エピローグ
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朝の日差し。
体にゆっくりと感覚が宿るような、不確かだった部屋の広さが確定していくような目覚め。
枕元に誰かいるのが見えた。かすむ眼でその人物を見定めようと数回まばたきをする。
それは母さんだ。若く美しい、黒い日本髪がつややかに流れる母さん。
その眼は潤んでいた。彼女は僕の顔をじっと覗き込んでいたかと思うと、僕を起こしつつ抱きしめる。
「うわ!? 母さん!?」
「カラノスケ……」
そして僕は驚く。母さんが泣いていたからだ。
何があったのだろう。何もいつもと変わりはないのに。
昨日は確か、家族全員で夏祭りに出掛けて、父さんが和太鼓を叩く下で伊吹奇が踊ってて、僕と母さんは花火を眺めて……。
窓から外を見れば、夏奥の町。
外からは新聞配達の自転車の音や、部活の朝練に向かう学生の声も聞こえる。
なぜか、頭の一部分でそれに懐かしさを覚えるような気もする。
しかしそれも一瞬だった。なんだか思考がスッキリとしていて淀みがない。まるでリアカーを引いていた者が、荷物をいくらか降ろしたときのような……。
いや、というか母さんのハグ長くない?
「ど、どうしたの母さんホントに……」
「カラノスケ、実はお母さんってば今日誕生日なの」
「え、そうなの? おめでとう、なんで教えてくれなかったの」
「いえ別に決まった日付があったわけじゃないの、だから今日に決めたの」
「ええ……? いや別にいいけど急な話だね」
「だから何でも好きなもの食べていいわ、パーティしましょう。バーベキューでいい? 母さんお肉買ってくるから、コーラもいるわよね、あと炭と着火材と紙皿とかも」
「なんでそんなアクセル全開なの」
そして数時間後。
中条家の小さな庭は草刈りがなされ、そこにささやかなバーベキューコンロが置かれる。
「お母さんおめでとう、はいこれプレゼント」
伊吹奇が渡すのはデジタルフォトフレームだ。やがて伊吹奇の撮影した写真で埋まっていくのだろう。
「ありがとう、大切にするわね」
「母さん、父さんからはこれだぞ」
父さん……中条烈火が差し出すのはいわゆるベーゴマである。ビニール袋にいっぱい入っている。近所の子供達から勝ち取った戦利品だろうか。
「ペチャ王様もあるぞ、父さんがヘソ周りを削って改造してるから強いぞ」
「全然わかんないけどありがとう」
母さんは満足そうだった。なんだかいつも表情が乏しい感じだったけど、今日は笑顔に明るさが感じられる。
「じゃあ僕からはこれを……新作のソフト、まだ封を切ってないやつ」
我ながら他に気の利いたものがないのかと思うが、学生の身では急に高価なものは用意できなかった。だが母さんは満足そうに笑って受け取り、また僕をハグする。
「ありがとうカラノスケ、母さんゲームやらない方だけど、このゲームはやり込むから、全国一位になるぐらい頑張るから。カラノスケのゲーム機貸してね」
「い、いいけど母さん、ハグはやめて外だから」
「わーお母さんばっかりずるーい私も抱きつきたーい」
と言いながら伊吹奇は焼く前の魚肉ソーセージをもさもさ食べていた。僕はそちらを見て言う。
「え、今の何?」
「いやなんかそういう台詞が必要かなと、妹としては」
そこからはバーベキュー大会の流れとなる。
「さあどんどん食べてね、半分からこっちで海鮮焼きそばも作るから」
「お兄ちゃん! この肉すごいよ! 木箱に入ってるよ!」
伊吹奇は興奮気味ながらも、母さんを手伝って炭火の火加減を調節している。
僕はひとしきり食べた後、自分の領土でニンジンを焼き始める。焦げ目をつけないままにまんべんなく焼きたいのだ。
ケチャップ色のシャツを着た父さんが僕の方に来た。
「カラノスケ、もっと肉を食べろ肉を」
「食べてるよ、というか父さん野菜も食べないと」
