悪転
「ベロニカちゃああああああああん!」
クレーターから飛び上がってきたベロニカに、シグマは真っ先に駆け寄って抱きついた。
"伴侶"との距離が縮まったことで、完全に回復したのである。
自分より遥かに大きな鎧を抱き締めて泣きじゃくるシグマ。
ベロニカも、躊躇うことなく両腕を彼女の背に回す。
「よがっだあああああああ! 生ぎでだああああああ! やっぱりベロニカちゃんは最強なんだわあああああああ!」
「あ、あはは……。ごめんね、シグマ。僕が離れちゃったから、大変だったでしょ?」
「そんなことないわ! ベロニカちゃんがいてくれるならそれでいいのよ!」
「……重たいなあ」
そうはいいつつも、ベロニカは笑顔だった。
と、ゾーリが気まずそうに咳払い。
彼は非常に居心地悪そうな顔をしていた。
「ゾーリンゲン、あんたにも感謝するわ。ありがと、ここまで運んでくれて」
「お、おう」
顔を赤らめて頬をかくゾーリ。
ぶっきらぼうな返事だったが、シグマは特に気にしなかった。
今は、ベロニカちゃんと抱き合うことの方が大事だから。
できれば、このままずっと……。
「あ、あのー……いい空気のところ悪いんですけど……」
またしても乱入者。
今度は、ジンとかいう新人の冒険者だった。
シグマが睨みつけると、彼は震える手で異形の軍勢の方向を指さした。
「…………謝ろう。俺も見くびっていた」
トゥピラの側に居たはずのカルロスが、兵士達が身を引いて作った道を歩いてくる。
ベロニカとシグマは、即座に臨戦態勢をとる。
ゾーリも斧を構えて彼らと対峙した。
「まさかポリービィ程の者を退けるとはな……。あの少女はとことん恵まれていると感じざるを得ない」
歩きながら、カルロスはぱちんと指を鳴らす。
それを合図に、彼の背後からいくつもの影が飛び出し、整列した。
皆、見た目は人間だった。
だが、どこか違う。
人のようで人でない。
そんな気配がむわむわと溢れ出している。
「知っているか? 大幹部に昇進すれば、各軍団とは別に私兵部隊の編成が許されるのだ。俺の場合、人狼軍と呼称している」
シグマは思わず息をのんだ。
大幹部が独自の軍団を保有していることは知っていた。
だが、これは知らない。
こんなことはありえない。
「ベロニカちゃん、こいつら……」
「うん……。さっきの軍団長よりもヤバい」
整列する人の姿をした狼達は、軍団長ポリービィの力を遥かに凌いでいた。
もしかすれば、準幹部の異形とタメを張れる可能性もある。
つまり、全員が格上だ。
ベロニカは振り向いて、叫ぶ。
「ゴードンさん、支援よろしく!」
「任せい!」
杖を掲げるゴードンの足元には、気を失ったルコルバがいる。
彼女を守るためにも、退くわけにはいかない。
戦意剥き出しの冒険者達へ、カルロスは言った。
「人狼軍に選抜される条件は、ガジュの明かりに頼らずとも真の姿となれること……。そして、それを維持できることだ。わかっていると思うが、お前らとは山と海程の差がある。10秒やり合えれば上出来だろうな」
「10秒だあ? 8秒でけちょんけちょんにしてやんよ」
ゾーリンゲンの威勢のいい発言を、カルロスは鼻で笑って押しのける。
そして、私兵部隊──人狼軍へ指示を出す。
「やれ」
「──はい」
その瞬間、人狼達の姿に変化が起き始めた。
背が伸び、筋肉がぐんと盛り上がり、肌を毛が覆い始める。
顔つきも人間のものから狼そのものへと変貌する。
耳も人のものから獣のものへ。
鋭い歯の間から、唸り声が漏れる。
か弱き獲物を前にした、野獣のものだ。
怪物の目が、冒険者達を捉える。
新人達は思わず腰を抜かし、手慣れの者ですら震え上がった。
本来なら、月の光を浴びなければなることのできない真の姿。
人狼軍は、その制約を破って本性を現したのだ。
思わず、ゾーリンゲンは呟く。
「5秒と持たねえかも……」
★★★★★★
ニキチッチの意識は朦朧としていた。
日が沈み、闇が辺りを支配した今では尚更視界が悪い。
血が止まらない。
歯も何本か抜けた。
脚に力が入らなくなってきている。
銀髪は返り血と自分自身の血を吸ってどす黒く変色している。
