黒鯨鉄十字団の攻撃
★★★★★★
場所は変わって、広場からやや離れた住宅。
1人の男が、レンガ造りの屋根の上を小走りに移動していた。
広場の者から見られぬよう、姿勢を低くして斜めに軽く傾いた屋根を走るそいつは、腹這いになってシモノフPTRS1941対戦車ライフルを構えている男の側に駆け寄ると、自身も滑り込むように腹這いになった。
「ドフチェンコ大佐、全狙撃手配置につきました」
「……よし。まずは俺が撃つ。相手の誰かが倒れたら、一斉に撃て。ピョートル、お前もだ」
スコープを覗き込んだまま、ドフチェンコは静かに指示を出す。
ピョートルと呼ばれた男はニィッと口角を上げ、ドラグノフ狙撃銃を構える。
「我々主導のパーティの始まりというわけですか」
「お前にケーキはやらない」
笑わずにドフチェンコは返し、脳内で状況を整理し始めた。
「……」
破片の保有者の回収は成功している。
賞金稼ぎはしっかりと伯爵を裏切ってくれたようだ。
建物の前には、味方と睨み合う大勢の騎士がいる。
だが、ニキチッチはその奥、建物の中に向けて話しかけている。
中にも敵はいる。
だが、ここからでは完全に死角。
敵の足すらスコープに映らない。
となれば、騎士を狙うべきだ。
狙撃班と地上班による一斉掃射で騎士団を倒し、ニキチッチの突入を手助けする。
これだ。
これが最善だ。
裏方が為すべき最善の事柄。
あとは全力でこなすのみ──
「大佐」
不意に呼ばれた。
「どうした」
「広場に敵です」
「何だと」
すぐさま狙いを変える。
──いた。
野次馬の逃げ去った広場に大勢。
乗り捨てられた馬車を遮蔽物にしながら、ソ連軍に接近している。
ピョートルの言葉が耳に入り続けている。
「敵は物陰に身を隠しながら馬車へ接近中。装備はKar98kにMP40、MG17機関銃も見えます。ヘルメットはシュタールヘルム」
「……ナチスか。いや、黒鯨鉄十字団だったか。航空機用の機関銃まで持ってくるとは、何のつもりだ?」
今度は、ドフチェンコがピョートルの耳に言葉を入れる番だった。
「目標変更だ。先にファシストを排除する」
★★★★★★
ダァーン
ぱぱぱぱぱぱっ
唐突に響いた銃声が、俺達の気を逸らさせる。
だが、ニキチッチもそこを突いてくることはなく、銃声の轟いた後方を振り向いた。
「どうしたドフチェンコ。予定と違うぞ」
ソ連兵、伯爵家の騎士達も銃声の方へ注意を向ける。
弾丸は広場へ飛んできているようだ。
鳴り止まない銃撃音。
跳ね返る弾丸。
止まぬどころかどんどんと激しくなる銃撃。
どこからだ。
どこから撃っている。
銃を構えたまま、俺は周囲を窺うが、射撃手の姿は見えなかった。
ということは、遠方からの狙撃と見るのが妥当だ。
「自衛官」
須郷が背後から声をかけてくる。
彼女もまた、銃を下ろしていなかった。
「敵が増えるぞ」
その時だった。
「前進せよ! 敵に近づけば近づくほど狙撃手は躊躇う!」
「中佐の命令が聞こえたか! 全軍、突撃!」
逃げ去った野次馬が乗り捨てた馬車や荷物の陰に隠れていた者達が次々と飛び出してきた。
その中に、見覚えのある人物を俺は見つける。
ソ連軍への突撃を敢行する乱入者達の指揮を執る、隻眼の将校。
そう、彼は。
「スコルツェニー!」
「ん? オオ、日本人! 再会を喜び合うのは後にしよう! 吾輩が怒りに震えている原因は、貴様ではないからだ!」
スコルツェニーは拳銃を抜き、発砲する。
相手は俺ではなく、ニキチッチだった。
「おっと……。見つかりたくない男に見つかってしまった。戦闘時にやたらハイテンションなのは相変わらずか」
「ニキチッチィィィ! 貴様はやはりその程度の女だろうと思っていたぞ! 協定を破って抜け駆けとはなァァァァ! やはり共産主義者は約束を守らん下衆だ! ウォッカ漬けにしてスターリングラードに埋めてやろう! 地下深くッ! 2度と這い出ることのないようにッ!」
「不可侵条約を破ったのはどこのどいつだ? それと、スターリングラードに埋めてもらえるのは嬉しいな。同志の名を冠する場所であり、兄貴が死んだ場所だ」
「総員、かかれぇッ!」
「みんな、客人をお迎えするぞ! 盛大にな! いいか、退却した者は射殺するッ!」
「「Ураааааааа!」」
スコルツェニー隊とソ連軍の銃撃戦が始まった。
