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巻三之四

そこからの段取りは簡単なことであった。

話し合いの結果、入道(にゅうどう)の失態をどこにも話さないという約束はもちろん、妖怪を退治した手柄までをも、独禮(どくらい)は入道に明け渡すこととなった。

その引き換えに独禮が要求したのが、僧永兼(えいけん)の身柄だった。

さすがの入道も応じざるを得なかったらしい。泣く泣く彼は永兼を手放す羽目になった。

交渉からしばらく後、庵(いおり)を発つ永兼の表情は明るかった。

迎えに来た崇範(そうはん)が見守る中、永兼の袖を入道は愛おしそうに握る。

「永兼……、本当に行ってしまうのか……」

そして淋しげにそう言うのだ。永兼も悲しげな表情を作る。

「和尚(おしょう)さま……。泣かないでください、別に死んでいなくなるわけではないのですから……。また、時間がある時は会いに来ますし」

「永兼……、おお、行かないでおくれ……!」

入道は本気で泣いている。崇範は冷めた目で見守っていた。

「さあ、金雷寺(こんらいじ)で独禮さまたちがお待ちですよ。参りましょう、永兼殿」

やがて崇範がそう急かすと、いよいよ入道は永兼の袖を手放した。

その悲痛な泣き顔を振り返りながらも、永兼は歩き出した。

「永兼……!」

「和尚さま、お元気で……」

永兼はそっと手を振った。

ゆっくりと2人は離れ、やがて草木に掻き消されるように、その姿も見えなくなる。

途端に、永兼は大きく、疲れたようなため息をついた。

そして両腕をぐっと天に伸ばし、満面に笑みを浮かべたのだ。

「ふーっ、やっと自由になれた! いやあ、せいせいした!」

崇範は苦笑いを浮かべていた。

「良かったですね、永兼さん」

「うん、ほんとに嬉しいよ。独禮さまには感謝してもしきれないなあ……」

「ではぜひ、独禮さまのために、存分に腕を振るってくださいね」

「もちろん! 心をこめてお仕えするよ」

永兼は楽しそうにそう言った。

「……肩を持つわけではないですけど、あの入道もちょっとかわいそうですね」

崇範がぽつり言うと、永兼はすでに見えなくなった入道の姿を振り向いた。

生い茂る木々の向こうをじっと見つめて、小さく言う。

「……まあ、これっきりではないよ。やっぱり、僕の師匠だってことは変わらないんだし……」

「一度帰ったらまた手放すのに苦労するかもしれませんよ」

「それは困るな……」


やがて2人が金雷寺へ着いた。門を潜ったすぐのところで、独禮が立っていた。

「独禮さまっ!」

そう喜びの声を上げて駆け出したのは永兼だ。

独禮が口を開いて何かを言おうとするその時に、駆け出した永兼は独禮に飛びついていた。

「うわっ!?」

独禮はかろうじて永兼の体を受け止める。

永兼は両腕をがっしりと独禮の胴に回し、その胸に頬をすりつけた。

「こら、離れなさい永兼」

独禮はやや声を強張らせて言った。

永兼はぱっと顔を離したが、その腕はまだ独禮の背中に回していた。

「ごめんなさい、つい。これから独禮さまと一緒にいられるのだと思うと、嬉しくて……」

そう頬を染めて笑ったのだ。独禮は表情を固まらせた。

「……ずいぶん惚れっぽい男だな、君は」

「別に誰でもってことじゃないですよ。独禮さまが素敵な人だから……」

独禮は顎に手を当てて考え込んだ。

「裏切るようで悪いが……、私に男の趣味はないんだ」

そう言うと、永兼はキョトンとした顔になった。

「え? じゃあなんで僕を欲しいだなんて」

永兼が言うと、独禮の表情は一転、にこりと笑顔を浮かべた。

「君に素質があるからだ」

今度は永兼の表情が固まった。

「……はい?」

後ろで、崇範が口と腹を押さえて、笑いを堪えていた。

そんな崇範と永兼を交互に見つめ、独禮は頬を掻きながら笑った。

「……もしかして永兼、君は何の説明も聞いていないのか?」

「……。独禮さまは、城主さまのご子息なんでしょう? だから……」

「お抱えの寺に愛人を集めて遊んでいるとでも思ったのかい?」

「違うんですか」

「違います」

独禮は苦笑いを浮かべながら言った。

「私が人間でないことはひと目で分かるだろう。私は人間の社会に生まれながら、妖怪である存在なんだ。だから、妖(あやかし)の力を使って、国のために戦う仕事をしている。……その仕事現場を、君だって見ていたじゃないか」