正直、限界だった。
何なんだこいつは。
目の前にいる、いきなり現れたクリスチャンのような女。
こいつは完璧にイカれている。
頭も、強さすらも──
「んん〜、よく頑張った方ですけどお、勝てませんでしたねえ」
目の前でけたけたと笑う修道女は無傷だった。
いや、傷はつけたはずだ。
短時間で再生しやがるのだ。
傷口が再生する前に、あの女は血を指に絡め取って、部下に投げつけた。
血を浴びた部下は、体を爆発させて死んだ。
おかげで、兵士は全滅だ。
ニキチッチの周囲には、魔物と部下の死体が入り混じって転がっており、足の踏み場はほとんどない。
ピョートルとドフチェンコは辛うじて息があり、自走砲の戦闘室の中で修道女を睨んでいる。
それと、修道女の前に立ちはだかっているエルフの女。
あいつの弓も厄介だ。
何人かの部下は、あいつに射抜かれた。
「……」
ニキチッチは肩に刺さった矢を引っこ抜き、投げ捨てる。
修道女は、わざとらしく口を押さえて驚いてみせた。
「あれえ、元気ですねえ。いくらでもお、付き合うと言いたいところですけどお、私も用事がありますのでえ……」
「ストエダ様はお下がりください。私で十分です。わざわざお手を汚す必要もない」
エルフ女が矢をつがえる。
ニキチッチは、自身の右手に収まるナガンM1895を見下ろす。
弾は撃ち尽くし、銃剣は刃こぼれして使い物にならない。
残された手段はただひとつ。
そう、たったひとつ……。
「…………切り札使うか」
「切り札あ! 私、気になりますう! 見せてくださあい!」
修道女の挑発が終わる前に、ニキチッチは前へ飛び出した。
「ッ──!」
無言で、しかし真剣な表情で矢を放つエルフ女。
顔面を狙って放たれたものだったが、ニキチッチは身を捻ってかわす。
そのままエルフ女──は無視して、ストエダとかいう修道女の懐へ飛び込む。
唖然とするストエダの胸元へ、さっきから自分の懐に突っ込んでいた左手を突きつける。
その左手には、奇妙な形の銃が握りしめられていた。
ストエダが動き出す前に、ニキチッチは引き金を引く。
直後、とんでもない反動がニキチッチの左腕を襲い、思わずよろめいた。
至近弾を受けたストエダは、銃弾が貫通した背中に血液の噴火口を作り、大噴火させる。
両腕を広げて倒れていくストエダへ、ニキチッチは吐き捨てるように言った。
「見せたぞ、切り札…………オブレツピストルだよ」
──オブレツピストル。
ロシアの犯罪者や革命家が愛用していた銃である。
モシン・ナガンや三八式歩兵銃といったライフル銃を、拳銃サイズに改造するというぶっとんだものだ。
最大の特徴は、弾丸が拳銃弾ではなくライフル用の弾丸である点である。
射撃時の凄まじい反動と引き換えに、ピストルとは思えない高火力を得たのだ。
「お前のような原住民は……知らんだろうなッ! 我が祖国の! 革命の歴史を! 労働者の闘争を! 革命の灯火が、搾取への恨みが、俺達を強くする! 屈しろ! 共産主義に! 全人類が辿り着くべき境地に!」
「貴様ぁぁぁぁぁあああッ!」
エルフ女が絶叫しながら、3本の矢を同時につがえた。
が、その矢は放たれる前に、空気を切り裂いて飛来した14.5x114mm弾によって弓ごと叩き折られた。
「今だッ! ピョートルッ!」
対戦車ライフルを構えたドフチェンコが吠える。
直後、立ったまま動けないニキチッチの体をソ連兵ピョートルが抱え上げ、自走砲へ向けて走り出した。
ピョートルは車体の上へ這い上がり、乗り越えて細い脇道を脱出する。
エルフ女が新しい弓を構えて追撃するが、ほぼ同時にドフチェンコが筒状のものを投げつけ、自身も車上によじ登る。
筒からは激しい音と共に煙が吹き出し、あっという間に視界を奪い去った。
「くそ! くそ! くそおおおおお! 行かせない! ストエダ様を! ストエダ様によくもおおおおお! 待て! 逃げるな! ゴミ虫女ァァァァッ!」
エルフ女の絶叫が響き渡る中、3人のソ連兵は颯爽と走り去っていった。
★★★★★★
「ああああぁぁぁあああああッ! 死ねッ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ! 死ねえええ!」
