XXX.断章Ⅰ
――それで、悠くんは、あの事件の後の様子はいかがですか?
なんだい、刑事さん。
まだ何か調べることでもあるのかい?
――いえ、ただ、わたしにもあの子くらいの息子がいて。あんな事件があった後ですから、元気にやれているかなって心配で。
ああ、そういうことね。
たしかに心配だよねえ。あんな痛ましいことに巻き込まれて。
――本当に……。
それで、あの事件の後か……。
元気では、正直ないだろうねえ……。
――やっぱり……あんな虐待を受けて、無理心中に巻き込まれたら、それはそうか……。それに、"海"で死にかけたんだから……。
昔、まだ家族で仲良く過ごしていたころは、元気な子供だったんだけどねえ……。
朗らかで、いつも元気に挨拶していて。
あの子から声を掛けられるたびに、元気をもらえていたのに……。
――それが、今では。
ええ。抜け殻、と言った方がいいかもしれないねえ。
生きながら死んでいる。そんな感じがするよ。
……いいや、違うかもしれない。
――それは、どういう?
なんていえばいいのか……言語化するのが難しいんだけどさ……。
ほら、人間はいろんな目標なりなんなりを持って生きているだろう?
たとえば、好きな子と付き合えるように外見を磨こうだとか、いい大学へ行くために勉強を頑張ろうだとか、他には……モテたいだとか、帰ってゲームしたいだとか、いろいろ。
それ以外にも、過去の経験なりなんなりを糧にして、次は失敗しないようにしようなり、するじゃないか?
――ええ。
それがねえ……なーんもない気がするのよ。
たとえば、お父さんがあんなことになって、お母さんにあんなことをされてしまったんだから、他の家族を見て恐怖や羨望を抱いたり、自分の過去を思い出して震えたり、なんらかの態度が出そうじゃないか?
それがなにもないよ。
――ある意味、良いのではないですか? あんなこと、忘れてしまった方が……。
トラウマなりなんなりで、記憶を失っているんだったらまだわかるよ?
そういうつらい記憶にふたをするのは、人間の本能で、そうしなければ生きづらいんだから。
でもさあ……あの子は忘れてないんだよ。
それでいて、しっかり自分に何があったのかを認識しているんだよ。
自分の父親がどんな風に死んでいったのか。
自分の母親がどんな風に壊れていったのか。
自分が、母親からどんな虐待を受けたのか。
自分が、あの"海"で死にかけた経緯。
全部全部、しっかり覚えていて。
それなのに、それを何も気にしていない風なんだよ。
――それは……。
どこか壊れてしまったのかもしれないね。
心の中の、大切な部分が。
それに……。
――まだなにか……?
なんて言うか……。
すべてを捧げたかのような……。
そんな気がするねえ。
――なんですか、それは。
自分にはそれしかないって、そう信じているかのような。
過去も現在も、その目標にしかつながっていなくて。
それ以外のなにも、あの子の中には存在しなくて。
友達も。
家族も。
人生も。
愛も。
未来も。
過去も。
喜びも。
悲しみも。
怒りも。
希望も。
絶望も。
ありとあらゆるすべてをなげうって、たったひとつのことだけに執着しているような……。
――……。
あたしに言えることはそれくらいかねえ。
――ありがとうございます。参考になりました。
いいえ。
あたしも気にかけているから、あなたもあの子のこと、気にしてあげてくださいね。
――はい。
†††
え? あの子の入院中の話ですか?
――ええ。あんな事件があったんですから、精神状態などはもう大丈夫かと思いまして。
刑事さんも大変ですね。
それで、ええと、入院中かあ……。
――はい。
あの子、実は入院中に自殺未遂をしたんですよ。
――えっ……。
ああ、自殺未遂とは言っても、手首を切ったり飛び降りたりとか、そんなものではないですけどね。
なんていうんですかね、間接的な自殺未遂っていうんですか?
――いったい彼に何があったんですか?
あれは、入院して一か月ほどたったころでしたか……。
そのころ、ようやくあの子も動けるようになって、ほっと一息ついていたんですけどね。
夜中に、急に脱走したんですよ、病院を。
もう職員全員でてんやわんやで、院内中を探し回って。
それでも見つからなくて、いやあ、あの時は本当に焦りましたね。
――院内にいなかったということは、外へ出てたんですか?
ええ。
ほら、このあたりに大病院ってうちしかないじゃないですか。
それで、深夜たまたま入院衣を着た子がひとりで歩いているのを見たって電話があって、その場所へ駆けつけたんですよ。
――どこへ行っていたんですか?
