巻三之一
金雷寺の人々は、いつも通りに、広い一室に集まって食事を取った。
「やはり蘭を連れてきて良かった。崇範の作る飯より美味い」
独禮は膳を空けて、のんきな声でそう言った。
うっ、と言って崇範は顔を赤くした。蘭は恥ずかしそうに俯いている。
「それで、次にスカウトする人物だが……」
独禮が言うと、林揺がため息をついた。
「まだ増やすのか……」
「4人で食べるにはこの部屋もまだ広いだろう」
「また素質のある人を見つけたんですか?」
そう聞いたのは崇範だ。
しかし独禮は首を横に振った。
「まだだ。蘭のようにたまたま見つけられることなんて滅多にない。偶然を期待していないで、こちらから積極的に探しにいかないとね……」
「はあ……。なかなか大変な作業になりそうですねえ……」
崇範はのんきに言って頷いた。
「本当に才能のある人というのはどこにいるのか分からないけど……、やっぱり平均的に質がいいのは僧侶だ。とりあえずその筋を探してみようと思って、父上に相談していたんだ」
「はあ」
「それで、いくつか父上と繋がりのある所に話を通してもらったから、これから探しに行こうと思う。崇範、お供を頼むよ」
独禮に言われ、崇範は笑顔で頷いた。
崇範を伴い、独禮が訪れたのは山の中腹にひっそりとある草庵だった。
山道を掻き分けるようにして進むうち、崇範からため息がこぼれた。
「独禮さま、こんな山奥に一体誰がいるっていうんですか?」
「父上と交友のある入道が住んでるらしい。比叡山で相当な修行を積んだとかいう噂だ」
「はあ、お殿様のご友人ですか。でもそれだと、あまり若い人じゃないのでは?」
「だろうね」
「年寄りは使い物にならないんでしょう? それにこんな山奥のちっぽけな庵となれば、他に若い人が何人もいるかどうか怪しいですよ……」
「そうだな……、私もあまり当てにはしていないよ。まあ、そこで直接見つけられなくても、入道殿の人脈をまた紹介してもらえるかもしれないし」
「はあ……、地道な捜索作業ですねえ……」
崇範は諦めたようにため息をついて、がさがさと道を踏み分けて進んだ。
やがて姿を見せた草庵は、思ったよりも大きく、小奇麗だった。しかしひと気は感じられず、静寂に包まれるように佇んでいて、いかにも風流人が隠居してそうな風情だ。
崇範が戸を叩くと奥からごそごそと人の動く音が聞こえた。
やがて戸を開けて出てきたのは若い僧侶だった。
「金雷寺の独禮だ。近々お伺いする約束があったと思うけど」
崇範の後から独禮が名乗った。若い僧侶は、ああどうぞ、と気だるげに頷いて、奥へ引っ込んでいった。
「今の人、若かったですね」
崇範が振り向いて言う。独禮は首を振った。
「あれはだめだ。見るからに生命力がない」
「……確かに、ぼくもそう思います」
2人は庵の中へ入った。先ほどの僧侶が部屋の前に背中を丸めて座って、こっちだ、と促している。
部屋へ入ると、なるほど高貴そうな袈裟を着けた、50歳ほどと見える僧がちょこんと座っている。脇にもう一人、少年と呼んでいいぐらいの、若い僧侶が座っていたが、それ以外に人影は見られなかった。
「おお、あなたが独禮殿ですか、噂はかねがねうかがっておりますぞ。ようこそおいでくださった」
入道はそう穏やかに微笑んで言った。
独禮は笠を脱いて正面に座る。
入道は前もって知っていたのだろう、独禮の髪や瞳を見ても驚くことはしなかったが、脇にいた少年僧が、目を白黒させながら独禮を見つめていた。
「初にお目にかかります、入道殿。このたびは謁見に預かり、ありがたく存じます」
独禮はそう言って頭を下げた。
入道は頷き、ちらりと脇の僧侶に視線をやる。
「永兼」
名前を呼ばれたらしい彼は、びくりと背筋を伸ばして入道の方を向いた。
「あまりじろじろと見るのではありません。失礼でしょう」
「し、失礼いたしました」
僧侶は慌てて独禮に頭を下げた。
独禮はそんな少年僧をじっと見ていたが、やがて微笑む。
「構わないよ。……永兼殿とおっしゃるのですか」
独禮にまで名前を呼ばれて、永兼は焦った様子でもぞもぞとし始めた。入道も不思議そうな顔をして独禮を見た。独禮は永兼を見ている。
「なかなかに見どころのある若者ですね」
そう言って独禮は微笑んでいる。独禮の脇に座っていた崇範はその意味を察したらしく、にやりと、楽しそうな笑みを浮かべた。
入道は穏やかな表情を浮かべている。
「こちらの小僧が失礼いたしました。……それで、ご依頼の件ですが……、何やら手元に置いておく僧をお探しとか?」
独禮は一旦入道へ視線を戻し、頷く。
「はい。ぜひともご協力いただきたく」
「しかし生憎ながら、ご覧のように私は既に隠居の身。この庵にもわずか数人の弟子が住んでいるだけでおります。……噂を聞けば、何やら雲照寺からも僧をお呼びなさったそうですが、あちらと比べれば私のお貸しできる力などとてもとても……」
「何をおっしゃいますか、入道殿は雲照寺殿にまさるとも劣らず、徳の高い様子であられます。それに、そのわずか数人のお弟子さん達も、みなみな素晴らしい素質を持った方とお見受けしますよ」
独禮は涼しい表情ではきはきと言う。入道は変わらぬ表情で笑った。
「ほほほ、なかなか口のうまい御仁じゃの」
「本当のことですよ。たとえばそこの永兼殿など、本当に稀な才覚を持っておいでだ。ぜひとも私のところに頂戴したいと思うほどです」
再び独禮に目をつけられた永兼が、びくりとして背筋を伸ばした。目を瞬かせながら独禮を見ている。
「ほっほっほ、またまたご冗談を」
入道はそう笑うが、独禮は凛然とした態度を崩さない。
「冗談ではございません、入道殿」
そう独禮がきっぱりと言うと、入道はすっと、笑みを引っ込めた。
無表情になってじっと独禮を見つめている。
「急なお話ではありますけど、永兼殿を私の元へお貸し願えませんでしょうか?」
独禮は柔らかく微笑んで言った。永兼は独禮と入道との顔を交互に見やりながら、落ち着きのない様子でいる。
しばらく入道は黙っていたが、やがてまた、やんわりと微笑んだ。
「それはできません、独禮殿」
独禮は入道を見つめていた。
「永兼はまだまだ修行の至らない身。このような未熟者をよそへ出すようなことがあれば、師としてお恥ずかしいばかりですので……」
「……入道殿のお心もご立派なことと思いますが……、しかし永兼殿はきっと優れた能力をお持ちですよ。今すぐにとは申しません、どうかご一考を……」
独禮はそう食い下がるが、入道は動じなかった。
「申し訳ありませんが、それはできぬご相談というもの」
「入道殿……」
「永兼はお渡しできません。どうあっても」
入道は声色を強めていった。その目も、独禮を睨むような目つきになっていた。
しばらく沈黙が流れたが、やがて入道は言った。
「……やはり、どうやら私がご協力できることはないようですな。お帰り願えますかな」
独禮ははっとしたように顔を上げる。
「入道殿。ではせめて、有縁の寺院や高僧の方を紹介していただければ……」
しかし入道は無情に首を振った。
「私などにはそのような人脈もございません。このような老いぼれを頼ることなどなさらないで、他を当たっていただけますかな」