猫耳
須郷とミッチャーと別れ、小屋に戻った後も俺の興奮は冷めなかった。
置き去りにされたもふもふが非難の眼差しと共にタックルしてきたが、それすら気に留めないほどに浮かれていたのである。
食事中も落ち着きが戻ることはなく、やたらとそわそわしているのが自分でもわかった。
そんな俺を、トゥピラら冒険者達は不思議そうな目で見つめていた。
「……どうしたの?」
「ん?」
「なんだか、すごくそわそわしてるように見えるわよ。何かあったの?」
トゥピラは食事の手を止めてじっと見つめてくる。
マーティンも同意するように何度も頷いている。
本当のことを言うのもあれなので、適当な答えを返すことにした。
「まー、色々あってな。めっちゃすごい体験をした」
「どんなの?」
「言わねえ」
途端に始まるブーイング。
2人をなんとか宥める俺に、ゴアンスが苦笑しながら視線を送ってくる。
何か言いたげな様子だ。
「……どうした、ゴアンス」
「いやあ、今日の礼を改めてしたいなと思ってなあ……。おいは何もできんかったのに、あんたは自ら喧嘩を売りに行った。とっても勇ましいでごわすよ、本当に」
「そうか。俺がいなくなった後に報復とかされなかったか?」
「そこんとこは心配すんな」
ゾーリンゲンが肉を頬張りながら言った。
口からぐちゃぐちゃになった肉が見える。
汚ねえ。
「何にもなかったぜ。冒険者の連中、おめえが怖くてちびっちまってんだよ。あー、面白え面白え」
俺のところに報復しに来たんだけどね。
まあ、こいつらに何の被害もなかったのならそれに越したことはない。
表にこそ出さなかったが、ホッとした。
「仕事は無事にこなせたんだな」
「おう。あの後、しょぼい商隊の護衛をやったぜ。安全ルート通ってたから危険な異形も出ねえけど、ゴブリンくらいは襲ってくる。んで、俺らももちろんゴブリンと戦ったわけだが、まあひでぇもんだ。なあ、デブ」
「おいは頑張ったんだが、ゾーリンゲンくんが不意打ち食らってやられちまってな。大変だったでごわすよ」
「おまけにぺったんこの魔法は相変わらず不発だ。俺がやられちまったのも、こいつがろくな援護できなかったからだよ」
「……うるさいわね」
トゥピラがじろりとゾーリを睨むが、彼が気にする様子はない。
「それより、てめえがなんかソワソワしてる理由を当ててやるぜ。この俺の天才的な頭脳が導き出した答えは……そう、ズバリ! 『道をぶらぶらしてたら運命の人にばったり出会っちまって、そいつのことが頭にこびりついて離れねえ』だ!」
「…………バカゾーリ」
トゥピラのこのひと言をきっかけに、またしても喧嘩が勃発する。
すぐさま仲裁に入るゴアンスとマーティンに、相変わらず無関心を貫くウィル。
ピティの機嫌は終始悪かった。
やっぱり、こいつらといるのは楽しい。
ただ、この世界からの脱出を目的としている以上、いずれは別れの時が訪れる。
そう考えると、何か胸の奥から押しあがってくる何かを感じてしまう。
まだ10日も共に過ごしていないというのに、何故だろうか。
もふもふと目が合う。
「食うか?」
「……」
自分の分の食事をひと口分分けようとしたのだが、もふもふはそっぽを向いてしまった。
「……はは」
…………いや、今考えるべきことではない。
余計なことは考えるな。
脱出とは言っても、どうせまだまだ先の話。
こいつらとの暮らしを十分に堪能するくらいの時間は神だってくれるだろう。
もふもふと仲直りできる時間もあるはずだ。
多分。
★★★★★★
思えば、佐原美冬との別れはこれが初めてではなかった。
12歳。
小学校の卒業式。
泣き虫なクソカスで、いじめられっ子だった俺の小学校生活が終わった。
