後編
ラスト!
「時間を間違えて早く来てしまったので、様子を見に来てみれば……。あなたはさっきから、何をしているんですか?」
憲兵隊第二部隊の副隊長にして、ラウルの友人、ユアン・ブリチャード。ミルクティー色の髪を緩やかに垂らし、結婚式用の華やかな正装に身を包んだ彼の姿を見た途端、〝シェイラ〟はぱあぁぁと顔を明るくした。
「ユアンさん!! うわあ、ユアンさんですね! なんて、なんていいところに!!」
声を弾ませて〝シェイラ〟が駆けよれば、もともと不審そうに顔をしかめていたユアンが、ますます気味が悪そうに口をへの字にした。
「……ええ? 今のなんです? ほんのちょっと可愛く見えちゃったじゃないですか、心底やめてください。あと花婿衣装いいですね、似合ってますよ」
「ですよね! 似合ってますよね、かっこいいですよね! じゃなくて、大変なんです!」
かくかく、しかじか。これまでの経緯を話してきかせると、ユアンは驚愕し、それから呆れたようにまじまじと〝シェイラ〟を見た。
「と、しますと。あなたはラウルではなく、シェイラさんってことですか?」
「だからそう言っているじゃないですか! 私です、シェイラなんです!」
いまだ信じられないような目を向けるユアンに、シェイラは力強く主張する。そんな仕草に、いよいよもって彼も目の前にいるのが旧友ではなく、その体を借りた友の嫁であることを認めざるを得なくなったらしい。
ユアンは額に手を当てると、疲れたように溜息をついた。
「ゴーストだなんだと前から色々ありましたが、結婚式の朝までこんな調子とは……。本当に、お二人揃ってにぎやかなことですね。あなた方ふたりは」
「わざとじゃないですよ! とにかく結婚式が始まるまでに、この状況をどうにかしなきゃいけないんです。けど、さっきから追いかけているんですが、一向に天使様を捕まえられなくて……。お願いです、ユアンさん! 天使様を捕まるのを手伝ってください!」
「構いませんが、『勘』のない私が力になるかどうか……。いや、そんなことを言っている場合ではありませんね。わかりました、どうにかしましょう」
そのようにユアンが頷いた途端、彼の肩越しに、天使がカーテンの影からぴょこんと顔を出すのが見えた。シェイラの表情が変わったことから察したのだろう。一気に憲兵隊の顔つきになると、ユアンは姿勢を低くして構えた。
「私には対象が見えません。シェイラさん、指示を!」
「はい!」
天使の居場所を伝えると、ユアンは放たれた弓矢のように飛び出した。天使はますますびっくりしたように、慌てて逃げ出す。
しかし、さすがはラウルの副官といったところか。天使の姿は見えていないはずなのに、ユアンはシェイラのつたない指示だけで、的確に天使を追い詰めていく。
「姿が見えない? だからなんです!」
ぴゃあああと、声は聞こえないが確実にそんな悲鳴を上げて逃げる天使に肉薄し、ユアンが鋭く瞳を光らせる。
「怯える獲物の行動パターンを推測するなど、赤子の手をひねるより容易いのですよ!」
絶対に彼だけは敵に回すまい。このとき、シェイラはそう胸に誓った。
さて、ユアンの的確な追跡のおかげで、天使は狭い廊下へと追い込まれる。道の先には、通せんぼをする〝シェイラ〟。泡を喰った様子で逃げる天使を追いかけながら、ユアンは叫んだ。
「追い詰めます、シェイラさん! 最後の仕上げです!」
「OKです! 天使様! お願いだから話を聞いて!!」
きゃああと悲鳴の形に口をあけて逃げてくる天使に、〝シェイラ〟はばっと手を広げる。中身はシェイラとは言え、体はラウル。憲兵隊ふたりに挟まれた天使に、逃げられる余地はない。
そう、ふたりとも思った。
だが、〝シェイラ〟の腕に飛び込みそうになった刹那、天使が空中でくるっと回る。続いて、まるで見えない足場があるかのようにぴょーんと宙返りをすると、勢いよく〝シェイラ〟の頭を飛び越えた。
しかも天使は、頭の上を通り過ぎざまに〝シェイラ〟の背中をぽんっと蹴った。ほんの軽い力だったのに、次の瞬間〝シェイラ〟はふわりと浮いて前につんのめった。
「えっ?」
「は?」
「ええええええ!?」
「はいいいいい!?」
〝シェイラ〟は前に思い切り放り出され、正面にいたユアンにぶつかった。そのまま二人は、折り重なるようにして倒れてしまう。
「す、すみません!!」
「それよりシェイラさん、天使の奴は!?」
