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1 この異世界には寿命がない

 朝日が鋭く差し込んでいる。瞼の上から刺激され、あまりの眩しさに耐えかねた青年はゆっくりと体を起こした。目を擦りながら、ガラス窓越しに澄んだ青空を見上げて、


「ふぁぁあっ、ようやく晴れたか……」


 軽く伸びて、放心したあと……突然跳ねあがって、慌ただしく階段を駆け下りた。


 パンを一切れ口に加えて、服も着替えた。右手には釣竿を持ち、やんちゃに麦わら帽子を被ると、


「一釣り(ひとつり)行こうぜっ!!」


 扉が壊れそうなほどの勢いで、玄関から飛び出した。


 キノシタ リョーマ、千(・)七(・)十(・)三(・)歳(・)。いわゆる異世界人である青(・)年(・)は、あまりにロングでスローな第二の人生(セカンドライフ)を謳歌しまくっていた。


※


 以下、千年ダイジェスト。


 リョーマは日本という国で生を受けた。普通の家庭で育った彼の学生時代は、タバコにバイクでスピード違反、隣人トラブルで軽い警察沙汰を起こすなど、誰がどう見ても不良であった。


 高校卒業後、親の支援が得られず大学には入れなかった。というか「働いて償え」と怒鳴られた。父の親戚であった大工のもとに押し込まれた。


 それからおよそ三十年、棟梁(とうりょう)である父の親戚のもとでお世話になった。時代に逆行しまくったえげつないパワハラとたまに見せる優しさの飴と鞭のもとで育ち……センスがなかったようで、終ぞ次の棟梁になることはできなかった。一人前になる前に棟梁がが(・)ん(・)で亡くなり、リョーマは大いに泣いた。


 それから二十年は、半人前ながらも周囲の人間に愛されながら仕事に励み、最後は身体に限界がきて退職した。そのときには花束を贈られた。


 女遊びは好きだったが、生涯の伴侶には巡り合えなかった。晩年は腰を痛めて立ち上がれなくなり、そのまま一人、病室で亡くなった。享年八十三歳である。


 と、いうのが前世。あー死んだと安らかに眠り……再び目を覚ませば、この異世界に降り立っていたのだ。


 およそ千年も前のことだ。当時のことは、おぼろげにしか覚えていない。ただ一つ、とても驚いたのは———この異世界には寿命がないということだ。


 肉体は全盛期、つまり二十代に戻っていて、頭もクリアだった。腰も痛くない、目も霞んでいない、力いっぱい駆け出せば、異世界の不思議な空気を全身に感じることができた。


 目を覚ました直後は、辺鄙な村で居候をさせてもらっていたのだが、そこの村人にいろいろなことを教えてもらった。……頭があまり良くないので、半分も理解できていないんだけど。


 確か、寿命がないのは人間だけじゃないと言っていた。犬とかうさぎとか、そういう動物も老衰しないと。「マジ? すげー!」と思った。よく分からなかったのは、生き物以外にも寿命がないってところだ。マジ分かんなかったから、リョーマは考えるのをやめた。


 なぜ寿命がないのかも色々教えてくれたが、よく分からなかった。そこら辺で、村の人たちも段々と自分の頭が悪いことを察したようで、最後はざっくりと教えてくれた。「魔法と自然が混ざってそうなってるんですよ」ってことらしい。


 とりあえず、寿命がないことを理解したリョーマは———再び、大工として生きることにした。


 未練たらたらだったのだ。今度こそ一人前になろうと、その村の大工のもとに弟子入りした。


 指導は相変わらず厳しかった……二百年ほど経ったところで、ようやく一人前として認められた。前世での未練が晴らされたその瞬間は、これまでの人生のすべてが報われたような爽快感に満ち溢れていた。


 で、燃え尽きた。それから百年は、ぼちぼち大工の仕事をしながらだらだらと生きていた。それを咎められる環境でもなかった。……しかしどうやら、心配はされていたらしかった。


 おそらく、二百年の死に急ぐような必死な姿と、その後百年の怠けた姿のギャップが大きすぎたのだろう。「次はこういうことをしてみたらどう?」とアドバイスを受けた。


 それが、一人ぼっちで暮らすことだった。この世界には寿命がなく、なんなら病気にかかるリスクも低く、怪我も治りやすい。ご飯さえちゃんと食べていれば、ずっと健康的に生きていける世界ゆえに、あらゆるしがらみから解放された「自由な暮らし方」がそれなりに人気だということらしかった。


「いいじゃん!」


 すぐやった。一人だけで家を建てて、家具も作った。椅子とか机とか棚は、最初から綺麗に作ることは難しかったけども、長い時間をかければ良いものができた。これが、大体七百年前の話だ。