俺と須郷はほぼ同時に床に伏せ、流れ弾に備える。
ニキチッチとカルセウ・ボンスも馬車を盾にして身を隠す。
「独ソ戦の続きでもやっているというのか?」
「恐らく合ってる」
黒鯨鉄十字団の兵士達はある程度距離を詰めて発砲し、ソ連兵も即座に撃ち返す。
黒鯨の兵がソ連兵を1人殺せば、仲間を喪ったソ連兵は相手を全力で殺し返す。
荷馬車に搭載された航空機用の機関銃が乱射され、ソ連軍が一掃されていく。
お返しと言わんばかりに、ニキチッチが手榴弾を投げつけ、機関銃は吹っ飛んだ。
銃撃は騎士達に対しても行われ、重厚な鎧を着た男達は逃げる間もなくばたばたと死んでいった。
それでも、生き延びた者は死んだ仲間の仇を討つために剣を抜き、敵兵目掛けて突進する。
三つ巴の乱戦。
事態は悪い意味で想定外の方向へ進んでいた。
「賞金稼ぎ!」
ニキチッチが銃撃音に負けない声を張り上げる。
ミドルフィンガーを抱えたボンスも、悪態混じりの大声を上げた。
「あ? オメーの部下がドンパチやってるせいで聞こえねえよ! まともな指揮もできねえのか!」
「その少女を護衛しろ! 金はもう少し上乗せしてやる!」
「そう来ると思ったぜ! あいよ! 任された!」
その言葉を聞き届け、ニキチッチは馬車の陰から飛び出す。
直後、彼女に踊りかかったひとつの影があった。
両手のグローブから剣を伸ばした猫耳──ハインツだ。
ニキチッチがその存在に気づいた時には、ハインツは素早く彼女へ接近し、右腕で"猫の爪"の突きを胸元へ放つ。
完璧な奇襲だ。
完璧だったはずだ。
"猫の爪"が胸に突き刺さる瞬間、ニキチッチは体を捻って回避するのと同時にハインツの右腕を掴んだ。
そのまま彼女の背に密着し、首の後ろから左腕を回して顎を掴む。
2人の目が合う。
次の瞬間、ニキチッチが左足を軸に回転し、ハインツを背中から叩きつけるように転倒させた。
猫耳はすぐに起き上がり、再びニキチッチと対峙する。
「チッ……本当は首を折りたかったんだが、抵抗するから離してしまったじゃないか」
「……」
「おい、猫。システマを知っているか?」
ハインツは答えない。
その代わり、ニキチッチの首を目掛けて斬りかかった。
だが、ニキチッチは斬撃をひらひらとかわしていく。
それはまるで、空中を手で払った時に見せる埃の挙動に似ていた。
動きが軽い。
ニキチッチの体重は、空気よりも軽いかのようだった。
「システマの基本はリラックスだ」
敵の背後に回り込み、ニキチッチは囁く。
「常に呼吸し、常に動き回り、確実に仕留める。ああ、ドフチェンコはいいものを教えてくれたな。戦後のロシアではこんなものが流行っているとか……はは、最高」
「ッ!」
振り向きざまに放たれる斬撃。
ギリギリで回避したニキチッチだったが、再び構えたニキチッチの顎からは血が滴っていた。
「しまった、油断した。痛い、痛すぎる」
「……にしては余裕そうですね」
「……そう見えるか?」
一方、裏切り者の賞金稼ぎボンスも、2人の戦いを眺めていた。
ミドルフィンガーが「離してえ……」と呻くのも無視して、ただ戦闘を傍観している。
「……オレも助太刀した方がいいかね」
突然、彼は傍観をやめた。
ミドルフィンガーの足を踏んで黙らせ、自由な右手で散弾銃を構える。
「雇い主サマは余裕ぶっこいてやがるが、あの猫の方が強え。むしろ、余裕があんのは猫の方だ。このままじゃやられる。だろ?」
「余計なことを言うんじゃない。殺すぞ」
ニキチッチを無視して、ボンスはハインツに銃口を向けた。
引き金に指をかけるが、引かれるより先に青年将校が射線上に割って入る。
癖毛の金髪ですらりとした男だ。
「貴様の相手はこの私だ!」
「あ? どいてろよ」
「どくものかッ! 私は一騎打ちを宣言した! よって、このユークリウスが倒されなければ、この道が開くことはない!」
言いながら、ユークリウスはサーベルを引き抜く。
その瞬間、サーベルの刃はごうっと燃え上がった。
火の粉を散らすその剣を、ユークリウスは右手で構える。
「ヘェ、その剣燃えんの」
「私は炎魔術の使い手だ。そしてこの剣は"ゼネラル・グデリアン"! 炎を纏う、我が相棒だ!」
「……」
ボンスの目つきが鋭くなり、ユークリウスの頬を汗がつうと滑った。
その隣では、ニキチッチとハインツが睨み合っている。
2箇所で続く睨み合い。
沈黙が場を支配する中…………
