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迫られた先に見出すもの

3章5話です

ハルトは盾を低く構え直し、相手の喉元を見据えた。


雨が強まる。


地面はもう泥になり、踏み込むたびに靴の底がわずかに沈む。視界の端では、魔物に押し込まれた憲兵の叫びが断続的に上がっていた。どこかで槍が折れる音。どこかで、横倒しになった馬がまだ苦しそうに鳴いている。


その全部を、今は切り捨てる。


目の前の一人。

まずは、こいつだ。


相手は笑っていなかった。

雨に濡れた剣を静かに下げ、こちらの構えを見ている。気負いも油断もない。殺すことを前提に、最短の動きを選んでくる目だ。


――我流だ。


一度剣を合わせて、ハルトはそれを悟っていた。


型がないわけじゃない。

だが、道場で積み上げた理屈や、反復で整えられた美しさがない。身体に染み込んだ癖と、実際に人を傷つける中で削られた無駄のなさだけが残っている。


だから、読みにくい。


父に叩き込まれたのは、相手の重心、肩の入り、握り、目線から太刀筋を読むやり方だった。型があるほど、その先は見えやすい。正道であるほど、崩し方も分かる。


だが、こいつの刃は違う。


踏み込みの途中で軌道が変わる。

手首の返しに一貫性がない。

しかも全部が――本当に全部が、こちらを斬り殺すために振られている。


その重さだけで、身体の奥が勝手に身を引いた。


「……っ」


相手の剣が走る。


ハルトは盾を斜めに立てた。

正面から受けない。刃を滑らせ、力を横へ逃がす。だが、衝撃は消えない。肘から肩へ重い痺れが走る。


続けて突き。


剣で払う。

払ったはずなのに、そのまま切り上げへ繋がる。雨に濡れた足元でも、相手はまるで躊躇がない。転ぶ恐れより、斬れる可能性を優先して踏み込んでくる。


(近い……!)