ようやく永兼が独禮の体から手を離した。

キョトンとした表情のまま、いつかの夜のことを思い出してるらしい。

「はあ、なるほど。……それで、なんで僕なの?」

「君には妖力を使いこなす才能がある。だから、私たちと一緒に、鬼や亡霊……この国の人に危害を与えるあらゆるものたちと戦ってほしいんだ」

永兼は黙って、目を瞬かせた。

そしてやや考えて込んだが、やがて訝しげに眉を寄せた。

「……は? 戦う? 僕が?」

独禮は力強い微笑みを浮かべた。

「そういうこと」

永兼の表情は途端に、さっと暗くなった。

「な、何言ってるんですか。僕みたいな虫も殺せない坊主を捕まえて……。っていうか、そんなの聞いてない。無茶だ、勘弁してください」

そう言ってふるふると首を振った。

「大丈夫だ、君には素質がある。私には分かるんだ。自信を持ってくれ」

独禮は微笑んでいる。

「……。む、無理だよお! 聞いてない! やだ! 無理だ~!」

永兼はとうとう大声をあげて喚き始めた。

その肩をがっしと独禮は掴む。

「もう捕まえたからね、逃がさないよ……。どうしても嫌と言うなら入道のところへ返すけど……」

「それも嫌だ~!」

「わがままを言うんじゃありません。さあ、とりあえず部屋へ入ろうか。他のメンバーにも紹介をしておかないとね」

そう涼しい声で言って、独禮は引きずるように永兼を連れて歩き出した。

「やめてえ! ひい! 人でなし~!」

「妖怪だからね」

喚きながら引っ張られていく永兼の後を、崇範は大笑いしながらついて行った。

そして僧坊の広間で、金雷寺の人たちに出迎えられた永兼は、その時更に驚くことになった。

見覚えのある人物がいたのだ。あの、庵(いおり)が亡霊に襲われたその夜、まさにあの恐怖のただなかで。

その時永兼や入道を襲った女の亡霊が、平気な顔でそこに座っているではないか。

蘭(らん)の顔を見るや、永兼は飛び退くように後ずさって、後ろにいた崇範に背中で体当たりをした。

「う、わあ! ぼ、亡霊が!!」

そして蘭を指さして叫ぶ。一同はざっと永兼の方を見たが、すぐに納得したような表情になって笑った。

独禮がくすりと微笑む。

「亡霊じゃないよ。彼女は蘭。私達の仲間の一員だ」

「え……!? え……!? だ、だって……」

永兼はオドオドと蘭と独禮を見ている。

背中を押し付けられたままだった崇範が、後ろからぐいと永兼の肩を掴んで押した。

「独禮さまも狡い手を使うでしょ。つまりあれは“ヤラセ”だったんですよ」

「へ? やらせ?」

蘭は恥ずかしそうに笑った。

「ええ、あの時あなた達を襲ったのは亡霊のフリをしたわたしだったの。……とんだ初仕事だったわ……。入道様の弱味を作り出してでも握ろう、だなんて……、ほんと、ずる賢いことを考える方だわ」

独禮も楽しそうに笑った。

「そう責めるな。私も永兼が欲しい。永兼もあそこから出たかった。それなら多少手段を選ばなくても、救い出してやるのが義理というものだろう。……本当は亡霊の襲撃なんて無かったんだよ。なかなかに迫真の演技だっただろう」

永兼は呆気にとられたように立ち尽くしていた。


しばらく永兼は不貞腐れていた。庭にある井戸に寄りかかって、地面をちょこちょこと動き回る雀をぼうっと眺めている。

そこへ素振りをしに崇範が歩いてやってきて、雀は驚いて飛び立ってしまった。

「あ!」

永兼は雀を目で追ってそんな声をあげる。崇範が振り向いた。

「どうしたんですか?」

「君のせいで雀が逃げちゃった」

「雀?」

崇範はそれがどうしたとでも言いたげにあしらって、木の枝で素振りをし始めた。

そんな崇範を眺めながら、永兼は大きくため息をつく。

「はあ……。やっぱり僕、こんなところでやっていける自信が到底ないよ……」

「大丈夫ですよ、なんとかなりますって」

崇範は枝を振りながらのんきに返す。永兼はむっと頬を膨らませた。

「……君、崇範とか言ったっけ? 僕はこう見えても元々比叡山(ひえいざん)の僧だ。歳だって僕の方が上なんだから、僕が困った時にはちゃんと助けるんだぞ」

崇範はキョトンとした顔で永兼を見た。

「え、年上だったんですか?」

「どう見たってそうだろう! 君、いくつだ」

永兼はすっくと立ち上がって崇範のもとへ歩き、その顔を見下ろした。頭一つ分ぐらい、永兼の方が背が高い。

「12です」

「ほらやっぱり。僕は15歳だからね」

「へえ、そうなんですね。もっとお若いかと思ってました」

「バカにするなよ!」

永兼はそうぷりぷりと怒るが、崇範はのんきな表情のままだった。

やがて近くに永兼がいるにも構わず、崇範はまた素振りをし始める。慌てて永兼は井戸のところへ逃げた。非常に不満足そうな顔だ。

しかしその剃髪(ていはつ)頭に、突然後ろから、ごちんとぶつかるものがあった。

「いたっ!?」

驚いて永兼は後ろを振り向いた。頭の上にあったのは桶だった。

見ると林揺(りんよう)が空(から)の桶を永兼の頭に当てながら、ずんと立っていた。

「な、なに!?」

永兼は慌てるが、林揺は桶を押し当てたまま動かない。

「おう、永兼とか言ったな。こんな所で何油売ってんだ?」

「あ、あなたは確か、林揺……」

林揺は一度桶を浮かして、もう一度それで永兼の頭を殴った。

「あいたっ!?」

「さっきも言ったな? 俺はここの住職だ。頭の出来が悪いみたいだからもう一度言ってやる。ここの住職は俺だ。そしてお前もここに来たからにはここの小坊主だ。俺の言うことを聞け」

林揺はぎろりと永兼を睨んで言った。永兼は目を白黒させている。

林揺はぐいと永兼に顔を近づけて、にやりと暗い笑みを浮かべた。

「どうせ山にいた頃からずっと、どこぞの腐れ坊主に甘やかされて育ったクチだろう? 逃げ出したついでだ、ちと社会勉強ってもんをしていけ」

呆気にとられている永兼に、林揺は持っていた桶を押し付ける。

「とりあえず水、汲んで持って来い。仏前に供えるものだ、丁寧にやれよ」

そう言い捨てて、林揺は戻っていった。

桶を抱えて永兼は目を瞬かせていたが、やがて膝を抱えてしまった。

「もう嫌だ! 帰りたい~!」

崇範が枝を振りながら言う。

「もたもたしてるとまたどつかれますよ」

永兼は涙目になりながらも、桶を井戸の紐に結び始めた。

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