4話・それぞれの思惑、それぞれの愛情
前半はアレクシ視点です。
ナミュール家を出た僕は、待たせてあった馬車に乗り込む。
「ナミュール嬢、どうだった?」
馬車の中で僕を待っていたのは第二皇子のアンリ皇子で、馬車に乗り込んだ僕を見て目を細める。
皇子を待たせるなんてと他の人間に見られたら咎められそうなものだけど、僕とアンリは幼少期からの仲で、アンリ皇子の従者として僕とアンリは出会ったのだ。彼も僕に対等な態度を求めているし、今更仰々しくする仲でもない。
リュシルが三日間目覚めなかったことも、昨日目覚めた直後僕に言った言葉についても、すでに彼には話している。
だからこそアンリなりに僕を案じてくれているようで、視察の前にナミュール家へ立ち寄ることを許してくれたのだ。
ナミュール家も第二皇子が来ていると知っていたら屋敷に招き入れただろうけど、一人娘が突然倒れて大変な時に別のことで煩わせたくないという意見が僕と彼の間で一致したため、皇子が来てることはナミュール家には伝えずに僕一人でナミュール家に上がったのだった。
どうだった、と言われると説明が難しい。僕としては把握できたことはそれなりにあるのだけど、彼女の事情を全てアンリに伝える気もない。リュシルのことを一番知っているべきなのは僕なのだから。
「記憶喪失になったらしい。単なる記憶だけでなく知識も全て失ったとリュシル本人が言っていた」
アンリが目を見開いた。普段あまり表情の変化がない彼にとっても、衝撃的な知らせだったのだろう。
「それは……残念だな。稀代の才媛の記憶がさっぱりなくなってしまうとは。彼女の発想によって発達したインフラがいくつあるかと思うと……」
「まぁ、国にとってはそうだろうけど。僕にとっては願ったり叶ったりだよ」
アンリが目を眇める。
あぁ、駄目だ。口角が緩んでしまう。
僕が口元を片手で押さえると、アンリが呆れた顔で肩を竦めた。
「理由は聞かないでおくが、私としては彼女の記憶の喪失はすなわち我が国の文明発展の遅れと直結する。ルーべルージュ皇国として、全面的に彼女の記憶を取り戻す協力をするからな」
悪く思うなよ、とでも言うようなアンリの宣言に、今度は僕の方が肩を竦めてみせた。
「それが分かっていないほど愚かではないよ。ただ……彼女の記憶がこのまま戻らなければいいなって願ってるだけ」
今までの思い出を惜しんでいないわけではないけど、今はただ嬉しさが優っている。
今日は婚約破棄などといきなり言うから詰め寄ってしまったけど、明日からは沢山優しくしてあげよう。
それに、身体的な不調がないなら結婚の準備も予定通り進めたい。オールヴェルニュの屋敷にはすでに彼女のための部屋を僕の部屋の隣に作らせてあるし。
「楽しみだな、結婚式」
リュシルのウェディングドレス姿を思い浮かべて口角を緩ませ零した呟きに、アンリは僕から目を逸らして窓の外に視線をやった。
――――――――
予想外のアレクシさんの反応に呆然としながら自室に戻った私は、部屋に戻るなりメラニーに謝罪をした。
「あなたが慕っているリュシルではなくてごめんなさい。このまま働くのが難しかったら、転職先をお父様とお母様にどうにかしてもらうか、せめて私のお世話から配置を変えてもらうから――」
「いえ! いいえ……! 私はこのままリュシルお嬢様の一番近くて働きたいです。お嬢様のお心がお許しくださるなら、どうか今まで通りに」
メラニーが私の発言を遮ってまで主張した。
元のリュシルと比べて色々思うだろうに、彼女にはその戸惑いが一切見えない。
「そう……?」
「それに、お嬢様はリュシル様ですよ。記憶がなくなってご不安かと存じますが、お嬢様は私の知っている――」
力強く言葉を紡いでいたメラニーがぴたりと口を閉じた。
どこか青褪めたような表情になっていて、私はそっとメラニーに近づいて背中に手を添える。
「どこか具合が悪いの? 椅子に座る?」
「お気遣い痛み入ります、ですが大丈夫です。……お嬢様」
メラニーが眉尻を下げて私を真っ直ぐに見る。
薄茶色の瞳は心の底から私のことを心配している気色を映していて、私も無意識に息を飲んだ。
「オールヴェルニュ様にはお気をつけくださいませ。……一概に悪い方ではないのですが、嫌なことや違和感を覚えたことは躊躇わずにお伝えしてくださいね」
