気まぐれと才能
本編1章3話です
とりあえず……来てくれて、ありがとう
1章3話
「はぁ〜...全くボクのやる気って、ムラがありすぎて困っちゃうよねぇ〜」
「最初からやる気を出してくれれば、こんな面倒なことしなくて済むんですけどね」
先生の呆れ声を背に、ボクは、別室の机に頬をつけて苦笑した。
教室にはボクひとり。前には、裏返された五枚のテスト用紙。
普段は空き教室として使われる、装飾のない無機質な空間。
――でも今は、この静けさが少しだけ心地いい。
「さてと、気持ちを切り替えて、始めますか」
目を閉じて、深呼吸。
胸の中でざわざわしていた波が、ゆっくり沈む。
波紋だらけの水面が凪いでくように、
金木犀に照らしていた夕日が落ちて静かな夜の始まりがそっと降りるみたいに…
まぶたを上げる。
さっきまで金木犀みたいに明るかった瞳が、今は静かな透き通った藍色に落ち着いていた。
先生と目を合わせる。
僕の合図に先生が気ついてわずかに目を細める。
「...準備は、できましたか?」
「いいよ」
「では、二十五分で五教科。区切らず一気に。始めてください」
カチリ。
ストップウォッチが走ると同時に、ボクは鉛筆を握った。
最初の答案――数学。
設問の型は見慣れてる。解の形を先に想像して、そこへ道筋を逆算でつなぐ。
途中式は最短。定理は中心だけ書けば十分通じる。
余白に問題のカギとなる文を一言。対称性を拾って、連立を一次まで落として終わり。
次――理科。
図の単位が一箇所だけ旧表記。先生のクセ。
桁を狂わせやすい罠だから、計算を因数分解型に組み替えてから数値を入れる。
最後に単位を整えて、見た目まで採点者フレンドリーに。
次――国語。
問われているのは“解釈の筋道”。
本文から三語だけ拾い、要約→対立→収束の三段で短くまとめる。
主観は一行、余白は多め。読みやすさで点を取りにいく。
次――社会(新規)。
統計グラフの設問。
値そのものより増減の傾きを見れば意図が読める。
政策名は覚えてなくても、年代×出来事で理由づけを作る。
「要因→結果→他例」の順で三行。暗記じゃなく因果で回答。
最後――英語。
直訳はしない。求められてるのは関係性の明示。
主語を軽くして、述語側にニュアンスを置く。
“make it through”(~乗り越える・やり遂げる)
この学校の採点者が好きな言い回しで、文の芯を作る。
鉛筆の音だけが、無機質な部屋に通る。
あらかじめ作っていた時間配分通りに問題を埋めていく。
「はい、二十五分。全部出して」
「ちょうどできたよ、ありがと……」
現実に引き戻される。
五枚を重ねて差し出すと、先生はぱらぱらと見る。
数式の途中、余白の書き方、文の起伏、訳の置き方を一瞬ずつ。
「...はぁ」
短く息を吐いて、肩がわずかに落ちた。
呆れ半分、安心半分の、いつもの顔。
その瞬間、瞳の藍はふっと薄まり、金木犀の色が戻ってくる。
胸の奥に張っていた静けさが解け、からだの重力が軽くなる。
「相変わらず正答だらけですね。“本番で”、その頭を起こしてくれれば助かるんですが」
「にゃはは〜! だって“ただ覚えたこと書くだけ”って退屈なんだもん!
自分の環境をギリギリまで追い込んだ先で、思考回路を固定概念から外した状態で挑んだ方がずっと面白いんだよー!」
「...言ってる意味はやっぱり分かりません」
「ボクも他人から言われたらきっと分かんない!」
「もういいです。放課後までに採点しておきます。教室に戻って」
「アイアイサー!」
自由が戻る。足取りが自然と弾む。
廊下に出る。
まだ授業中だから、人影はなくて静か。
窓の外では木の葉が揺れているのに、校舎の中はやけに音がない。
さっきまで研ぎ澄ませていた心が、空気の無音を面白がって笑った。
(この静けさと――)
教室の前に立つ。
ドアの向こうから、チョークの音。誰かの小さな咳。
ノブに手をかける。ガラガラッ。
(――このにぎやかさの差が、ボクは好きだ)
「ヤーヤー! たっだいまー!」
声が空気を跳ねさせる。
一瞬で、視線が集まる。笑いがはぜる。
さっきまで“水槽”みたいだった教室に、色が戻るのが分かる。
「能天気に帰ってきて、どうだったんだよ。
手応えは?」
ハルが半眼でこっちを見る。
ボクは胸を張って、にぱーっと笑って親指を立てる。
「バッチリだね! 君とトントンくらいさ!」
「...いっつもその通りになるから、負けた気がすんだよな」
「ふふーん! ボクが鬼才だからさ!」
「異常者を言い換えただけだろそれ」
「面白ければなんだっていいのさ!」
僕はそう言って机に腰を落とす。
金木犀色の視界が、またいつもの日常の色に溶けていった。
静けさと喧噪のあいだ――それが、今のボクのいちばんワクワクさせる場所だ。
とりあえず異世界行くまでは上げます