逆に、どこにいたと思います?
――……わからないですね……。
それが、なんと"海"なんですよ。
あの子が救出された、あの浜辺。
そこで、あの子は"海"の中に歩いて行っていて。
ちょうど駆けつけた時には、もう胸元まで"海"に浸かっていて、絶叫していたんですよ。
――それは……。
ええ。触れるだけでも危険なのに、胸元まで浸かっていたら、どれだけの苦痛か想像に難くないですよね。
――よく、救出できましたね。
本当に……。
とは言え、助けたのは私でも、うちの職員でもないんですけどね。
――えっ、そうだったんですか?
はい。
そりゃ、"海"の中へ私たちが行けるはずはないですよ。
私服のままで炎の中へ入るようなものじゃないですか。
そんなことしたら、逆に私たちも死んでしまいますよ。
――じゃあ、誰が?
たまたま、近くにいた人が助けてくれたんですよ。
あの"海"へと入ってね。
当時はまだ無名でしたけど、アラン選手ですね。たしか。
――彼が……。
あ、これはオフレコでお願いしますね。
当時彼は中学一年生だったんですから、そんな子が深夜に出歩いていたって広まったらコトですから。
――ええ。それはもちろん。誰にも口外しません。
それにしても、スイマーってすごいですよね。
いや、あの子がすごいのかな?
オリンピック選手ですら苦痛に耐えて泳ぐのに、あの子は何も感じていないかのように平然と"海"に触れていましたから。
――そんな彼だから、あれほど偉大な記録を打ち立てたんでしょうね。
そうでしょうね。
それで、話を戻しますが、そんなことがあったんで、病室へ連れ戻した後も入れ替わり立ち代わりで職員が様子をうかがってたんですよ。
また自殺未遂しないようにね、片時も目を離さず。
目を覚ました後は、しばらく発狂したかのように頭を抱えて叫んでいましたよ。
なんとか押さえつけて、落ち着かせて。
――発狂、ですか……。心に負った傷が深かったんでしょうね……。
あんな目にあったんですから、それも仕方ないでしょうね。
でも、あの子、本当に強い子ですよね。
落ち着いた後、しばらく何かを考えこんで、その後は何も問題を起こさず退院していきましたよ。
自分の中でなにかを解決したんでしょうね。
――その自殺未遂以外で、他に問題はありましたか?
ありませんでしたね。
受け答えもしっかりしているように見えましたし。
――なるほど、ありがとうございました。
†††
――小学校で悠くんのご担当をされていたと伺っているのですが、あの事件前後で、悠くんに異常はありましたか?
正直、答えたくないんですけど……。
関わりたくない、って言った方がいいですかね。
――すみません、簡単にで結構ですので。
……。
そうですね、正直、気味が悪いですね。
私だけでなく、クラスメートたちもそう思っていたと思います。
――そう思われる、なにか原因があったんですか?
普通、何かしらの変化はあるじゃないですか。
あんな事件に巻き込まれたら。
たとえばふさぎ込んでいたり、無理に明るく振舞ってみたりとか。
――ええ。
それがね、何も変わりないんですよ。
逆にそれが気味が悪くて。
クラスメートたちは、はじめは遠巻きに見ていたんですけど、同じように気味が悪いと思ったんでしょうね、誰も関わろうとはしなくなりました。
存在自体を消し去ったんですよ。
はじめからクラスにそんな子はいない、っていう風に。
私も同じですね。
よくないことだとは思いますけど、出席もあの子にはとらず名前を飛ばしていましたし、給食もあの子の分は用意しない。
授業でも、あの子の方は見ないし、あの子が手を挙げても差さない。
そんな風にしてました。
――そんな風にされたら、怒ったりなんなり、何らかの反応をしそうですけど……。
何もなかったですよ。
だから気持ち悪いんですよ。
あの事件のこともそうですし、このこともそうですし、何も感じていないかのようで。
ね、気持ち悪いでしょ?
どこか頭のねじが狂ったんじゃないかって思いますよ。
――じゃあ、あの子は事件以降、ずっとひとりで……。
でしょうね。
ご家族全員お亡くなりになったということは、家でもひとりっきりでしょうし。
友達はもう誰もいないでしょうし。
文字通り「空気」のような存在になったんじゃないですかね。
そこにいても、いなくても、何も変わらない。
誰にも認識されず、生きていても死んでいても誰にも何も与えない。
……もういいですかね?
もうあの子のことなんて考えたくも話したくもないんですけれど。
――……ありがとうございました……。