式が終了した後、彼女が神奈川から引っ越すことが告げられた。
親の都合がどうのこうの言われたが、その時の俺は何ひとつ理解できなかった。
今思い返せば、離婚がどうのとか、父に引き取られるとかどうとか言っていたはずだ。
引っ越しの日、俺は兄貴と妹、祖父、祖母と共に隣の彼女の家へ挨拶へ行った。
彼女の母親はというと、先日、佐原の弟と見知らぬ女を連れて我が家に訪れてきていた。
手短に礼を述べ、そそくさと車に乗り込んで走り去っていったので、ろくに話もせずにお別れである。
よって、佐原の家にいたのは父親と佐原美冬だけであった。
祖父母が佐原父と談笑している間、ぼーっとしている妹の傍で、佐原は兄貴とDSでゲームをしていた。
俺は、参加しなかった。
あまりにも突然で、弱虫だった頃の俺には受け入れ難い現実。
それを伝えてきた彼女が憎かったのだ。
ただ1人、庭で泣いた。
恥ずかしかったので声は出さなかったが、かなりの涙を流したはずだ。
気づけば、佐原は父親と共に車に乗り込もうとしていた。
慌てて家を飛び出して車に駆け寄る。
佐原は窓を開けて顔を出し、俺の顔を見るなり意地悪な笑みを浮かべた。
「また泣いてる。私がいなくなっても、ちゃんとやってけるのかなぁ?」
「う、うるせえ! 泣いてねえよ!」
「嘘つき」
思わず、目を逸らした。
彼女を見つめていると、泣いてしまいそうだから。
また、笑われるだろうから。
「……じゃあね、利也くん」
その声にどこか違和感を感じ、顔を上げる。
彼女も、泣いていた。
両目からとめどめなく溢れ出る涙を、懸命に目を擦って止めようとしていた。
「うわ、佐原が泣いてる!」
「う、うるさいな!」
そこからもう少し何かを話した気がするが、思い出せない。
ただ、車が走り出した時に叫んだ佐原の言葉だけは、当時の感情と共にはっきりと思い出せる。
「今だけは思いっきり泣け! でもあとはもう泣くな! ここで涙は枯らして、中学では強く逞しく! 絶対に泣くな! 約束だからね!」
★★★★★★
俺は激しいノックの音で起こされた。
俺の腹の上に乗っかっていたもふもふも、同時に目を覚ましてキョロキョロしていた。
このノック音の大きさは間違いない。
こっちを叩き起こすためにわざと激しく木製のドアを揺さぶっていやがる。
何だか、悲しいような懐かしいような夢を見ていた気がする。
だが、夢の記憶というのは脆い。
既にほとんど忘れかかっていた。
どん、どん、どんどん
ノックはやまない。
それにしても、こんな朝っぱらからどこの非常識野郎だ?
これはどこのどいつにも共通することであろうが、寝起きは非常に機嫌が悪くなる。
些細なことで苛立ったり、時にはブチギレるのが人間だ。
ましてやこうした起こされ方をされた場合は特に。
エルフとかは知らん。
少なくとも、寝起きのマーティンとウィルがキレてるのは見たことがない。
むしろ穏やかなくらいだ。
トゥピラやゾーリも重い瞼を開いてむくりと起き上がる中、俺はドアを叩いている奴に文句を言ってやろうと立ち上がった。
ピティも腹から飛び降りて、俺より先にドアの方へ駆けていく。
「わかったわかった! 今出る! クソが!」
鳴り止まぬノック音に悪態をつきながら、俺はドアを乱暴に開けた。
「…………随分とご機嫌斜めだな。悪夢でも見て漏らしたのか?」
須郷綾音だった。
半開きの目で苛立っている俺とは違い、彼女は昼間と変わらない顔と姿勢でそこにいる。
それはもう、こっちを見下しているのかと思うくらい凛としている。
いかん。
手が出そうだ。
「さっさと着替えてギルドに来い。濡れたズボンも早急に履き替えろ。鍵の破片について話し合いたい」