はっと顔を上げれば、天使はあいかわらずぴよぴよと小さな羽を震わして宙に浮いていた。丸いくりりとした目で二人をみつつ、こてんと首を傾げる天使。それから天使は、くるっと回転をして飛び去っていってしまった。
「待って。待って、待って、そんな……! お願い、もとに戻して!」
飛び去っていく小さな体に、空しく手を伸ばす。そのとき、新たな声が廊下に響いた。
「シェイラ! すまん、時間がかかっちまった!」
天使が飛び去っていったのとは反対から姿を現したのは、〝ラウル〟だった。あちらもすっかり準備は整ったのか、純白のドレスに身を包み、ヒールに苦戦してよたよたと走ってくる。
彼は〝シェイラ〟とユアンがもつれて床に倒れこんでいるのを見た途端、嫌そうに顔をしかめた。
「なぜユアンがいる? ていうか、俺の体でユアンと抱き合うとはどういう状況だ? どんな地獄絵図だ……?」
「バカ言ってないで早くあなたの体をどけてください、天使の奴を逃がしたんですよ!」
わあわあと喚くユアンに急かされて、〝ラウル〟が〝シェイラ〟を助け起こす。なんとか起き上がったシェイラは、汚れや破けている場所がないか手早く確認してから、力なく首を振った。
「ダメです! あの天使様、全然耳を貸してくれません。おまけにすばしこすぎて、ちっとも捕まえられません」
「そ、そうか……。俺の体とユアン、ふたりでもダメか」
「あなたがラウルで、あなたがシェイラさんで……? いけません。二人揃うと、ますますややこしい……!」
項垂れたり、頭を抱えたり。三人の様相はますます混迷を極める。そのさなか、無情にもシェイラたちはさらに追い詰められた。
「シェイラ―! 来たわよー!」
聞き覚えのありすぎる声に、恐る恐る振り返る。案の定――そして最悪なことに、シェイラの母ディアンヌ、父ラッド、兄キースとその妻クリスティーヌと、クラーク家が勢ぞろいでぞろぞろとこちらに歩いてくるのが見えた。
〝シェイラ〟が絶望の表情を浮かべるなか、シェイラ――の体に入ったラウルを、家族がわらわらと囲む。そして、どうしたものかと困惑する〝ラウル〟を、彼らは嬉しそうに褒めちぎる。
「シェイラちゃん……! 本当に綺麗だわ」
「ついにこの日が来るとはな。色々あったが、僕は今、自分のことのように嬉しいぞ!」
「シェイラ、すっかり立派になって。お前の花嫁姿が見れるなんて、夢みたいだ」
「今日の主役はあなたよ、シェイラ! 堂々と、胸を張って歩きなさい!」
「あの。すみません、俺、いや、私は……」
――そんな光景を、〝シェイラ〟は呆然と眺めていた。クラーク家が揃っているということは、じきにオズボーン家も到着する。ユアン以外の参列者も、ぽつぽつと着始めるだろう。
今日という日を、家族も、友人も、みんなが祝いに来てくれるのだ。特に家族は、心の底から楽しみに待ちわびてくれていたはずだ。そんな家族たちにトラブルがあったなんて――二人の体が入れ替わってしまったなんて言えない。言えるわけがない。
けれども、このまま天使を捕まえられなかったら。元の体に戻れなかったら。その時はどうすればいいのだろう。このまま式をする。それしかないのだろうか。
幸か不幸か、二人の入れ替わりを知るのは自分たちとユアンだけ。互いの衣装は完璧に整い、あとは式を無事に執り行うだけ。入れ替わりのことさえ黙っていれば、皆に心配を掛けず、式を行うことは可能だ。
可能、なのだが。
「ああ、シェイラ。すごく、すごく素敵よ」
声に涙をにじませ、ディアンヌがシェイラ(ラウル)を抱きしめる。穢れなき純白のドレスを身にまとう自分の体と、それを涙ながらに祝福する家族。幸せで満ち満ちているはずの光景――その中に、本来ならば自分がいたはずなのに。
そう思った途端。気が付けば、ぽろりと大粒の涙が〝シェイラ〟の頬を零れた。
「え、あ、オズボーン様!?」
ラウル(シェイラ)が泣いていることに気づいたキースが、ぎょっとしたように目を剥く。それが合図となって、ラッドたちも〝シェイラ〟を見て、驚いたように目を丸くした。
「どうされましたか? どこか具合でも?」
「何かあったの、シェイラ? もしかしてお取込み中だった? ……シェイラ?」
ディアンヌの質問には答えず、シェイラ(ラウル)はじっと〝シェイラ〟を見つめる。ふいに彼は、自分を抱きしめるディアンヌの腕をそっと外すと、つかつかと〝シェイラ〟のもとへと歩み寄る。そして、ぽろぽろと溢れる涙を焦って拭う〝シェイラ〟の手をぱっと掴むや否や、くるりとクラーク家を振り返った。
