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不穏の始まり

本編5章1話です


ここから、色々始めます

5章1話


剣を振る。

一歩踏み込み、重心を落とし、刃を戻す。


動きは鈍っていない。

だが、完全でもない。


肩を回した瞬間、皮膚の奥でわずかな違和感が残る。痛みはない。ただ、完全に忘れられるほど軽くはなっていない。


「……問題なし」


自分に言い聞かせるように呟き、呼吸を整える。


そこへ、足音が近づいてきた。


「ししょー! これ使って!」


振り返ると、リオンが両手にタオルを抱えて駆けて来た。だが、距離を詰める途中で足がもつれ、前のめりになる。


「あっ——」


声と同時に、身体が傾く。

タオルが宙に舞い、石畳に落ちた。


ハルトは剣を下ろし、歩み寄る。


「……落ち着けよ、まったく」


リオンは慌てて起き上がり、膝についた埃を払った。


「ご、ごめん! おれ、役に立てるって思ったら、つい……」


声が少しだけ小さくなる。

視線が泳ぎ、照れと悔しさが混じった顔になる。


ハルトはタオルを拾い、汗を拭う。


「分かってる。でもな、支える側が転んだら意味がないだろ」


「……うん」



そこへ、落ち着いた足音が加わる。


「朝から精が出ますね、ハルト様」


ラルスが穏やかな表情で二人を見ている。


「リオン」


「は、はい!」


「周りを見ること。次に何をするか考えてから動くこと。急ぐと、見えるものも見えなくなりますよ」


「……わかった。いや、承知しました!」


言い直したリオンに、ラルスは小さく笑った。


だが、その笑顔はすぐに消える。


「ハルト様。午後に父から報告があります。応接室へ来てください。冷夏さんも同席します」


空気が変わる。


「……何の話ですか?」


リオンが首を傾げる。


「以前、騙し取られかけた資金の件です。その使い道が、はっきりしました」


その言葉で、リオンもハルトも言葉を失った。


「おれも聞く! 聞いていい?」


「構いません。ただし、静かに」


午後。

応接室には全員が揃っていた。


正面に当主。

その背後、少し下がった位置にアイシャ。

向かいにラルス、ハルト、冷夏、リオン。


当主は無駄な前置きをせず、口を開いた。


「資金の流れは追えた。使われた先は魔物の密輸だ。ここを含む、複数の街へ流れていた」


冷夏が眉を寄せる。


「……なぜ、その話を私たちに?」


ラルスも続く。


「憲兵が対応すべき案件では?」


ハルトも同じ疑問を抱いていた。

屋敷の空気を見れば分かる。こういった情報は、本来外に出さない。


当主は短く息を吐いた。


「憲兵は現在、別件の魔物襲撃で動けない。資材運搬を狙った略奪が相次ぎ、被害が大きい」


一拍。


「これ以上の調査が難しいと判断した」


静かな言い方だったが、重さは隠れていない。


「そこで、戦闘能力のある者に応援を頼みたい。ハルト、ラルス、アイシャ。この三名だ」


冷夏とリオンが同時に声を上げかける。


「私も——」

「おれも——」


「却下だ」


当主の声は低かった。


「憲兵が負傷する環境だ。戦闘能力のない者を送るわけにはいかない」


冷夏は口を閉じた。

言い返せない。分かっているからこそ、視線が落ちる。


ハルトは一歩前に出た。


「傷は問題ありません。治療以外の環境、知識取得……その礼を果たさせてください」


当主は頷いた。


「支度を、夕刻には出る。現地の拠点へは明朝到着だ。一刻を争う」


部屋を出た直後、アイシャが大きく息を吐いた。


ラルスが視線を向ける。


「父の依頼です。引き締めてください」


「分かってます、ですが屋敷を離れてまでの命令は特例なので……」


そう言いながら、アイシャの視線はハルトに刺さる。


「貴方に関わって以降、面倒事が増える」


「……俺のせいかよ」


アイシャは皮肉だけ残し、歩き出す。


俺もすぐに支度を終え馬車へ向かうと、

リオンがラルスへ何か訴えかけていた。


「おれも行く! 今度こそ邪魔しない!」


ラルスが言葉に詰まる。


その時、冷夏が静かに口を開いた。


「……行っても、また守られる側になるだけだよ」


リオンが振り返る。


「それって……」


「ハルの火傷みたいに……いや、今度はそれ以上の負傷を追わせるかもしれないんだよ?」


冷夏の声は軽い。

だが、その目は自分に向いているようだった。


「信じて待とっか!