ハルトは半歩引きたい衝動を、膝で止めた。


引けない。


後ろにはラルスがいる。


荒い息が、背中越しに聞こえる。

浅い。細い。けれど、まだ完全には途切れていない。


「は、ルト……様……」


か細い声。


振り返らなくても分かる。

ラルスはまだ、立とうとしている。


思考回路が限界に達して、意識を保つだけでもやっとなはずなのに、それでも魔法を組もうとしている。何かしなければ、と指先だけが必死に空を掴んでいる。


「動くな!」


ハルトが叫ぶ。


返事はない。

その代わり、短く息を呑む音がした。


背後で、ラルスの呼吸がまた崩れる。


「っ、あ……!」


喉の奥で声が引っかかる音。

何かを構築しようとして、途中でほどける。繋ぎかけた思考が、自分の中で千切れていく。そんな苦しさが、声にならないまま漏れていた。


それでもラルスは止めない。

片手で頭を押さえ、もう片方の手を前へ伸ばす。視線は定まらず、指先は震え、唇は青い。それでも、ハルトの背中を守ろうとする。


「まだ……っ、少しなら……!」


その言葉の途中で、膝が泥へ落ちた。


幹部の剣が、雨の筋と重なって振り下ろされる。


ハルトは盾を立て、ぎりぎりで受け流した。

金属が軋む。手首が痛む。相手はその反動ごと押し込んでくる。


守るのは得意だ。


境界線を引くこと。

そこから先へ通さないこと。

それ自体は、父に叩き込まれてきた。


だが、今必要なのはそれだけじゃない。


守りながら、勝たなければいけない。


しかも、早く。


隊長と副隊長は三人を引き受けている。

あちらも長くは持たない。

憲兵たちは魔物に押されている。


そして、どこかでムチの音が鳴るたびに、戦場の空気が悪くなる。


パンッ、と高い音。


次の瞬間、憲兵の悲鳴が上がった。


見なくても分かる。

あの少年が、好き放題に戦場を掻き回している。


ハルトは唇を噛みしめて堪えた。


焦るな。


焦っていいことは何もない。

だが、急がなければ間に合わない。


その矛盾が、胸の奥で鈍く軋んだ。


相手が左へ流れる。

剣先が落ちる。フェイント。次は低い軌道から足を払うつもりか――と思った瞬間、視線がずれた。


背後――


ラルスの方へ、泥の塊みたいなものが飛ぶ。


いや、泥じゃない。


礫だ。


「っ!」


土魔法。


咄嗟に盾を振るう。

剣では間に合わない。身体で受ければラルスに破片が飛ぶ。ハルトは反射で盾を投げた。


回転しながら飛んだ盾が、礫にぶつかる。

砕けた石片が雨に混じって散った。


その一瞬の隙に、幹部が踏み込んでくる。


読まれていた。


ラルスを狙う素振りで、こちらの選択肢を削りにきたのだ。


剣が肩口を掠める。

布が裂ける。皮膚が熱い。深くはない。だが、生温かいものが一筋流れた。


「……くそっ」


思わず漏れた声は、怒りというより恐怖に近かった。


汚い。


正々堂々なんてものを、最初から前提にしていない。


守る相手がいるならそこを狙う。

隙があるなら抉る。

殺せるなら殺す。


それだけだ。


当たり前だ。

戦場なんだから。


頭では分かっている。


だが、身体のどこかがまだ、その当たり前を飲み込めていない。


日本で生きてきた。

剣は振った。武器も扱った。だがそれは、試合の勝敗を決めるためであって、相手を二度と立てないところまで持っていくためじゃない。


その違いが、こんなにも重い。


相手の刃は迷わない。

こちらは、どこかで止めてしまう。


そこに、圧倒的な差がある。


「欲深いじゃないか」


幹部が初めて口を開いた。


低い声だった。


「いくつもの欲を、全て手に入れようとする」


雨の中、剣先がわずかに揺れる。


「そういう奴から溺れて死んでいく」


その瞬間、背中に寒気が走った。


見透かされた。


守ること自体は、ハルトの土俵だ。

だが、その守りから攻めへ移る瞬間に迷いがある。それを、こいつは初手から感じ取っていたのだ。


そして今、そこを抉ってくる。


パンッ、とまたムチの音。


今度は近い。


続けて、金属が地面へ叩きつけられる重い音が響いた。


一度。二度。三度。

鳴るたびに、音が荒くなる。


木へ。地面へ。岩へ。

視界の外で、何かが強引にねじ伏せられている気配だけが伝わってくる。


ハルトの呼吸が乱れる。


(急げ)


アイシャだ。


叫び声が上がってから見た、あの一瞬で十分だった。


普段の戦い方じゃない。

感情だけで身体を振り回している。


このままなら、先に尽きる。

尽きれば終わる。


鍵はアイシャだ。

だが、その鍵は今にも折れそうになっている。


そのために、自分は何をしなければならない。


答えは単純だった。


目の前のこいつを、最速でどうにかする――


ラルスを守りながら。

隊長たちが押し切られる前に。

そしてアイシャの体力が尽きる前に。

あちらへ合流する為に。


無謀な条件が多すぎて笑いそうになる。


だが、ひとつでも落としたら終わりだ。


幹部がまた踏み込んでくる。


今度は速いだけじゃない。

わざと踏み込みを浅くしている。こちらが反撃に転じる瞬間だけを誘っている。


ハルトは受ける。


受ける。

流す。

押し返す。


それ自体は出来る。


だが攻めに移ろうとした瞬間、身体のどこかが勝手に縮む。


殺意の刃に対する恐怖。

ラルスを背負っている責任。

アイシャへ向かわなければという焦り。


全部が重なって、踏み込みが浅くなる。


覚悟が足りない。


剣先が届く前に、相手はもう半歩外へ逃げている。


「遅い」


煽るように吐き捨てられる。


分かっている。


このままじゃ間に合わない。


頭では分かっているのに、身体が一線を越えない。


(殺すしかないのか……)


その考えが浮かんだ瞬間、自分の中の何かが冷えた。


殺す。


そう思えば、踏み込めるのか。

そう思えば、相手と同じ土俵に立てるのか。


ハルトは奥歯を噛み締める。


怒れ。


無理やりでも、怒りに変えろ。


ラルスが狙われた。

アイシャは壊れかけている。

隊長たちも限界だ。


ここで覚悟を持てなければ、全部落とす。


怒れ。


怒れ。


そう自分に言い聞かせ、ハルトは強引に一歩前へ出た。


幹部の目が細くなり口角が上がる。


殺気を乗せて突っ込もうとした、その直前だった。


――そーんな怖い顔するなよー


頭の奥で、声がした。


明るくて、軽くて、妙に耳に残る声。


――そんなことしなくたって

ハルの得意でやればいいじゃないか!


