須郷綾音と恩寵と絶望
「恩寵? 何が恩寵だ!」
須郷の関節技から抜け出し、ニキチッチは吼える。
「戯言を抜かすなよ、極東人種!」
そして、リボルバー──ナガンM1895といったか──を構えた。
が、突然彼女の腕ががくんと落ちた。
「なっ……!」
ニキチッチは驚いて自分の腕を見ていたし、俺も思わず目を見張る。
彼女の両腕には金属製の手錠がかけられ、ニキチッチを嘲笑うようにてかてかと光っていた。
「お、お前、俺に何を……!」
「さあな」
須郷の拳が顔面に飛んだ。
ニキチッチは仰向けに倒れ、すぐに起き上がろうともがく。
「……ッ!」
須郷がニキチッチへ手をかざす。
すると、何もない空間からロープが出現し、女将校の体に蛇のような挙動で巻きついた。
「なっ! 空中から現れたロープが俺の体を縛った! 何が、何が起こっている! 俺の目の前で何が起きているんだ!」
突かれた芋虫のように暴れるニキチッチを見やりながら、俺は呟く。
「……これは一体……。あんたが隠してたのか」
「ぴゅう……」
もふもふも腑抜けた声を出した。
「私はこんなもの持ってないぞ。頭の中から引っ張り出した」
須郷の視線は既に、屋根の上を走るエルフ達に向けられていた。
「次は何にしよう。ロープや手錠なんかより、派手でかっこいいものがいいな」
「キサオカさん、よーく見とけよ。姉御の恩寵を目の前で体感し、記憶に色濃く残しておけ」
空に向けて、女刑事は手をかざす。
今度はエルフ達がざわめき始めた。
「何が起きているんだ? さっきは女が急にぐるぐる巻きにされたし、今度は何が起きる?」
「知ったことではない。僕達は破片の保有者さえ確保できればいいんだ」
「いや、我々に何かしてくるかもしれない。用心しろ」
闇エルフ達が警戒する中、"それ"は空中に突然出現した。
馬車の真上に濃霧が立ち込めたかと思えば、その霧を突き破って何かが飛び出してきた。
それは、飛んでいた。
巨大なローターを回転させ、真下の俺達に暴風を浴びせながら飛行している。
それは、青かった。
巨大な機体は、青に染まっていた。
俺達の世界にしか存在せず、こちらの世界にあってはならないものが、飛んでいる。
人類の叡智の結晶である機械の塊が飛んでいる。
さっきはあんなカッコつけたことを言っていたミッチャーも、これには腰を抜かしてしまっている。
俺?
感動と興奮で心臓がヤヴァイ。
「う、うおーッ! なんだありゃーッ!」
「ヘリコプターッ! ヘリコプターァァァァッ!」
俺達の声はバババババッという羽音で掻き消される。
そんな中でも、何故か須郷綾音の事務的な声だけははっきりと聞き取れた。
「……警視庁のヘリコプター、ベル412を1機、中には石川県警機動隊の狙撃手を2名。よし、こんな具合か」
「ベル412! 石川県警! 狙撃手⁉︎ 一体全体何が起きてんのか説明しろッ!」
「さっき言ったじゃないか。頭の中から引っ張り出しただけだ」
肩を掴んで揺さぶっても、須郷はただそう言うだけ。
その間も、頭の中から引っ張り出されたというヘリは頭上を飛んでいる。
この間敵軍の将校2名は、首が折れそうな程上を見上げて呆然としていた。
「フォッケウルフか、あれは……」
「ドイツのあれか? それにしては似ても似つかないな」
驚きを隠せないのは、ユークリウスとニキチッチだけではない。
追跡してくる闇エルフ達の間にも、混乱が生じ始めていた。
「いつの間にあんなものが!」
「なんて大きさだ! 唸りながら飛んでいる! あの女は怪物を召喚したぞ!」
「馬鹿ッ! あんな妙な格好をした召喚士がいてたまるか!」
「何でもいい! 射かけろ!」
混乱の収拾がつかないまま、攻撃が始まる。
さっきは俺達に向けられた矢の嵐は、今度はヘリコプターへ向けられた。
