第15話 クラリッサ
ひとまず落ち着いたエリナさんをサラさんは身だしなみを整えさえた。尊敬する先輩のあられもない姿を見てさぞやがっかりしたのかと思ったけど、キースさんの話では、サラさんは、かつては看護師であったこともあり、意外とこの手のことには慣れているとのことだった。
それに、このようなことで先輩研究員としてのエレナさんへの尊敬の気持ちが揺らいだりすることは無いと断言していた。
それにしても、記憶を無くす前のボクにいったい何が起きてたのだろう。自分から思いをめぐらしても何も浮かばない。それよりも、かつてのボクを知る人の記憶から作られる、ボクの人物像に驚かされる。
そこには、まじめで、好奇心旺盛で、素直な子供のような片鱗は全くなく、アニメヲタの趣味を持ちながら、酒豪で、大食いで、プロアスリート並みの身体能力、多彩な語学力、技術力を持ち、年齢査証的な若く美しい容姿と、企業経営能力に秀でた若きビジネスウーマン。
まるで、紳士の国の秘密諜報部員のようなにおいが感じられるほどの設定されたキャラクター性の出来すぎ感。
エレナさんの話によれば、実際のボクはヘビーな日本ツウらしいし、3年前の日本旅行でもボクは、食事の時は日本酒を水のようにガバガバ飲んでいたらしい。17歳で呑ん兵衛というのは、ちょっといただけません。でも、この国は15歳以降のアルコール摂取は自己責任。
飲酒を原因とする暴力、殺傷事件、交通事故などは厳重な罪に問われ、社会的な制裁も重い。飲めないのに飲む、飲ませるも同様の重罪に処される。
更にボクは、家事も、工事仕事も簡単なレクチャーを受けるだけで、まるで以前から知っているかのように、そつなく、てきぱきとこなせてしまう。
語学に関してなら、この国の公用語はほとんど全て読み書きできてしまう。咄嗟に会話しかけられても、それが何語とか考えずに応対できている。
しかし、あの驚異的な暴漢に襲われた時には、烈火のような男性的な怒りと、か弱い少女のおびえを両方感じたりした。あの時、ボクは恐怖におののき、失禁してしまった。けれど、レイラ・ママがあいつの腕を切り落とした時、ボクはふいに恐怖が止まり、あいつの脛に素早い蹴りを入れていたんだ。それが原因であいつはぶっ倒れたのだ。
ママがそれに気づいたかは不明だが、無意識に動いていて、ことが済んで思い出すありさまだった。まるで体の中に性質の異なる複数人の能力が宿っているようだ。
ボクらは迎えの車が来るまで、一階のラウンジに降りて、ひといき着くこととなった。そうだ、ボクの本当の家に行くのだった。兄貴の会社ビルの屋上で、キースさんのお隣に住んでいたって、それだけでもぶっ飛んでいるのに、更には兄貴の会社の筆頭株主でもあったりするって、ボクはいったい何者だったの。
ボクの名前は、クラリッサ・麗華・ワイルダー。曽祖母と、母が日本人で、父の仕事で、10歳までパシフィック共和国の日本自治区に住んでいた。家はとてつもないセレブ。兄弟姉妹全員、ティーンエージャーから起業している経営一家。
ボクには双子の妹がいる、名前は、クロエ・晴香・ワイルダー。世界的に有名なデザイナー。ウエキペディアでは、10歳年上の姉がいると書いてあったが、あれはどうもフェイクのようだ。
クラリッサの上は、3人の兄が居る。みな、独立してファミリネームを変えてるようで、ワイルダーは名乗っていないが、家族行事には帰省するほど、家族の絆は強いらしいと、ザック兄貴が会社の重役から聞いた話だそうだ。
ザック兄貴とボクは、過去に面識はあったらしいが、仕事におけるボクの目つきは、冗談もきかないほど目線が怖かったらしく、緊張しながら軽く挨拶するにとどまっていたらしい。
そんなボクは、何でこんなことしてるのだろうか? これは仕事に疲れたことへの羽目を外しきった大掛かりなバカンスなのだろか?
