訓練と率先
本編2章7話です
戦闘シーン、めっちゃ書くの苦手だ
2章7話
庭の石畳はまだ湿っていた。
水を撒いたからだ。血の匂いを流すため――そう言われなくても分かる。噴水の音が一定に続き、いつもの朝みたいな顔をしているのに、足元だけが「さっき」を隠しきれていない。
「……手伝います」
俺が箒を握った瞬間、使用人たちの動きが一段、滑らかになった。
止めない。叱らない。けれど、気づけば俺の近くの仕事だけが、ふわりと消えていく。
「ハルト様、そちらは……」
「大丈夫です。これくらい」
包帯の下で火傷がじわっと熱を持つ。範囲が広いだけで、痛みは鈍い。稽古で出来た擦り傷の方がよほど気になる。
――そう思っている俺の感覚を、屋敷の人間は採用しない。
「当主様からも、今朝お話がありましたので」
その一言で、押し返す言葉が抜ける。
当主と話したばかりだ。「治せ」「知れ」と、短く、逃げ道のない言い方で。家の空気が、その命令に従って動いている。
「……分かりました。じゃあ、邪魔にならないところを」
俺が一歩引くと、そこに別の使用人が自然に滑り込む。箒の柄が手を離れたわけじゃないのに、俺が持つ必要がなくなる。
大袈裟だと思う。だが、ここではそれが礼儀だ。怪我人が張り切る方が、よほど面倒を増やす。
「お部屋へ。温かいお茶もお持ちします」
肩に触れる手が軽い。拒絶ではなく、誘導。
俺は息を吐いて、庭を背にした。
背中で、石を運ぶ音、布の擦れる音、短い指示が弾む。
――あっという間に、俺がいなくても回る世界になる。
胸の奥が、もやつく。
守ると決めたのに、仕事すら「頼りにされない」みたいな形で遠ざけられる。理屈は分かっている。だが、理屈だけじゃ腹の底の熱は消えない。
部屋へ戻る途中、窓の外に白い日傘が見えた。
冷夏が庭を横切っていく。肩の高さに傘の影を落とし、白い肌を守りながら、軽い足取りで。何かを探すみたいに首を少し傾けている。
――無事だ。
それだけで、まず呼吸が整った。
机に座り、ノートを開く。
書いた文字が目に入っても、今は読み返す気分じゃない。頭の中で一度回したものを、もう一度いじっても手が前に進まない。
なら、次にやることは決まっている。
この世界で、俺の「扱える武器」と「得意な武器」がどれほど通じるかを確かめる。
扉を開け、廊下に出たところで、使用人の一人を呼び止めた。
「訓練用の武器がある場所、案内してもらえますか」
「武器庫がございます。こちらへ」
案内は簡潔だった。
鍵の音、扉の軋み。開いた瞬間、油と鉄と革の匂いが押し寄せる。
壁に並ぶ直剣。細身の剣。重い槌。柄の長い武器。盾。
見た目だけで大体の用途が分かる。俺は一本ずつ手を伸ばした。
握る。重さ。重心。刃の返り。柄の太さ。
手が勝手に覚える。身体が「いける」「これは癖がある」と答える。
――確認は十分。
言葉にする前に、もう手が理解している。
最後に細身の剣の柄を握って、指先が自然に位置を探すのを確かめる。
レイピア。これだけは、どの世界でも俺の中で一本の線として残っている。
武器庫を出ると、遠くから作業音がまだ聞こえた。
片付けは続いている。俺は庭へ戻る。
石畳の端。影の落ちる場所。
そこに、装飾のない制服の背中があった。余計な動きのない姿勢。視線の低さ。あの空気。
――あそこだ。
雰囲気で分かる。戦いの後の切り替えが、まだ完全に抜けていない。
俺は距離を詰め、短く頭を下げた。
「さっき……冷夏を助けてくれて、ありがとう」
彼女はゆっくり顔を上げた。
視線が俺の包帯に落ち、ほんの少し口角だけが動く。
「……そんな顔するなら、自分で守れば?」
平坦な声。だが、言葉は鋭い。
俺の悔しさや情けなさを、刃の角で削ってくる。
俺は目を逸らさなかった。
「それが出来ない。守る力も、知識も足りない」
一拍。
彼女は瞬きひとつ増やさず、肩を落とす。
「よくある話」
切り捨てるみたいに言って、視線が離れる。
ここで引いたら、今日の俺は終わる。
「だから、手合わせをお願いしたい」
彼女の目が細くなる。
「何を言っているの?」という視線が、そのまま刺さる。包帯に、また視線が落ちる。
「怪我人が……偉そうだね」
偉そうと言われても、黙れない。