しかしというか、当然というか、ヘリコプターがひょろっちい弓矢で墜ちるわけもなく、巨大な金属の怪物はバババババッと鳴きながら飛び続けていた。
「クソッ、なんてヤ──」
ダンッ
ローター音に混ざって聞こえた銃声。
ほぼ同時に、1人の闇エルフが倒れ、屋根から落下した。
その後も立て続けに銃撃が起き、エルフらがバタバタと死んでいく。
「石川県警の狙撃手ってこれか?」
弾丸はヘリの中から飛んでいるようだ。
真下にいる俺からその姿は見えないが、完全武装の隊員が狙撃銃を手に、獲物を捉えた鷹の如く冷酷な眼差しでスコープを覗いているのだろう。
「風の恩恵はどうしたッ!」
「防いだところでどうしようもないだろッ!」
「もういい、退けェッ!」
反対側の道へ飛び降りたのか、闇エルフ達の姿が消えた。
訪れた静寂に戸惑いながらも、俺はぽつりと呟く。
「……もう、あんた1人でいいんじゃないかな」
「お前という男は…………記憶を立体化させ、意のままに操作する力。これが私の授かった……恩寵だ……うッ」
振り返ると、須郷の口から赤い液体が滴っていた。
すぐさまミッチャーが駆け寄り、須郷の背中に手を添える。
「お、おい……!」
「ぴい!」
「心配はいらん。反動だ。あんな力なんだ、当然代償はあるさ。長時間、もしくは連続で力を使うと体にかかる負荷はさらに大きくなる。ああ厄介だよ、本当に」
口元の血を拭い、須郷は呆然と固まるユークリウスとニキチッチを交互に見た。
「さあ、一部始終を見てもらったわけだが、どうする? 戦いを続けるか?」
「は、はッ! 弱点を自ら曝け出しておいて何を言うか貴様ッ!」
「言っておくが、お前ら2人制圧する程度の銃器や手錠を出したところで簡単に血を吐くほどヤワじゃあないぞ」
ユークリウスは苦い薬を飲んだような顔で押し黙った。
ただ、芋虫のように縛られたニキチッチは諦めのため息をついて、須郷の目を見た。
「俺はもういいね。やめとく。あー、命が惜しいよ、ポマギーチェ。日帝サマ万歳」
「…………そうか、ならそのまま縛られているんだな」
「そうだな。俺はもう手を出さないよ」
彼女はただ、淡々と繰り返し、
「俺は手を出さない。それでいいだろ?」
ニタリと笑った。
その瞬間、ぞくりとした。
諦めてない。
こいつは戦いを続ける気だ。
何故か、そう確信した。
「気をつけろ! まだ何か仕掛け……」
轟いた1発の銃声が、俺の言葉を掻き消した。
俺の目の前で、須郷綾音の胸元に大穴が開き、両腕が吹っ飛んだ。
シャワーのように吹き出す鮮血は俺達の驚愕、絶望を表すかのように残酷に輝く。
手を伸ばす間もなかった。
須郷はバランスを崩して倒れ、走行する馬車から落下した。
「姉御ぉ!」
「ッ!」
「でかしたぞドフチェンコ。俺のナスターシアよ!」
そう呟いて、ニキチッチは立ち上がる。
彼女を拘束していたロープは跡形もなく消えていた。
「テメェッ!」
剣を構えて斬りかかるミッチャー。
その斬撃をひょいとかわし、ニキチッチは荷台を飛び降りた。
「……先回りされてやがった」
立ち並ぶ家屋の屋根の上。
闇エルフに代わってそこにいたのは、対戦車ライフルを構えた大柄なソ連軍狙撃手だった。
ニキチッチが飛び降りたことで仕事が終わったとでもいうのか、大男は銃口を上げて後退を開始する。
俺は奴に狙いをつけて、撃った。
黙って、射撃した。
しかし大男は危険を察知して反対側の道へ飛び降り、弾丸は屋根のレンガを砕いただけであった。
「……クソ虫が」
銃を下ろす。
AKの弾はこれで切れた。
仲間を殺された。
殺した奴を取り逃した。
俺の心を支配するのは、悔しさだけだった。
「お、おい! 御者がいないぞ!」
突然響いた声で我に返る。
声の主はユークリウスだった。
御者席の方を指さして喚いている。
彼の言う通りだった。
あの顔もわからない女の御者は消え去り、ただ手綱が蛇捕りに捕まった蛇のごとく暴れていた。
