第7話-『無限鋭利』(スキャッタード)その③
「おい、おい。しっかりしろ」
軽く頬を叩かれて高下は覚醒した。男と女が一人ずつこちらを見下ろしていた。
状況が思い出せず、慌てて起き上がる。
「おい、すぐ動いて大丈夫なのかよ」
男の方が慌てた口調で制止しようとする。何故慌てているのか、と考えたところで、自身の右腕の惨状を思い出して慌てて右肩の付け根を見た。
全ていつも通りだった。右肩もその先の右腕も、右手もいつも通りそこにいた。
「あ、あれ?」
右腕を高く伸ばす。健康で、なんなら瑞々しいほどに生気のある腕だ。筋肉の張り、熱を感じる。
「何だ、全部夢か。幻覚か。俺はまんまと幻を見て泡吹いて気絶したわけだ」
「いや違う。床を見ろよ」
男に言われて高下は視線を落とす。床は血だらけだった。既に乾きつつあったが、禍々しいほどの血の色で塗りたくられていた。それに気づいてから辺りの鉄臭さに思わず顔をしかめた。
「うわ、グロい、ひでぇなこれ」
「ひどいも何も、お前の血だよ」
呆けている高下達のもとに大山寺と空見が駈け戻ってきた。二人とも緊張感を弛めていない。
「駄目だ、逃げられた。おい沙悟、奈美奈、どうした。何故彼がまだそこにいる。救急車の手配は?」
沙悟と呼ばれた男が頭を搔く。
「いや、奈美奈先輩に先生を呼んでくるよう言って俺は駆けつけたんだが、何故かこいつの腕が戻っていた。綺麗に治っているんだ。大山寺先輩が去ってから俺が来るまで一分程度だと思うんだが。その様子を見て、奈美奈先輩を呼び戻したんだ」
「治っている?」
大山寺の戸惑いに対して返事をするように、高下は黙って右腕を見せた。大山寺は度し難そうにそれを眺めた。
「なぜだ」
何か答えるべきだと思ったが、今の状況は自分にもまるで分からなかった。自分を見ていた解之夢の顔をありありと思い出せたが、何も分からぬまま言うべきではないと思った。
「わかんねっす」
「貧血とか、体調に不良は無いのか」
「いや、何というかいつも通りという感じで、元気っす」
その時、閉門を知らせるチャイムが鳴った。
「…今日はもう遅い。明日詳しく聞こう。俺達のことも話す。本当にすまなかったな」
大山寺が高下の肩に手を置き、血で汚れた制服を見回した。
「今日はジャージに着替えて帰るんだ。制服はカバンに隠せよ。日付が変われば血は消える。血はもう君の身体ではなく物だからだ」
「床のこれはどうすんすか?」
床に広がった血溜まりを指さすが、これも大山寺は特に気にしていないようだった。
「それも日付が変われば消えるし、先生や用務員が気づくことはない。無意識に避けてくれる」
「裏校則の五条だよ。生徒以外は能力による校舎の汚れや損壊を認識できない。もう生徒もあまり残っていないし問題ないと思う」
空見が補足してくれる。
「明日、放課後になったら呼びに行くから待っててくれ」
翌日空見と落ち合う約束をして、解散となった。トイレでジャージに着替えたあと、校門まで見送られて、そこからは一人で帰路を急いだ。能力は校内でしか使えないから外は安全ということだろうが、先程まで腕を失っていた我が身が一人でスタスタと歩いているのは奇妙な感じがした。
「こりゃ今夜は眠れそうにないな」
夢見心地のまま高下は歩を進めた。