冷夏。


声だけだった。

姿はない。だが、笑っている顔だけははっきり浮かぶ。


その声音が、胸の中で何かをほどいた。

ふっと、ハルトの口元から息が漏れる。


笑っていた。


自分でも驚くほど、肩の力が抜けた。


確かに……

こんな時、あいつなら絶対に言う。

それをこの場で思い出す自分も、どうかしてる。


そうだな。


何か勘違いしていた。


殺すかどうかで迷っている時点で、自分の視野は狭まっていた。

無理やり怒りを作っても、そんなもので一線は越えられない。


得意でやればいい。


守る。

崩す。

無力化する。

動きを止める。


それでいい。


それが自分だ。


幹部が怪訝そうに顔をしかめた。


ハルトは息を吸う。


追いつくために。

この戦場に届くために。

今、自分に必要なものは何だ。


速さ――


追いつくための、その一歩を埋めるもの。


踏み込み。

加速。

間合いを詰める力。


イメージする。


身体の周りを巡る、見えない流れ。

足元へ沈めた圧。

螺旋状に巻きつき、瞬間的な力を持つ風。


次に幹部と目が合った時、ハルトの周囲には薄い風がまとっていた。


雨粒が、その流れに沿って微かに逸れる。


「……何だ、それは」


問いに答えない。


ハルトは足を落とした。


圧を溜める。

押し込む。

解放する。


――さぁ、行ってこーい!

力の限りを尽くすのだー!


そんな陽気な声と共に、背中を押される。


瞬間、身体が前へ弾けた。


「――っ!」


自分でも驚くほど一気に間合いが消える。


幹部の目が見開かれた。

反応が一拍遅れる。


ハルトはそのまま左側から潜り込んだ。

相手が剣を振り上げるより前に、肘へ打ち込む。太刀筋は浅い。だが、それで十分だ。


返す動きに合わせて、足首へ切り込む。

致命傷じゃない。踏み込みを崩すための一撃。


幹部が舌打ちする。


距離を取ろうとした。


だが今度は、こちらが追いつく。


足元の風が押す。

ほんの僅かだ。だが、それだけで一歩が深くなる。


剣を振るう。

決して致命傷は出さず。動きの起点を叩く。


手首。肘。膝。


相手の身体が、少しずつ遅れる。


「……!」


幹部が土魔法を組む気配を見せた。


指先が動く。

視線がラルスへ流れる。


その瞬間、ハルトは戻るのではなく、相手へと一気に踏み込んだ。


相手がぎょっとする。


魔法の組みが途切れる。

予想外の接近に、思考回路がそこで焼き切れたのだろう。


同時に、ハルトがさらに踏み込む。


もう魔法を使う余裕は与えない。


我流の剣は近くても鋭い。

だが、逆に型がないぶん、崩れた時の立て直しが遅い。


ハルトはそこを叩く。


刃を合わせない。

柄で受ける。肩で流す。剣線の内側へ入る。


相手が焦り始めたのが分かった。


殺せないと思っていた。

一歩引くと思っていた。

そこを見切っていた相手の読みが、崩れていく。


「この……!」


幹部が無理やり横薙ぎに振るう。


ハルトは半歩沈み、その下を潜った。


そして、そのまま――剣ではなく、柄を握り直す。


致命傷は狙わない。


それでいい。

それで十分だ。


「――終わりだ」


振り抜いた柄頭が、幹部のこめかみを捉えた。


鈍い音。


相手の目から力が抜ける。

身体が揺れ、泥の中へ崩れ落ちた。


呼吸はある。


死んでいない。


だが、立てない。


無力化した。


「はっ……は、っ……」


勝った。


この世界でも、自分のやり方で勝てた。


だが、安堵する暇はない。


ハルトはすぐに振り返る。


ラルスがその場に膝をついていた。

肩で息をし、片手で地面を支えている。顔色は悪いままだ。けれど意識はある。


「ハルト、様……」


「喋るな」


ハルトは駆け寄り、ラルスを抱き起こす。


まず安全圏へ。


倒れた馬車の陰。

最低限、魔物の直線だけは切れる位置まで運ぶ。


ラルスの身体は思ったより軽かった。

軽いのに、今はその重さがやけに現実的だった。


「すみま……せん」


「謝るな」


その瞬間、またムチの音が鳴った。


鎖が何かへ叩きつけられる。

木か、岩か、地面か。判別出来ない。だが音だけで分かる。


荒い。


どんどん荒くなっている。


アイシャが持たない。


「ここから動くな。絶対だ」


返事を待たずに立ち上がる。


雨が顔を打つ。

呼吸はまだ荒い。腕は痺れている。肩の傷も熱い。


それでも、足は止まらない。


間に合え――じゃない。


間に合わせる。


ハルトは足元へ風を巻きつけ、アイシャのいる方角へ一気に駆け出した。

とりあえず区切り着くまでは早めの投稿を意識します

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