「漏らしてねえよ。殴るぞ」
「どうだか。私はミッチャーを呼んでくるから、先にギルドで待っていろ。いいな。それと、このちびっ子は連れてくるなよ」
体を頑張ってよじ登ろうとしているピティを須郷は抱き上げ、俺に手渡してきた。
こっちの返事を待たずに、須郷は俺に背を向けた。
去り行く背中を睨みつけ、俺は自分のズボンを触る。
…………よし、濡れてなかった。
「誰?」
完全に寝ぼけているトゥピラに、俺はひと言だけ返した。
「俺が大っ嫌いな協力者だ」
須郷に言われた通り、私服姿の俺は冒険者ギルドにやってきた。
念の為、銃は置いてきた。
もちろん、嫌がるもふもふも留守番である。
トゥピラにも、決して外に連れ出さないよう釘を刺しておいた。
あいつを気に入っている彼女のことだから、ギルドに連れて行ったりしそうで怖い。
時間が時間なので、ギルドにはわずかな数の冒険者しかいない。
早起きは三文の徳だよね。
うんうん。
ギルドの中に1人で入れば面倒な奴に絡まれると判断し、入り口近くの壁に寄りかかって2人を待つことにした。
道路を行き交う人々はまだ少ない。
馬車もあまり通らない。
静かだ。
かなり活気があるはずの王都は、まだ眠っているのだ。
朝早いのだから。
あの女に起こされさえしなければ違った景色が見えていただろうに。
冒険者達の世間話を盗み聞きながら、俺はひたすらに待ちぼうけ。
居眠りしようかと思ったが、眠気はどこかの誰かさんのせいでとうに失せている。
話し相手もいないし、考え事をするくらいしかやることがない。
俯いて、考え事スタート。
自衛隊にいた頃を思い返すか?
ああ、懐かしの補生時代。
初日は優しかった教官が、次の日から鬼になった。
殺されるかと思った。
教官は確実に俺達を殺そうとしていた。
ああ、思い返すだけで寒気が……。
……学生時代にしよう。
佐原と一緒に見た入学式の桜。
個性が強すぎた友人達。
勝手にバイトして怒られた夜。
ソ連の独裁者にそっくりだった世界史の教諭。
……涙出ちゃうよ。
思い返すだけで泣いちゃうよ。
うーむ、他に何を考えよう。
「あの、お隣よろしいでしょうか?」
俺の思考を唐突に阻害してきた女の声。
あまりに考え事に夢中になりすぎて、俺は視界に入り込んでいるつま先に気づかなかった。
「ん? ええ、構いませんよ」
考え事をストップし、俺は顔を上げる。
俺の前に立っていたのは、人間ではなかった。
いや、背格好は完全に人間そのものなのだ。
カーキ色のコートを着た金髪の少女。
両手には、手の甲のあたりが不自然に盛り上がった手袋をつけている。
吸い込まれそうなブルーの瞳と、美少女と呼ぶに相応しい可愛らしい顔立ち。
しかし、俺の目を奪ったのはそれらの情報よりも、彼女の耳だった。
そう、猫耳。
人間の耳があるであろう位置は完全に、肩まで伸びた髪の毛で隠れている。
多分、あの金色の髪を持ち上げてみてもそこには何もないのだろう。
だって、頭にふたつ、猫の耳があるのだから。
「……どうしました?」
少女が困ったように目を細めるのに気づき、俺は慌てて目を逸らす。
「す、すまん。つい……」
「猫耳族を見るのは初めてですか? 猫耳族はこの辺には暮らしてないですし、仕方ないことです。どうかお気になさらず」
とは言っても、彼女の表情は硬い。
なんというか、くそ真面目な会社員のように引き締まっている。
おかげで、許してもらえたのかどうかも怪しく感じてしまう。
向こうも何か察したのか、僅かに表情を和らげた。
「よく周りからぼくの表情は硬いと言われるんです。どこかでついちゃった癖なんでしょうね」
「は、はぁ……」
少女は俺の隣に寄りかかって、視線を落とした。