「いいかカラノスケ、バーベキューでは牛牛牛牛、牛牛牛の順番で食べるんだ」
「豚さんが向こうで泣いてたよ」
母さんはと言うとずっと料理に徹してる。何か手の混んだホイル焼きやらマリネやらも用意していた。いつもならそういうのは事前に準備しておくのに、今日はやたら忙しそうだ。急に思い立ったみたいな騒々しさである。というか父さんの食べっぷりがすごい。
「母さん、何か良いことでもあったの?」
別にバーベキューがやりたいならいつでもやっていいし、誕生日が無いなら自由に決めればいいけど、どうも取って付けたような印象というか。
「カラノスケ、中条家は今日も平和よね」
「え、うん、まあそうかな」
「それって良いことじゃない。家族が揃っていて空が晴れてれば、これ以上に嬉しいことはないわ。だったらお祝いしましょ」
と、僕にぷいと背を向けてまた料理に戻る。
? なんだろう? やっぱり何かあったのかな。
それに何というか、気のせいかも知れないけど、これまではどこかお客さんというか、超然としていて手の届かない存在のように思えた母さんが、この時はずっと僕たちの目線に近いような気がした。
家族と自然に笑いあい、同じものを食べる。
突然、姿が変わってしまった中条家の面々において、母さんだけは本当に別人だったわけだけど、もう誰もそれを気にしてない。本当の意味で互いに受け入れられたような、そんな気が……。
「お兄ちゃん」
と、そこで声がかかる、伊吹奇だ。
「もうすぐラジオさんとミラちゃんも来るって」
「あの二人も呼んだの?」
「お母さんがなるべくたくさん呼びなさいって言うから。アキちゃんたち……あ、以前映画に出てもらった三人のことね、それも来るよ」
「父さんも呼んだぞ、駄菓子屋の友達とかゴルフ仲間とか」
「ゴルフ仲間……と、父さんの事情知ってる人なの?」
「うん大丈夫、今の仕事の仲間だから、ちょっと外見にインパクトある人だけど見て驚かないようにな」
「父さんほどインパクトある人そういないけど」
となると10人以上のパーティになりそうだ、どうりで肉も野菜も大量にあると思った。なぜか新巻鮭とか生ハム原木もある。
「騒々しくなるなあ……」
中条家はいつからこんなに騒がしくなったのだろう。
あの日、朝起きたら家族が全員見知らぬ美少女になっていた時からだろうか。
それとももっと前からだろうか。母さんはともかくとしても、父さんは自分の身を怪人に変えてしまうほど思いきりのある人だったし、遊びに強いのはどうも以前からのようだ。中条家で最年少の大黒柱という奇妙な存在になったけど、互いに支えて支えられて、きっと上手くやっていける気がする。
伊吹奇は自分の趣味に邁進するやつだった。この数日で伊吹奇の映画をいくつも見たけど、どれも人に強く訴えてくるような凄みがあった。そういえばコンペディションに出したあの同性愛がテーマの映画。伊吹奇の境遇を考えるとよくそのテーマに挑めたなと感心するけど、伊吹奇にしか撮れない映画だったとも言える。きっと賞を取れると信じたい。
どうやら僕は、家族について色々と見落としてきたのかも知れない。
ならば今からでも、見つけていこう。
僕もまた中条家の一員であり、この夏で色々なことを経験した。家族から見れば僕だってきっと、少しは変われたはずなのだから。
その時、門の方から声がかかる。
「こんにちは、中条烈火さんの同僚です。お呼ばれしまして……」
そこにいた人物は身長が5メートルぐらいあったので、中条家の全員がのけぞって天を見上げた。
(完)
これにて完結となります。
一ヶ月あまりの連載でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
他にも色々と書いてますので、もし興味がありましたら読んでいただければ幸いです。
中条家にずっと平和が続くことを祈って……。