 そして、一人だけのスローなライフが始まった。寂しさはあったが、それ以上に楽しさがあった。狩り、釣り、自家栽培に、ちょっと魔法の練習など。好きなことをして過ごしているうちに———最近は時間感覚がこの世界に適応してきたのだろう。気付けば七百年経っていた。本当に、あっという間だった。


 以上、千年ダイジェスト。時は現在に戻る。


※


「しゃあ!! 大物来たァ!!」


 素手で魚を捕まえると、お天道様に向かって掲げ上げた。でっかいサケだ。今夜はごちそうだ。


 最近は慣れたもので(というか魚が餌に食いつくのを待ってられなくて)、素手で魚を捕まえられるようになっていた。魚の動きを読めさえすれば簡単だ。何(・)回(・)も(・)やれば、勝手に体に染みついてくる。


「……にしても、今日なんか眩しいなぁ……?」


 川の話だ。日差しが強く、水面がギラギラと輝いている。しかし、これくらいの晴れはこれまでも何万日と遭遇してきた。それと比較しても、妙に日光を反射し過ぎている気がする。


 なんとはなしに、川の内側まで入り込んでいく。最も深いところは、背丈を優に超えるから、注意が必要だ。寿命がなくとも死にはするのだから。


 水中に頭を突っ込んで、やけに光っているものを見つけて手に取った。どうやら、妙に眩しいのは気のせいではなかったようだ。


 小石ほどの、キラキラした物体を見つめる。


「…………金?」


 貴金属の金(きん)のことだ。実物を目にするのが、千年生きていても初めてなもので、確証がない。


 川のあちこちに、小さな金のような物体が散乱しているようだ。


「上流から来てるのか……?」


 一般的には、金は比重がとても大きい物体である。余程の勢いがない限り、水に流されることはないのだが、リョーマにはその知識がなかった。バカなので。


 深く考えずに、川沿いを歩いていると、奇妙な人影を見つけた。


 浅瀬で、体の半分が水に沈んでいる。染髪とはとても思えないほど、ホンモノに見える金色の髪が水に溶けていた。よく見ると、眉毛など全身の体毛が金の輝きを放っているようだ。そして全裸。しかし、思わず見とれてしまうのは、裸だからではない。


「あ、あんた———」


 背中には、大きくて筋骨隆々な翼が生えていた。額には金ピカの、二本の立派な角が生えている。尻の少し上からは、鱗(うろこ)に包まれた尻尾まで生えている。


 ずっと前に、似たような風貌を本で見かけた気がする。あれは、確か……


「———竜人か?」


 そう口にした瞬間、全身金塗(きんまみ)れの女性が目を覚ました。


「何者だ!!」


 激しい水音を立てながら立ち上がり、こちらをきつく睨みつけてくる。しかし、息をするたびに肩が大きく上下しており、体のあちこちに傷がついている。流れる血までもが金色なのは、この際気にしない。


「お、俺ぁただの人間だよ。ここには魚を捕りに来ただけだ。あんたこそ大丈夫か?」


 心配する気持ちが先行して、一歩近づくと、


「近づくな!!」


 怒声を浴びせられた。どうも正気でない様子だ。刺激しちゃいかんと、その場に立ち止まって両手を上げた。……両手を上げるポーズは、この世界において「敵意無し」を示すサインではないのだが、前世の記憶が咄嗟ににじみ出たようだ。


「私は……わた、しは………」


 一瞬、目が光った。竜や妖精のような魔物における、魔法を使うときの肉体反応だ。しかし、何かが発動することはなく、彼女はすぐに気を失って、また浅瀬に倒れてしまった。


「……おい? おーい? 大丈夫か?」


 一旦、その場で声をかけてみる。金の竜人が何の反応も示さないのを見て、こりゃよくないと駆け寄った。


「えぇ……えー? どうするよ」


 これだけ傷だらけだと、厄介な問題を抱えている可能性も否定できない。これまでの穏やかな生活を手放したくはないのだが……、


「……ほっとけねぇよなぁ」


 この世界にとって、死は訪れるものではなく迎え入れるものだ。さっきの一瞬では、その段階にあるようには見えなかった。……まだ、死ぬには早いだろう。


「しょうがねぇ!」


 手に持っていた小さな金をポイと投げ捨てて、竜人を背負い込んだ。翼と尻尾がかさばって、持ち運ぶのは大変だったが……なんとか家まで連れてくることができた。せっかく捕まえたサケを川に忘れてきたことに気付いたのは、彼女をベッドに寝かせたあとのことだった。

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