それが出来るのも信頼あってこそなんだから!」


リオンは拳を握った。

悔しさを噛み殺し、頷く。


「うん……分かった

でも!次こんな事があったら、その時はついていけるように強くなるから!」


そうして、俺たちは馬車に乗り込み出発した。

その時、窓から見る冷夏の笑顔に悔しさが混じっていたのを俺は見逃せなかった。


拠点は、森を切り開いた一角にあった。


張られた簡易テントの下、折り畳みの机が並び、地図と資料が重ねられている。人の出入りは多いが、声は低い。慌ただしさよりも、張り詰めた空気のほうが強かった。


「――お待たせしました」


ラルスが一歩前に出る。


「ラルス・アストリア一行、到着しました」


指揮を執っていた憲兵隊長が、すぐに振り返り、一礼した。


「応援に感謝いたします、アストリア殿。状況は深刻ですので、要点のみご説明します」


余計な前置きはなかった。


「この森の奥に、組織のアジトが確認されていました。数日前、我々が制圧を試み、魔物五体の討伐には成功しております。ただし――」


隊長は一瞬だけ、言葉を切る。


「組織の関係者は逃走。こちらも負傷者が多数出ました」


合図とともに、担架が運び込まれる。


布をめくられた瞬間、空気が変わった。


魔物の死骸。その首元には、金属製の輪がはめられている。

絡み合うように刻まれた、三匹の蛇の刻印。


その場にいた全員が、無意識に息を詰めた。


――そして。


アイシャの動きが、止まった。


ほんの一瞬。けれど、はっきりと分かるほどだった。

視線が刻印に縫い止められ、指先が強張る。


「……アイシャ?」


ラルスの声に、彼女はわずかに肩を揺らし、息を吸い直す。


「……失礼しました」


それだけ言って、いつもの無表情に戻る。

だが、空気はもう元には戻らなかった。


「これより、三名一組で調査を行います」


隊長が続ける。


「アジト跡地を中心に、周辺を捜索。本部には情報班を待機させ、一時間を目安に状況を報告してください。異常があれば、空へ魔法信号を」


短い指示。即座に動く。

各班がそれぞれ森へ散った。



アイシャの警戒は、明らかに異質だった。


足音を殺し、風の流れを読むように進む。

視線は一定ではなく、常に周囲をなぞっている。


――探している、というより、怯えを許さない動きだ。


「……何か――」


問いかけようとした、その瞬間。


「黙って」


低く、鋭い声。


「集中切れる。……それくらい、分かんないの?」


怒りというより、切迫感に近い。

俺は言葉を飲み込んだ。


――違う。


今の俺は、邪魔だ。


彼女の索敵は、感覚じゃない。

経験と恐怖を重ねた末の、研ぎ澄まされた反応だ。


俺は一歩、意識して距離を取った。

自分の呼吸を整え、足音をさらに落とす。


(……悪かった)


声には出さない。

だが、胸の奥でそう認める。


しばらく進むと、木々が途切れ、視界が開けた。


そこに――いた。


魔物。


肋骨が浮き、片翼は歪んで垂れ下がっている。

呼吸は浅く、脚は震え、今にも崩れそうだった。


その周囲。


壊れた馬車。

引き裂かれた布。

転がる靴――片方だけ。


「……」


ラルスが、喉を詰まらせるように息を吐いた。


弱っている。

――だからこそ、危険だ。


追い詰められ、壊され、飢えた魔物は、

最後に“誰か”を噛み殺す。


胸の奥が、重く沈む。


扱われ方が、外見に残っている。

殴られ、使われ、捨てられた痕。


それが原因で、人が死んだ。


「……酷い」


ラルスの声は、震えていた。


俺は無意識に、彼女の前へ半歩出ていた。

境界線を引くように。



アイシャが、歩き出す。


迷いも、ためらいもない。

ただ、冷たいほど静かだ。


「……被害者面しないで」


淡々とした声。


怒鳴らない。

罵らない。

――だからこそ、怖い。


静かに斧が振り下ろされる。


首が落ちた。

血が噴き上がる前に、音が消えた。

あまりに速く、あまりに正確で。


静寂。

風が、戻ってくる。


その背中を見て、俺は言葉に出来ない違和感を覚えた。


同情も、嫌悪もない。

あるのは、許さないという覚悟だけ。


――知っている。


この組織を。

この刻印を。

このやり方を。


理由は分からない。

だが、雰囲気で分かってしまう。


アイシャは、弱った魔物すら“排除する存在”として同情もなく殺す。


そして、その視線は――

どこか、過去を見ている。


その時だった。

森の奥が、ざわついた。


空気が震え、枝が揺れ、鳥が一斉に飛び立つ。

遠くから、地鳴りのような気配が重なってくる。


一つじゃない。


「……!」


同時に、視界の端で光が跳ねた。


――拠点の方向。

空へ、魔法信号が上がる。


ラルスが息を呑み、俺と目を合わせた。


理解は、一瞬だった。


「……囮か!」


噛みしめるように言った言葉が、苦い。


読まれていた。

こちらを分断し、本部を叩く。


「戻るぞ!」


声を張る。

全員、すでに走り出していた。


地面を蹴る音。

枝を払う音。

呼吸が荒れる。


背後で、アイシャの足音が重なる。その速さが、異常だった。


振り返る余裕はない。

だが、分かる。


――これは、始まりだ。


静けさから、一気に引き裂かれる緊迫感。


間に合え。


その願いすら、声に出せないまま、

俺たちは森を駆け抜けた。

次回は1週間以内に投稿しまふ

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