「事情があって、この街の当たり前を俺は何も知らない。……でも武器の扱いだけは、長けてる。だから武具を知りたい。守りたいんだ」
重い話だ。自覚はある。
彼女は小さく息を吐いた。嫌そうな顔を隠しもしない。
「話が重い」
でも、その声音は“拒否”を探している感じじゃなかった。
むしろ、面倒に巻き込まれた時の、諦めに近い。
「……断る理由を考える方が面倒」
あっさり言って、踵を返す。
「来て。訓練所。さっさと終わらせるから」
承諾。愛想はない。
それが、むしろありがたい。こっちも余計な遠慮をしなくて済む。
廊下を抜ける途中、厨房前がやけにざわついていた。
人が半歩ずつ距離を取っている。鍋の前に、白いエプロン。冷夏だ。
鍋の中身は紫色だった。
液体というより、粘度がある。食べ物の形をしていない。
彼女が足を止め、鍋を一瞥する。
眉がほんの少しだけ動く。
「使った食材が可哀想……」
冷夏が「ひどい!」と頬を膨らませる。
彼女は返事をしない。興味が切れたみたいに、また歩き出す。
俺も追う――が、冷夏が先に動いた。
「ハル! ちょうどいい! 一口!」
有無を言わさずスプーンが口に入る。視界が紫で埋まる。脳が拒否しかける。
だが――味が来た瞬間、拒否が止まった。
「……うまい」
口から出た言葉で、厨房の空気が揺れる。
使用人たちの顔が「え?」になる。冷夏は勝ち誇ったように胸を張った。
「でしょ! 見た目だけ! 見た目だけがちょっと不思議なだけ!」
その規模がでかい。
だが味は完璧だ。塩気、香草、酸味、臭み消し。計算が正しい。見た目だけが、どうしようもなく終わっている。
「今から手合わせする?」
冷夏が身を乗り出す。
「……する」
「見る! ボク審判やる!」
鍋が置きっぱなしになる。使用人が慌てて手を伸ばす。
冷夏はすり抜けて俺の横に並び、日傘を忘れずに手に取った。
こいつは興味のあるものがあれば、それしか見えなくなる。
訓練所は広かった。障害物がない。逃げ場もない。
観客用の腰掛けが壁際に並び、冷夏はそこへ軽く上がって日傘を膝に置いた。
彼女が武具を取り出す。
三本の両刃斧。鎖。リング。刃の部分には革のカバーが付いていた。三本とも。
俺は思わず口にする。
「カバー……付けたままなんだな」
彼女はちらりとこっちを見る。
目が「何言ってるの?」と言っている。
「客人を殺すわけないでしょ」
淡々としているのに、逆に刺さる。
「安心して。……当たれば死ぬほど痛いし、骨も折れる」
安心と言う内容じゃない。
冷夏が「安心できないよ!」とツッコミかけて、途中で口を押さえた。邪魔をしない、という顔。
俺は武器を選ぶ。迷いを切る。
盾。
ここは広い。避け続けるには足場が良すぎて、逆に詰められる。盾がなければ、俺の受けられない攻撃が多すぎる。
ハルバード。
長柄。斧に対して距離を取れる。槍の間合いで空間を押さえつつ、刃で相殺もできる。
レイピア。
俺が一番得意としている武器。決めるならこれだ。
盾を左、ハルバードを右、レイピアは腰。
包帯の下が少し引きつるが、顔には出さない。
冷夏が腰掛けから身を乗り出し、両手を上げた。
「じゃあ……ボクの合図で― はじめ!」
手が下りた瞬間、鎖が鳴った。
彼女が、いきなり斧を投げた。
ためも、躊躇もなく。鎖に繋がれた斧が、弧を描いて飛ぶ。カバー付きでも質量は質量だ。空気が押し潰される音がした。
盾を――“立てる”のではなく、傾ける。
金属がぶつかる直前、盾の縁が斧の側面を滑らせた。
衝撃は真正面から腕に入らず、横へ逃げる。肩から肘へ鈍い痺れが走り、足が半歩ずれる。
――盾がなければ、これで終わっていた。
心臓が、その結論を早口で叩く。
彼女は投げた勢いを捨てない。
鎖がしなり、斧が彼女の身体を引く。引かれるのではなく、引く力に乗る。さらに、手元で斧同士が近づく瞬間だけ磁力の反発が働き、その反動が踏み込みを加速させた。
距離が潰れる。
「……へえ」
落ちた声。褒める気配はない。盾で受けたのが意外、というだけの響き。
斧が振り下ろされる。
俺は盾をもう一度“角度”で使い、衝撃を逃がしながらハルバードを半円に回す。穂先の位置を、相手の正面に残す。
長物は振る武器じゃない。
空間を取る武器だ。
穂先が止まらない。止めた瞬間、距離が相手のものになる。
