7-10.とまったのは久遠
日曜日と、代休が終了した火曜日。
壮絶な体育祭が終わった後だというのに、学校は平和なものだ。
男子は体育祭の途中で撮った画像を見せあいながら爆笑していたし、女子も「ちょっと体操着がずれちゃってー」と負けた言い訳の展開にやっきとなっていた。
体育祭中は、携帯電話の使用禁止のはずだったんだけどな。
今さらどうでもいいけど。
『ありがとうございました!』
「ありがとうございましたっと」
帰りのSHRで書かされた体育祭のアンケート。
書き終わったそれを、教卓に置かれている透明なケースへと投げ入れ、その足でロッカールームへと向かう。
自分が実行委員をやったからなのか、アンケートは去年よりもだいぶ真面目に書いた。
生徒会が集計し次回の体育祭に生かすつもりみたいだが、アンケートの整理をする神崎先輩のことを思うと適当に書けなかったのだ。
今回は富士村のおかげで集計というものの大変さを、身をもって知ったからな。
やっぱり苦労を知るというのは、人間にとって大事なことなのかもしれない。
教科書やノートを無理矢理ロッカー内へ突っ込み、明日開けることも考えずに南京錠をかけた。
そうだ、今日は職員室に行かないと。
久遠がいなくなったから、雑務部員は俺だけだ。
鍵をとりに行かないと、部室に入れないからな。
東側の階段を下りていき、玄関ホールで帰宅する生徒と分かれるように職員室へと向かう。
ふと、正面にある会議室が懐かしく感じられた。
ついこの間まで、ずっとあそこにいたんだよな。
いろいろな思い出がよみがえってくる。
アンケートの集計をしたこととか。
書類を投げてよこされたこととか。
校長に直談判したこととか。
学校生活の思い出というのは、こうやって積み重なっていくものなんだな。
ちょっと恥ずかしく思いながら、職員室のドアをノックした。
「失礼します」
俺の言葉に、奥にいた佐々木先生がひょこっと顔を向けてきた。
「西ヶ谷くんか。部室の鍵かい?」
「ええ、そうですけど」
「今は開いているから。鍵も中にあるよ」
そうですか、失礼しました。
ペコリとお辞儀をし、一分といなかった職員室を後にする。
そして部室に近いという理由で、西側の階段を上がっていった。
開いている? なぜだろう。
忘れものの連絡でもあったのだろうか。
あ、そうだ。
忘れものと言えば、部長の変更手続きみたいなものがあるのではないだろうか。
それから予算の出どころも他の部活と違うだろうし。
部長会の日程とか、どうなっているのかな。
あー……部長ってやることが多すぎるな。
これだから、部長だの学級委員だのはやりたくないんだ。
考えれば考えるほど出てきそうな苦労に頭を抱えているうちに、四階へとついてしまった。
他の教室がガラス張りの南城高校において、異様とも言える雰囲気を漂わせている雑務部の部室。
ただ慣れというのは怖いもので、今はそれが普通にしか見えない。
左手をスライドドアにかけ、力の加減を確かめるように左側へと引いていく。
鍵は開いている、という佐々木先生の言葉通り、ドアは簡単に開けられた。
さて、今日からは何をして過ごそうか。
『いらっしゃい――』
聞こえるはずのない声に、身体中がビクッと震えた。
口をぱっくりと開けたまま、明るい前方に視線を向ける。
一本しかないが、十分な明るさを確保している蛍光灯。
両脇にある古そうなねずみ色の戸棚は、遠慮気味に部屋の一部を占めていた。
奥の窓は開かれていて、中央には木目調の長机。
そしてパイプ椅子が二つ――
「えっ……!?」
女子生徒が――久遠が座っていた。
スラッとしたきれいなラインの体格。
パイプ椅子の背もたれが見えないほど伸びている、長い黒髪。
横からでも美しいと言い切れる、整った顔立ち。
スカートの上で本を支えている、ネイルも何もしていない手。
しばらく唖然とする。
状況が理解できなかったからだ。
見間違いようのない、そこにいるのはたしかに久遠だった。
その視線が俺へと向けられる。
「いじめの相談ですか? それとも……入部希望者?」
ちょっといじわるな声で問いかけられた。
「な……なんでここにいるんだよ!? て、転校したんじゃなかったのか!?」
口から泡を飛ばしながら、ようやくそれだけが言葉になる。
体育祭が終わったら静岡にはいないって、久遠から言ってきたはずだ。
どうしてここにいるんだ?
