第一話 初回一連無料
「あー……。疲れたなー……。」
朝の五時半の電車でも、乗客はそれなりにいる。
東京はすごいと思う。
ドアが開くたびに、同じ顔色の人間が、同じ速さで乗り降りしていく。
サラリーマンたちは皆、眠そうだ。俺も同じだった。
深夜の荷物仕分けバイトの帰りだ。
ベルトコンベアーを流れてくる段ボールを見守り、担当エリアのものだけを抜き取る。
それだけの単純作業を、延々と繰り返す。
体力というより、心が削られる仕事だ。
時間はやけに長く感じるが、その分バイト代はいい。
だから続けている。
「うち、貧乏だしな……。これ以上仕送りは頼めないし」
席に座れば、そのまま眠りに落ちてしまいそうだった。
俺は、ドア横のスペースに寄りかかり、スマホを取り出す。
特に目的はない。
アパートの最寄り駅までの、ただの暇つぶしだ。
「美味い儲け話なんて、全部詐欺だし……。」
親指で画面をなぞる。
ニュース、動画、広告。
流れていく情報はどれも同じように見えて、内容はほとんど頭に入ってこない。
「あっ、やべ」
そのとき、不意に指先が滑った。
広告の一つに触れてしまう。
派手な色のバナーだった。
戦闘シーンらしきカットと、見慣れた『今すぐプレイ』の文字。よくあるソーシャルゲームの広告だ。
「だるっ……。」
画面が切り替わる。
ストアページ、ではない。
見たことのない黒い画面が一瞬だけ表示され、そのままバーが伸びる。
ダウンロードが、始まっていた。
「……は?」
思わず小さく声が漏れる。
キャンセルボタンを探すが、見当たらない。
戻る操作をしても、画面は反応しない。
ただ、無機質な進行バーだけが、じわじわと右へ伸びていく。
車内アナウンスが流れる。
次の駅名が告げられ、ドアの開閉を知らせる音が鳴る。
それとは関係なく、スマホの中で何かが進んでいる。
『おめでとうございます。あなたは選ばれました』
画面いっぱいに、仮面の男が現れた。
目元だけを隠す、ありふれた仮面。
白く塗られた肌に、やけに赤い口元。
シルクハットにタキシード、白い手袋。
どこかで見たことのある、安っぽい手品師の格好だ。
『退屈な日常は、ここで終了です』
男はゆっくりと片手を上げる。
白手袋の指先が、こちらを指した。
『報酬を得るための最適な環境をご用意しました』
口元は笑っているのに、目の奥が見えない。
画面越しのはずなのに、視線が合っている気がした。
『参加を開始します』
画面が切り替わった。
「なに、これ? 勝手にダウンロードして、勝手に始まったぞ」
編成、強化、バトル、ガチャ。
アイコンが並び、中央にはキャラクターが表示され、どこにでもありそうな構成だ。
ただ一つだけ、違和感があった。
ピックアップガチャの帯文字が付いたキャラクターが、妙に生々しい。
イラストではない。
写真とも違う。
映像に見えた。
ほんのわずかに、呼吸しているような気がした。
だが、それ以上に信じがたい事実があった。
「いや、ないって……。」
ブリーフ姿のおっさんが、今期の目玉キャラだった。
普通、ソーシャルゲームのターゲットは決まっている。
男性向けなら可愛い女の子、女性向けなら美男子だ。
それが『当たり前』のはずだった。
こんなガチャを、誰が引くというのか。
「一連って何だよ……。全然、連じゃないぞ」
ガチャのアイコンには『初回一連無料』と書かれていた。
他にどんなキャラクターがいるのか、少しだけ興味が湧く。
それだけだった。
俺はそのまま、ボタンを押した。
画面が切り替わった。
青い背景に、真顔の人物。
証明書写真のようなそれが、右から左へと音もなく流れてゆく。
「マジ、ターゲットを教えてくれよ」
少年もいれば、老婆もいる。
年齢も性別もばらばらで、どれも一瞬だけ視界を横切って消えていく。
やがて、画面全体にシャドーが落ち、黄色い縦書きの文字が浮かび上がった。
『人生を支配しろ』
要するに、ガチャを引けということだろう。
あまりにも大げさな文言に、少しだけ肩の力が抜けた。
「はい、よっと」
画面をタップする。
最初に『C』と表示され、次に『UC』へと変わり、さらに『R』へと切り替わった。
たぶん、レアリティだ。
そのたびに文字は大きくなり、色もわずかに赤みを増していく。
「……微妙?
今はレジェンドとかウルトラとか、普通にあるしなー」
そして、『SR』で止まった。
一呼吸の間を置き、スポットライトに照らされた、キャラクターが現れた。
「……えっ!?」
息が、一瞬だけ止まる。
そこに映っていたのは、知らない誰かではなかった。
見覚えがある。
同じ大学の女の子だった。
講義で、何度も同じ教室にいた。
名前も、出席のときに聞いた。
密かに覚えていた名前が、画面のものと同姓同名だった。
年齢も一致している。
彼女の視線が、わずかに動いた気がした。
画面越しのはずなのに、確かにこちらを見た。
思わずタップする。
次の瞬間、ホーム画面が切り替わった。
『バトルまで、18:24:41』
中央に大きく表示されたカウントダウンが、静かに動き始める。
数字を追って、ふと気づいた。
日付が変わる、ちょうどその瞬間だった。




