」
艦橋内はまさしく阿鼻叫喚。
艦長は苦虫を噛み潰したような顔でその様子を眺め、無線から響く叫びを聞いた。
太った副長が、汗を垂らしながら尋ねる。
「艦長、このままでは……!」
「とんでもない化け物が乗り込んできたらしいな。一旦、地上への砲撃は止めるしかなさそうだ」
仕方ない。
全てが仕方ない。
指揮はしっかり執っていたし、その証拠に地上は火の海だ。
しかし艦内の敵を排除しない限り、財団に勝利はない。
「生き残った全ブロックへ通達。対人戦闘の用意」
「対人戦闘の用意!」
「対人戦闘の用意急げェーッ!」
艦長の命令を、部下達が繰り返す。
その時だった。
壁が出入り口の扉ごと吹っ飛ばされ、人狼とボロボロの鎧がもつれあうようにして艦橋に飛び込んできた。
遅れて、槍を持った少女も入ってくる。
瞬く間に近くにいた部下が文字通り潰され、機器が破壊された。
その光景に、艦長は呆気に取られてその場に立ち尽くす。
「おおお……っ!」
「艦長、退避をーッ!」
副長の叫びで我に返り、艦長は弾かれたように駆け出した。
直後、先程まで立っていた場所へ、鎧の人物が吹っ飛んでくる。
めちゃくちゃに破壊されていく艦橋を尻目に、艦長達は別の出口から次々に逃げ出していった。
★★★★★★
機器が破壊され、導線から火花が散る艦橋で、2対1の戦いは続く。
艦の脳と言っても過言ではない艦橋にはぎっしりと機材が詰め込まれていたが、今や完全に更地にされている。
「ふんッ!」
カルロスがシグマの右脚を掴み、窓ガラスの方へぶん投げる。
「きゃああ!」
「シグマ!」
ガラスをぶち破って外に飛び出るシグマを追って、ベロニカもガラスを破った。
ベロニカが作った穴から、カルロスも外に出る。
息つく間もなく、甲板で戦闘が再開された。
艦橋よりも広々としているため、ベロニカとシグマとしては多少やりやすかった。
「あああぁぁぁああっ!」
「こおおぉぉぉんのぉぉおおお!」
魔王軍大幹部を相手に、2人の少女は果敢に攻め立てる。
流石のカルロスも、この2人の鬱陶しさに顔をしかめ、防御や回避にばかり使っていた四肢を、徐々に攻撃へと回し始めた。
と、3連装の対空機銃が、こちらにゆっくりと首を回しているのを、ベロニカは視界の端に捉えた。
飛行船の乗組員達は、大人しく逃げてくれる程ヤワではないらしい。
「シグマ、逃げて!」
「え?」
勢いよく振り向いたシグマは、己の身に迫る危機を理解し、ベロニカと共に機銃の射線から飛び退いた。
直後、機関銃が連続で火を吹き、射線上に残っていたカルロスの身体を撃ち抜いていた。
普通ならボロ雑巾のようになるところだが、カルロスは上位の異形種らしい異常な耐久力で射撃に耐え、機銃を睨みつける。
「人間共めがあああぁぁぁあ!」
狼が、吼えた。
目にも止まらぬ速さで機銃へ接近し、鋭い爪で斬りつける。
あの一瞬で何度斬ったのだろうか、操作していた乗組員諸共、機関銃は瞬く間にばらばらになった。
次の標的は、ベロニカとシグマ。
カルロスは再び、吼えた。
「次は貴様らがこうなるのだ、ガキ共ぉ!」
★★★★★★
場所は変わって、住宅地の一角。
軍団長ロークは苛立っていた。
いきなり人間共が殴り込んできたかと思えば、勝手に戦い始めてどこかに行ってしまった。
人間風情に翻弄される自分が憎くて仕方ない。
頭をガシガシ搔きながら、心のままに全て虚空にぶちまける。
「全く、あの人間共め。私をそっちのけでどこかに行ってしまうとは……。ロークだぞ? 軍団長まで登り止めたこのロークを、ここまでコケにするのか? ヒゲ虫共が……!」
「もーどーせー! もーとーにーもーどーせー!」
ボソボソと吐き出される独り言を、ロークの隣に転がるニルナの叫びが掻き消した。
身体をまん丸の風船のように改造されたニルナは、起き上がることもできずにただ喚くしかなく、完全に戦闘不能であった。
独り言すら、そんな状態の人間に邪魔されたことで、ロークの苛々はさらに大きくなる。
魔力を込めた人差し指を、喚き散らす少女の唇に押し当てた。
すると、先程まで敵意剥き出しだった口は、白い肌で塞がれ消え失せる。
「んぐっ……⁉︎」
困惑するニルナに、ロークは言う。
「うるさい。これ以上苛立ちの種を作るな」
「んーっ! むぐぅーっ!」
「だから、うるさい」
口を塞がれたことで、ニルナは手足をさらにばたつかせて抵抗する。
その度に、丸い身体はくらくらと揺れた。
ロークの苛立ちは更に加速する。
