須郷綾音、戦闘す
〜とある料亭で行われた会話の一部〜
「戦いの流れはある程度わかった。流石に彼女が街の者全てを暴走させるのは想定外だったが、無事に破片は回収できたわけだ」
「……親衛隊のことは、申し訳ありません」
「いや、彼らも死ぬ覚悟もなしに親衛隊に入ったわけじゃあないし、こう言うのも可哀想だが、代わりはいくらでもいる。気に病むことはないさ。それで、破片だが……」
「破片は俺達で預かります」
「他人には最後まで言わせるということを学んだらどうだね……まあいい。今回は譲ろう。悠長に交渉している暇も私とフォルタブ君には残されていないからね」
「と、言いますと?」
「勝手に騎士を王国領内で暴れさせたことを追及されたくはないからね。だろう?」
「あ、ああ。下手をすれば領地を減らされてしまう」
「貴族って大変ですね」
「全くだ。ところで、ずっと聞きたかったんだが」
「何です?」
「何故、君1人なんだね?」
「……わざと聞いてます? 俺に嫌な顔させたいんでしょ?」
「まぁまぁ、そう怒るなよ。で、どうして1人?」
「…………さっきも言いましたが、連れの1人が狙撃されて馬車から落ち、未回収。安否がわからない状態です。もう1人の連れが探しに行っています」
「そうか。ところで、君。私に話したいことがあると言いたげだね。話してみなよ」
「……私的どころか、公的な相談になりますが、よろしいですかね?」
時は、少し前に遡る。
「……」
雲が濁っている。
雨が降りそうだ。
仰向けになりながら思ったのは、そんなつまらないこと。
須郷綾音は、道のど真ん中に倒れていた。
「……そろそろ治ったかな」
そう呟いて、寝起きの人間のようにゆっくり立ち上がった。
服をパッパと払い、襟を整える。
「全く、綺麗に命中させてきた。おまけに、対戦車ライフルか。この体じゃあなかったら、どうなっていたか…………ソビエトにもすごいのがいるな」
背広の下に着たシャツの胸元は、狙撃されたことで赤に染まっていた。
だが、その下は何ともない。
銃弾で開けられた穴は塞がり、修復された血管は正常に血を動かしている。
「へえー、すごい。もう体直しちゃったんだ」
突然、声が聞こえた。
振り返ると、フードを深々と被った若い女が立っている。
そいつが誰かは、すぐにわかった。
「御者か」
「うん、そだよー。でも手綱取るのは飽きちゃったし、もーやめた」
馬車の御者は、ニタァと笑って1歩距離を詰めてくる。
それに合わせて、須郷は1歩下がった。
「おい」
後頭部に、何かが触れた。
「後ろ、詰めねえでくれる? 狭いんだよ」
「……お前か、賞金稼ぎ。ソ連からの依頼はもういいのか?」
「ああ、もういい。本命はこっちだからよ。久しぶりだな、OuGUs」
「その呼び方はやめろ。それから、銃口を私の頭から離せ」
当然、カルセウ・ボンスは従わない。
須郷はため息をついて、正面の女を見据える。
じりじりと迫ってくる女へ、須郷は問うた。
「……おおよその検討はついているが、何が目的だ?」
「ふっふっふー。拉致しに来ましたー。どう、予想と合ってた?」
「ああ」
「へぇー、あったま良いー!」
小馬鹿にするように、女はカタカタ笑った。
少しムッとしたが、言いがかりをつける気にもならない。
やるべきことはただひとつ。
戦って逃げる。
自衛官とミッチャーと合流し、この街を脱出する。
「……どうやら、戦うしかないらしい。体を直したばかりなんだがな」
御者の女を、真正面から睨みつける。
それは、戦闘の意思表示。
交戦開始のゴングとなる殺意の視線だ。
しかし、女は動じるどころかうふふふと笑っている。
妙な気持ち悪さを覚えると同時に、須郷は背後のボンスがため息を吐くのを聞き逃さなかった。
「ところで、ジョセフィーヌの皇帝には会った? ほら、あの小太りで薄毛のおっさん。あの人、たしかこんなこと言ってたよね。『我が辞書に不可能の文字はない』って。なんというか、傲慢だよねー」
「何が言いたい?」
「私達に勝とうなんて自意識過剰だってこと」
女はフードに手をかけ、引きちぎるようにして脱ぎ捨てる。
須郷の前に晒される、美脚を盛大に晒した青のチャイナドレス風の衣装。
フードで隠されていた顔はかなりの美形で、髪はいわゆるツインお団子。