「えぇ……分かったわ」
メラニーの台詞の真意を全て理解することはできなくとも、彼女が言いたいことの輪郭は察することができた。
あの人、ちょっとどころではなく怖いのだ。
婚約破棄はしないと断固として主張する割に、リュシルの記憶は戻らなくていいなどと言う。
リュシルのことを愛しているのだろうと思っていたけれど、もしかしたらそうとも限らないのかもしれない。例えば、家柄やリュシルの能力などを目的にしているから婚約破棄はしたくないし懐柔のために優しくするけれど、記憶がなくなる前の元のリュシルだと色々知りすぎていて不都合があったから、記憶がなくなってくれて良かった……みたいな。
そもそも、アレクシさんがどんな家の人なのかも、それどころかリュシル自身がどんな家の生まれなのかもまともに知らない。
とにかく今足りないのは情報だ。
アレクシさんも……うっかり口から出た時にも間違えないように頭の中でもアレクシ様と呼ぼう……、とにかくアレクシ様も家庭教師を用意してくれると言っていたけれど、彼のことを全面的に信用するにはまだ早計だ。ナミュール家でも何かお願いできないか聞いてみよう。
夕食の際、お父様――リシャール・ナミュールというお名前らしい――に婚約破棄はしないことになったと伝えると、お父様は特段驚かずに「そうか」と渋い顔をした。
婚約破棄した方がナミュール家にとっては都合が良かったのだろうか。
それを聞こうにも、お母様――シモーヌ・ナミュール――が「リュシルがそれでいいと思ったならいいのよ」とフォローを入れてきたので聞けなかった。
そんな感じであまり会話の盛り上がらない夕食を終えて、自室に戻った私はメラニーから他のメイドさんを紹介してもらった。
「アニーとエミリーです」
茶髪のふわふわしたボブのくりっとした目の方がアニー、前髪をセンターで分けていてセミロングの赤紫髪に目尻がきゅっと猫みたいに上がっている方がエミリー。
ちなみにメラニーは黒髪を後ろでお団子にしていて、瞳の色は紺色。少しそばかすがあるみたいだけれど、それをメイクで隠しているみたいだった。私は可愛いと思うけれど、本人は気にしているかもしれないから触れないでおく。
「色々と迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、よろしくお願いします」
「!? 頭をお上げくださいお嬢様……!」
何気なくお辞儀をしたらすごく慌てられてしまった。こういうところに常識の違いのボロが出てしまいそうで、アレクシ様が家庭教師を用意してくれるのは良かったかもしれない。
この家の執事はヤン・ベルタンというらしい。そしてメラニーはメイドではなく侍女という立場なのだそうだ。
男性貴族につくのが従者、女性貴族につくのが侍女なのだそうだ。当主の夫人には必ず侍女がつくけれど、娘に侍女がつくかはまちまちらしい。侍女がつく家もあればメイドが侍女代わりをすることもあるようだ。
「失礼いたします」
ぴったりと声を揃えてアニーとエミリーが部屋を出て、メラニーと二人きりになる。
メラニーがお風呂の準備をしてくれている間に僅かな沈黙の間に思考を巡らせて、口を開いた。
「ねぇメラニー」
「いかがしましたか?」
「私、リュシル・ナミュールのことが知りたいわ。どうやって調べたらいいかしら」
メラニーは数秒考えたあと、何か意を決したような顔をして頷いた。
「私が協力いたします。私から前のお嬢様の話をしましょう。あとは、お嬢様の日記がどこかにあるはずですが……、申し訳ございません、それは私も場所を知らないのです。一緒に探しましょう」
「ありがとう、メラニー!」
「ただその前に」
「その前に?」
私が王蟲返しをすると、メラニーが笑みを浮かべて浴室へ続く扉を開けた。
「今日はお風呂にお入りになって早くお休みになりましょう」
そう言われると、どっと疲れていたのを身体が思い出した。
原因不明で突然倒れて三日間目覚めなかったのだ、一晩では身体の調子は戻らないということだろう。
「そうね、そうするわ」
私が頷いて立ち上がると、メラニーは優しく目を細めた。
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