第二節 道の先に
道は、緩やかな坂になっていた。
二人は、森とは反対の方向へ歩き始めていた。
どちらに進むべきか、確かな根拠があったわけではない。ただ、坂の上まで行けば、今より遠くを見渡せるかもしれない。
そう考えた灯真の提案に、駆も賛成したのだ。
「ここ、どこだと思う?」
「それが分かれば苦労しねえよ」
「いや、そうなんだけどさ。日本じゃねえのかな?」
灯真は道の両側に目を向けた。
草が生い茂り、ところどころに小さな花が咲いている。
遠くには森が広がり、その向こうには低い山並みが見えた。
「少なくとも、俺たちが知ってる場所じゃないな」
「だよなあ」
駆は頭をかいた。
「外国とか?」
「可能性はある」
「でもよ、外国ってこんな急に行けるもんじゃねえだろ」
「だから困ってんだろ」
「そりゃそうだ」
駆は苦笑した。
しばらく、二人は黙って歩いた。
靴の裏で小石が転がる。
風が草を揺らし、どこかから鳥のものらしき鳴き声が聞こえてきた。
その声に、駆が顔を上げる。
「今の声何だ?鳥か?」
「さあな」
「聞いたことねえ鳴き方だったな」
「ああ、俺も知らない鳴き声だった」
駆は声のした方を見つめた。
木々の間で何かが動いたように見えたが、すぐに姿は分からなくなった。
「変な鳥とかいんのかな」
「外国なら、見たことのない鳥がいてもおかしくないだろ」
「まあ、そうか」
駆は納得したように頷いた。
だが、灯真は少し気になっていた。
鳥の声だけではない。
道端に生えている植物も、見慣れたものと少し違っているように感じる。
もっとも、灯真は植物に詳しいわけではない。
知らない草が生えているからといって、それだけで何かを判断できるはずもなかった。
「どうした?」
駆が尋ねた。
「見たことのない植物が多いと思ってな」
「ああ、確かに」
駆は足元の草を見た。
「これとか?」
「お前、それ何だと思って触ろうとしてる?」
「いや、何だろうと思って」
「知らない植物にはむやみに触るな。かぶれるかもしれないだろ」
「見るだけだって!」
駆は伸ばしかけた手を引っ込めた。
「ったく、何も触れねえじゃん」
「知らないものは知らないんだから、仕方ねえだろ」
「へいへい」
駆はそう言いながらも、素直に道へ戻った。
しばらく歩くと、道の脇に細い踏み跡が見えてきた。
草の間を縫うように続き、近くの木立へと入っている。
「お、道が分かれてるぞ」
駆が足を止めた。
「だな」
灯真はしゃがみ込み、地面を確かめた。
周囲の草が倒れ、ところどころ土が露出している。
「誰かが通ってるのか?」
「その可能性はあるな」
「じゃあ、行ってみるか?」
灯真は細道の先を見た。
木々が重なり、その奥はよく見えない。
「まずは今の道を進もう。あっちに入ったら、どこへ出るか分からない」
「でも、人がいるかもしれねえぜ?」
「それはこっちの道だって同じだろ。少なくとも、こっちは幅もあるし、見通しもいい」
駆は二つの道を見比べた。
「まあ、そうだな」
「それに、さっきから足跡みたいなものもある」
「えっ、どこ?」
灯真が地面を指した。
土の上には、靴底らしき跡と、車輪が通ったような二本の浅い溝が残っていた。
「おお、マジだ」
駆が目を輝かせる。
「車でも通ったのか?」
「この道を?」
灯真が顔を上げた。
舗装されていない道は、ところどころ石が突き出し、草も伸びている。
「普通の車じゃ走りにくそうだな」
「じゃあ、何だろうな」
「分からん。荷車みたいなものかもしれない」
「荷車?」
「昔の馬車とか、そういうものだよ」
「馬車?」
駆は少し考え込んだ。
「いや、今どき馬車って」
「だから、分からないって言ってるだろ」
「それもそうか」
二人は再び歩き始めた。
灯真は、先ほど見つけた車輪の跡を何度か振り返った。
人が通っている。
その可能性が高まったことは、少し心強かった。
一方で、なぜこんな場所に荷車らしきものが通っているのか。
その疑問は、消えなかった。
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「腹減らね?」
歩き始めてしばらくすると、駆が口を開いた。
「もうかよ」
「もうって、朝飯食ってから結構経ってんじゃん」
「まだ昼にもなってないだろ」
「でも腹減ったんだよ」
駆は鞄を肩から下ろし、中を覗いた。
「何か食い物、入ってねえかな」
「入れた覚えもないのに?」
「もしかしたら入ってるかもしれねえだろ」
「そんな都合よく……」
「あっ」
駆が声を上げた。
「何だ?」
「パンあった!」
鞄の底から取り出したのは、袋に入った菓子パンだった。
灯真は思わず目を瞬かせた。
「本当に入ってたのかよ」
「俺もびっくりした!」
駆は笑いながら袋を眺めた。
「そういや、学校着いたら食おうと思って入れたんだった。忘れてたぜ」
「よく忘れられるな」
「今思い出したんだからいいだろ」
駆は袋を開けかけた。
だが、途中で手を止める。
「……これ、今食っちまっていいのかな」
灯真はパンを見た。
二人で分けたところで、腹が満たされるほどの量はない。
それに、いつ次の食べ物が手に入るのか分からなかった。
「村か何かが見つかるまで、取っておいた方がいいかもしれないな」
「だよなあ」
駆は名残惜しそうにパンを眺めた。
「でも、腹減ったな……」
「我慢できそうか?」
「できるけどさ」
駆は袋を鞄に戻した。