めちゃくちゃに矢を放ちながら、ヘイゼルは吠える。
上官が撃たれた。
それを止められなかった上に、上官を原住民などと侮辱された。
許さない。
生かしてはおかない。
殺してやる。
千年呪ってやる。
2度と吠えたり笑ったりできなくしてやる。
「……んん〜……うるさいですよお、ヘイゼルさぁん」
ヘイゼルの咆哮は、一瞬でやんだ。
振り返ると、ストエダがゆっくりと立ち上がったところだった。
彼女は服についた土を払い落とすと、ヘイゼルに笑いかける。
「ヘイゼルさん、私はあ、今とおっても、嬉しいです。貴女というぅ、部下を抱えることができてえ……。大幹部になったらあ、私兵部隊に加えてあげますねえ」
「っ……! ありがたき幸せ!」
反射的に平伏するヘイゼル。
ストエダの言葉は、ヘイゼルにとって天使の言葉に等しかった。
「それとお……」
顔を上げたヘイゼルは、ストエダの顔を見て絶句した。
彼女は笑っていた。
笑っていたが、額の血管が浮き上がり、歪めた口元もどこかぎこちない。
不機嫌なのは間違いなかった。
笑っているのは、目だけだ。
「最近の人間さんはあ、面白い方が多いですねえ……!」
「……!」
「ヘイゼルさあん。鍵を取りにい、行きますよお。あの白い女も殺したいですけどお、鍵は最優先事項ですのでえ……」
★★★★★★
危機を脱した俺達は、納屋に身を隠していた。
俺は扉を半開きにして、外の様子を窺っていた。
いつの間にか夕暮れの日は沈み、街頭なんてないので、辺りは真っ暗だ。
少しでも近づいてくる者があれば、89式小銃で撃ち殺してやるつもりだ。
背後で、肩で息をしながらニルナが睨んでくる。
「てか、何なんスかあの女……。異形種同盟が相手って聞いてたんスけど……」
「戦争だとよくある事故だ」
「戦争こっわー」
心底どうでも良さそうに言って、ニルナは藁の山に身を投げる。
その振る舞いに、ミッチャーは呆れのため息をついた。
「……何スか、今のため息」
「いや?」
「いや、『いや?』じゃあなくて、説明して欲しいッスね、お姉さん。そのクソ生意気な態度は何なんスか? クソジャンヌ」
「ダル絡みすんなよ、めんどくせえ。チンピラが生意気とか言ってんじゃあねえよ」
空気が一気に険悪になる。
すぐに、ゴアンスが「まあまあ」と仲裁に入ったが、ニルナとミッチャーはそれきり口をきかなかった。
無理もない。
ここはいつ死んでもおかしくない戦場だ。
みんなピリピリしている。
今の俺達には、些細なことでも口論の元だった。
「……」
ウィルだけが、沈黙を貫いている。
そんな彼でも、心底うざったそうに顔をしかめていた。
──と、次の瞬間。
パリン、と窓が割れた。
「!」
「え?」
何かが飛び込んできたと理解した時には、遅かった。
それは、藁の山に寝転んでいたニルナの右手に突き刺さる。
矢だ。
だが、ただの矢ではない。
「嘘? 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ッ⁉︎」
矢が突き刺さったニルナの右手が、膨らみ始めた。
そして────
「ああああああああッ!」
爆散──
肉片、骨、血。
ニルナの右手を構成していた全てのものが破裂し、散る。
「なっ!」
「ジャンヌはニルナを頼む!」
全員、即座に臨戦態勢をとる。
俺も小銃を構えて、奴の襲撃に備えた。
「……!」
警戒度MAXの納屋へ、襲撃者が悠然と歩いてくるのが見えた。
余裕たっぷりの歩調。
ニィと歪んだ口元。
顔の半分を仮面で覆った修道女。
彼女は小さな子供に接するかのように、とろりとした口調で言葉を発する。
それがまた、俺達の恐怖と憎悪を駆り立てる。
「みなさあーん。お久しぶりですう〜。来てあげましたよお」
奴の名は…………!
「ストエダあああ────!」
【人狼軍】
カルロスの私兵組織
構成員は60名で、トル村有事には18名が参戦している
人狼の中でも特に優れたエリートのみが入隊を許され、故に彼らは絶対的な自信とプライドを持って任務を遂行している