彼女の斧が横薙ぎに来る。
柄の部分で相殺し、穂先を外さない。カバーが盾に当たり、鈍い音が続く。
鎖が鳴る。
宙の斧が尾のように回り込み、死角へ滑る。
三方向から来る圧。
真正面の斧を受け流しても、背中側の空気が切り裂かれる。
俺は足を引く。引きながら、槍の距離を維持する。
だが距離は逃げにならない。鎖が伸びる。
視界の端で、鎖の端がふっと消えた。
距離の概念が薄くなる。斧が届く。
盾で受ける。角度で滑らせる。
それでも体勢は崩れる。ハルバードの穂先が一瞬だけ遅れる。
その遅れに、斧が来た。
カバー越しでも叩きつけられれば骨が折れる。
俺はハルバードの刃で受ける。刃と刃が擦れて、乾いた音が跳ねた。
冷夏が息を呑む。
このまま守っても、先に削られる。
なら流れを変える。
ハルバードを放る。
“当てる”ためじゃない。
――その隙の形を作るための一撃。
予想通り、彼女は斧を重ねて“面”を作り、軌道を逸らした。
視線が一度だけ、飛んだ先へ引かれる。
その瞬間に盾を投げる。
大きいものが動けば目は勝手に追う。
俺自身は逆へ滑る。
腰のレイピアを抜く。指が勝手に位置を決める。構えは低い。
一瞬でいい。線を引く。
音が薄くなる。
次の瞬間、距離だけが剥がれて
――目の前に彼女の斧がある。
平突きの直線。
ストッカータの踏み込み。
日本剣術とイタリア剣術その二つを繋ぐ。
「刺突技混成接続――《シリウス》」
閃光の一撃。
突きは一度。
けれど、刺した感触が来る前に、俺の身体はもう通り過ぎていた。
彼女は斧を重ね、角度で受け流す。
カバー越しの刃が、俺の線を外へ滑らせた。
俺は止まらず、そのまま抜ける。
決着に見える。
彼女が背中へ一撃を入れて終わり
――そう思う流れが、空気に出来る。
背中に、気配が来る。
鎖が鳴り、斧が回り込む。打ち込む角度。逃げ場のない一撃。
だが、俺の狙いはアイシャじゃない。
落ちているハルバードへ、足が向いている。
通り過ぎた勢いを殺さずに拾う位置まで
――最初から引いていた。
手が柄を掴む。
身体をひねり、柄を横に滑らせる。
叩きつけられた衝撃が腕へ走る。
だが、体重で受け流す。
盾の時と同じだ。“受ける”んじゃない。逃がす。
――今だ。
俺はハルバードを回す。大きく振らない。半円を描き、穂先の位置を奪わない。
一歩踏み込めば刺さる。半歩下がれば刃が届く。
この距離は、俺のものだ。
彼女は目を細めた。
その視線は「だるい」から「面倒」へ、色が変わる。
「……本当に、面倒」
吐き捨てるように言って、斧同士を反発させる。
磁力の反動で距離を取る。跳ぶような後退。鎖がしなり、三本の斧がまた最初の配置に戻っていく。
楽をするための動きが、途切れる。呼吸の位置が、低くなる。
俺も息を整える。
胸が熱い。腕が痺れている。
それでも、立っている。
冷夏が腰掛けで拳を握っている。
日傘の柄がきしむほど。
二人とも、同時に駆け出した。
次の一歩で決まる――その空気が張った瞬間。
「そこまでーーっ!」
澄んだ声が、切っ先みたいに空気を割った。
同時に、入口の扉が乱暴に開く音。
軽い足音じゃない。靴底が床を叩き、息がぶつかり、駆け込んできた気配そのものが「止まれ」と言っている。
ラルスだった。
いつもの整った所作が追いついていない。髪が一筋だけ額に落ち、胸元がわずかに上下している。――それでも、背筋は崩れない。崩れないまま、勢いだけが前に出る。
「二人とも! ……っ、何を、やってるんですかーー!!」
声は上品なまま、でも語尾だけが跳ねていた。怒鳴るというより、思わず飛び出した、という感じで。
ラルスの視線が、まず俺の包帯へ落ちた。
眉が寄る。言葉の前に、息を一つ吸い直す。
「……怪我をしている方が、どうしてそんなに武器を振り回しているんですか!」
言い方は丁寧なのに、距離が近い。
本気で慌てて、走ってきたのが分かる。俺の喉が一瞬だけ乾いた。
「待って。……俺から頼んだんだ。無理を言ったんだ。だからアイシャを責めないでくれ。俺が、必要だと思ったんだ」
必要――その言葉の重さが、喉の奥で引っかかる。
言い換えれば、俺はまだ足りない。だから必死に手段を掴もうとしている。そんな内側が透けるのが嫌で、俺は拳を握った。