トロイって何だったのか、あれは名前じゃなかった。では、トロイメライ第三王女の話は何だったのか。
失われた自分の過去を考えれば、考えるだけ頭がおかしくなりそうだ。ボクはあの動く家の生活を、ゲオルグ・パパやレイラ・ママとの家族と仕事仲間との生活をすごく気に入っているのに、それがすべて嘘ってことになってしまうかと思うと、心が重くなるのだった。
中央エレベーターは4基あるので、みな、ばらばらに降りて行った。ボクはさすがに飲みすぎでトイレに行き、戻ったころには皆、下に降りていたのだけど、奥の廊下の大柱の陰から手招きする手があった。
周囲にはもう誰も居ないというのに、妙だなと思ったが、その手招きする人物の方へ進んでいくことにした。手招きしている人物に近づくと、暗がりではあるが体格から気づくのだが、逆に何で?と疑問が起きてしまう。
その人物はボクが近づくと、くるりと身を回転させ、正面から覆いかぶさるようにボクを包み込んだ。
「クラリッサ! 久しぶり! 会いたかった!」
歓喜に満ちた声、熱いオーラ。抱かれたボクは心地良かった。
ボクをクラリッサと呼ぶ人物の声には、聞き覚えがあった。今日、聞いた声だが、以前から知ってるように感じた。
彼は、一旦はボクを引き寄せたが、顔を合わせようと体を引き離し、嬉さいっぱいにボクを見つめた。その人物は思った通りハルさんだった。
まさか、ボクはジョアンナの彼氏の浮気相手だった? 年上の女の魅力で彼を骨抜きにしていたのか?
「クラリッサ!
まさか、ジョアンナの義理の妹になったって、ザック兄さんに君の話を聞かされた上で、実際に会って、心臓が飛び出しそうになったよ。
まったく、どんな手の込んだ悪戯してくるんだよ。君って奴はいつも行動が読めないな!」
ハルさんは再度、ボクを熱く抱き、頬にキスを連発する。それは恋愛的なものじゃなく、家族愛に満ちたもので、彼がボクに対する親しい関係を伺い知れた。
だが、ボクの不安そうな顔を見て、ハルさんは、はっと我に返った。そして、ボクからやや距離をおき、頭に手を当てながら、照れ謝罪をした。
「ごめんよ、クラリッサ! つい昔のくせで、たまらず抱き着いてしまった。いくら幼馴染でも、こんなところカズ兄貴に見られでもしたら、ぶっ飛ばされてしまうな。
兄貴には、ハルにえっちなことされた。とか、冗談でも言わないでくれよな。君や聖子のことになると、最近は冗談にとってもらえなくなってるからな。
ああ、俺も早くジョアンナと身を固めないとな。そのためには、まずザックさんに認めてもらわないとな。うん、頑張るぞ!」
「あのう、ハルさん? おっしゃっていることが良くわからないのですけど」
「なんだクラリッサ。演技はもうしなくていいんだよ。それにボクらは今、日本語で話しているから、お連れの人たちじゃ理解できないだろう。
それとも本当に記憶喪失なのかい?」
え、これ日本語なんだ。咄嗟に普通に言葉が出ちゃったけど。確かに、英語やフランス語、ドイツ語とは全然違うけど、ハルさんの言葉が普通に理解できて、普通に返してしまっていた。
確かに、食事のとき、ハルさんは英語を話していた。記憶を無くす前のボクはヘビーな日本ツウということだったが、日本語も堪能だったのか。そういえば、ハルさん、ボクと幼馴染とか言ってたな。
何だ、何だ。知らないことばかりだけど、なぜか、出てくる人の名前には妙な親近感を感じる。カズ兄貴と聖子ってなんだろう。すごく、安心するのだけど。聞いてみるか。
「ハルさん、さっき言ってたカズ兄貴と聖子って誰のことですか?」
ハルさんは、ぎょっとして、ボクを見つめ、泣き顔になった。
「そんな、クラリッサ。キミ、本当に記憶喪失なのかい?
カズ兄貴はオレの兄で、加藤和樹。キミの夫だよ。世界的にも有名な空手、柔道、合気道、弓道の武道家で、プロのフルコンタクト空手でも何度も優勝しているプロ格闘家でもあるんだよ。
ザックさんは、カズ兄貴とボクのことを取り違えている節があるけど、格闘家は兄貴の方だから、今は、パシフィック共和国の格闘トーナメントに出ていて調整を含めて、半年家を空けてるから、こうしてキミがボクをからかいに来たのかと思ったのに。
それと、聖子は彼とキミとのひとり娘じゃないか!」
????----!
ボクに、夫と娘-----!
ボクは少女も、処女も通り越して、旦那と娘が居るって、なんかの間違いすぎでしょ。ボクはいったい何者なんだ。
だ、だめだ。もう、思考がついていけない。これ、ドッキリなのかな?
ボクは、気力が保てず、そのまま廊下に倒れ込んでしまった。「クラリッサ」と呼ぶハルの声がうつろ頭に聞こえたが、そのまま、ゆっくりしずかに何も感じなくなった。