一方、2人が攻防を繰り広げる隣では、ニルナと同じように丸い身体にされたミッチャーが、特に抵抗するわけでもなく、地面に転がされたままの状態でほろほろと涙を落としていた。
その様子は、まるで身体全体から色素が抜け落ちたかのような悲壮感溢れるものだったが、いかんせん格好が格好なので、非常に滑稽に見えた。
「はは……もう嫁に行けねえ……」
ミッチャーの嘆きは誰にも聞かれることなく、燃え盛る村のどこかへ流されて行った。
「チッ……! このクソ女めが!」
ロークは舌打ちし、塞がれていたニルナの口を元に戻す。
「ぷはぁっ……はあ、はあ……まっじで悪趣味ッスね、あんた。人の体を散々弄るとか……」
「そこまで悪い趣味ではないと思うんだがな。今のお前は正直可愛い。人間なのを差し引いても可愛らしいぞ。……ん?」
言い争いを切り上げ、ロークは振り返る。
──ざっ、ざっ、ざっ
生ける者無き、村の通り。
ブーツの足音を響かせながら、こちらに歩いてくる者の姿があった。
ボロボロの緑の服を着て、坊主頭を曝け出し、黒くていかつい武器のようなものを抱える男。
破れた箇所から見える皮膚は筋肉質で、岩のように盛り上がっている。
ニルナとミッチャーにとっては、心強い仲間。
ロークにとっては、忌まわしい人間であり、敵。
「キサオカ先ぱ……うわああああっ⁉︎」
ロークがニルナに触れた瞬間、その体は粘土細工のようにぐにゃりと歪み、瞬く間に薄橙のサーベルに変わる。
「消えろ。男を弄るのは趣味ではない」
「……」
男は何も言わない。
ただ、敵としてそこに立つだけ。
「──はッ! キサオカさん! そいつはヤバい! 人体を変形させる魔法を使うんだ! おかげであたしはこのザマだぜ!」
いきなり我にかえったミッチャーが、必死に起きあがろうとばたつき始める。
しかし、まん丸の身体はころころと転がるばかりで、立ち上がることは叶わなかった。
そんな彼女を一瞥し、男は呟く。
「……今ので大体わかった」
ロークは剣を構え、男を睨む。
──エルフは基本的に近接戦闘は不得意。だが、こちらには切り札がある。それがこちらの不利を補ってくれる。人間のガキを改造した剣さ。万が一刃こぼれでもしようものなら、それはこのガキのダメージとなる……!
ロークは勝ちを確信している。
これまでの戦いで、彼女は同じようなやり方で連戦連勝している。
それが故の自信であり、言い方を悪くしてしまえば、慢心でもあった。
──さあ、防げるか? 同族を死なせてでも私に勝つか⁉︎
「はあッ!」
持ち前の素早さで男へ急接近──できなかった。
飛び出すよりも前に、ロークの両足に2つの穴が空いたからである。
黒い武器──人はそれを銃と呼ぶ──から何かが放たれたのはわかった。
しかし、それが何なのかまではロークには理解不能であった。
理解できないまま、うつ伏せに倒れる。
男は静かに接近し、ロークの髪の毛を無造作に掴むと、何度も地面に叩きつけた。
何度も、何度も。
歯が折れようと鼻が曲がろうと、お構いなしに。
というか、それが目的であるかのように。
何度も、何度も。
血の水溜まりを作るために。
何より、ロークを屈服させるために。
何回叩きつけただろうか。
男はロークの頭を持ち上げ、自分の顔にぐいっと近づける。
眼前に迫る顔は無表情に近かったが、その瞳の奥に燃える炎を、ロークは確かに見た。
「…………彼女達を元に戻せ」
「は……はい……」
★★★★★★
銃を突きつけられた闇エルフは、反抗することなくまずはニルナを元の姿に戻した。
剣にされた時と同じように、粘土のような動きでニルナが人の姿を取り戻した時、俺の口角は思わず上がっていた。
ニルナはというと、自分の胸、頬、脚、腹と、あらゆる部位をぺたぺた触りまくっていたが、やがて目から大粒の涙をこぼしながら俺に抱きついてきた。
「うわああああん! 怖かったああああ!」
「ヨシヨシナクナー、もう大丈夫だ」
俺の破れまくりな戦闘服が涙で濡れていくが、悪い気はしなかった。
「チッ、下賤な人間の感動劇を見せられるとは。厄日か、今日は」
そう文句を垂れながらも、命令通りにミッチャーを元に戻すロークは非常に常識的な捕虜である。
風船状態から脱したミッチャーは、しきりに腹を撫で回していた。
「おお……懐かしの腹回り……」
「転職先がボールとは意外だったぜ」
「黙れよこの……」
ミッチャーの悪態を、ロークの大袈裟なため息が遮る。
「さあ、もう済ん──」
今度は、俺の銃剣がロークの眉間に突き刺さって言葉を止めた。
唖然とするミッチャーとニルナに、俺は静かなトーンで告げる。
「中央広場に行くぞ」