初めに動いたのは、賞金稼ぎだった。
「やっぱやめた」
「は?」
その瞬間、ボンスの姿が消えた。
ユークリウスだけでなく、俺と須郷、ニキチッチ、ハインツも目撃していた。
俺と須郷にはわかる。
ワープだ。
「どこ行った?」
「……馬車だ」
突然のことに戸惑うユークリウスを突き飛ばし、ニキチッチは箱型の馬車の扉を開け放ち、中へ飛び込んだ。
「出せ!」
いつの間にか御者席にソ連兵が座っており、そいつは指示に従って馬車を発進させた。
「逃すかッ!」
「よし、ゴー!」
ユークリウスが馬車へ飛びかかるのと同時に、俺達は立ち上がって駆け出した。
「うおおおおおおっ!」
扉にしがみついて引きずられていく青年将校。
ハインツもその後を追うが、足止めのソ連兵が立ち塞がり、なかなか前に進めずにいた。
激しい戦闘の中を、保育園の入り口を飛び出した俺達は全速力で突進する。
走る途中で、俺はソ連兵の死体からAKを奪い取り、何発が撃った。
そんな俺達を嘲笑うように、馬車は徐々にスピードを上げていく。
そしてとうとう人の足では追いつけないようなスピードに達し、戦場となった広場を脱出してしまった。
「間に合わなかった……! クソッ」
ミッチャーの悪態が背後から聞こえた。
だが、次に聞こえた須郷の声は無念の感情からは程遠く。
「まだなんとかなる。あれを使おう」
須郷が指さしたのは、ニキチッチらと入れ違いで広場へ入ってきた荷馬車。
フードを被った人物が手綱を取っている。
ラッキーだ、ちょうどいい。
俺と須郷は顔を見合わせて、再度走り出した。
「あれまー。広場がやばいって聞いたけど、想像の23倍はやべー光景だった」
手綱を取る若い女は、どこかのらりくらりとした様子で広場を眺めていた。
その口調もどこかおっとりしていて、全く危機感など抱いているようには見えない。
そんな彼女は俺達に気がつくと、まるで友人と外出先でばったり出くわした時のように頭上で手を振ってくる。
「へい、皆さん。乗りたい感じ? 乗ってく?」
「話が早い。脅かす手間が省けた」
「……ああ、間違いない。ただの紙切れのくせして、こいつはまずい」
店のカウンターに右肘を付き、ニルナが手に入れた紙を睨みつけていたルウェイオス氏は憎しみを込めた口調でつぶやいた。
ベロニカとシグマはこくこくと頷いていたが、紙というか財布を盗んだニルナだけはきょとんとしている。
「いや、その……何がどうすごいのか、あたしわかんないッス」
ハァ、とシグマが嘆息した。
ニルナはムッとした顔で彼女を睨んだが、呆れ気味な視線を返されてたじろいでしまう。
「あれは闇エルフの文字よ。まったく、これで窃盗が不問にされちゃうわね」
「闇エルフ…………闇エルフ⁉︎」
元はひとつだったエルフという種族は、現在2つに分かれている。
人と共に歩む道を選んだ光エルフ。
人を憎み、森と生きる道を選んだ闇エルフ。
闇エルフは人を嫌う。
故に、光エルフと対立した。
故に、魔王に気に入られた。
今となっては、闇エルフ=悪の魔王軍のイメージが社会に浸透してしまっている。
「連中、闇エルフだったのか。ということは、これは異形種同盟がなんらかの活動をここで起こしていることを意味している」
ルウェイオス氏は難しい顔で紙をカウンターに置いた。
ベロニカはその紙を手に取り、シグマに手渡す。
シグマが紙を鞄にしまうのを確認して、ベロニカは父に向き直った。
「そういうこと。パパ、僕達はギルドに行ってくるよ。最悪の場合、軍隊にも……」
「そういうことなら、俺も行くぞ」
「えっ。そんな、パパはもう引退したじゃないか」
後方に控える店員達に「お前達、店番を頼む」と告げると、ルウェイオス氏は自分の足で立ち上がった。
ふらつきながらも剣を持ち、鞘にしまうと、ベロニカに微笑みかける。
「娘とその友達に危険なマネはさせられないし、俺だって冒険者の端くれだ。引退したとはいえ、こういう時は剣を振るうのが正解というやつだ」
「……ありがとう、パパ」
「礼はいらん、娘よ」
ベロニカは笑った。
ルウェイオス氏も笑った。
互いに勇気づけるように、笑みを交わす。
そして、その様子を遠巻きに眺める女子が2名。
「これが父と娘の愛ってやつッスね……!」
「やっぱり素敵だわ、ベロニカちゃん! お父さんとの絆が本当に素晴らしいわ!」