御者席に1番近い女へ向けて叫ぶ。
「ミッチャー頼む!」
「く、くそがよぉ!」
ミッチャーが暴れる手綱に飛びついた。
「言うこと聞けよ! 頼むから!」
馬はミッチャーを振り返ると、突然右にカーブを描き出した。
「嘘だろォッ!」
この急旋回に荷馬車は耐えられず、俺達は横倒しになった馬車から投げ出された。
89式小銃、そして空中で引っ掴んだピティを抱え、俺は石造りの道路を転がる。
なんとか停止して振り返ると、ミッチャーとユークリウスはもつれあうようにして倒れていた。
ミドルフィンガーも投げ出されていたが、道路に倒れてぴくりとも動かない。
俺はミッチャーを助け起こすために駆け寄った。
「……大丈夫か」
「あたしは無事。あんたはどけ」
「は、離さん! せっかく敵にここまで接近できたのだ、このまま葬ってくれる!」
「離れろっての!」
そのまま掴み合いが始まる。
俺は思わずやれやれと嘆息した。
気づけば、俺達の周りを囲むようにして住民達が集まってきていた。
「あんたら大丈夫か?」
「ひでえ事故だ。ん、あそこに血塗れになってんのは……」
「ミドルフィンガーちゃんじゃないか? おい、みんな! 彼女に手を貸してやれ!」
ざわめきの中、俺は振り向いた。
血塗れになって倒れているであろう少女の様子を確認するためだ。
だが……。
「……ねえ、何で?」
彼女は、自力で立っていた。
呆然と突っ立つ俺の前で、ミドルフィンガーは吐き出すように言う。
「ねえ。何で意地の悪いことをするの? どうして私の大好きな町で余所者が喧嘩しているの?」
真っ赤に染まった顔面に、2つの目玉が爛々と輝いて俺達を睨んでいる。
そこから発せられる感情は、憎しみに染まりきっていた。
彼女は生者であるはずなのに、何故か俺には彼女が幽鬼に見えた。
「ここは私の町なのに、人形劇でみんなの人気者になったのは私なのに。何で町で暴れるの? 何で私をいじめるの?」
住民達が、一斉にこっちを見た。
この場にいる全ての人々が、例外なくこちらへ無感情な視線を向けてきた。
あまりの異様さに、ミッチャーとユークリウスも言葉を失う。
「…………許さない」
ミドルフィンガーの言葉に呼応するように、全ての住民達が1歩踏み出す。
彼らの顔に生気はなく、目の焦点は合わず、口元だけは歯を剥き出しにして笑っており──。
保育園で見た、人形達そのものだった。
「……これ、ヤバいんじゃねえか?」
「私にもそれくらいはわかる。これはまるで、人形だ」
各々武器を構える。
ピティも俺の頭の上で威嚇するように鳴いている。
だが、全員何となく無駄であると察していた。
特に俺とミッチャーは既に人形と交戦しているので、十二分に承知していた。
「許さない。許せない。お人形を壊す人は大嫌い。だからお前らは死ねばいい。人形劇の舞台をめちゃくちゃにしたから、死んで当然だよね」
また1歩。
俺達に逃げ場はない。
「新しい劇のあらすじ、思いついちゃった。人を食べる人から、みんなで逃げるお話。どう? 素敵だと思わない?」
さらに1歩。
完全に、囲まれている。
笑顔を貼り付けられた人形達。
彼らが一斉に口を開けた瞬間、俺はミドルフィンガーの言葉の意味を理解した。
「黒鯨の若造。ここを切り抜けるまでは手を貸せ」
「……断るッ! 私は私が逃げ延びるために戦う!」
こっちの申し出を青年将校が断りやがった直後、ミドルフィンガーは叫ぶ。
耳から脳へ直接響くような、キンキンしたヒステリックな叫びであった。
「みんな! こいつら八つ裂き……いや2倍の16に裂いて食べちゃって!」
【シモノフPTRS1941】
ソビエト連邦で採用された対戦車ライフル。Ⅲ号戦車やⅣ号戦車の側面を貫ける程の威力と、ある程度の連射力を併せ持つ。人に向けて撃つのはよした方がいい。木っ端微塵の死体を見ることになるし、そうならないのはおかしい