絵に描いたような中華美人が目の前にいる。
「カルセウ君と組んだ翠蘭様からは逃げられないのだ」
「オレとテメェがいつ組んだ? オレ1人でやれるモンに、テメェが勝手に介入してきてるだけじゃあねえか」
呆れ気味に言うボンス。
翠蘭は大袈裟なリアクションで驚いてみせた。
「なっ! なんつー言い草! 翠蘭ちゃん、傷ついちゃった!」
「おう、傷ついて勝手に死ね」
戦う気あるのか、こいつら。
須郷はため息をひとつ吐いて、後頭部に手を回し、押し当てられた銃身を掴む。
「あ?」
「痴話喧嘩は他所でやれ」
フンとボンスの鼻が鳴る。
次の瞬間、賞金稼ぎはショットガンの引き金を引いた。
バァン
「おおッ?」
銃が爆発した。
突然のことに戸惑うボンスを突き飛ばし、須郷は駆け出す。
「逃がさない!」
これを見逃さない翠蘭は、錐のような武器を連続で投擲する。
避けるのは簡単だった。
ひらり、ひらりと飛んでくる針をかわし、一気に翠蘭との距離を詰める。
「いッ……!」
容赦なく顔面を殴り飛ばし、駆ける。
視界に広がっているのは、人気のない大通り。
本来なら、そこを突っ走って逃げる手筈だった。
手筈だったのだが……。
何かにぶつかった。
「……は?」
何度か触って確認する。
たしかに、目の前に見えない壁があった。
道のど真ん中に壁がある。
しかも透明な壁が。
現実離れした出来事に、一瞬思考が停止した。
「隙ありっ!」
背中に生じる強烈な痛み。
投げつけられた8本の錐が深々と背中に食い込み、須郷は顔を苦痛に歪めながら片膝をつく。
ゆったりとした歩調で歩み寄りながら、翠蘭は目を細めて言った。
「私ね、周囲に別次元の空間を展開する"次なる世界"って魔法が使えるんだ。音は漏れないし、外からは何も見えない。それに、入れない。この空間にいるのは私と君、そしてボンスだけだよ」
……そういうことか。
厄介な力だ。
悪態をつこうにも、背中の継続的な痛みが邪魔をする。
「あー、それ毒針だから。そこんとこよろしく」
ボンスが、ぶっ壊れた銃を憎々しげに見下ろしながら近づいてくる。
「確保したか。このアマ、銃身に石ころ詰めやがった。こりゃ修理しねえとな」
「そうだねー……って、ボンス! 後ろ!」
「あぁ?」
……バレた、クソアマめ。
ボンスの背後に恩寵で出現させた制服警官が発砲する。
「鷹の眼!」
瞬間移動で難を逃れるボンス。
銃弾は先程ぶつかった壁に当たり、跳ね返った。
ボンスは警官の背後に移動する。
制服警官は振り向きざまに発砲した。
これも瞬間移動で回避され、今度は真横に出現する。
須郷から見て、警官の右隣だ。
須郷の力で現界した制服警官は、須郷の指令のみを聞き入れる。
彼女が脳内で近接戦闘に移行するよう命じれば、すぐに従う。
ボンスへ向けて突撃する制服警官。
しかしボンスは、これも瞬間移動で回避。
警官は勢い余って透明な壁に頭をぶつける。
再び真後ろに回られた。
「あははは、何してんのあの青い人!」
翠蘭の嘲笑に耳を貸すことなく、同じように突撃する制服警官。
今度は、瞬間移動はされずに、闘牛のような動きでひらりとかわされた。
またしても、警官は頭をぶつける。
「……」
役目は終わった。
ありがとう。
心の中でそう唱え、須郷は警官を消滅させた。
抵抗が終わったのと同時に、翠蘭の嘲笑がさらに大きくなる。
「えー? ダッサ! 牛みたいに走り回って何もできず終わり? ちょっとボンス、もうちょっと手加減してあげなよー。一方的すぎて観客ブーイングだよ」
「知らねえよ。ほら、さっさと縛っちまえ」
ボンスは翠蘭へ縄を投げ渡す。
彼女はしっかりとキャッチし、須郷に見せつけるようにして縄を伸ばして見せてきた。
「…………か……」
声が漏れる。
毒針によってかなりかすれ、弱々しい声だった。
意外に耳がいいのか、チャイナ女は大袈裟な身振りで身を近づけてくる。
「ん? どした? 言いたいことあるなら聞くよ? さっきの言い訳なら尚更聞いたげる」
キッと、翠蘭の顔を睨みつける。
次に須郷の口から飛び出した言葉は、愚か者を嘲るような、強い口調だった。
「私が本当に……こんな無様な戦いを無策でやっていると思ったか?」
「……ハァ?」
「苦し紛れの抵抗だと思ったか? 違うね。今ので、この空間の広さはある程度把握した」