しかも荷物をまとめるとか、転校の用意をしにきた様子でもない。
一体、どういうことだろうか。
「やっぱり西ヶ谷が心配になったから、残ったのよ」
「いやうそだろ? あれだけ「私の後を任せることができる」とか言っておいて、その言葉は信用できないからな」
本を閉じ、机の上に置いた久遠。
最近はずっと読んでいる、編みものの本だ。
それを見ながら、俺も正面のパイプ椅子に腰を下ろす。
「……西ヶ谷と一緒にいたかったからよ」
ぼそりとした声が漏れ聞こえてきた。
注意しなければ聞こえないくらいの、非常に小さな声だ。
「だって向こうの学校に行くと、友達どころか知りあいすらいないのよ」
「そりゃあそうだろう」
「私、友達つきあいは苦手だし……。西ヶ谷みたいに、私をちゃんとわかってくれる人なんか、いないだろうなって……」
恥ずかしそうに頬を赤らめた。
それは……そうか。
南城高校でも、友達と呼べる人がほとんどいない久遠だ。
転校した者にとって最初のハードルとなる友達作りは、もはや越えられない壁くらいに感じられるだろう。
そんなことを相談できるような人もいないだろうし。
久遠は家族愛や温かみのある日常を引き換えに、俺という友達をとってくれた、というわけか。
うれしい気持ちはあるけれど、本当にそれでよかったのかとも考えてしまう。
養子縁組が見つかるなんて、そうそうチャンスはないだろうし。
「まあ、久遠がそういう判断をしたのなら、俺は否定しないけどな」
「そう……ありがとうね」
しかし転校しないなら、昨日の俺はなんだったのだろうか。
道の真ん中で、久遠相手に泣いたりして。
あー恥ずかしい。
ホント「男のくせに」だよ。
自分があんなにも涙もろいとは、思っていなかったな。
最後に泣いたのは中学生の最初くらいだったし、それもくだらない理由だったし。
悲しくて泣いたのは、もう小学生くらいまで遡る勢いではないだろうか。
どんなことで泣いたっけかな。
記憶が薄れているから、この疑問を解くには脳外科にでも行かなければならない気がする。
「そうだ久遠、一つ聞いてもいいか?」
「なにかしら?」
久遠と視線をあわせる。
疑問と言えば、体育祭のとき腑に落ちないことがあったんだっけ。
「体育祭の前、俺が久遠をとめに行ったときがあったよな。ほら、体育館で勝負したときの」
「あれが、どうかしたの?」
「あのとき、なぜナイフなんか持っていたんだ?」
必死になっていて気づかなかったが、よくよく考えれば不思議だ。
久遠は体育館の倉庫で、使用器具の確認をしてくると言っていた。
器具の確認、いや実行委員の業務上で、ナイフを使う必要がある仕事などないはず。
そもそも、あのナイフは「ここまで使うことは稀だけどね」と久遠自身が言っていたのだ。
それをタイミングよく携帯しているなど、考えられないことではあるが……
「あれはね、西ヶ谷がくると確信していたからよ」
また少しだけ得意そうな顔を見せ、久遠がそう言った。
確信していた? 俺がくるのを?
「昨日言ったでしょう? 西ヶ谷の強みは「強い信念と曲げない気持ち」だって」
「まあ、そんなことを言っていたな」
「私に責任を被らせまいとした西ヶ谷なら、とめにくると思っていたから。説得などと言う生ぬるい手段ではなく、強制的にでもね」
ということは、見透かされていたのか。
久遠をとめようとしても、口論で勝ち目はない。
ならば実力でとめるまで。
しかし真面目にあたっても、久遠は個人技で俺を仕留められるだろう。
そうなると、手段は一つしかない。
あの状態の俺になり、制裁できるくらいの力をもって久遠とやりあうこと。
……ここまでの思考を、全て読まれていたことになる。
さすが、久遠だな。
ちょっと思案しただけで考えた気になっていた俺とは違うよ。
「でも、一つだけミスを犯したのも事実だわ」
「ミス? どんな?」
「……西ヶ谷に負けたことよ」
顔を元のような無機質なものに戻し、ちょっと視線を外した久遠。
「最初は疲れたところに針を刺して動きをとめようとしていたんだけどね。途中からは、間違いなく私の本気だったわ」
自分の手を見つめながら、自虐するような口調で言った。
そうか。
針を使うタイミングを見計らっていたから、ナイフは左手で持っていたのか。
あんな状況でも、俺を傷つけまいと考えてくれたんだな。
「……あれは引き分けだな」
素直にそう思っていた。
むしろ俺の負け、そう言われても否定するつもりなどない。
久遠こそ、あの状態の俺に喰らいついてきたのだから。
あの状態になれば安心、という過信が打ち砕かれた瞬間だ。
開けられていた窓から、さあーっと風が入ってきた。
もうすぐ十月だな。
気温もちょっとずつだけど、下がってきているみたいだ。
そんなこれからの季節も、久遠と一緒にいられる。
部室にくれば言葉をかけられ、
話しかければ返事がきて、
相談を受ければ二人で考え、
制裁するときはパートナーとして行動できる。
これ以上、うれしいことなどない。
俺自身も、大切な友達と別れずに済んだのだから――
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