「申し訳ありません、お義父上、お義母上。今日の式は、延期します」
「え!?」
「は!?」
「んん!?」
「ちょ、ラウルさん!? なにを言い出すんですか」
びっくりして抗議をすれば、クラーク家一向は一様に変な顔で〝シェイラ〟を見た。
「いま、ラウルさんって言った?」
「その前にシェイラも、お義父上って言ったね……?」
ひそひそとクラーク家が囁きあうが、意に介さず〝シェイラ〟だけを見て、〝ラウル〟はきっぱりと首を振った。
「いま言った通りだ。式は延期する。俺たちの体が、もとに戻るまではな」
「でも、みんな来ちゃうんですよ!? 私たちをお祝いして、来てくれるんですよ!!」
「それがどうした!!」
びくりと、〝シェイラ〟は肩を震わせた。すると〝ラウル〟は、ふっと小さく笑う。その瞳はルビーのように紅くはないのに、顔も姿もシェイラでしかないのに、ラウル・オズボーンそのひととしか言いようのない凛々しくも温かな微笑みを浮かべ、〝ラウル〟は〝シェイラ〟の頬に触れた。
「主役が泣いているんじゃ、やる意味がない。――大丈夫。みんな、わかってくれるさ」
「ラウルさん……」
声を詰まらせる〝シェイラ〟の顔を、〝ラウル〟が優しく覗き込む。
「不思議だな」
滲んだ涙をそっと拭って、〝ラウル〟は苦笑した。
「俺が泣き面をさらしているだけなのに、中身がお前だと思うと、不思議と愛おしい」
そういって、〝ラウル〟はそっと触れるだけのキスをした。
途端。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
ぽんっ、と軽快にピンク色がはじけて、視界いっぱいに小さなハートが飛び交った。それはクラーク家の面々とユアンにも見えたようで、「なんだ!?」とか「まあ、かわいい!」とか、皆も口々に叫んでいる。
ついで、ぽんぽんぽんぽんと小さなハートたちが勢いよくはじける。目の前のひとつがはじけて、〝シェイラ〟はぎゅっと目を瞑った――。
ややあって、そろそろと目を開けたとき、シェイラは再び違和感を覚えた。
目線が見慣れた高さに戻っている。肌にあたる服の感触が違う。はいている靴の感じがヒールだ。――なにより、目の前にラウルがいる。
「シェイラ……、シェイラか!?」
「私たち、もとに戻ったんですね!」
間違いない。ラウルのほうも、いつものラウルだ。手を取り合って喜んだふたりは、何が起こったのかわからず目をぱちくりとさせているクラーク家とユアンのほうをぱっと向くと、同時に高らかに宣言した。
「やっぱり今から、結婚式を行います!」
リンゴンと、高らかに鐘が鳴り響く。白いハトが舞う空の下、集まった人々たちの盛大な拍手に応えて、シェイラとラウルは教会から進み出た。
「シェイラぁー! おめでとぉー!」
王立劇場のエイミーが、ちぎれんばかりに大きく手を振る。
「いよっ、おめでとうございます。おふたりの記事は、あたしに任せてくださいよ」
長い前髪の下でにやりと微笑んで、エディが手帳を軽く掲げる。
「しぇいらぁ……。しあわせに、しあわせになるんだぞ……!」
クリスティーヌに背中をさすってもらいながら、キースがぼろぼろ泣く。
「諸々、私に感謝してくださいね! あとは勝手にお幸せに!」
一際激しく手を叩きながら、ユアンが肩を竦めて苦笑する。
いろんな人の笑顔がある。いろんな人との絆がある。街のヒーローの魅惑の鬼隊長と、ちょっぴり皆に怖がられていた霊感令嬢。初めは、ほんの少しチグハグなカップルに思えたふたりだけど、今はこんなに、しっくりくる。
「キスしたら、また入れ替わったりしてな」
冗談めかして、ラウルがにやりと笑う。
「そうしたら、またキスをすればいい話です」
それに答えて、シェイラもいたずらっぽく微笑む。
参列者たちからの期待が高まるのを受けて、ラウルがシェイラを引き寄せる。情熱的な瞳に、まっすぐにシェイラを映し、ラウルは艶然と笑みを深めた。
「いい考えだ、採用する」
ぐっと身を屈めたラウルが、深く深く、シェイラに口付けた。わぁぁっと歓声が上がるなか、シェイラはラウルと体が入れ替わる代わりに――小さな可愛らしい天使の、祝福の笛の音が聞こえた気がした。
軽やかな音色は、こう言っていた。
末永く、お幸せに!