「だから何だって言うのさ? 広さがわかったところで……」
「意味はある。後ろを見てみろ」
翠蘭とボンスが振り返った先。
そこは周囲と完全に切り離された異空間の中。
霧が、発生していた。
闇エルフに追われる中で空飛ぶ怪物を出現させた時と同じように、霧が出ていた。
その霧の中で、ふたつの目が白く光っている。
その眼光に照らされた2人の賞金稼ぎは、次に起こることを察したか、はたまた反射的な行動か、同時に飛び退いた。
けたたましいサイレンを鳴らしながら霧を突っ切り、それは現れた。
須郷の目の前で急ブレーキを踏む白と黒のそいつは、パトカーである。
「さあ、お勉強の時間だ」
見えない壁に背中を合わせ、赤い光をくるくる回す怪物を呆然と見つめる2人の前で、須郷綾音は立ち上がる。
「この狭い空間の中で、私は次々に車を出現させていくつもりでいるんだが、この空間が満杯になるまで、一体何台出せばいいと思う?」
「……ボンス、ちょっとヤバいかも」
「空間広げろ」
早くも次の霧が立ちこめる。
「"次なる世界"!」
翠蘭とボンスが後方へ飛び、空間が広がったことがわかる。
だが、こんなことで退く須郷綾音ではない。
「広げたところで何になる?」
霧からさらに2台のパトカーが現れる。
ガシャンバコンと音を立てながら、確実に空間が埋まっていく。
最初に出現させたパトカーのボンネットに座って、須郷はボンスと翠蘭を楽しそうに見やった。
「どれだけ広げられる? 私の体が壊れるまで広げられるか? 試すか? 実践してみるか? 証明してみろよ」
その笑みは、まさに悪魔のそれ。
人を試す悪党のそれ。
パトカーの重量のような悪意に触れ、翠蘭は完全に戦意を喪失する。
「ボンス、これ無理だ。解除するね」
「あ?」
「空間維持するのにも魔力めっちゃ使うんだよ! 無限に広げるなんて無理無理!」
「今を逃したら好機はもうねえぞ! 閉じるのは許さねえ! もっと広げろ!」
言い争う間にも、どんどんパトカーは増える。
縦も横も、白黒のボディで埋め尽くされていく。
対抗して、空間はさらに広がっていくが、そのペースを追い越すようにパトカーは増えていく。
20台近く出現させたところでいよいよ、ボンスと翠蘭の体が押し潰される寸前まで来た。
ここまで来て遂に、彼は折れる。
「解除しろ」
「遠慮なくゥ!」
翠蘭は手を高々と掲げ、指パッチン。
途端に見えない壁が消失し、パトカーの山がガシャンと崩れ落ちた。
「おい、もう終わりか?」
「終わりだよッ! 早く帰ろッ!」
「……っつーワケだ。今日は帰る」
そう言い残して、カルセウ・ボンスは翠蘭の肩を掴んで瞬間移動し、この場から消えた。
戦闘終了。
途端に襲いくる痛み。
須郷の全身にヒビが入り、そこから激痛と共に血がドバドバ溢れ出てくる。
腕からも、脚からも、頬からも。
ヒビはあちこちに広がり、彼女の体を崩壊させんとする。
木佐岡利也にも語った、恩寵の反動だ。
パトカーのようなデカブツを連続で出現させたなら、このくらいの反動は当たり前だ。
機動隊のバスなんて出していれば多分死んでいた。
片膝をつき、喘ぐ。
息を何度吸っても、この痛みがすぐに引くことはない。
時間だけが、この痛みを解決してくれる。
それまではずっと痛いままだ。
「やはりな」
突然声をかけられ、顔を上げる。
男が立っていた。
腰からカトラスを下げた、アイツが。
「お前にその力を与えてはいけなかった」
「……今日は、懐かしい顔に……よく出会う……」
男はじっと須郷を見下ろすばかりで何もしてこない。
腰のカトラスに手をかけることもしない。
「……どうした、トマス。今日は殺さんのか」
「原点は、するなと言っている」
男は急に、話題を変えた。
「お前はあの男……木佐岡利也を信じるか?」
「……何だと?」
「忠告だ。あの男は信じるな。木佐岡家というだけで信用ならない上、お前ら全てに、ありったけの隠し事をしているからな」
「……それでも、利害は一致している」
「そうか」
それ以外に言葉はなかった。
気づけば男は目の前から消えており、須郷の意識もまた、闇の中に落ちた。
ミッチャーによって彼女が発見されたのは、それからしばらく経ってのことであった。