彼女も待ちぼうけだろうか。
思わぬ仲間ができた、などと内心喜んでみせる俺であった。
しばらくの間、俺達は無言のままでいた。
互いの待ち人は一向に現れず、時折聞こえてくる冒険者達の笑い声に反応して少し顔を上げるだけである。
「お仕事は何を?」
「ん?」
急に少女が話しかけてきた。
「無職だけど?」
「それにしては綺麗な服を着ていますね。安物ですけど」
「とある冒険者パーティの家に居候しているんでな。あいつらには感謝してもしきれないよ」
「……」
「……君は?」
「父の仕事を手伝っています。とても忙しい方なので」
猫耳がぴくんと動く。
「本当に、とても忙しい方です。それでも、上から出された命令を見事にこなしていく父は本当に誇り高くて、気高く見えました。だからこそ、ぼくも力になりたいと思ったんです」
「いい娘さんだな。お父さんも同じく誇りに思っていることだろうな」
「……そうですね」
表情は相変わらず硬いままだ。
ただし、声色は若干の嬉しさを含んでいるようだった。
「父と言っても、本当の父ではないのですが、それでも血の繋がった親子のように接してくれる父には感謝以外に抱くべき感情はありません」
「…………そいつは良い。死ぬまで親孝行してあげな」
「はい。そのつもりです」
少女は言葉を切り、顔を上げる。
俺もそれにつられて顔を上げた。
「お互いの待ち人が来たようですね」
「ああ」
俺達の目線の先では、3人の人物がこっちに向かってきている。
2人は俺が見知った女達。
須郷とミッチャーだ。
ミッチャーの方は眠そうに両目を擦っている。
そして、残りの1人は黒ずくめの男。
縁の丸いメガネをかけ、黒いブーツと黒いコート、そして黒い帽子。
口元には薄笑いを浮かべる不気味な奴だ。
「待たせたな」
ミッチャーを引きずるようにして須郷は俺の前まで歩いてきた。
「こいつが全くベッドから出てこなくてな。想定より遅くなった」
俺が返事をする前に、須郷は猫耳少女の方に視線を移した。
「……誰だ?」
「ああ、あの子は……」
「これはこれは。お待たせしてしまい随分とご立腹な様子だ」
俺の言葉を遮り、黒服が大声を上げた。
視線の先にいるのは猫耳の少女だ。
「ただし、引っ掻いてはこない。短気な子猫ちゃんだとは聞いていたが、フフフ。忍耐強い子猫ちゃんの間違いだったようだ」
「……あなたがヘル・トートですか。父から聞いた通りの人物ですね。その笑顔が心底気持ち悪い」
「ウククク、これはこれは……」
ヘル・トートは大袈裟に両手を広げてみせる。
少女はため息をついて、壁から背を離した。
「それでは、ぼくはこれで」
「おう。じゃあな」
少女は歩き出し、鞄を肩から下げたミッチャーの隣を通り抜ける。
彼女に続く男は1度だけこちらを振り返り、クククと笑った。
少女は振り返らなかったが、途中で立ち止まり、言った。
「あなたにとって有益な情報かはわかりませんが、伝えておきます」
俺は黙って、彼女の背中を見つめる。
尻のあたりから金色の尾が伸び、空気を撫でるように動いていた。
「ハヴィラ・ハインツ。ぼくの名前です」
それだけ言い残し、ハインツは男と共に去っていった。
【猫耳族】
猫と人間の特徴を併せ持つ異種族。見た目には個体差があり、人間の体に猫耳と尾が生えた姿で一生を終える者もいれば、成長に合わせて全身の毛が伸びる者もいる。魚を食す文化が根付いている。犬耳族とは激しく対立しているが、人間に対しては比較的中立的。とはいえ、自分達から人間に接近することはほとんどなく、扱いが難しい種族である
現在、猫耳族が多く住む地域は詳細不明の武装勢力に制圧されているが、王国政府は不干渉の立場を取っている




