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022.更新

「さ、さあ、次は如月くんの番よ」


 興奮冷めやまぬまま、震えた声で紀は言った。


「はい」


 燐はスタート台の上に立って言った。

 左足を前に。

 右足を後ろに。

 腕をぶらつかせ、筋肉を弛緩させている。


「用意は良い?」


 天陣の言葉に、


「はい、いつでも」

「いくわよ。Take your marks……」


 その瞬間燐は体重を前方に。

 クラウチングスタートの体勢。

 燐の最高潮にまで高まった集中力が、室内に伝播する。

 すべての音が消え去る。

 瞬間、


 ピッ――!


 天陣が強く笛を鳴らした。

 刹那、燐はスタート台を蹴った。

 空中を浮遊する燐。

 その身体はくの字になっている。

 理想的なスタート。

 少ない水しぶきで入水した燐は、そのまま水中でドルフィンキックを行う。


 一回。

 二回。

 三回。

 一〇Mほどにまで進むと、その身体が水面に出てきた。


 両手で、先日悠に教えたS字で水を掻く。

 同時に浮き上がってくる燐の上半身。

 それに逆らうことなく、少しだけ顎を上げて呼吸を行いながら腕を回していく。

 腕が前へと空中を移動していく最中、少しずつ両足が曲がっていく。ヒザから。

 呼吸をやめて両手が肩辺りの幅にまできたとき、すでに顔は水面に付き、両足のヒザは九〇度近くにまで曲がっていた。

 足首はしかし真っ直ぐで。


 指先が入水するのと同時、両足で強く水が蹴られた。

 鞭のように滑らかなキック。

 その瞬間、爆発的に燐の身体が推進する。

 燐の身体が斜め下に潜っていく。


 バタフライは豪快な泳法だ。

 しかしテクニカルであり、スピードが極端に落ちやすい種目でもある。

 しっかり泳ぐためには、斜め下に十分潜っていくこの・・動作が必要不可欠なのだ。


 燐は十分潜ると、その身体が今度は水面に向かって斜めに推進し始めた。

 すると今度は、先ほどのキックよりも弱い第二キックを行った。

 第一キックが推進力を得るために行われるのに対し、第二キックは身体を浮き上がらせるために行われる。

 そのため第一キックが強く行われるのに対し、第二キックはそこまで力を入れない。


 第二キックの直後、浮力が上昇する。

 それと同時、両手を動かし水を掻き始める。

 再び描かれるS型の軌跡。

 水を掻ききったときには、頭の先から腰までが一直線になり、胸をしっかり張っているために身体が反っている。

 今度は呼吸をしないようだ。顔を水面につけたまま、腕が回されていく。


 バタフライの呼吸の仕方にはいくつか方法がある。

 一回腕を回すごとに呼吸をする方法や、二回腕を回すごとに呼吸を一回行うやり方など。

 後者が一般的なやり方だ。

 ここで、後者のようなやり方の際、呼吸をしないときのことを仮呼吸という。

 仮呼吸の際、呼吸をしないのだから頭をしっかり下に向けようとする人が多いが、それは完全な誤りだ。

 呼吸をないと言うことと、頭を突っ込むことは、同義ではない。

 頭を下げてしまうと、首が曲がってしまうのと同時、背中も丸まってしまう。

 すると肩も内側に丸まってしまうため、腕を回しにくくなってしまう。

 また、水を掻ききるときに力を入れにくく、同時に抜きづらい。

 さらにその後肘を支点に腕を前へ持って行くときに、窮屈で動かしにくくなってしまう。

 そして最後に、頭が下がっていると、入水したときに頭の向いている方に身体が移動するため、深く潜りすぎてしまう。

 そのため、水の抵抗を受け、極端に速度が遅くなってしまう。

 身体を浮き上がらせることにも余分な上下への動きを使ってしまう。


 正しい仮呼吸の仕方は、水面に平行に、首を真っ直ぐ伸ばすことだ。

 それによって力強く水を掻き、スムーズに腕を回すことができる。

 また、頭が高く保たれているため、深く潜りすぎることもない。


 燐の仮呼吸は完璧だった。

 腕が回りながら、自然と少しずつヒザが曲がっていく。

 両手が肩辺りの幅にまできたとき、先ほどと同じように、すでに顔は水面に付き、両足のヒザは九〇度近くにまで曲がっていた。

 足首は、しかし真っ直ぐで。


 指先が入水するのと同時、両足で強く水が蹴られた。

 鞭のような第一キック。

 その瞬間、爆発的に燐の身体が推進する。

 燐の身体が斜め下に潜っていく。

 水の抵抗力が強すぎず弱すぎない絶妙な位置まで潜ると、今度は一転上昇する。

 次の瞬間放たれる第二キック。

 一瞬の後に動き出す腕。

 プールというキャンパスに描かれる美しいS字。


 今度は呼吸するようだ。

 浮き上がってくる上半身に合わせ、少しずつ顎を上げていく。

 一瞬の呼吸。

 同時に豪快に腕が空中を走る。

 ヒザが少しずつ曲がっていく。

 両腕が肩幅にまで狭まったとき、顔面が水中につけられる。

 第一キックの準備も万全だ。


 遠くへ遠くへと意識された指先が、しっかりと入水する。

 同時に強烈な第一キック。

 魚雷のような速度で斜め下へ潜っていく。

 その姿に、水の抵抗感は一切感じられない。

 燐の(ツー)ストローク(ワン)ブレスで行われるバタフライは、凄まじい速さと豪快な水しぶきで描かれた。


 一〇〇Mを泳ぎ切ったそのタイムは、五六秒三二。

 全国中学校水泳競技大会の制限記録である五八秒七一を上回っている。

 燐は荒い息をつきながらガッツポーズをとった。

 自分の自己新記録に、胸を躍らせていた。


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