「これ、今日の非常食だな」
「そうなるな」
「まさか学校行く途中で非常食が必要になるとは思わなかったぜ」
「俺もだよ」
二人は苦笑した。
「お前の鞄は?」
「食べ物は入ってないと思うぞ」
「一応見てみろよ。俺みたいに何か入ってるかもしれねえじゃん」
灯真も鞄の中を確認した。
教科書、ノート、ペンケース。
見慣れたものばかりだった。
「何もないな」
「ちぇっ。二個あればよかったのに」
「贅沢言うなよ」
駆は鞄を肩にかけ直した。
「コンビニでもあればいいんだけどな」
「あるように見えるか?」
「見えねえ」
「だろうな」
駆はため息をついた。
「朝飯の時、もう一個パン食っときゃよかった」
灯真は何も言わなかった。
実際、食べ物の問題は気になっていた。
今はまだ空腹を我慢できる。
だが、このまま人に会えなければどうなるのか。
水だって、いつまでも飲まずにいられるわけではない。
灯真は鞄に入れていたペットボトルを取り出した。
「駆、水はどれくらい残ってる?」
「水?」
駆も鞄からペットボトルを取り出した。
「半分くらいかな」
「俺のも、それくらいだ」
「何だ、結構あるじゃん」
「今はな。次にどこで水が手に入るか分からないからな」
「そっか」
駆はペットボトルの蓋を閉めた。
「ま、どっかで水くらい見つかるだろ」
「見つかったとしても、飲めるかどうかは別だぞ」
「あー、川の水とか?」
「ああ。そのまま飲んでいいとは限らない」
「面倒くせえなあ……」
駆はぼやいたが、ペットボトルを鞄に戻した。
灯真は、その様子を横目で見た。
駆は勢いで行動することも多い。
けれど、納得すればきちんと話を聞く。
昔からそうだった。
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坂を上りきる頃には、二人とも少し汗をかいていた。
「ふう……」
駆が大きく息を吐いた。
「結構歩いたな」
「ああ」
灯真は額の汗を拭った。
普段なら、学校に着いて授業を受けている時間だろうか。
そう思って腕時計を見る。
針は動いていた。
けれど、表示されている時間が、今いる場所の時刻と合っている保証はない。
「何時?」
駆が尋ねた。
「十時過ぎ」
「まだそんなもんか」
「俺たちの時計じゃ、な」
「ああ、そっか」
駆は空を見上げた。
太陽は、まだそれほど高くないように見えた。
「何か、変な感じだな」
「何が?」
「いや、さっきまで普通に学校向かってたのにさ」
駆は遠くの景色を見つめた。
「今、何してんだろうな、俺たち」
灯真は答えなかった。
その問いには、答えようがなかった。
学校では、今頃どうなっているのだろう。
自分たちが突然いなくなったことに、誰か気づいているのだろうか。
母親は。
駆の家族は。
そこまで考えて、灯真は小さく息を吐いた。
「とりあえず、あそこまで行ってみよう」
灯真は坂の先を指した。
道は少し下り、その向こうに低い丘が続いている。
「あの辺まで行けば、もっと遠くが見えるはずだ」
「おう!」
駆は頷き、歩き出した。
灯真も、その後に続いた。
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丘の上に出たときだった。
「おい、灯真!」
駆が突然、声を上げた。
「あれ!」
駆が遠くを指さしている。
灯真は目を細めた。
草原の向こう。
木々の間に、何かが見えた。
最初は岩かと思った。
だが、よく見ると違う。
斜めに傾いた、三角形のような形。
その隣にも、似たものがいくつか並んでいる。
「屋根?」
灯真がつぶやいた。
「だよな!?」
駆の声が弾む。
「あれ、家じゃねえか!?」
灯真は眼鏡の位置を直し、もう一度確かめた。
遠くに見えるのは、確かに建物の屋根らしかった。
しかも、一つではない。
いくつも集まっている。
「村かもしれないな」
「やった!」
駆が拳を握った。
「人がいるかもしれねえ!」
「ああ」
灯真も、思わず口元を緩めた。
ここに来てから、初めて見つけた人の暮らす場所。
それが何なのか、まだ分からない。
けれど、少なくとも何か手がかりを得られるかもしれない。
「よし、行こうぜ!」
駆が勢いよく歩き出す。
「おい、待て!」
灯真が呼び止めた。
「何だよ!」
「村だとしても、どんな場所か分からない。少し様子を見ながら行こう」
「分かってるって!」
「本当か?」
「本当だって!」
駆は笑いながら足を緩めた。
灯真はその隣に並ぶ。
二人は、遠くに見える屋根を目指して歩き始めた。
さっきまで、どこへ向かえばいいのかさえ分からなかった。
けれど今は、目指す場所がある。
それだけで、足取りが少し軽くなった。
「人がいたら、まず何聞く?」
「ここがどこなのか、だろうな」
「だよな!」
「それと、近くに町があるかどうか。帰る方法を探す手がかりになるかもしれない」
「おお、いいじゃん!」
駆は嬉しそうに笑った。
「やっぱお前がいると助かるわ」
「まだ何も分かってねえだろ」
「これから分かるんだよ」
灯真は駆を見た。
駆は、遠くの屋根をまっすぐ見つめていた。
不安がないわけではないだろう。
それでも、何かを見つけたら迷わず前へ進もうとする。
その姿は、昔から変わらなかった。
「そうだな」
灯真は小さく答えた。
そして、再び前を向いた。
遠くの屋根は、歩くにつれて少しずつ大きくなっていった。