ラルスは小さく息を吐く。
それから、アイシャへ目を向ける。柔らかい声のまま、でもはっきりと。
「あなたは使用人です。頼まれたことを全部引き受ければいい、という立場ではありません。怪我人相手なら尚更……。分かりましたか?」
彼女は、ほんの一瞬だけ口をへの字にした。
反論が浮かんだ顔。けれど、それを飲み込むのが早い。
「……承知しました」
言葉の温度が少しだけ下がる。
主人が使用人へ向ける声音。丁寧さの中に、逃げ道を削る芯がある。
ラルスはそこでようやく、俺と彼女の間に張っていた緊張を、目に見えない手でたたむみたいに言った。
「……もう終わりです。今日はここまで。二人とも、武器を下ろしてください」
俺はハルバードの穂先を落とす。
彼女も、鎖の張りを解く。斧が静かに、元の位置へ戻る。金属の擦れる音だけが残った。
その“静けさ”が出来た瞬間だった。
訓練所の入口が、今度は勢いだけで――ばたん、と開いた。
「ししょー!」
背丈は小さく、動きは軽く、服装はメイドのそれ。誰なのか認識する前に、一直線に――俺へ突っ込んできた。
「うおっ……!」
腹に、どん、と衝撃。
抱きつかれる。勢いが強い。包帯が一瞬だけ引きつって、思わず息が漏れた。
「ししょー! すごかった! さっきも今も! ああいうの! すごい!」
目が輝いている。近い。近すぎる。
俺の胸元を掴んで揺さぶる勢いで、言葉が飛び出す。
「どんな状態でも立ち向かうの、かっこよかった!」
冷夏が観客席から身を乗り出した。
日傘を膝に置いたまま、目を丸くしてこちらを見る。
「……交渉のときにいた子じゃない?」
ラルスが、口を開きかけて――一度閉じた。
息を整えて、言葉の順番を組み直すみたいな間。
「……事情があって、保護することになりました」
丁寧な説明の形。けれど、その一文の奥に、いろいろあったのが透ける。
「使用人見習いとして、うちで預かります」
抱きついたままの子が、俺を見上げて笑う。
「俺も、ししょーみたいになりたい!」
俺と冷夏が、同時に固まった。
“俺”と言ったのに、顔立ちは中性的で、メイド服が似合いすぎていて、判断が追いつかない。
ラルスが咳払いをして、さらりと落とす。
「……この子は、男の子です」
「「まじか」」
声が揃った。
本人は気にせず胸を張ったまま、さらに追い打ちをかける。
「これからよろしくねー!」
よろしくって何だ。
俺は抱きつく腕をほどこうとして、やんわりと肩を押した。
「……とりあえず離れろ。」
冷夏が小さく笑い、ラルスが額に手を当てる。
混線している。今この場の全員の頭の中が、同時に別方向へ走っているのが分かる。
その横で――アイシャは、いつの間にか距離を取っていた。足音すら立てず、影の縁へ溶けるように移動している。
ラルスが気づいて、視線を向けた時にはもう遅い。扉の影に、制服の端が消える。返事を求める隙もない。
「……」
ラルスの口が一瞬だけ開き、閉じる。
追わない。追えばさらにこじれると判断した顔。主人としての切り替えが早い。
その代わり――ラルスの視線が、ふっと別の方向へ向いた。
「……厨房、何をしたんですか?」
言い方は穏やか。
でも、問いの角度が鋭い。ここで“何もない”は通らない。
冷夏が、ゆっくり目を逸らす。
俺も同時に思い出した。紫色。粘土みたいなシチュー。置きっぱなしの鍋。さっき、確かに――“そのまま”だった。
冷夏が口を開きかけて、閉じる。
笑って誤魔化す準備をする顔。いつもなら通るのに、今は一手足りない。
ラルスは冷夏を見る。
冷夏は、にこっとする。
そして、少しだけ訓練所の外――屋敷の方向へ耳を澄ますみたいに、首を傾けた。
ラルスの目が細くなる。
言葉を選ぶ間がある。あるのに、息の勢いが先に出てしまう。
「……初日から、どうして問題ばかりなんですかーーっ!」
叫びは上品なのに、内容が完全にこらー!だ。
冷夏が「えへへ」と笑って、俺が反射で「笑ってる場合か」と小さく突っ込む。
噴水の音だけが、いつも通り一定で。
それとは真逆に、屋敷の流れは俺たちのせいで見事に掻き回されている。
そして遠くの厨房で――
置き去りの鍋が、また一つ、ぷつ、と鳴った。
次回は1週間以内に出します




